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第五章 スキンヘッド店長
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朝、窓のブラインドを半分だけ上げる。まだ白い光のなかで、まいは洗面台の前に立ち、頭皮に掌を当てた。
ひやりと冷たい。昨夜のローションが薄く残っていて、肌はすべすべと指先を滑らせる。電動シェーバーを取り出し、ヘッドを軽く水で濡らす。
ブウウウ……。
柔らかい高音が、浅い朝にすっと馴染む。額の生え際から円を描くようにあて、つむじへ向けてゆっくり滑らせていく。キュッ、キュッ、とごく微かな抵抗が、すぐ“無音”に変わる。
音の変化で、磨けていない場所がわかる。右の側頭部は地形が少し複雑だから、二度、三度。耳のカーブを丁寧に回り込む。えりあしは手鏡で角度を合わせ、トリマーで境目を締める。
仕上げに、SPFの入った乳液を薄くのばした。すべる掌の下で、頭全体が一枚の鏡のように整ってゆく。
(今日も、平気)
鏡の中の自分は簡潔で、言い訳の余地がない顔をしていた。スーツに袖を通し、社員章を留める。襟を整えたところで、ドアホンが鳴る。
「迎えに来ました、店長」
ドアの向こうで彼女——ゆきが、わざと仕事口調で微笑んでいた。
「おはよう。じゃあ“店長”として行きましょうか」
二人の間に、さっと仕事用の距離が引かれる。その“線”を跨がないことが、今の彼女たちの約束だった。
◇
開店前ミーティング。
従業員の輪の真ん中で、まいは深呼吸をひとつ。空調の風が頭皮を撫でて、余分な熱をさらう。
「今日の重点は、青果の動線と惣菜の見切りタイミングです。値札のフォントは読みやすく。身だしなみは“相手への礼儀”です——髪、爪、名札、清潔に」
そこで言葉を切り、まいは全員の顔を順に見た。彼らがまいのスキンヘッドを“特別扱いしない”ことに、やわらかな安堵を覚える。
「困ったら呼んで。迷ったら笑って。今日もよろしくお願いします」
「はい!」と声が揃った。
散っていく背中を見送りながら、まいはいつもの癖で首筋に触れる。つるり。ここに触れるたび、背骨がすっと伸びる。
開店。自動ドアが、朝の一人目の客を吸い込む。
まいは青果の山を低く組み直しながら、視界の端で店全体の呼吸を測る。
「すみません」
振り向くと、小さな男の子がまいをじっと見上げていた。母親が慌てて頭を下げる。
「店長さん、すみません、この子が……」
「いいですよ。どうしたの?」
「その……触ってもいいですか」
子どもの目はまっすぐで、悪意がひとかけらもない。まいは笑ってしゃがみ、掌を差し出した。
「じゃあ、ちょっとだけね」
おそるおそる伸びた指が、頭の上をそっと撫でる。
「つるつる!」
「でしょ。転ばないようにね」
母親の頬も緩む。「勇気づけられます、わたしも来月手術で……」
まいは微笑み、声を落として言った。
「また元気な姿で会いましょう。うち、冷たいデザートが今週お得ですよ」
ほんの少しの会話が、その親子の背中を軽く押したのを感じる。彼らがレジへ向かうのを見届け、まいは胸の奥に小さな灯をひとつ増やした。
ほどなく、別の声。
「店長さん。病気じゃないのよね?」
お歳を召した常連が心配そうに覗き込む。
「はい。大丈夫です。仕事のけじめとして選びました」
「立派ねぇ。清潔で、よく似合ってるわ」
その言い方は素朴で、真っ直ぐで、まいの肩の力をふっと抜いてくれる。
◇
昼のピーク。
惣菜の列が伸び、レジのスキャナの音が連打のように重なる。まいは“詰まり”を見つけては、一本ずつほぐしていく。トングの動きを早め、パックを補充し、値付けを一枚ずつまっすぐ貼る。
汗ばむ。だが前髪が落ちてくる心配はない。空調の風が頭皮に直接抜け、体温をすっと下げる。
ほんの一瞬空いた隙間で、ゆきが近づき、声を潜める。
「評価面談、わたしは副店長に出すので」
「うん。ありがとう。線を引くのは、こちらの責任」
視線は交わさない。会話は三秒。仕事の動きに戻る。
関係を見せないことは、何かを隠すこととは違う。大切なものを守るために、誇りをもって距離を取る。それがまいの“統治”だった。
午後、冷蔵室からの搬入。
外は強い日差し。平台の保冷剤を抱えて出入りするたび、陽が頭皮にまっすぐ降りる。じり、と熱が刺す。
バックヤードに戻ったまいは、ロッカーから小さなボトルを取り出して、頭に薄くクリームを伸ばす。
「店長、日焼け止めですか?」
「そう。意外と焼けるからね。帽子もかぶるけど、外作業の前には必ず」
新人に向けて見せれば、それはすぐ“安全の手順”になる。
「真似します」と返ってくる声が嬉しい。
◇
夕方の小休止。
休憩室で紙コップのコーヒーをすすっていると、スマートフォンに社内チャットの通知が入った。
〈本社広報〉“地域店舗ニュースで新店長の取り組み紹介したい。写真は後ろ姿でもOK?”
まいは少し迷い、返信する。
〈顔出しで構いません。ただし、話題の中心は“売場の工夫とお客様満足”でお願いします〉
髪は、話題の入口にはなっても、目的ではない。
シンプルに、その線を守る。
ふいにドアが開いて、別店舗のエリアマネージャーが顔を出した。
「様子見に来た。……おお」
驚きののちに、苦笑が混じる。「噂には聞いていたけど、数字がついてきてるのがいいね」
「ありがとうございます。皆が動いてくれているおかげです」
言葉を簡潔に返し、まいは立ち上がる。
「よかったら、惣菜の並びをご覧ください。動線が変わりました」
“髪”で会話を終わらせない。必ず“現場”へ繋ぐ。それが彼女のルールになっていた。
◇
夜、閉店後。
レジ締めを終え、最後の点検。売場に静けさが戻る。照明を落とし、バックヤードに入ったところで、ゆきが小さく手を挙げた。
「店長、少しだけいいですか」
二人きりではない。副店長もいる。まいは頷いて、机の端に立つ。
「異動の希望、出しました。来月、隣駅の店舗に空きが出るそうで」
一瞬、時間が止まる。
ゆきは正面を見たまま、はっきりと言う。
「関係を守るには、それが一番だと思って。仕事は続けたいし、もっとできるようになりたい」
まいは、ゆっくり呼吸を整えた。
「ありがとう。君がそう決めたなら、わたしは応援する。必要な準備はすべてこっちで整える」
副店長が黙って頷いた。「引き継ぎ、手伝います」
線は、さらにくっきりした。哀しみではなく、誇りの濃度で。
解散になり、最後に残った廊下で、ゆきがほんの少しだけ近づく。
「……今夜、少しだけ、歩きませんか」
「うん。五分だけ」
ビルの裏手。夏の熱がやわらぎ、風に金木犀の気配が混ざっている。
「店長の、頭」
ゆきが囁く。
「すきです」
まいは笑って、指で自分の頭をとんとんと叩いた。
「ありがとう。これで、やっていく」
ふたりは横並びのまま、互いに触れない距離で歩いた。触れないからこそ、寄り添う気持ちは確かだった。
◇
三か月の“けじめ”期間が終わるころ、本社でのフォロー面談があった。
担当者は書類を見て、苦笑交じりに言う。
「スキンヘッド、続けるの?」
「ええ。わたしの選択として」
言葉は軽いが、芯は固い。
「数字も、人の評価も上がっている。……髪型は、もう社内の“話題”でなく“前提”だな」
「ありがとうございます。これからも、売場で勝ちます」
面談は十分で終わった。
エレベーターを降りるとき、鏡に映る自分は少し驚くほど、凛としていた。
◇
スキンヘッドの運用は、まいの仕事のリズムに完全に組み込まれた。
・朝の電動シェーバー——“音が消えるまで”。
・日中の保護——SPF、帽子、保冷剤。
・夜のケア——低刺激の化粧水、ローション。
ひとつひとつは些細だが、それが“自分の機械の整備”のように日々を安定させる。
新人に頼まれれば、まいは手順を惜しげもなく共有した。
「習慣は、迷いを減らす道具。仕事も、同じだよ」
そう伝えるたびに、自分にも言い聞かせているのだと気づく。
土曜日。地域の子ども会とタイアップした「ひみつのバックヤード見学会」。
まいは店の裏側を案内し、最後の質問コーナーで手が一斉に上がる。
「店長さん、なんで髪がないの?」
「わたしはね、大事なことを決めるとき、髪を切るって決めてるの。今回は“店をよくする”って決めたから、思い切って全部剃ったの」
「へぇー!」
「でも、真似は大人になってからね」
笑いが起きる。保護者の何人かが目を細めて拍手した。
写真撮影では、子どもたちが「つるつるポーズ!」と頭の上で手を丸め、まいも同じポーズで応える。
無邪気な景色は、疲れを丸ごと洗い流した。
◇
夜。
帰宅後、まいは明かりを落として、窓辺に立った。
街の灯りが遠くで瞬いている。
スマートフォンが震え、ゆきから写真が届く。隣駅の新しい店舗の売場——すっきりとした動線、揃えたラベル、鏡のように光るケース。
〈教わった通りにしたら、今日のクレームゼロでした〉
添えられた一文を読み、まいは胸の奥がじん、と温かくなる。
〈よくやった。君の現場だね〉
送信して、しばらく画面を見つめた。
やがて、指を頭に当て、軽く押す。つるり。
どこにも隠れない感触。
(ここまで来た)
(ここからも、行ける)
明日の朝も、シェーバーの音で始まる。
迷ったら笑い、困ったら手を貸し、必要なら自分に刃を向けてでも線を引く。
スキンヘッドは、罰ではなく、旗だった。
まいは、その旗の下で働く人たちを守り、客の“今日”を少し楽にするために動く“店長”になったのだ。
自動ドアのガラスに映る自分へ、心の中で小さく会釈する。
明日、また“いらっしゃいませ”から始めよう。
そしていつの日か、式場の白い光のもとで——タキシードの襟を正し、同じ旗の下で隣に立つ人に、はっきり誓おう。
あなたと、共に。
この店と、共に。
この街と、共に。
——スキンヘッド店長として。
ひやりと冷たい。昨夜のローションが薄く残っていて、肌はすべすべと指先を滑らせる。電動シェーバーを取り出し、ヘッドを軽く水で濡らす。
ブウウウ……。
柔らかい高音が、浅い朝にすっと馴染む。額の生え際から円を描くようにあて、つむじへ向けてゆっくり滑らせていく。キュッ、キュッ、とごく微かな抵抗が、すぐ“無音”に変わる。
音の変化で、磨けていない場所がわかる。右の側頭部は地形が少し複雑だから、二度、三度。耳のカーブを丁寧に回り込む。えりあしは手鏡で角度を合わせ、トリマーで境目を締める。
仕上げに、SPFの入った乳液を薄くのばした。すべる掌の下で、頭全体が一枚の鏡のように整ってゆく。
(今日も、平気)
鏡の中の自分は簡潔で、言い訳の余地がない顔をしていた。スーツに袖を通し、社員章を留める。襟を整えたところで、ドアホンが鳴る。
「迎えに来ました、店長」
ドアの向こうで彼女——ゆきが、わざと仕事口調で微笑んでいた。
「おはよう。じゃあ“店長”として行きましょうか」
二人の間に、さっと仕事用の距離が引かれる。その“線”を跨がないことが、今の彼女たちの約束だった。
◇
開店前ミーティング。
従業員の輪の真ん中で、まいは深呼吸をひとつ。空調の風が頭皮を撫でて、余分な熱をさらう。
「今日の重点は、青果の動線と惣菜の見切りタイミングです。値札のフォントは読みやすく。身だしなみは“相手への礼儀”です——髪、爪、名札、清潔に」
そこで言葉を切り、まいは全員の顔を順に見た。彼らがまいのスキンヘッドを“特別扱いしない”ことに、やわらかな安堵を覚える。
「困ったら呼んで。迷ったら笑って。今日もよろしくお願いします」
「はい!」と声が揃った。
散っていく背中を見送りながら、まいはいつもの癖で首筋に触れる。つるり。ここに触れるたび、背骨がすっと伸びる。
開店。自動ドアが、朝の一人目の客を吸い込む。
まいは青果の山を低く組み直しながら、視界の端で店全体の呼吸を測る。
「すみません」
振り向くと、小さな男の子がまいをじっと見上げていた。母親が慌てて頭を下げる。
「店長さん、すみません、この子が……」
「いいですよ。どうしたの?」
「その……触ってもいいですか」
子どもの目はまっすぐで、悪意がひとかけらもない。まいは笑ってしゃがみ、掌を差し出した。
「じゃあ、ちょっとだけね」
おそるおそる伸びた指が、頭の上をそっと撫でる。
「つるつる!」
「でしょ。転ばないようにね」
母親の頬も緩む。「勇気づけられます、わたしも来月手術で……」
まいは微笑み、声を落として言った。
「また元気な姿で会いましょう。うち、冷たいデザートが今週お得ですよ」
ほんの少しの会話が、その親子の背中を軽く押したのを感じる。彼らがレジへ向かうのを見届け、まいは胸の奥に小さな灯をひとつ増やした。
ほどなく、別の声。
「店長さん。病気じゃないのよね?」
お歳を召した常連が心配そうに覗き込む。
「はい。大丈夫です。仕事のけじめとして選びました」
「立派ねぇ。清潔で、よく似合ってるわ」
その言い方は素朴で、真っ直ぐで、まいの肩の力をふっと抜いてくれる。
◇
昼のピーク。
惣菜の列が伸び、レジのスキャナの音が連打のように重なる。まいは“詰まり”を見つけては、一本ずつほぐしていく。トングの動きを早め、パックを補充し、値付けを一枚ずつまっすぐ貼る。
汗ばむ。だが前髪が落ちてくる心配はない。空調の風が頭皮に直接抜け、体温をすっと下げる。
ほんの一瞬空いた隙間で、ゆきが近づき、声を潜める。
「評価面談、わたしは副店長に出すので」
「うん。ありがとう。線を引くのは、こちらの責任」
視線は交わさない。会話は三秒。仕事の動きに戻る。
関係を見せないことは、何かを隠すこととは違う。大切なものを守るために、誇りをもって距離を取る。それがまいの“統治”だった。
午後、冷蔵室からの搬入。
外は強い日差し。平台の保冷剤を抱えて出入りするたび、陽が頭皮にまっすぐ降りる。じり、と熱が刺す。
バックヤードに戻ったまいは、ロッカーから小さなボトルを取り出して、頭に薄くクリームを伸ばす。
「店長、日焼け止めですか?」
「そう。意外と焼けるからね。帽子もかぶるけど、外作業の前には必ず」
新人に向けて見せれば、それはすぐ“安全の手順”になる。
「真似します」と返ってくる声が嬉しい。
◇
夕方の小休止。
休憩室で紙コップのコーヒーをすすっていると、スマートフォンに社内チャットの通知が入った。
〈本社広報〉“地域店舗ニュースで新店長の取り組み紹介したい。写真は後ろ姿でもOK?”
まいは少し迷い、返信する。
〈顔出しで構いません。ただし、話題の中心は“売場の工夫とお客様満足”でお願いします〉
髪は、話題の入口にはなっても、目的ではない。
シンプルに、その線を守る。
ふいにドアが開いて、別店舗のエリアマネージャーが顔を出した。
「様子見に来た。……おお」
驚きののちに、苦笑が混じる。「噂には聞いていたけど、数字がついてきてるのがいいね」
「ありがとうございます。皆が動いてくれているおかげです」
言葉を簡潔に返し、まいは立ち上がる。
「よかったら、惣菜の並びをご覧ください。動線が変わりました」
“髪”で会話を終わらせない。必ず“現場”へ繋ぐ。それが彼女のルールになっていた。
◇
夜、閉店後。
レジ締めを終え、最後の点検。売場に静けさが戻る。照明を落とし、バックヤードに入ったところで、ゆきが小さく手を挙げた。
「店長、少しだけいいですか」
二人きりではない。副店長もいる。まいは頷いて、机の端に立つ。
「異動の希望、出しました。来月、隣駅の店舗に空きが出るそうで」
一瞬、時間が止まる。
ゆきは正面を見たまま、はっきりと言う。
「関係を守るには、それが一番だと思って。仕事は続けたいし、もっとできるようになりたい」
まいは、ゆっくり呼吸を整えた。
「ありがとう。君がそう決めたなら、わたしは応援する。必要な準備はすべてこっちで整える」
副店長が黙って頷いた。「引き継ぎ、手伝います」
線は、さらにくっきりした。哀しみではなく、誇りの濃度で。
解散になり、最後に残った廊下で、ゆきがほんの少しだけ近づく。
「……今夜、少しだけ、歩きませんか」
「うん。五分だけ」
ビルの裏手。夏の熱がやわらぎ、風に金木犀の気配が混ざっている。
「店長の、頭」
ゆきが囁く。
「すきです」
まいは笑って、指で自分の頭をとんとんと叩いた。
「ありがとう。これで、やっていく」
ふたりは横並びのまま、互いに触れない距離で歩いた。触れないからこそ、寄り添う気持ちは確かだった。
◇
三か月の“けじめ”期間が終わるころ、本社でのフォロー面談があった。
担当者は書類を見て、苦笑交じりに言う。
「スキンヘッド、続けるの?」
「ええ。わたしの選択として」
言葉は軽いが、芯は固い。
「数字も、人の評価も上がっている。……髪型は、もう社内の“話題”でなく“前提”だな」
「ありがとうございます。これからも、売場で勝ちます」
面談は十分で終わった。
エレベーターを降りるとき、鏡に映る自分は少し驚くほど、凛としていた。
◇
スキンヘッドの運用は、まいの仕事のリズムに完全に組み込まれた。
・朝の電動シェーバー——“音が消えるまで”。
・日中の保護——SPF、帽子、保冷剤。
・夜のケア——低刺激の化粧水、ローション。
ひとつひとつは些細だが、それが“自分の機械の整備”のように日々を安定させる。
新人に頼まれれば、まいは手順を惜しげもなく共有した。
「習慣は、迷いを減らす道具。仕事も、同じだよ」
そう伝えるたびに、自分にも言い聞かせているのだと気づく。
土曜日。地域の子ども会とタイアップした「ひみつのバックヤード見学会」。
まいは店の裏側を案内し、最後の質問コーナーで手が一斉に上がる。
「店長さん、なんで髪がないの?」
「わたしはね、大事なことを決めるとき、髪を切るって決めてるの。今回は“店をよくする”って決めたから、思い切って全部剃ったの」
「へぇー!」
「でも、真似は大人になってからね」
笑いが起きる。保護者の何人かが目を細めて拍手した。
写真撮影では、子どもたちが「つるつるポーズ!」と頭の上で手を丸め、まいも同じポーズで応える。
無邪気な景色は、疲れを丸ごと洗い流した。
◇
夜。
帰宅後、まいは明かりを落として、窓辺に立った。
街の灯りが遠くで瞬いている。
スマートフォンが震え、ゆきから写真が届く。隣駅の新しい店舗の売場——すっきりとした動線、揃えたラベル、鏡のように光るケース。
〈教わった通りにしたら、今日のクレームゼロでした〉
添えられた一文を読み、まいは胸の奥がじん、と温かくなる。
〈よくやった。君の現場だね〉
送信して、しばらく画面を見つめた。
やがて、指を頭に当て、軽く押す。つるり。
どこにも隠れない感触。
(ここまで来た)
(ここからも、行ける)
明日の朝も、シェーバーの音で始まる。
迷ったら笑い、困ったら手を貸し、必要なら自分に刃を向けてでも線を引く。
スキンヘッドは、罰ではなく、旗だった。
まいは、その旗の下で働く人たちを守り、客の“今日”を少し楽にするために動く“店長”になったのだ。
自動ドアのガラスに映る自分へ、心の中で小さく会釈する。
明日、また“いらっしゃいませ”から始めよう。
そしていつの日か、式場の白い光のもとで——タキシードの襟を正し、同じ旗の下で隣に立つ人に、はっきり誓おう。
あなたと、共に。
この店と、共に。
この街と、共に。
——スキンヘッド店長として。
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