【シリーズ】丸刈りに誓う、あの夏へ

S.H.L

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第2章 白川真緒

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第2章 白川真緒

 桐原先輩の坊主頭を初めて見たとき、私は声を失った。朝のグラウンドで振り返った先輩の姿——それは昨日までの彼女とは別人のようだった。グラウンドに居合わせた部員全員が、驚きで立ち尽くしたのを覚えている。けれど次の瞬間、先輩は爽やかな笑みを浮かべて「おはよう!」といつも通りに声をかけてくれたのだ。その明るい挨拶にハッとし、私は慌てて「お、おはようございます!」と返事をした。みるみるうちに緊張が解け、自然と皆に笑みが広がっていった。

 それでも内心は動揺していた。女子部員が頭を丸めるなんて前代未聞だ。私は二年生で、桐原沙季先輩とはポジションも違う。ただ、一年生の頃からずっと憧れてきた尊敬する先輩だ。厳しい練習の中でも常にチームを気遣い、引っ張ってくれる。その先輩が自ら坊主頭になる決断をした——並大抵の覚悟じゃない。先輩の背中がいっそう大きく見えた反面、私は不安を覚えた。先輩一人に背負わせてしまっていいのだろうか、と。

 放課後、誰もいなくなったグラウンドで、私はひとり残ってネットに向かってボールを投げ込んでいた。モヤモヤした気持ちを紛らわせたかった。ボールを思い切り放るたびに、朝の桐原先輩の姿が脳裏に蘇る。ベンチに座る丸坊主の先輩が、汗を拭いながら後輩たちに喝を入れていたシーン——いつも以上にその声は力強く響いていた。彼女はきっと、私たちに何かを伝えたかったのだ。覚悟、決意、そして団結……。私はボールを受け取ると、大きく息を吐いた。

「真緒」唐突に名前を呼ばれて振り向くと、桐原先輩が立っていた。いつからそこに? 驚いて声も出ない私に、先輩はふっと優しく微笑む。坊主頭になっても、先輩の穏やかな雰囲気は少しも変わっていなかった。

「あんまり投げ込み過ぎると肩壊すわよ」先輩が心配そうに言う。
「先輩……」私は何か言わなければと思うのに、うまく言葉が出てこない。聞きたいこと、伝えたいことが胸に渦巻いて息苦しくなる。
「朝は驚かせちゃったね」先輩が申し訳なさそうに頭を撫でた。「でも私、自分で決めたの。皆に強制するつもりはないから、気にしないで」
「……どうしてですか?」私は絞り出すように尋ねた。「どうして先輩が一人でそんな……坊主にならなくちゃいけないんですか」
「『いけない』わけじゃないよ。私がそうしたかっただけ」先輩の声は穏やかだった。「去年悔しい思いをしただろう? 今年こそ絶対勝ちたい。そのために、自分の覚悟を形に示したかったんだ」
 夕陽に照らされた先輩の横顔は凛として、美しかった。私は胸が締め付けられるようだった。
「それに……」先輩は少し言い淀んでから、言葉を継いだ。「私が坊主になったことで、みんなに変にプレッシャーを与えてしまったならごめんね。ただ、私は本気だってことが伝わればそれでいいの」
「先輩……」気づけば目頭が熱くなっていた。先輩は一人で背負うつもりでいる。そんなの、嫌だ。

「先輩、私……」込み上げる感情に声が震える。「先輩と一緒に戦いたいです。先輩だけにそんな思いをさせたくありません」私は拳を握りしめ、先輩の目を真っ直ぐ見つめた。「だから……私にも坊主にさせてください!」
「真緒……」先輩の瞳が大きく揺れた。「ダメよ、そんなこと——」
「お願いします!」私は頭を下げた。「先輩と同じ覚悟を持ちたいんです。私は怖がりで弱虫です。でも、先輩の背中を追いかけてここまで来ました。先輩が自分を変えたように、私も自分を変えたい。強くなりたいんです!」
 自分でも驚くほど、はっきりと言えた。先輩はしばらく黙って私を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「……わかった。でも一つ条件。私が自分でやるわ。いい?」
 その言葉に私は顔を上げた。先輩が覚悟を込めて刈った、そのバリカンで——先輩自身の手で——私も坊主にしてもらえる。こんな光栄なことはない。
「はい。お願いします!」私はまっすぐに先輩の目を見返して答えた。

 それから私たちは二人で女子更衣室へ行き、鍵をかけた。先輩がロッカーからバリカンを取り出すのを見て、胸が高鳴る。夕陽が窓から差し込み、埃が静かに舞っていた。小さな鏡の前に腰掛ける。
「本当にやるのね」背後から先輩が尋ねた。
「はい」私は鏡ごしに自分の顔を見据え、頷く。「覚悟はできています」
 正直怖くないと言えば嘘になる。だけど今の私は、それ以上に強い意志で満たされていた。ユニフォームの上着を脱ぎ、肩にタオルをかける。長かった髪を後ろで一つに束ね、ゆっくりと結び目に鋏を当てた。
「はぁっ…!」思い切り刃を入れる。ジュッという音とともに束ねた髪が切り落とされ、私の膝の上にふわりと落ちた。黒く太いその束を、私は震える手でそっと持ち上げる。目の奥がじんと熱くなった。でも後悔はない。タオルの上にそっと髪の毛の束を置く。

「いくよ」背後から先輩の声。振り返ると、先輩が真剣な表情でバリカンを握っていた。電源が入れられ、「ブイーン…」という音が静かな部室に響く。
「お願いします」私は顎を引き、目を閉じた。
 次の瞬間、耳元でブィィィン…という振動音が高まり、生え際に冷たい感触が当てられた。ゾクっと背筋に鳥肌が立つ。覚悟を決めろ——心でそう唱えた。
「大丈夫、痛くしないから」先輩の優しい声が聞こえた。そして、ジョリジョリという音。頭皮に振動が伝わり、私の髪が刈られていく。
 一刹那、重かった何かがスッと消えた気がした。目を開けると、鏡の中で私の前髪がなくなり、白い地肌が覗いている。小さく息を呑む私に、「大丈夫?」と先輩。
「…平気です。続けてください」そう答える声は震えていなかった。

 バリカンが再び動き出す。前から後ろへ、そして左右へ。ザザッ、ジョリジョリッという音が規則的に響き、膝の上に短く刈られた髪がパラパラと落ちていく。視界がどんどん明るく開けていくようだった。鏡に映る自分は、見知らぬ女の子に変わりつつある。だけど不思議と、怖さより安心感があった。先輩が後ろに立っていてくれる——それだけで心強い。

「よし、こんなものかな」やがて先輩がバリカンのスイッチを切った。私は恐る恐る鏡を覗き込む。そこには、頭を丸めた自分がいた。ポタポタと涙が頬を伝う。
「後悔…してる?」先輩が心配そうに尋ねる。
「違います…嬉しいんです…」私は泣き笑いの顔で答えた。震える手で頭に触れる。短く刈られた髪の感触——まるで細かい砂粒のようだ。これが私? 本当に? だが不思議な充実感があった。
 先輩が私の肩にそっと手を置いた。「よく頑張ったね」
 その一言で、胸に張り詰めていたものが音を立てて崩れた。私は「ありがとうございます…!」と涙声で叫ぶと、先輩に思わず抱きついていた。先輩のユニフォームにしがみつき、子供みたいにわんわんと泣いた。先輩の手が優しく私の背中をさする。「もう大丈夫だよ」
 私は大きく深呼吸すると、涙を拭って顔を上げた。目の前には坊主頭の自分、そして同じく坊主頭の桐原先輩が映っている。なんだか少しおかしくて、二人で顔を見合わせ笑った。

「これで私も、先輩と同じですね」照れながら言うと、先輩は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。頼もしい仲間が増えて嬉しいわ」そして私の肩に手を置き、力強く言った。「一緒に全国へ行こう!」
「はい!」私も元気よく返事をした。鏡の中で、坊主頭の少女二人が輝くような笑顔を浮かべている。熱い何かが胸に満ちていくのを感じながら、私は静かに拳を握った。
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