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第一章 成人式と約束の鋏
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やまさきまいは、高校を卒業してから三年、スーパーの制服を身にまとい、ほとんど毎日を職場で過ごしてきた。
朝は開店準備から始まり、閉店後はレジ締めや棚卸しの手伝いまで。誰よりも動き、誰よりも声を出す。気が付けば、年下のパートやアルバイトから「まいさん」と慕われ、社員からも頼りにされる存在になっていた。
その髪型はいつも決まっていた。
黒々とした胸元まで伸びたストレートを、黒いゴムで高めに結ったポニーテール。制服の襟元からしなやかに垂れるその髪は、働き者の印でもあり、まい自身の“仕事の顔”でもあった。
しかし彼女の胸の奥には、誰にも話していない決意が宿っていた。
――成人式が終わったら、ロングヘアをばっさり切る。
高校卒業のときにそう決めたのだ。
進学を諦め、就職を選んだとき、「大人になるために何かを区切らなければ」と思った。髪を切ることは、生活の節目を刻むための、自分なりの儀式のように感じていた。
その思いに拍車をかけたのは、スーパーに毎日のように通ってくる常連客の一人、近所に小さな美容室を営むおばさまだった。
「まいちゃん、成人式はもうすぐだろう?」
夕方の品出しのとき、にこやかに話しかけられる。
「はい。来月なんです」
「ふふ、せっかくだから髪も新しくしてみたらどう? あなた、ずっと長い髪を結んでるでしょう。きっと思い切って切ったほうが似合うと思うわ」
不意に言われて、まいは驚いた。
「え……似合うと思いますか?」
「ええ、顔立ちがすっきりしてるから。ロングで隠すよりも、ショートで出したほうが映えるわよ。成人式は振袖を着るんでしょう? セミロングくらいでまとめて、そのあとで思い切ってベリーショートに。そういう節目にするといい」
その言葉は、不思議なほど自然に胸に落ちてきた。
成人式を機に切るつもりではいた。けれど「どう切るのか」を決めかねていたのだ。セミロングからショートへ――その流れをおばさまに示され、まいは視界が開けたような気持ちになった。
「……いいかもしれません」
「決まりね。うちの店においで。家族でやってる小さな美容室だけど、腕は確かだから安心して」
そうして紹介された美容室へ、まいは成人式直前の日に足を運ぶことになった。
⸻
冬の午後、暖簾のかかった小さなガラス戸を開けると、ふわりとシャンプーの香りが漂ってきた。
白木の床は磨かれ、壁には落ち着いた絵画が飾られている。椅子は二つだけ、奥には大きな姿見。アットホームな空間に、まいの緊張も少し解けた。
「いらっしゃい、まいちゃんね。お母さんから聞いてるわ」
迎えてくれたのは、常連のおばさまの息子で、美容師の男性だった。物腰が柔らかく、笑うと目尻にしわが寄る。
ケープをかけられ、椅子に座る。
「成人式まではセミロング、そのあとでばっさりベリーショートですね」
「はい。自分でそう決めたので」
「素敵です。式のあとに楽しみが残っているなんて、最高じゃないですか」
ハサミがリズムを刻み始める。
肩に重たくかかっていた髪が、床へと落ちていく。ぱらぱらと散る毛束の感覚が心地よい。
「わぁ……軽い……」
思わず声が漏れる。鏡の中では、顎のあたりまでのセミロングに整えられた自分が笑っていた。
「これなら成人式で華やかにアップにもできますし、その後切るのも楽しみになりますよ」
美容師の言葉に、まいは頷いた。
⸻
成人式当日。
振袖の袖を通し、髪を結い上げてもらい、鏡を覗き込む。
「……大人になった、かな」
呟いた声は、自分でも少し照れくさい。
会場に足を踏み入れると、旧友たちの視線が一斉に集まった。
「えっ、まい!? 髪切ったの?」
「ロングだったのに! すごい似合ってる!」
「大人っぽいね!」
皆の反応に、胸の奥がくすぐったくなる。ロングでなければと思い込んでいた自分が、もういなかった。
写真を撮り、懐かしい話で盛り上がり、笑い声が絶えなかった。
その一方で、夕方が近づくにつれ、まいの胸は再び高鳴っていた。
――今日は、あの約束を果たす日。
⸻
式が終わると同時に、まいは親友を誘い、美容室へ直行した。
「ほんとに切るの? ベリーショートに?」
「うん。もう決めたから」
親友は目を丸くしていたが、興味も隠せない様子だった。
美容室の戸を開けると、美容師が笑顔で出迎えた。
「いらっしゃい。いよいよですね」
「はい、お願いします」
ケープがかけられた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
ハサミが動き、肩まであったセミロングが次々と切り落とされていく。
「うわぁ……!」
鏡の中に現れたのは、首筋がはっきりと見える自分。
「似合いますよ。ここからもっと短くしますね」
鋏の音が軽やかに響く。耳の横が次々に切り落とされ、やがて顎のラインがくっきりと浮かび上がる。
残された毛束をすき鋏で整えると、鏡にはベリーショートのまいが映っていた。
大人びた輪郭、きりりとした瞳。今まで以上に自分がはっきりと姿を現した気がした。
隣では親友もカットされていた。
「すごい……まいに似合ってる。私もショートにしちゃおうかな」
そう言って笑った彼女は、そのままベリーショートに挑戦した。
しかし、その時。
美容師が台の上に置いたバリカンを見て、親友は目を輝かせた。
「ねえ……それで、刈り上げてみたい!」
「えっ!? 本当に!?」
まいは驚き、声を上げた。
美容師はにやりと笑い、アタッチメントを外した。
「じゃあ、いきますよ」
ウィーン……と低いモーター音が響き、親友の耳の横にバリカンが当てられる。
ぞりっ、と髪が削がれ、白い地肌が現れる。
「きゃーっ! でもすごい、気持ちいい!」
親友が笑い声をあげる。黒髪がばさばさと床に落ちていくたび、まいの胸も高鳴った。
――刈り上げ。
鏡越しに親友の首筋を見つめながら、まいは強く思った。
「私も……次は、やってみよう」
その決意が芽生えた瞬間、成人式という節目が、彼女にとって本当の意味を持ったのだった。
朝は開店準備から始まり、閉店後はレジ締めや棚卸しの手伝いまで。誰よりも動き、誰よりも声を出す。気が付けば、年下のパートやアルバイトから「まいさん」と慕われ、社員からも頼りにされる存在になっていた。
その髪型はいつも決まっていた。
黒々とした胸元まで伸びたストレートを、黒いゴムで高めに結ったポニーテール。制服の襟元からしなやかに垂れるその髪は、働き者の印でもあり、まい自身の“仕事の顔”でもあった。
しかし彼女の胸の奥には、誰にも話していない決意が宿っていた。
――成人式が終わったら、ロングヘアをばっさり切る。
高校卒業のときにそう決めたのだ。
進学を諦め、就職を選んだとき、「大人になるために何かを区切らなければ」と思った。髪を切ることは、生活の節目を刻むための、自分なりの儀式のように感じていた。
その思いに拍車をかけたのは、スーパーに毎日のように通ってくる常連客の一人、近所に小さな美容室を営むおばさまだった。
「まいちゃん、成人式はもうすぐだろう?」
夕方の品出しのとき、にこやかに話しかけられる。
「はい。来月なんです」
「ふふ、せっかくだから髪も新しくしてみたらどう? あなた、ずっと長い髪を結んでるでしょう。きっと思い切って切ったほうが似合うと思うわ」
不意に言われて、まいは驚いた。
「え……似合うと思いますか?」
「ええ、顔立ちがすっきりしてるから。ロングで隠すよりも、ショートで出したほうが映えるわよ。成人式は振袖を着るんでしょう? セミロングくらいでまとめて、そのあとで思い切ってベリーショートに。そういう節目にするといい」
その言葉は、不思議なほど自然に胸に落ちてきた。
成人式を機に切るつもりではいた。けれど「どう切るのか」を決めかねていたのだ。セミロングからショートへ――その流れをおばさまに示され、まいは視界が開けたような気持ちになった。
「……いいかもしれません」
「決まりね。うちの店においで。家族でやってる小さな美容室だけど、腕は確かだから安心して」
そうして紹介された美容室へ、まいは成人式直前の日に足を運ぶことになった。
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冬の午後、暖簾のかかった小さなガラス戸を開けると、ふわりとシャンプーの香りが漂ってきた。
白木の床は磨かれ、壁には落ち着いた絵画が飾られている。椅子は二つだけ、奥には大きな姿見。アットホームな空間に、まいの緊張も少し解けた。
「いらっしゃい、まいちゃんね。お母さんから聞いてるわ」
迎えてくれたのは、常連のおばさまの息子で、美容師の男性だった。物腰が柔らかく、笑うと目尻にしわが寄る。
ケープをかけられ、椅子に座る。
「成人式まではセミロング、そのあとでばっさりベリーショートですね」
「はい。自分でそう決めたので」
「素敵です。式のあとに楽しみが残っているなんて、最高じゃないですか」
ハサミがリズムを刻み始める。
肩に重たくかかっていた髪が、床へと落ちていく。ぱらぱらと散る毛束の感覚が心地よい。
「わぁ……軽い……」
思わず声が漏れる。鏡の中では、顎のあたりまでのセミロングに整えられた自分が笑っていた。
「これなら成人式で華やかにアップにもできますし、その後切るのも楽しみになりますよ」
美容師の言葉に、まいは頷いた。
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成人式当日。
振袖の袖を通し、髪を結い上げてもらい、鏡を覗き込む。
「……大人になった、かな」
呟いた声は、自分でも少し照れくさい。
会場に足を踏み入れると、旧友たちの視線が一斉に集まった。
「えっ、まい!? 髪切ったの?」
「ロングだったのに! すごい似合ってる!」
「大人っぽいね!」
皆の反応に、胸の奥がくすぐったくなる。ロングでなければと思い込んでいた自分が、もういなかった。
写真を撮り、懐かしい話で盛り上がり、笑い声が絶えなかった。
その一方で、夕方が近づくにつれ、まいの胸は再び高鳴っていた。
――今日は、あの約束を果たす日。
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式が終わると同時に、まいは親友を誘い、美容室へ直行した。
「ほんとに切るの? ベリーショートに?」
「うん。もう決めたから」
親友は目を丸くしていたが、興味も隠せない様子だった。
美容室の戸を開けると、美容師が笑顔で出迎えた。
「いらっしゃい。いよいよですね」
「はい、お願いします」
ケープがかけられた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
ハサミが動き、肩まであったセミロングが次々と切り落とされていく。
「うわぁ……!」
鏡の中に現れたのは、首筋がはっきりと見える自分。
「似合いますよ。ここからもっと短くしますね」
鋏の音が軽やかに響く。耳の横が次々に切り落とされ、やがて顎のラインがくっきりと浮かび上がる。
残された毛束をすき鋏で整えると、鏡にはベリーショートのまいが映っていた。
大人びた輪郭、きりりとした瞳。今まで以上に自分がはっきりと姿を現した気がした。
隣では親友もカットされていた。
「すごい……まいに似合ってる。私もショートにしちゃおうかな」
そう言って笑った彼女は、そのままベリーショートに挑戦した。
しかし、その時。
美容師が台の上に置いたバリカンを見て、親友は目を輝かせた。
「ねえ……それで、刈り上げてみたい!」
「えっ!? 本当に!?」
まいは驚き、声を上げた。
美容師はにやりと笑い、アタッチメントを外した。
「じゃあ、いきますよ」
ウィーン……と低いモーター音が響き、親友の耳の横にバリカンが当てられる。
ぞりっ、と髪が削がれ、白い地肌が現れる。
「きゃーっ! でもすごい、気持ちいい!」
親友が笑い声をあげる。黒髪がばさばさと床に落ちていくたび、まいの胸も高鳴った。
――刈り上げ。
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「私も……次は、やってみよう」
その決意が芽生えた瞬間、成人式という節目が、彼女にとって本当の意味を持ったのだった。
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