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南条隆文と武道家
⑰
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(ここが異世界……)
わたしは道に迷った観光客のように辺りを見まわした。
風井くんから渡された瓶に入った粉を頭にかけた次の瞬間には、異世界にワープをしたようで、石畳の道にいた。
わたしが立つ長い道の左右には西洋の歴史ものの映画で観たような石造りの家が並んでいる。
元の世界は雨だったけれど、ここは晴れていて路地には心地よい陽が射しこんでいる。
日中の時間帯のようだったけれど、人の姿はなくて、辺りは静かで、道を抜ける涼しい風の音がきこえるだけだった。
ところどころ家の前にある花は手入れをされていないようで色あせて枯れている。
「ここが異世界、アクセリア国です」
わたしの隣にいる小坂さんがいった。
小坂さんにいわれなくても、ここが元にいた世界とはちがうとすぐに感じていた。
空に太陽が三つあった。
三角形の形をつくっている。
一日にいろいろなことがありすぎて、一生分の驚きを体験したようだった。
風井くんと花園くんは異世界にはこなかった。
美晴さんの他にシロの毒から回復させないといけない人がいて、ふたりでその人のところにむかうといって、元の世界に残っていた。
わたしは雨に濡れた身体をバスタオルでふき、服を着替えてから、小坂さん共に風井くんのアイテムの粉を頭にかけたのだった。
「町の人は?」
静かさが不気味で小坂さんにきいた。
「シロに殺されてしまいました」
小坂さんがいやな記憶を思いだしたように眉を寄せる。
「シロが現れる前、この町には数千人の人がいました。でも、今は数十人しかいません」
いいながら小坂さんが歩きだして、わたしも彼女につづいた。
そのとき、背後の道を駆ける足音が耳に入ってきて、ふりかえると足がとまった。
この日はまだ驚くことがあった。
(犬!?)
曲がった道からおおきな犬のような生き物がでてきた。
五十メートルほど離れたところからわたしたちのほうに一直線に走ってくる。
距離が縮まるとそいつが、犬でないのがはっきりする。
地面から頭までの高さが百八十センチはありそうなほど巨大だった。
けれど、灰色の毛に覆われた足と胴体は骨が浮きでているくらい細い。
犬との明確な違いは胴体から左右にたれている灰色の翼だった。
長い翼を地面にすって走っている。
生き物というより怪物だった。
その怪物は、荒い息を吐きながら、眼窩から飛びだしそうなおおきな血走った目をわたしにむけて、狙いを定めたように突進してくる。
(やられる)
わたしは怪物から視線を引きはがして、顔を前にむけて、逃げだそうとした。
そのとき、小坂さんが動いた。
迫ってくる怪物にむかってまっすぐ歩いていく。
小坂さんが正面に立つと、怪物が急ブレーキをかけたように足をとめて、天敵に遭遇したようにUターンをして、来た道を引きかえす。
小坂さんの強さを怖れたようだった。
怪物は走りながらおおき翼を広げてジャンプすると、宙を舞った。
たちまち周囲の家の高さを越えて、空にむかって飛んでいく。
「あれは異世界のモンスターです」
口を閉じるのを忘れたままわたしが小さくなっていく上空の怪物を見あげていると、小坂さんがいった。
「今まではお城の兵士がモンスターを討伐していて、モンスターは町に近づきませんでした。それが、シロのせいで兵士の数がすくなくなって、モンスターが町までやってくるようになったんです」
小坂さんの話をききながら、わたしはようやく口を閉じた。
「北野さんがいる場所は安全です。そこにはモンスターを寄せつけないように結界が張ってあります。兵士もいます」
「北野さんはどこに?」
「この町の中にあるお城にいます。風井くんのアイテムはすこし失敗したみたいです。お城にワープできませんでした。さあ、いきましょう」
小坂さんが歩きだす。
「ここにはわたしと北野さんの他にも元の世界からワープしてきた人はいるのかい? 避難してきた人がいるのか?」
わたしは小坂さんの横に並んできいた。
「いえ、南条さんと北野さんだけです」
「他の人もその城に退避させることはできないのかな?」
「風井くんがひとりで錬金術で作るアイテムの数には限りがあります。それに、異世界に滞在するには他にも問題があるんです」
「どんな? さっきみたいなモンスターがいるから?」
「いえ、お城の中にいれば安全です。町にでるモンスターは弱くて、兵士が倒してくれます」
そういってから、小坂さんが道の先にある塔に吊るされた青銅の鐘を見る。
「この異世界はわたしたちがいる世界とは時間の流れが、ちがうんです。異世界のほうが時間の流れがはやいんです。異世界での一ヶ月がわたしたちの世界ではだいたい一日になります。異世界に一年いても、わたしたちの世界では十二日しか経っていません」
「それのなにが問題なんだい?」
「この異世界にいる間、わたしたちは年を重ねて、身体は変化していきます」
「ああ、そうか」
「わたしたちの世界ですべてのシロが寿命で死んでいなくなるまであと九ヶ月かかります。その間、異世界に退避しつづけるなら二十年近くここで暮らすことになります」
「二十年分、年をとるってことか」
「はい、異世界に退避するなら二十年、ここで生きていかないといけません」
シロがいる元の世界からこの異世界に退避しつづけるのは難しいようだった。
元の世界でシロがいなくなるまでの九ヶ月が、時間の流れがはやい異世界では二十年になる。
異世界にいれば二十年分、老化をする。
異世界で二十年過ごして、シロがいなくなった元の世界に戻っても、別人扱いされて、浦島太郎状態だろう。
元の世界から異世界に退避するなら異世界で生きていく覚悟が必要そうだった。
町に外灯がなくて機械的な文明は遅れていそうで、モンスターがいる異世界に適応して生きていけるかもわからない。
路地を抜けると、町の広場にでた。
そこにも人の姿はなかった。
シロが現れる前は、町の中心部である広場に人がいきかっていたことを思わせるようにいくもつもの屋台が並んでいた。
けれど、今は天幕を張った屋台の台になにも置いてなくて、辺りに魚、動物のものらいしい骨、布切れが散乱している。
広場の中央にある噴水はとまっていて、貯まった水は底が見えないほど濁っている。
寂しい広場の光景に寒々しくなった。
「あれがお城です」
小坂さんが広場から見える高台にある塔を指さす。
それから、わたしたちは広場の近くにある土の坂道をのぼって、数分で城門に着いた。
十メートルの高さはありそうな巨大な石造りの城門で、格子状の鉄門があがっている。
映画のセットに入りこんだ感覚になりながら、薄暗い城門の通路を抜けて、城の敷地にはいった。
城壁で囲まれた敷地にはいくつかの石造りの建物と遠くに塔があった。
その建物のひとつから金髪の青年がでてきた。
古めかしい布の服を着て、肩に槍を担いでいる。
「あの人は異世界の兵士です」
遠くから青年が手をふり、小坂さんが応えて手をあげる。
(すべての人間がシロに虐殺されたわけではないんだ)
わたしは異世界の人間に興味を惹かれながら、この世界ではじめて人間を見てほっとした。
小坂さんは何度も城に来たことがあるようで、敷地を迷わないで進んでいく。
花が枯れた庭園を抜けて、見上げるような石造りの城に着いた。
鉄の両開きのドアがひらいていて、廊下にはいった瞬間、華やかさに圧倒された。
高いアーチ型の天井には花の彫刻がされていて、白く塗られた壁には色鮮やかな紋章が縫われたタペストリーが掛けられている。
壁の窓に飾られたステンドグラスが、陽の光をうけて、床に色鮮やかな模様をつくっている。
左右の壁際にいくつもの高価そうな陶器が飾ってある。
わたしは博物館にはいったようにきょろきょろとしていたけれど、小坂さんはここでも足が沈みそうな厚い絨毯を敷いた廊下をまっすぐ歩く。
廊下を進むと、どこからか音楽がきこえてきた。
きれいな弦楽器の音で速いテンポの明るい曲調だった。
いくつかのドアの前を通り過ぎて、廊下の突きあたりの部屋にはいった。
そこは晩餐会なんかの催しにつかわれていたと思われる広間だった。
百人以上はいれそうな体育館くらいの広さの部屋に、木製の厚いテーブルと敷物を敷いた椅子が並んでいる。
床は大理石のような顔が映りそうなほどよく磨かれた石だった。
広間の奥の中央に、貴族が優雅に降りてくるところを想像できるような手すりがついた幅の広い階段がある。
広間の隅に異世界の人間が三人いた。
高い窓から射しこむ柔らかい陽があたる椅子に、中年の男性がすわっている。
白髪が交じった口ひげを生やした長髪の男性は、ハープのような楽器を抱えて弾いている。
男性の側に、茶色の毛と赤毛の十歳くらいの女の子がふたりいる。
笑い声をあげながら男性の楽器のメロディに合わせてステップを踏んで踊っている。
三人ともこの世界の庶民が着るような布の服を着ていた。
音楽と踊りに夢中で、わたしと小坂さんに気がついていないようだった。
(この世界にはもうシロはいないんだな)
わたしは平和そうな光景を目にして思った。
「北野さんは二階にいます」
小坂さんが広間の奥の階段にむかう。
わたしは落ち着きなく広間を見まわしながら移動した。
「あ、北野さんですよ」
テーブルと椅子がないスペースまできて、広間の奥の階段に近づいたとき、ふいに小坂さんがほほえんでいった。
はっとして、階段に目をむけると一瞬、息がとまった。
絨毯を敷いた階段から美晴さんとアメリカンショートヘアのココが降りてくる。
先にココがおりてきて、広間を走りだす。
美晴さんは今朝はTシャツにジョガーパンツを穿いていた。
けれど、今は白いシャツにジーンズ姿だった。
異世界は元の世界と時間の流れがちがうから、美晴さんはすでにここで長い時間を過ごしていて、着替えたのかもしれない。
青ざめていた顔には血が通っていて、窓からの陽射しを受けて輝いてみえる。
後ろの明るい楽器の音、子供の笑い声をききながら、彼女の姿を見ても喜びはわかなかった。
シロの毒から回復した美晴さんと電話で話をしていたけれど、城の広間という非現実的な場所で再会したのが信じられない。
階段をおりた美晴さんもわたしがここにいるのが信じられないように目をひらいて、まじまじとこちらを見る。
けれど、すぐにその顔に笑みが広がる。
(美晴さん)
そのとき、美晴さんと初めて会ったときのことが思い浮かんで、鼓動がはやまった。
映画館のロビーでひと間違いをしてわたしに声をかけた美晴さんと目の前の女性が重なる。
すると、たちまち身体がしびれるような喜びがこみあげて、胸が高鳴って、脈がはねあがって、顔がほろんでいくのが自分でもわかった。
シロが町に現れたこと、自警団に命を狙われていること、今は異世界にいる不安、恐怖が一瞬にして小さくなっていく。
(よかった、生きていて)
自分がいる世界がどんな場所でも、わたしにとって大事なのは美晴さんが生きていて、彼女と一緒にいることだと思った。
美晴さんが一歩、わたしに近づく。
わたしも美晴さんに一歩、近づいた。
美晴さんが軽い歩取りでさらに一歩近づいてくる。
わたしは道に迷った観光客のように辺りを見まわした。
風井くんから渡された瓶に入った粉を頭にかけた次の瞬間には、異世界にワープをしたようで、石畳の道にいた。
わたしが立つ長い道の左右には西洋の歴史ものの映画で観たような石造りの家が並んでいる。
元の世界は雨だったけれど、ここは晴れていて路地には心地よい陽が射しこんでいる。
日中の時間帯のようだったけれど、人の姿はなくて、辺りは静かで、道を抜ける涼しい風の音がきこえるだけだった。
ところどころ家の前にある花は手入れをされていないようで色あせて枯れている。
「ここが異世界、アクセリア国です」
わたしの隣にいる小坂さんがいった。
小坂さんにいわれなくても、ここが元にいた世界とはちがうとすぐに感じていた。
空に太陽が三つあった。
三角形の形をつくっている。
一日にいろいろなことがありすぎて、一生分の驚きを体験したようだった。
風井くんと花園くんは異世界にはこなかった。
美晴さんの他にシロの毒から回復させないといけない人がいて、ふたりでその人のところにむかうといって、元の世界に残っていた。
わたしは雨に濡れた身体をバスタオルでふき、服を着替えてから、小坂さん共に風井くんのアイテムの粉を頭にかけたのだった。
「町の人は?」
静かさが不気味で小坂さんにきいた。
「シロに殺されてしまいました」
小坂さんがいやな記憶を思いだしたように眉を寄せる。
「シロが現れる前、この町には数千人の人がいました。でも、今は数十人しかいません」
いいながら小坂さんが歩きだして、わたしも彼女につづいた。
そのとき、背後の道を駆ける足音が耳に入ってきて、ふりかえると足がとまった。
この日はまだ驚くことがあった。
(犬!?)
曲がった道からおおきな犬のような生き物がでてきた。
五十メートルほど離れたところからわたしたちのほうに一直線に走ってくる。
距離が縮まるとそいつが、犬でないのがはっきりする。
地面から頭までの高さが百八十センチはありそうなほど巨大だった。
けれど、灰色の毛に覆われた足と胴体は骨が浮きでているくらい細い。
犬との明確な違いは胴体から左右にたれている灰色の翼だった。
長い翼を地面にすって走っている。
生き物というより怪物だった。
その怪物は、荒い息を吐きながら、眼窩から飛びだしそうなおおきな血走った目をわたしにむけて、狙いを定めたように突進してくる。
(やられる)
わたしは怪物から視線を引きはがして、顔を前にむけて、逃げだそうとした。
そのとき、小坂さんが動いた。
迫ってくる怪物にむかってまっすぐ歩いていく。
小坂さんが正面に立つと、怪物が急ブレーキをかけたように足をとめて、天敵に遭遇したようにUターンをして、来た道を引きかえす。
小坂さんの強さを怖れたようだった。
怪物は走りながらおおき翼を広げてジャンプすると、宙を舞った。
たちまち周囲の家の高さを越えて、空にむかって飛んでいく。
「あれは異世界のモンスターです」
口を閉じるのを忘れたままわたしが小さくなっていく上空の怪物を見あげていると、小坂さんがいった。
「今まではお城の兵士がモンスターを討伐していて、モンスターは町に近づきませんでした。それが、シロのせいで兵士の数がすくなくなって、モンスターが町までやってくるようになったんです」
小坂さんの話をききながら、わたしはようやく口を閉じた。
「北野さんがいる場所は安全です。そこにはモンスターを寄せつけないように結界が張ってあります。兵士もいます」
「北野さんはどこに?」
「この町の中にあるお城にいます。風井くんのアイテムはすこし失敗したみたいです。お城にワープできませんでした。さあ、いきましょう」
小坂さんが歩きだす。
「ここにはわたしと北野さんの他にも元の世界からワープしてきた人はいるのかい? 避難してきた人がいるのか?」
わたしは小坂さんの横に並んできいた。
「いえ、南条さんと北野さんだけです」
「他の人もその城に退避させることはできないのかな?」
「風井くんがひとりで錬金術で作るアイテムの数には限りがあります。それに、異世界に滞在するには他にも問題があるんです」
「どんな? さっきみたいなモンスターがいるから?」
「いえ、お城の中にいれば安全です。町にでるモンスターは弱くて、兵士が倒してくれます」
そういってから、小坂さんが道の先にある塔に吊るされた青銅の鐘を見る。
「この異世界はわたしたちがいる世界とは時間の流れが、ちがうんです。異世界のほうが時間の流れがはやいんです。異世界での一ヶ月がわたしたちの世界ではだいたい一日になります。異世界に一年いても、わたしたちの世界では十二日しか経っていません」
「それのなにが問題なんだい?」
「この異世界にいる間、わたしたちは年を重ねて、身体は変化していきます」
「ああ、そうか」
「わたしたちの世界ですべてのシロが寿命で死んでいなくなるまであと九ヶ月かかります。その間、異世界に退避しつづけるなら二十年近くここで暮らすことになります」
「二十年分、年をとるってことか」
「はい、異世界に退避するなら二十年、ここで生きていかないといけません」
シロがいる元の世界からこの異世界に退避しつづけるのは難しいようだった。
元の世界でシロがいなくなるまでの九ヶ月が、時間の流れがはやい異世界では二十年になる。
異世界にいれば二十年分、老化をする。
異世界で二十年過ごして、シロがいなくなった元の世界に戻っても、別人扱いされて、浦島太郎状態だろう。
元の世界から異世界に退避するなら異世界で生きていく覚悟が必要そうだった。
町に外灯がなくて機械的な文明は遅れていそうで、モンスターがいる異世界に適応して生きていけるかもわからない。
路地を抜けると、町の広場にでた。
そこにも人の姿はなかった。
シロが現れる前は、町の中心部である広場に人がいきかっていたことを思わせるようにいくもつもの屋台が並んでいた。
けれど、今は天幕を張った屋台の台になにも置いてなくて、辺りに魚、動物のものらいしい骨、布切れが散乱している。
広場の中央にある噴水はとまっていて、貯まった水は底が見えないほど濁っている。
寂しい広場の光景に寒々しくなった。
「あれがお城です」
小坂さんが広場から見える高台にある塔を指さす。
それから、わたしたちは広場の近くにある土の坂道をのぼって、数分で城門に着いた。
十メートルの高さはありそうな巨大な石造りの城門で、格子状の鉄門があがっている。
映画のセットに入りこんだ感覚になりながら、薄暗い城門の通路を抜けて、城の敷地にはいった。
城壁で囲まれた敷地にはいくつかの石造りの建物と遠くに塔があった。
その建物のひとつから金髪の青年がでてきた。
古めかしい布の服を着て、肩に槍を担いでいる。
「あの人は異世界の兵士です」
遠くから青年が手をふり、小坂さんが応えて手をあげる。
(すべての人間がシロに虐殺されたわけではないんだ)
わたしは異世界の人間に興味を惹かれながら、この世界ではじめて人間を見てほっとした。
小坂さんは何度も城に来たことがあるようで、敷地を迷わないで進んでいく。
花が枯れた庭園を抜けて、見上げるような石造りの城に着いた。
鉄の両開きのドアがひらいていて、廊下にはいった瞬間、華やかさに圧倒された。
高いアーチ型の天井には花の彫刻がされていて、白く塗られた壁には色鮮やかな紋章が縫われたタペストリーが掛けられている。
壁の窓に飾られたステンドグラスが、陽の光をうけて、床に色鮮やかな模様をつくっている。
左右の壁際にいくつもの高価そうな陶器が飾ってある。
わたしは博物館にはいったようにきょろきょろとしていたけれど、小坂さんはここでも足が沈みそうな厚い絨毯を敷いた廊下をまっすぐ歩く。
廊下を進むと、どこからか音楽がきこえてきた。
きれいな弦楽器の音で速いテンポの明るい曲調だった。
いくつかのドアの前を通り過ぎて、廊下の突きあたりの部屋にはいった。
そこは晩餐会なんかの催しにつかわれていたと思われる広間だった。
百人以上はいれそうな体育館くらいの広さの部屋に、木製の厚いテーブルと敷物を敷いた椅子が並んでいる。
床は大理石のような顔が映りそうなほどよく磨かれた石だった。
広間の奥の中央に、貴族が優雅に降りてくるところを想像できるような手すりがついた幅の広い階段がある。
広間の隅に異世界の人間が三人いた。
高い窓から射しこむ柔らかい陽があたる椅子に、中年の男性がすわっている。
白髪が交じった口ひげを生やした長髪の男性は、ハープのような楽器を抱えて弾いている。
男性の側に、茶色の毛と赤毛の十歳くらいの女の子がふたりいる。
笑い声をあげながら男性の楽器のメロディに合わせてステップを踏んで踊っている。
三人ともこの世界の庶民が着るような布の服を着ていた。
音楽と踊りに夢中で、わたしと小坂さんに気がついていないようだった。
(この世界にはもうシロはいないんだな)
わたしは平和そうな光景を目にして思った。
「北野さんは二階にいます」
小坂さんが広間の奥の階段にむかう。
わたしは落ち着きなく広間を見まわしながら移動した。
「あ、北野さんですよ」
テーブルと椅子がないスペースまできて、広間の奥の階段に近づいたとき、ふいに小坂さんがほほえんでいった。
はっとして、階段に目をむけると一瞬、息がとまった。
絨毯を敷いた階段から美晴さんとアメリカンショートヘアのココが降りてくる。
先にココがおりてきて、広間を走りだす。
美晴さんは今朝はTシャツにジョガーパンツを穿いていた。
けれど、今は白いシャツにジーンズ姿だった。
異世界は元の世界と時間の流れがちがうから、美晴さんはすでにここで長い時間を過ごしていて、着替えたのかもしれない。
青ざめていた顔には血が通っていて、窓からの陽射しを受けて輝いてみえる。
後ろの明るい楽器の音、子供の笑い声をききながら、彼女の姿を見ても喜びはわかなかった。
シロの毒から回復した美晴さんと電話で話をしていたけれど、城の広間という非現実的な場所で再会したのが信じられない。
階段をおりた美晴さんもわたしがここにいるのが信じられないように目をひらいて、まじまじとこちらを見る。
けれど、すぐにその顔に笑みが広がる。
(美晴さん)
そのとき、美晴さんと初めて会ったときのことが思い浮かんで、鼓動がはやまった。
映画館のロビーでひと間違いをしてわたしに声をかけた美晴さんと目の前の女性が重なる。
すると、たちまち身体がしびれるような喜びがこみあげて、胸が高鳴って、脈がはねあがって、顔がほろんでいくのが自分でもわかった。
シロが町に現れたこと、自警団に命を狙われていること、今は異世界にいる不安、恐怖が一瞬にして小さくなっていく。
(よかった、生きていて)
自分がいる世界がどんな場所でも、わたしにとって大事なのは美晴さんが生きていて、彼女と一緒にいることだと思った。
美晴さんが一歩、わたしに近づく。
わたしも美晴さんに一歩、近づいた。
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