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目覚めた少年と竜騎士
しおりを挟む音がする。
暖かな微睡を崩壊させる音が聞こえる。
何かが破壊される音、地鳴り、そして獣のけたたましい声。
ゆっくり瞼を開くと荘厳な棺桶の中で横たわっていた。
少年の身体を埋め尽くすように捧げられていた白薔薇は何故か枯れておらず、瑞々しいまま。
「……そういえば、私、何をしていたんだっけ」
長いこと眠っていたからか、思考がまとまらない。
ボーっとしたままに棺桶から起き出てみれば、真っ白な大理石の床につま先が触れる。
「冷たっ」
その感覚で、一気に脳が覚醒した。
イレミス=ニフタ=ミスティリオディス
この名は父なる神から賜った初めての贈り物だ。
父は時空を司る神であり、その第三子としてイレミスは生まれた。
少年は正真正銘、神の仔であった。
記憶を遡ると、眠りに就く前のことが脳裏にありありと蘇る。
たしか私は、あの世紀の大戦で自分の魔力を全て使い切ってしまったために気絶したのだった。
かの神々でさえも参加する戦いであるならば、もちろん神の仔である私も参加せざるを得なかった。そのために、気絶してしまった訳でもあるが。
「……でも何で棺桶の中にいるんだろう……」
イレミスは死んだつもりはない。ましてやこんな陰気な少年を立派な棺桶に入れてくれた人物も思いつかない。
腐っても神の仔であるため、当時私を慕ってくれていた者はごくわずかだが存在した。だが、その者たちがこのような端麗極まる葬儀をしてくれるような者たちで無かったことだけは良く分かっている。
目的も無いままに裸足で部屋を歩くと大きな鏡を見つけた。
姿見に映るは、癖のない漆黒の短髪に濃い紫紺の瞳を持つ少年。
少年と呼ぶには少々可愛くない年齢であるが、見た目だけをみれば若々しさ溢れる少年に他ならない。
神の仔であるため、不老ではあるが不死ではない。魔力切れを起こしても死ななかったのは単に身体が丈夫だったからであろう。
ふと、周囲に耳を傾けると遠くから音が聞こえた。
ガッタン バキリ ガガガ ドゴーン
この腹の奥底から鳴り響くような轟音が私を眠りから覚ました元凶のようだ。
とにかく、音の鳴る方へ行ってみよう。何がいるのかは分からないが。
共に棺桶の中に眠っていた愛用の杖を手に意を決して重厚な扉へ手を伸ばした。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
重厚な扉を開き、壮麗な廊下を抜け、外へ出る。
一気に視界が広がり、見覚えのある世界が顔を出した。
夜空は光輝く星々で彩られ、白い満月は下界を見下ろす。
建物の周りは木々に覆われ、ここが深い森の中であることが分かる。
夜空を眺め、懐かしい感覚に浸りたいが、そんなことも言ってられない。
徐々に轟音の方へ近づけば、その正体が明らかになる。
「これは腐敗豚人……!」
うじゃうじゃと蟲のように集まったオークの軍勢は棍棒を頻りに振り下ろし、辺りの石碑や遺跡を破壊している。
顔は半分崩れ落ち、臓器が飛び出している。その原型を留めぬ姿はオークだったものとは考えらえないくらいに酷い有様だった。
姿だけでなく、そこから漂う腐った匂いが鼻腔を刺激し、自然と顔を強張らせる。
眠りにつく前にも自然発生した魔物はそれなりにいたが、こんなに沢山もの魔物を見るのは初めてだ。
それに、何かがおかしい。魔力溜まりがある訳でもないのに、増殖し続けているのは気味が悪い。
私が眠っている間に何が起きたのだろうか。
「うぅ……」
突如、弱々しい呻き声が聞こえた。
オークの視線を辿ると、男が倒れていた。
「大丈夫ですか?今、助けますから」
慌てて走り寄る。
男の腹に残る傷は深く、衣服を赤黒く染め上げていた。
この状態は非常にまずいだろう。身体は鍛え上げており見るからに頑丈そうだが、なんせこの男は人の子だ。流石に人の子が死にやすいことは知っている。
杖を構えてゾンビオークの軍勢へと向き直る。
だが、まずは魔物を倒してからだ。
深く息を吸って、杖を地面に衝く。
綴るは神々の言葉。魔力を編み込むように口ずさむ。
『我は神の血を継ぎ、神の意志を継ぐ者である』
『今宵の月は悪しき者どもを照らし、己が影が真実の己を喰らい尽くすだろう』
「さあ、口を開け、餌の時間だ」
その瞬間、イレミスの瞳が夜の色を湛えて輝いた。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
痛い。
激痛が走る腹からは生暖かな血が流れ出ている。
男の名はフェンガル=ローフォト
王国随一の竜騎士にして、侯爵家の長男だ。
だが、今はそんな肩書も意味をなさない。
鬱蒼とした森の中で騎乗してきた竜は逃げ失せ、腐敗した魔物の軍勢に襲われた。
より強い神性を持つ聖女を生み出すために、王令により神の仔の廟へ訪れたが、まさかこんな目に遭うとは思ってもみなかった。
朦朧とする視界の端には、いつの間にか黒髪の少年が立っている。
とうとう死神が迎えにきたのだろうか。
「Είμαι αυτός που κληρονόμησε……」
後ろ姿の少年は聞きなれない言葉を紡ぐ。
「さあ、口を開け、餌の時間だ」
そう少年が呟いた瞬間、月光がより一層強く辺りを照らした。
月光によりオークの軍勢の足元に黒い影が浮かび上がったと思ったら、その影が軍勢を飲み込み始める。
影から延びる黒い手はまさにオークの手であり、自らが自らを喰らい尽くしているように見えた。
声にならない悲鳴が森に木霊し、あっという間に魔物の軍勢は姿を消してしまった。
何が起きた?俺は夢を見ているのだろうか。
歪む視界の中で少年が振り返る。
アメジストの瞳が特徴的で、夜空を背景に見ればまるで
「……『夜を統べる王』のようだ」
それを聞いて目を丸くした少年を見たのを最後に視界が暗転した。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
パチパチと火花が飛ぶ焚火近くで男は昏々と眠り続けていた。
月の光に照らされて襟足の長い髪は白銀に輝き、閉じられた瞼の裏には夕陽のごとく美しい紅玉が隠れていることだろう――
――なんて、吟遊詩人がさも詠みそうな口上を考えてみたが、
「……早く起きてー」
それくらいには暇だった。
取り敢えず応急処置を施したが、一向にこの大男は目を覚ます気配を見せず、ただただ時間を持て余す。
それにこの男はゾンビオークの群れを倒した直後に「夜を統べる王」などと、謎の言葉を残して気絶してしまったのだ。
それが気になって仕方が無いし、このまま放って置いてまた魔物に襲われてしまっては後味が悪い。
三時間は経っているのだろう。満月は既に西へ傾いている。
「う……ぐ……」
「あ、」
起きた。
ゆっくりと緋色の瞳が開かれる。
「こんばんわ、良い夜ですね」
びくりと肩を揺らし、飛び上がるように上体が起き上がる。
「……お前は誰だ?、うっ……」
「急に起き上がると傷口を広げますよ」
痛みに歪んだ顔がこちらを向く。
「お前は……あの時の」
「ええ、私はイレミスと申します、起きて早々申し訳無いですが、『夜を統べる王』って何ですか?」
「……それ、今じゃないとだめか?」
あり得ないものを見るような目が向けられる。
「できれば今が良いですね」
「……ここの近くに五百年前に永遠の眠りに就いた神の仔の廟がある、その神の仔のことを敬意を込めて『夜を統べる王』と呼んでいる」
「あ、へーそうなんですね、ありがとうございます」
『夜を統べる王』とは私のことだったのか。
少し痛い名前だと思ってしまったのが悔やまれる。
……いや、待て
五百年の時が経っている?
魔力が枯渇していたからと言えど、こんなに長く眠ったことは今までに無い。
神々は今どうしているだろうか、兄さんと姉さんのことも気になるし……
「あの魔物はどうやって倒した」
徐にフェンガルが口を開いた。
「ゾンビオークのことですか?」
「ああ、影のようなものが魔物を襲っていたが、あれはお前の仕業だろ」
「ええ、そうですよ。私が使役する影は己の欲望を映す鏡みたいなものでして、全てを破壊し食い尽くしたいという彼らの思いが彼ら自身を襲ったということですね」
「影を使役しただと?そんな魔法聞いたことも見たことも無い、しかもあんな大掛かりな魔法、魔力がいくらあっても足りないはずだ……お前は一体何者だ」
男は眉を寄せ困惑する。
魔法を使って驚かれたのは久々だ。
逆に言えば、このような大魔法をこの男は一度も見たことが無いということだ。
大賢者や名だたる魔女なら神々に匹敵とまではいかなくとも、大魔法を扱えるはずだ。
だが、それを見たことが一切ないとは珍しい。
「逆に質問しますが、何故こんな深い森に居るのですか?」
「……質問をそっくりそのまま返したい」
相手の嫌な所を突いてやろうと言ってみたが、自分の首を絞めるだけだった。
「あー、私はなんというか、元からここに居たというか……?」
一か八か、苦し紛れに言ってみる。
「……」
男は呆れて物も言えなくなった。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
豪華な廟の廊下を歩く。
「フェンガルさんというのですね」
怪しい少年はイレミスと名乗った。奇しくも、かの神の仔と同じ名だ。
だが、神の仔の名を子どもに名付ける親など世界中にいる。
「ここに来たのはその『白薔薇』?を求めて来たのでしたっけ?」
「ああ、神性の強い聖女を生み出すには神の仔へ捧げられた『永遠の白薔薇』が必要不可欠だからな」
今、ラトゥリア王国の教会と王宮は、聖女選定の儀でより強い聖女を求めることに必死だ。
「聖女がいれば、魔物を退けられ王国は安泰、ということですね」
イレミスは指を立てて名案だというように笑った。
「ああ、だが聖女に頼り過ぎている気がして俺はまり気乗りしないがな」
「へー、私は別にいい案だと思いますけど」
見たことも無い壮大な魔法を扱うことができ、魔物を目の前にしてもケロッしているのを見れば、イレミスがいかに異様か分かる。
――まるで神々の奇跡の力を持った神の仔のようだ。
ありえない考えが脳裏によぎる。
だが、こいつが神の仔だとしたら、世界がこうなってしまった原因がここにいるということになってしまう。
ありえない。
五百年前、神の仔は死んだ。
この廟が真実を物語っているではないか。
「あ、通り過ぎていますよ」
急にイレミスがある扉の前に立ち止まった。
「何がだ?」
「この部屋にフェンガルさんの言う『白薔薇』があるんですよ」
そう言って俺の手を引いて重厚な扉を押し開ける。
純白の大理石の床は二人の姿を反射するほど磨かれており、部屋の中央には黒を基調とした美しい棺桶があった。
恐る恐る棺桶に近づき中を覗いた。
「無い」
薔薇と思しきものは茶色く変色し、水分が抜けて枯れてしまっていた。
それだけではない。
棺桶には神の仔の遺体さえなかった。
「え?無かったですか?」
「さっき見た時はあったのですけどね」
「……さっきとはいつの時だ」
嫌な予感がする。
「さっきはさっきです」
「ここに来たということか?」
「いや、この棺桶で寝てたんですよ」
神の仔は恥ずかしそうに頬を掻いて笑った。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
「お前が……」
呆気にとられる顔を見るのはこれで三回目だ。
「黙っていてすみませんでした」
「……いや、まさかと思っていたが、納得いった」
フェンガルは憑き物が取れたように真っ直ぐと私を見た。
「えっとその、」
神の仔だと言っても態度が変わらないフェンガルに安堵し、肩の力を抜いた。
だが、フェンガルは真意の見えない表情で問いかける。
「今の世界をどこまで知っている」
「え?」
「五百年間、寝ていたんだろ、どこまで世界の状況を理解しているんだ」
「いや、まだ何も……」
五百年もの間、何があったのか私は何も分かってなどいなかった。
「イレミス、お前が眠りに就いてから世界は激動の時代に入った」
「夜は魔物が溢れ、世界は混沌と化した。」
「あの聖戦の後、神々は地上から姿を消し、神々の知恵を授けられた勇者たちもとっくに死んだ」
「頼れる者はいなくなった。神官は天上へ還った神々へ問いかけた。『聖戦後であるのになぜ夜には魔物が這い出てくるのか』と」
「神託にて神々は言った『夜を支配する神の仔が消えたからだ』と」
フェンガルの声は単調で何を言いたいのか分からない。
責めているようにも、諭すようにも聞こえる。
自分がいなかったせいで多くの人が魔物に殺されたのか。
いや、今もなお殺され続けているのだろう。
「お前はどうしたい」
「……どうしたい?」
「ああ、俺にできることなら少しぐらい手伝ってやる」
「なんでそこまでしてくれるのですか?」
「一応、命の恩人だからな」
「本当にいいのですか?」
「言っとくがお前のために命を張る事とかは出来ないがな」
「そんなこと求めませんよ、でも私を信用してくださる理由が見つからないです」
きっとフェンガルは『私が夜を守り世界に安寧を与えること』に協力しようとしているのだろう。
それは私が神の仔であり、『夜を統べる王』だからこそ、そうすべきであり、そうするだろうと思っているからなのだろう。
「お前が夜を危険なものにした原因だとしても、お前は死にかけの俺を助けた。その事実があるだけでお前を信用するに値する」
「そうだろ?」
フェンガルはそう言ってほころぶように笑う。
優しい男だ。
そう、優しくて無知な男。
このフェンガルという男は私を勘違いしている。
私は世界を救いたいなどと考えてなどいない。
人間を救おうが魔物を救おうが、私にとっては大差ない。
神々の神託により私が眠りに就いたことで魔物が夜に溢れる様になったと分かったとしても、この五百年間、神々は魔物を前にして困る人間を助けはしなかった。
ならば、それが答えなのではないか。
どうだっていい。
かの聖戦は、神々の威信をかけたものだった。
だからこそ、人々に知恵を与え、共に戦うことを良しとした。
言ってしまえば、神は手駒が増えたとしか考えていなかっただろう。
神でさえ気にしないものを、私が気にするものか?
否、気にする必要も意味もそこには無い。
だから、私は人間を救う責任など持っても無ければ負うつもりもなかった。
――だが、この男の真っ直ぐで純粋な心は嫌いじゃない。
だから、今はその提案に乗ってあげよう。
『人間にとってのあるべき夜を取り戻す』
人間の欲望にまみれた提案だが、フェンガルが望むなら付き合ってやってもいい。
気まぐれに何か為すのもいいだろう。それに面白そうなことは大好きだ。
折角目覚めたことだし、楽しまないともったいないしね。
「……ありがとうございます、じゃあまずは、私を君の王国へ連れて行ってくださいませんか?」
イレミスは意識して綺麗な笑みを浮かべる。
きっと、彼は安心するだろう。
人間は表情を読み取る生き物らしいから。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
王国は思った以上に大きくて、人間の繁栄がしかと形に表れていた。
特に王都は人間も多く、市場は活気で溢れている。
「あのお店は何を売っているのですか?」
「あれは魔道具だ。人々の生活を便利にする魔法の道具を売っている」
「ではあの怪しげな布を頭に被った女性は一体……」
「占い師だ。ただの詐欺師なことも多いが、中にはよく当たると評判の奴もいるらしい」
質問すれば、フェンガルが全て答えてくれた。
「じゃあ、あの人が人を売っているお店はなんなのでしょう?」
「あれは……奴隷商だ、奴隷を捕獲して物品のように売り捌く、商売だな……」
「へー、人は面白いことをするんですね」
フェンガルは黙ったまま、拳を強く握りしめる。
本当に優しい男だ。優しすぎて可愛そうだと思うくらいに。
「フェンガルさんはどうしたいのですか?」
「どうしたいって」
「あれを見て何を思ったんですか?」
「奴隷を売るなんて非人道的で許し難いことであるから」
「から?」
「奴隷たちをなんとかして解放させてやりたい、と思ってしまう」
「そうですよね、分かりますよその気持ち」
自然と口角が上がる。
「きっと、貴方は正しい」
そっと地面に杖をつく。
瞬きの間に、影が奴隷商人と奴隷を飲み込み姿を消したと思ったら、次の瞬間には奴隷と奴隷商人の立場が反対になっていた。
「なっ!?」
フェンガルは目を見開き、驚愕の表情でイレミスを見た。
「何をした!?」
「何って、御覧の通り奴隷商人には罰を、奴隷には救済を与えたまでですよ」
目を細めて、フェンガルを見据える。
欲深な人間を救うのは癪だが、決して誰も救いたくないとは思っていない。
綺麗で潔白な心を持つ人間ならば、救うに値する。
特に美しい魂を持つ人間は好意的に接してもいいだろう。
「だって、フェンガルさんは綺麗な心を持っていますからね」
そして、そんな人間が言うことはいつだって正しいことだろう。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
フェンガルは宿場の一階のカウンターで酒を嗜んでいた。
今頃イレミスは二階の自室で寝ているだろう。
あいつはズレている。
日中、イレミスが起こしたことはあまりにも人間とかけ離れていた。
その操る魔法もその行動を起こした理由も。
グラスの中の発泡酒を揺らすと金色に光る。
口に含めば苦味はやがて、自然と口内に馴染み、独特な香りを纏って鼻を抜ける。
思えば、美術品のように欠点のない笑顔も、自身が為したことに疑問を持たない純真な心も、全てが美しく、それ故に酷く異様だった。
それが、何だが心の奥に引っかかる。
目覚めたイレミスはたぶん誰もが安心して眠りに就ける夜を取り戻そうとするだろう。
伝説によれば、かの聖戦は魔界と天界が始めた地上の領地争いだったはず。
神々は地上に生きる人間たちを守るため、様々な知恵を授け、魔界から押し寄せる多くの魔人や魔獣を退けることに成功した。
その中で『夜を統べる王』は神々が直接人間の元へ遣わした神の仔であった。
彼は人々と共に多くの魔物を蹴散らし、暗い時代を切り開き、最期は人々のためにその身を削って、魔界の門を閉じたという。
その結果、イレミスは英雄として後世にその名を轟かせることとなった。
あいつはきっと、人々を守り慈しむ存在であるはずだ。
俺が魔物の軍勢に襲われた時も駆けつけて魔物を倒し、死にかけていた俺を看病してくれた。
「美味しそうなお酒ですね、私にも一杯ください」
いつの間にか、隣の席にイレミスが座っていた。
少年にしか見えないが、年齢を考えると人間の数十倍はあるだろうから、酒が飲めない訳でもない。
しかしその見た目で酒を飲んだら、俺が怒られる。
「ジュースでも飲んどけ」
「えー、」
イレミスは渋々、店員が差し出した林檎ジュースを受け取るが、口を付けると悪くないといった表情で飲み始めた。
「……明日は、王宮に報告へ行くからな」
「そういえば、森に行ったのは王令でしたね」
結局、白薔薇は手に入らなかったため、聖女選定の儀で神性の強い聖女を生み出すことは難しくなるだろう。
王に何と言われるか考えるだけで頭が痛くなる。
下手したら打ち首だ。それほど、あの王は聖女を生み出すことに執心している。
だが、それよりも心配なのはイレミスのことだ。
白薔薇を取りに行ってみると神の仔が起きていましたなんて言ったら、戯言だと一蹴されることだろう。
それに、こいつの存在を易々伝えてしまってもいいのだろうか。
「ついでに俺の相棒も紹介してやる」
「竜騎士ですもんね、貴方が相棒の竜に乗って空を駆ける姿を一度は見てみたいものです」
イレミスは楽しそうにグラスを傾けて遊んでいる。
何が何でも国を守ってくれる聖女が欲しい王国の上層部なら、神の仔など喉が手が出るほど欲しいに決まっている。
もしイレミスの存在を知ったら、こいつは自由にやりたいこともできない籠の鳥にされてしまうのではないか。
漠然とした不安が心を支配した。
「何を悩んでいるのですか?」
当の本人は面白いものを見る様に俺の顔を下から覗き込んだ。
「何でもない、部屋に帰って早く寝ろ」
「そっくりそのまま返しますよ」
ああ言えばこう言う。
イレミスは物腰は柔らかいが、意外と自分の意志ははっきりと伝えてくる。
なら、きっと国王や教会の介入も何とか躱せるのではないか。
少しの希望を胸に、フェンガルは席を立った。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
「おー、ここが王宮ですか」
イレミスは高く聳えたつ王城に目を輝かせる。
「確認しておきたいことがある」
「なんでしょうか?」
「今から王へ今回の件を報告するが、お前の存在を伝えるか迷っている」
「どっちでもいいですよ、フェンガルさんのお好きにどうぞ」
なんてことないように微笑むイレミスにため息が出る。
「それは俺が決めることじゃない、お前が決めることだ」
「では、私の存在を伝えることで何かフェンガルさんに不利益はあるのですか?」
「……別に俺に不利益は無いが、」
「なら、いいです。むしろ報告すべきことを黙ったままにして嘘をついている方が、フェンガルさんにとってよくありませんから」
そう言い切ると、イレミスはスタスタと正門へ歩き出してしまう。
「お前に不利益があるかもしれないぞ」
「不利益?それこそ私には関係ないことですよ」
振り返って意味深に笑うイレミスが少し恐ろしく感じた。
「本当か?」
「ええ、神に誓って」
「……分かった、お前の言う通りにしよう」
イレミスの後を追うが、足が重く感じるのは気のせいだろうか。
数週間ぶりに訪れた王宮内は相変わらず煌びやかで、目がチカチカとする。
廊下の壁や天井の装飾には金銀がふんだんにあしらわれ、どれもこれも国民の血税で成り立っていることを考えると、苛政を敷いていることがよく分かる。
正直、今の国王はあまり好感が持てない。
教会と必要以上に結び付き、異常に聖女へ頼る姿勢を見せている。
「ここでしょうか?」
衛兵に導かれたのは王の間だった。
一際大きな両開きの扉が低い音を立てて開くと、舞踏会を開くかのように豪勢な広間が現れる。
「よく帰った、ローフォト次期侯爵。早く白薔薇を見せてくれ」
中央に見える王座から低いしわがれた声がかけられる。
見れば、絢爛な王冠や首飾り、指輪を着けた白髪の老人が座っていた。
だが、興奮しているのかいち早く白薔薇の存在を確認しようと王座から身を乗り出している。
「……申し訳ありません陛下、白薔薇は見つかりませんでした」
王の顔は見る見るうちに険しいものになる。
「なんだと!!」
王は目尻を吊り上げて憤慨し、地団太を踏んだ。
「聖女選定の儀は既に始まっているのだぞ!そんな時にこの重要な任務さえ遂行できないとはとんだ木偶の坊だな貴様は!」
「お叱りはしかと受けます」
やはり、こうなるか。だが仕方ない。
王の性格を知った上でこの任務を引き受けた俺にも非はある。
隣ではイレミスは目を丸くしてフェンガルを見る。
「衛兵!この者を牢屋へ連行しろ!」
扉からぞろぞろと入ってきた衛兵はフェンガルを取り囲み始めた。
「お待ちください!!」
突如、若い女性の声が広間に響く。
「陛下、それはあまりにも可哀そうではありませんか」
輝くばかりの金髪と桃色の瞳の少女は白いドレスに身を包み、フェンガルを守るように進み出た。
「メターニア様」
高位神官の衣服を着た男が少女の後を追うように現れ、諭すように名前を呼ぶ。
メターニアは子爵家の私生児だったが、聖女候補筆頭として召され、今は教会の庇護のもと聖女としても教育を受けているらしい。
「大司教よ、なぜメターニアがここにいる」
「これはとんだご無礼を陛下、どうかご容赦頂きたい」
大司教は深々と頭を下げた。
「彼女は次期侯爵が王宮に訪れていると聞いて居てもたってもいられず、ここまで走ってきたのです」
「止めようとも、止められなかったのは私の責にございます」
申し訳なさそうに大司教は王を見上げる。
「陛下!フェンガル様が帰還なさったら一番に私へ知らせてくれると言っていたではありませんか!それに牢屋に入れるなんて彼に罪などありません!」
少女は悲痛な面持ちで、王に訴えた。
「メターニアよ、お前に相応しい者はいくらでもいる、それにこの男はお前をより神性の高い聖女にするための白薔薇を持ち帰って来れなかったのだぞ」
メターニアは最近、俺が王宮に赴けば何かと接近してくる。
好意を持って貰えていることは何となく理解できるが俺にその気は無い。
やり取りをじっと隣で聞いていたイレミスは興味深そうに頷いた。
「面白いですね」
少年の軽やかな声が殺伐とした空気を破る。
「貴様は誰だ?時期侯爵と共に来たようだが」
「申し遅れました、私の名前はイレミス=ニフタ=ミスティリオディス、神の仔の廟からフェンガルさんに連れられてここまで来れました」
「尊き神の仔を名乗るとは不遜な!この子供も牢屋に入れろ!」
こんな状態の時に話しかけてしまったら逆効果だ。
このままだと二人揃って仲良く牢屋に入れられてしまう。
どうする
どうしたらいい
「待ってください、この子は本当に罪が無いではありませんか?」
再びメターニアが声を上げた。
「可哀そうに、長旅で疲れているでしょう?」
メターニアはイレミスに近づきその手で彼の頬を優しく包む。
彼女の慈悲深い行動に衛兵たちは心を打たれ、しばらく彼女に見惚れていた。
だが、
「気持ち悪い」
イレミスは笑顔のまま払いのける。
一瞬にして空気が冷え切った。
「メターニア様になんてことを!!」
大司教が前に出しゃばる。
「こんなものが聖女ですか?ここにいる人間は大層趣味が悪いようですね」
細めた目を薄っすらと開けたイレミスは汚物を見るかの如くメターニアを見た。
「衛兵!早く動かぬか!」
見惚れていた兵たちが動き出すが、間に合わない。
どこから取り出したのかイレミスの手には既に杖が握られている。
「Σκιά, σύλληψε όσους αψηφούν τους θεούς.」
聞き取れない言葉と共に杖が床に突き立てられる。
一瞬にして衛兵の影が衛兵の身体を縛り上げ、その喉元にまで纏わりついた。
「待てイレミス!誰も殺すな」
イレミスは彼らを殺そうとしている。
それは間違ったことだ。
「なぜ?彼らは私たちにとっての不利益そのものですよ?」
まるで自分が正しいかのように言う。
「不利益はお前にとって関係ないんだろ」
「ええ、殺してしまえば不利益など生まれませんからね」
「お前の手が汚れるだろ」
「それが何か?」
「お前は人を助けられる力がある」
「だが、その力は人を殺す力にも成り得る」
「どう使うかで、お前は世界の敵にも救世主にも成れるはずだ」
「そうですね、でもそんなことどうでもいいです」
イレミスは面倒臭そうに衛兵たちを眺めた。
言っても聞かないこいつを見るのは初めてだった。
「イレミス聞け、あの時、俺はお前に救われた、救われてなけば今ここに俺はいない」
「ただの気まぐれですよ」
「それでも、その事実は変わらない。俺は言ったよな、『この事実があるだけで信用するに値』すると」
「俺は信じている。お前が無暗に人を殺さない」
「自分勝手な信用ですね」
「人間は自分勝手だ」
そう自分勝手でしかない。
だが、その自分勝手はお前のためのものだ。
「イレミス、お前は人間の気持ちなど分からないだろう」
「だが、お前は人間に、俺に、信頼されている」
「信用も信頼も信仰ではない」
「神へ縋りつき、その恵みを求めることじゃない」
「神の教えを守り、正しく在ろうとすることじゃない」
「信用と信頼は共に生きた者たちだけが築けるものだ」
「相手に全てを任せられるという自信を互いに持つことだ」
「そこには決して上下関係があってはならない」
「そしてお前は神の仔ではあるが、神ではない」
はっと息を飲む声が聞こえた。
「……それで?」
無表情のイレミスが問う。
「俺がお前に対して持っているのは信仰ではなく信頼だということだ」
「誰かのために生きたお前にはそれが分かるはずだ、知っているはずだ」
「聖戦への参加が天上の神々からの命令だったとしても」
「お前はこの大地を踏みしめ、人間の隣で戦い続けた」
「人の気持ちが分からないなら、これから理解していけばいい」
「俺はお前を信頼している、だがらお前も俺を信頼しろ」
「俺の言う事を信じろ」
「……人間とは本当に自分勝手で欲深いですね」
イレミスは眉を下げて、溜め息をついた。
「約束してくれ」
「誰も殺さないと」
イレミスを真正面から見つめた。
「分かりました。約束します、貴方の信頼に誓って」
諦めたように笑うと、イレミスは魔法を解く。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
あの後、メターニアがフェンガルを連れ去り、イレミスは衛兵に腕を縛られ牢屋へ連れていかれた。
湿っぽく黴臭い牢屋に放り込まれる。
イレミスをここまで連れて来た衛兵が去ると、檻の前に現れたのはメターニアだった。
「あの魔法を見れば、あなたが神の仔であるのは本当だと認めざるを得ないわ」
「でも、あなたなんかお呼びでないのよ」
「そうですか」
「私のフェンガル様の懐へ忍び込んだ罪は重いわよ」
「貴女はあの男が好きなんですね」
「当たり前でしょう?じゃないとここまでやってこないわ」
「貴女のような悪女が聖女候補の筆頭になるなんてこの国はどこまで腐っているのでしょうか」
聖女を選定する裏で誰かがこの女を意図的に筆頭に押し上げたのだろう。
じゃなければ、こんなに穢れた魂の持ち主が聖女に候補に挙がるはずもない。
「その饒舌なお口はこれを見ても閉じないつもり?」
「それは『神殺しの剣』」
「分かってるじゃないの」
どうやらこの王国の裏で糸を引いているのは魔界の悪魔で間違いない。
でなければ、『神殺しの武器』など人間が持っている訳が無い。
あの剣は人間の彼女を誑かし、契約を交わした悪魔が与えたものであろう。
「でも今は使わないわ」
「なぜですか?」
「ただ殺すだけじゃつまらないでしょ?」
「それもそうですね」
「でも、もし優しいフェンガル様にこんなこと知られたら嫌われてしまうわね」
「あの男は人間にしては潔白が過ぎますからね」
「あら、まるで私が潔白でないみたいに言うじゃないの」
「冗談はよしてください、貴女からは悪魔の臭いがします。どうせ契約を結んでいるのでしょう?」
「あらあら、あなた最初から分かっているじゃない」
「でもなんで抵抗しなかったの?あなたならいくらでも殺せたはずなのに」
「約束してしまったからですよ」
「でもあの約束を守る意味などないのではないかしら?」
「約束は結ぶことに意味がある訳ではないんです、約束は守り抜いた先に意味を成すものですから」
「私にはよく分からないわ」
メターニアは眉を顰めた。
「分からないでしょうね、私も今さっき、やっと理解できたんですから」
「弱くなったものね、神の仔とやらも」
「弱くなってなどいませんよ、信じるべき生き方を見つけただけで」
イレミスはメターニアを射抜くようにその夜空のような瞳で見上げた。
「気丈な態度を見せたいだけの様にしか見えないわ」
「それならそれでいいですよ、でも貴女は何も知らないまま死んでいくのでしょうね」
口元を緩ませて笑う姿は神よりも人間に近い。
「減らない口ね。でもいいわ、どうせなら、その『約束』を破らせてから殺してあげるから。それまでここで恐怖に震えているのがお似合いよ」
メターニアはふんっと鼻を鳴らし、イレミスに背を向ける。
そしてそのままコツコツとヒールの音を立てて去っていった。
牢屋の冷たい床に寝転がる。
「神の仔であって神ではない、か」
初めて言われた言葉だ。
ずっと、神の血を引く者として、神の子どもとして、神らしく生きてきた。
いや、「生きてきた」というのもおかしい。
神は永遠の命を持ち、絶対的な支配力を持つ。
そんな存在に「生きる」なんて俗世的な言葉は似合わない。
「生きる」ということは、この地上で生命を育むものにこそ相応しい。
時に適応し、時に抗い、荒々しい世の中を強く逞しく生きていく。
そうして作られていく道筋は神々の在り方よりもずっと鮮やかで美しいものではないか?
それに、
神々が、この大地に降りて人々と共に戦うよう私に命令したのは、神々が私を駒として扱っていた証明でしかないのではないか?
それに、
神々の間に「信頼」というものは無かった。
信じるべき物事はあっても、互いに全てを預けられる「信頼」は無かった。
考えれば、
知らなかったこと、気づかなかったこと、疑問を持とうとしなかったこと、
それらが沢山あることに啞然とした。
でも今、それを知ることができた。
気づくことができた。疑問を持つようになった。
これからは「生きていこう」
私にはまだ知らないことが沢山ある。
折角、この世は神が全てではないことに気づいたのだから。
ある意味、これは神からの祝福かもしれない。
私を天上へ連れ去らなかったからこそ、こうして大地で目覚め、自由に生きることを知れた。
でも、それを与えたのは神ではなくあの男だ。
「約束は守りますよ、信頼していますからね」
▽△▽△▽△▽△▽△▽△
まさか闘技場の出場者になるとは思っても見なかった。
観客の歓声が遠くから聞こえる。
「今からあなたには百人の罪人と戦ってもらうつもりよ」
「罪人たちにはあなたを討ち取ったら無罪にすると約束してあるし」
「それにあなたには魔法を使えない状態で参加してもらうからね」
メターニアはそう言って嘲笑った。
「これでもあなたは誰も殺さないという約束が守れるかしら?」
「貴女には関係ない約束ですよ」
メターニアはイライラした表情を隠さず、私の足をヒールで踏んだ。
「そう、そのまま罪人たちに切り刻まれて死ねばいいのに」
「そっくりそのままお返しします」
イレミスは子どもの様に笑って見せた。
闘技場の観覧席には観客が溢れ返っていた。
そんな闘技場の真ん中に私は立っている。
見渡せば、剣を一本携えた罪人たちが私を囲み、今か今かと開始の合図を待っていた。
見上げると私たちを覆うように青白い結界が張られ、魔法の使用も制限されている。
「さあ、どうしましょうか」
罪人たちの中には焦点の合わない者もいれば、口から涎を垂らしたまま私を見つめる者もいる。
つまり、話ができそうな人間がいない。
「魔法が使えず、誰も殺せないとは、不便ですね」
約束を破れば、信頼は泡となって消える。
「皆さま方、大変長らくお待たせいたしました!今回は神の仔を騙った大罪人の首を百人の罪人が競って取り合うという面白いこと間違いなしの催しとなっています!」
司会は意気揚々と述べ上げると、観客も大歓声を上げて応える。
観客席をみれば、大司教、メターニア、王の姿があった。
悠々自適に見下ろすメターニアに笑みを向ければ、眉を寄せて不快感を露わにする。
「さあ、もう待ちきれない人も多いでしょう!では開幕の合図をさせていただきます!」
観客は息を飲んで司会の合図を待っている。
「始め!!」
司会の声が響き渡った瞬間、罪人たちが襲い掛かった。
蹴り飛ばし、殴り倒し、逃げる。
だが百人もいればそれだけでは間に合わない。
敵を盾にして降りかかってくる剣を避けてみる。
盾になった者は切り捨てられるが、私が殺した訳では無いので約束は守れていると思うが、
記憶中のフェンガルは良い顔をしていない。
誰かが落とした剣を拾い上げ、応戦するが刃こぼれが酷く、直ぐに折れる。
そんなことを何度も繰り返した。
そうして昼に始まった催しはいつの間にか夕暮れに近づいていた。
観客も見飽きたのか、早く殺してしまえと叫ぶ者も現れる。
だが、まだ数十人の罪人が立っていた。
もうすぐ終わるだろうと、観客席を見上げ
一瞬だけ気を抜いた、その時、
急に、足首に何かが巻き付いた
見るとそれは手であった。
倒れていた罪人が私の足を抑えていたのだ。
そのせいで、上手く動けなくなる。
その瞬間を見逃さなかった他の罪人が剣を振り上げて走ってくる。
避けられない、
そう思った瞬間
バリーン
轟音を立てて結界が破られる。
青白い結界は割れたガラスのように散り、空気に溶けて消える。
気付けば大きな影が闘技場を覆っていた。
つられるように空を見上げると大きな黒竜が円を描くように飛んでいる。
「イレミス!無事か!」
聞きなれた声が聞こえた。
「フェンガルさん、遅いですよ」
黒竜がゆっくりと闘技場へ降りて来る。
その黒竜に騎乗していた人物こそ、正しくフェンガルであった。
闘技場内は混乱に陥り、多くの観客が出入り口に殺到している。
メターニアも目を白黒させて辺りを見渡している。
「王よ!どうかお聞きください!」
逃げ惑う人ごみの中で護衛の騎士に守られていた王はフェンガルを見た。
「メターニアによる温情によって貴様に罪を問うことをしなかったというのに、これはなんという仕打ちだ!」
王はしわがれた声を張り上げて怒鳴るがそれを気にする民衆はここにはいない。
「イレミスは神の仔であるのは事実にございます!その彼をこうして大罪人として裁くことこそ大罪ではありませんか!」
「そんな戯言を信じる訳なかろう!!」
だが、一人だけ民衆の中から王に対して声を上げる者がいた。
「父上、もうお止めください!」
見れば、観客席の端に騎士の服を着た青年が立っている。
「皇太子殿下!どうしてここに!」
メターニアが叫ぶ。
「父上、メターニア子爵令嬢、大司教殿、もう終わりにしましょう。王国中から苛政の訴えが届いています」
「なんで皇太子まで出てきているのでしょう?」
「俺が呼んだんだ、彼ならなんとかこの場を収めてくれるだろうと思ってな」
「そういう事でしたか」
フェンガルの知り合いならきっと良い人なのだろう。
「彼らを捕らえよ!」
皇太子がそう言うと重厚な鎧を着た騎士がぞろぞろと現れ、直ぐに王をひっ捕らえた。
王はしばらく抵抗を見せたがそれも空しく、騎士に連れられて姿を消した。
一方、大司教は降伏するように手を上げその場に座り込んでしまっている。
だが、メターニアだけは違った。
わなわなと怒りに肩を揺らすと
周りの騎士に剣を突き立て暴れまわり始めた。
まずい、あの剣は……
「その剣は『神殺しの剣』です!誰も刃に触れてはいけません!」
久しぶりに声を張り上げた。
「イレミス!これを使え!」
フェンガルが何かを投げる。
それは杖だった。
「フェンガルさん」
「なんだ、言いたい事があるなら後にしろよ」
フェンガルは黒竜の背で手綱を引き、飛び上がろうとする
「約束は守りましたよね」
イレミスはフェンガルを見上げ、その夕陽の瞳をじっと見つめた。
「――ああ、よく守ってくれた」
フェンガルもイレミスの紫紺の瞳を見つめ返した。
「メターニアは悪魔と契約しています」
「そうか」
「いずれ、彼女の身体は悪魔に乗っ取られ、この世界に災いをもたらすでしょう」
「……殺すしかないのか」
イレミスは頷いた。
それを見てフェンガルは黒竜の背から飛び降りる。
「殺すと言うなら共に背負おう」
イレミスはふふっと笑う。
「優しいですね、フェンガルさんは」
「間違いないな」
つられてフェンガルも笑う。
「杖に手を添えてください」
「分かった」
フェンガルは杖にそっと触れた。
それを見て、イレミスが言葉を紡ぐ。
『悪しき者、死を呼び寄せる者よ、自身の影を見よ』
『影はお前の鏡。お前の罪、お前の後悔を、その暗闇に映すだろう』
杖を振るい、天へ突きあげる。
沈みゆく夕陽が暴れるメターニアを照らしその影は濃く黒く澱んだ。
メターニアの影から突如としてドロドロとした手が現れる。
その手は一本、二本、三本と次々と増え、メターニアの身体へ縋りつく。
「何よこれ!私が何をしたっていうの!?ただ幸せになりたかっただけなのに!」
メターニアは奇声を上げて狂ったように頭を揺らす。
だが、突然ぴたりと身体が動かなくなった。
そして頭がぐるりと回るとイレミスの方を勢いよく向いた。
血走った目がイレミスを捉える。
「……全てお前のせいだ!神の仔なんて災いの元よ!絶対に殺してやる……お前なんかァァ!」
叫びと共にメターニアが腕を思いっきり振った。
その瞬間、キラリと夕陽の光に当たって何かが輝く。
見れば、剣だった。
勢いよく飛ぶそれはイレミスに真っ直ぐ向かっていた。
でも、不思議と危機感は無い。
なぜなら、
カキンと甲高い音が鳴る。
イレミスを守るように構えられた剣がメターニアの剣を弾いたのだ。
「意外としぶとい性格をしていたんだな」
構えた剣を鞘に納めるとフェンガルはゆっくりと振り返った。
「まあ悪魔と契約していただけありますね」
見れば、メターニアは自らの影に沈み込み、
最期は溺れる様に手足を動かしながら暗闇に飲み込まれてしまった。
その後、闘技場は封鎖され、皇太子や騎士も早々に去っていった。
夕日が沈み、月が顔を出す。
「はぁ、一件落着といったところだな」
「そうですね、久々に肝が冷えましたよ」
「嘘つけ、そんなこと思っても無いだろ」
「よく分かりましたね」
「お前は顔によく出るからな。あと、お前、笑顔が下手だしな」
「え、そうですか?自信あったんですけど」
イレミスが驚いた表情を浮かべると、フェンガルはその顔を指さして大笑いする。
宿場への帰り道、二人は肩を並べて賑やかな市場の中を征く。
「お前はこれからどうしたいんだ」
「何ですか急に」
「いや、協力してやるって言いながら結局何したいか聞いてなかったからな」
「そうですね………」
「吟遊詩人風に言えば『これは夜を取り戻す物語……』から始まりますかね」
「『お前から世界を守る物語』の間違いだろ」
「失礼な、私は無暗に世界を崩壊させる魔王ではありませんよ」
「簡単に人を殺そうとしていたやつが言う言葉じゃないな」
「反論できませんね」
二人は笑い合い、目を合わせる。
「だからこそ、俺が見張らないとな」
「ええ、よろしくお願いしますね」
(つづく……?)
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