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第2部 名古屋編
🎵24 メタモルフォーゼするカヲルてゃん
しおりを挟む乗り換えの霞ヶ関のホームで、彼女が待っているはずだった。中目黒で日比谷線に乗り換えたレイは、吊革につかまりながら、読みさしの深沢七郎を読みはじめた。
不意に混み合っているわけでもないのに誰かが背中に被いかぶさってくる。振り返ってみると、髪の長い若い女だった。
女は、ごめんなさいといった。
レイは軽く会釈して、ふたたび『笛吹川』に没頭する。
ふと、なぜか気になって顔をあげ、周りを見廻すと、女性専用車に乗ってしまったらしく、男は自分だけで、座っている人も立っている人も全ては女性ばかりだった。
しかし、誰も咎め立てるような視線を向けてこないのが、不思議といえば不思議だった。
ただ、居心地の悪さは同様であり、かといって車輌を移動するのも面倒くさいので、一刻もはやく降車したかったのだけれど電車がなかなか霞ヶ関に着かないのだった。
3分間おきほどで各駅に停車してゆくはずなのに、メトロは減速することもなく走りつづける。霞ヶ関はとうに過ぎてしまったのかと心配していると、電車はやっと停まった。
霞ヶ関だった。
急いで降りて、エスカレーターを駆け上がる。丸の内線のホームで彼女の後姿を発見し、そっと近付いてゆく。彼女はファッション雑誌を広げ読み耽っている。
「リサ、ごめん。待った?」
彼女は振り返りざま、レイの左頬を平手で打った。
「あ!!……」
「いま、なんて言った?」
「え?」
「リサじゃないでしょ、リサじゃ」
「え、あ、ごめん。誰だっけ?」
「ふざけんな。あたしもう帰る!」
「ごめんごめん。冗談だって。ほら、ちょうど電車来たしさ、乗ろ」
電車に乗り込んで空いていた席にふたりして座ると、彼女は、うってかわって笑顔でおしゃべりをはじめる。
「まだ席あいてるかな? 小さな方になっちゃたらどうしよう」
レイは、だいじょうぶだよ、とか曖昧に答えながら、我ながら自分のアドリブに感心してしまう。いったい誰なんだろう、このコは?
映画かな? と憶測する。はっきりいって、この女性にまったく見覚えはない。けれど、女性が恋人らしき人物を間違えるわけもないので、とにかくここは調子を合わせておくのが賢明と判断した。これが、大人というものだろう。もしかしたら、不意に名前を思い出すかもしれないし。
「ね、きいてんの? こないだいったパスタ屋さん、おいしかったよね?」
「ああ。わるくなかったね。また行こうか」
と、そこでメールの着信音。彼女は、しゃべりつづけてる。相づちをうちながら、急いでメールの文面を読む。
『いつまで待たせる気? もう帰るから。バイバイ』
リサからだった……。
なるほど、やっぱりこのこはリサじゃない。あたりまえか。
そうだ! とそこで思いついた。
「ね、ちょっとさ、ゲームしない?」
「いいわよ。どんなの?」
「じゃね、まず、おれのスマホに電話してくんない?」
「OK」
見知らぬ彼女は、バッグからスマホを取り出して操作しはじめた。間を置かず、レイのポケットがブルブルと震えはじめる。みると、カヲルと表示されていた。
だが、まだわからない。たまたま別な人物からの電話からもしれないからだ。
とりあえず、出てみる。
「もしもし。で、どうするの?」
すぐ隣から聞こえてくる生声と、電話からの声は、いっしょだ。ふ~ん。これで名前はわかった。
「あ、ごめん。じゃ、名前と生年月日をお願いします」
「なによ、それ?」
「だから、ゲームだって」
「わかったよ。カヲル。11月22日生まれ」
「で、なに?」
「あ、ええっと。きょうの予定を教えてください」
「えっと。きょうは、アキラくんと映画を観にいきます。その後は……ナイショ」
アキラくん?
アキラくんて誰だ、いったい誰やねんなぁ?
レイは、なにかとてつもなく不安な気持ちになった。ま、いっか。
「あ、着いたよ。降りなきゃ」
と、カヲルに促がされるまま、メトロを降りた。
連結部の近くのシートに座っていたので、降車してもしばらくはインダストリアルなノイズが耳から離れなかった。
レイを見上げるカヲルの、その無垢な眸が、切なかった。
映画館は、建物の四階に入っていた。エレベーターで、4階まであがるともう長蛇の列が出来ていた。それでも、どんどん人がはけていって、20分ほどでチケットを手に入れた。
カヲル? アキラ? と、心のなかで呪文のように何度も呟きながら……でも、カヲルってば、カワイイからいいかなどと思ったり。ま、こういうのもアリかなと、優柔不断ぶりを発揮する。
何を観るのかは、会話から容易に推理できた。大きなバケットに山盛り入ったポップコーンと飲み物も買って、準備万端。おっと、トイレを忘れてた。彼女と交代でトイレにいく。
用を済ませ、手を洗おうと、覗き込んだ鏡の中の自分に驚いた。そこには、驚愕した顔の見知らぬ男が立っていた。なんて馬鹿なことを想像するのが、自分の中でのいつものお約束。
変身願望でもあるんだろうかとも思うが深くは考えない。それにしても、記憶のどこを探ってもカヲルちゃんに見覚えはない。スマホの番号をなぜ知っていたのか、とか不透明感はあるものの、ロビーでカヲルを待つ間、なにかざわざわと胸騒ぎを覚えている自分をむしろ、楽しんでいた。ワンチャン確定か。
しかし、なかなかカヲルは戻って来ないのだった。相当混んでるらしい。スマホに入れてある音楽作成アプリに没頭していると、そこで肩をトントンと叩かれた。
「カヲル遅いぞ」といいながら、カヲルを振り返ると、そこにはなんとミノルがいた。
「ミノル! な、なんだよ、奇遇だな。誰と来たん?」
ミノルは鼻で笑って「つまんない冗談やめてよ。さっいこ、始まっちゃう。ごめんね、ほんと女子トイレは混んでるからさ」
話の辻褄は確かに合っている、流れ的には。しかし、キャラ変どころじゃない。人物そのものが変わってる。カヲルはいったいどこに消えたんだ。
「ね、なにボーッとしてんの? 早くいこ」
レイは、ミノルに手を握られ引きずられるようにして、ついていく。それがやっとだった。なんとか正気を保っていたが、わけがわからないまま、さらなるラビリンスへと迷い込んでいく。
客電が落ちて、CMが始まると少し落ちついてきた。とにかく早く映画の中へと入り込みたかった。映画に没頭してしまえばもうこっちのものだ。そういえば、映画を現実逃避だと蔑む憐れなやつもいたっけ。
そして、ありがたいことに映画はすこぶる面白かった。途中からミノルが腕を組んできた。ミノルの温もりが直接伝わってくる。
これでよかったんだとレイはしみじみ思った。ミノルなんだ。そうおれの選ぶべき相手は、ミノルにちがいない。そう思うと、嬉しさがじわじわ込み上げてくるのだった。
この想いをミノルに伝えようと思った。いや、絶対伝えなければいけない。おれにはミノルしかいないんだ。
ミノル、ミノル愛してる。映画のクライマックスで泣いているのか、ミノルを好きすぎて泣いているのか、もうわけがわからなかった。
やがて映画が終わり、客電が灯るとおれは意を決してミノルに向き直り、「ミノル」と静かに呼んだ。
ミノルは、なぜか左側の通路の方を見ていた。「ミノル」ともう一度呼ぶと、ミノルはただ右を見れば済むはずなのに、その首は、右ではなく左へとゆっくりと動いていく。あっけにとられて見ていると、忘れもしないあのエクソシストの少女のように、ありえない角度で首が回転し、ギギギギギっと鳴る感じで止まると、笑みをうかべながらミノルはおれを見た。普通ならば頚椎は完璧にねじ切れているだろう。
それはもちろん、ミノルに似せてはいるがまったくの別人だった。おれは恐怖に戦慄し、絶叫しそうだった。
そのミノルは、そんなおれを嘲けるようにテープの再生速度を遅くしたかのようなあのデスボイスで、笑った。
だが、結局そんなバカな事があるものかと、何度かまばたきする間にカヲルだかミノルだかは消え、ふつうに微笑むリサが横にいた。
お酒は一滴すら呑んでないし、もちろんマリファナとかよくは知らないがエクスタシーとかをキメてるわけでもない。
なにか現実の世界に非現実の世界とでもいうものが、浸潤してきたそんな感じだろうか。うまくは言えないのだが、そんな風に考えると辻褄が合う。
というのは、レイはこの世界というものが現実と呼ばれる世界だけで構成されているわけではないと思っているからだ。
大雑把に言えば、可視の世界だけが存在するわけではないということ。
そもそもこの世界は、実は見えないもの、不可視なものによって支配されていることに、もう気づいてもいいのではないか。
人の気持ちや感情もそうだし、時間を見たり聞いたりしたことがある人を未だに知らない。そんな風に見えないもの、不可視なもので重要なものはこの世界にはいくらでもある。
眼に見えないものだから、存在しない、意味はないなんてとても言えないのだ。
だから、急に不可思議な出来事が身の周りに頻繁に起こり始めたということではなく、以前から現前していたのだが、ただ気づかなかっただけだと思っている。
それは、虫の知らせとでも言うべきものであり、五感を超えた知覚もこの世には確かに存在する。
——私たちは世界のいたるところで自分自身と対決しており、文化や学問などによって互いに話をしているのです。『知覚の哲学』において、メルロ・ポンティがこんな風に言及しているのだが、最初はドッペルゲンガーのこと? って思ったのだが、とまれ、知覚し得ないものは存在しないということになる。
しかし、何事においてもそうだが、知覚にもその知覚するレベルがあるのだ。
例えるならば、東京の平屋の民家では屋根に登って眺めてみても、富士山を見つけることはできないが、20階の高層マンションの窓からは、晴れた日には富士山がくっきりと見える。
つまり、平屋の家の人には富士山は存在していないも同然ということになる。
つまり、何が言いたいのかというと、見えないものは存在しないとはいえないわけだ。
そういえば、莫大な質量を有するブラックホールも光りを吸い込んでしまうので、目視は叶わない。
とまれ、身の周りにには超現実的な事物事象が、それと知らないだけで実はおびただしくあるという一方で、その対局である現実的な、あまりにも現実的な話をすると、つまり、それは何かというと「お金」のことだが、身もふたもないのでここでは割愛しようと思う。
さて。次に青山くんという一風変わった人物に出会った時のことを話そうと思う。メディスンマンと同じように、彼もまた尋常ではない人物だった。
つまり、レイは青山くんを今回の摩訶不思議な宝探しだか悪魔退治だかの旅のパーティに加えようと考えていた。
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