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#85 オヤジリーマン ハルヲ
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マサルが、ブラックライトに怪しげに浮かび上がる、人ひとりがやっと通れるほどの狭い通路を抜け、重いドアを押し開けてなかに入ると、ケバケバしいスパンコールの玉のれんのようなものだけを身にまとった異国のダンサーが、なまめかしく腰をグラインドさせて踊っていて、ちょっとその異様さに驚いた。てか、思わずひいた。
マサルはこのてのエロには全然興味がなかったし、純粋なダンスとして見ても、そのクネクネ踊りはつまらなかったから、手持ち無沙汰で別なことを空想しはじめた。
すると、まず影像が浮かんでくる前に「お願い、もういっそのこと殺して!」という切羽詰まった声が聞こえてきた。
これは映画なんかで頻繁に使われるちょっとした小技で、カットが変わった後にカットが変わる前の音を被せるという手法に似ていた。よくあるのは、目覚まし時計のベルとか、電話のコール音とかだろうか、まぁ、本当にちょっとしたことだけれども、あえて微妙にずらしたところに映画を感じてしまうのだ。
蛇足だけど、他にもアヴァン・タイトルというのがあって、映画のタイトルを表示する前に、いきなり物語がはじまってしまうというもので、今でこそTVでもこのアヴァン・タイトルがよくみうけられるようになったものの、ウン十年前にはなかった筈だ。
次いで現れた影像は、台車にうつぶせに乗せられ運ばれてゆく、死んだガマガエルのような素っ裸のおやじリーマン・ハルヲ。その締まりのない、なまっちろいお尻には、絆創膏も見えた。
厳密にいえば、裸なんだからリーマンかどうかわかるはずもないが、とにかくリーマンにちがいない。だってこの短いお話しの主人公だから。
で、実は、おやじリーマン・ハルヲには女装趣味があり、毎週金曜日には仕事帰りにエリザベスに寄って、その日の気分で、あれやこれやはしゃぎながら服を選んで女になってゆく、そのプロセスがたまらなく官能的で、ややもすると失禁しそうにすらなるのだけれども、今夜はちょっとむしゃくしゃして駅の立ち飲みスタンドでカップ酒をあおってきたのが、まずかったらしい。
いままでこんなことはなかったのに、マジにお漏らししてしまったのだった。
そこで、まだ女になりかけのままの姿で、内股でお洩らしの水溜りのなかにぺたりと女座りしてしまったおやじリーマン・ハルヲなのだけれども、むろんエリザベスの従業員は心得たもので、すぐモップを片手にかけつけてきたのだが、すぐさま顔をしかめた。
「な、なんだ、この臭いは!」
なんとおやじリーマン・ハルヲは、大きい方もお漏らししていたのだった。
従業員は、モップを打ち捨て、ホースを取りに走る。
やがて、ホースの片方だけ持って従業員が現われたものの、「蛇口をひねってきますから、これを持っていてください」と、ホースをおやじリーマン・ハルヲに預けたまま、まったく戻ってくる気配すらない。
おやじリーマン・ハルヲは、もう半ベソ状態だったけれど、従業員の粗大ゴミを見るような最後の一瞥が忘れられない。
「レディに対してなんなのよ。ていうか、お客よ私は」
おやじリーマン・ハルヲは、そう呟きながら、自分の吐いた言葉で除除に怒りをつのらせワナワナと震えはじめる。
「お、おい、てめーら、オカマだと思ってなめてんじゃねーぞ、ゴルァ!」
「上等じゃねーか、放置プレイかよ」
巻き舌でやっちゃんも逃げ出しそうな勢いでまくしたてる、おやじリーマン・ハルヲ。オカマがマジ切れするとマジ怖い。オカマは自分を捨てているからだ。
と、その時、いきなりホースがヘビのようにのたうつと、すごい勢いで水がほとばしり出てきた。
ハルヲは頭に放水の直撃を受け、パツキンのヅラが先ず吹っ飛んだ。むろんお約束のように全身ずぶ濡れの濡れ鼠ならぬ、異臭を放つドブネズミ状態。
ずぶ濡れのおやじリーマン・ハルヲは、そこで絶叫した。野太いテノールで。
「お願い、もういっそのこと殺して!」
舞台の照明は、じょじょに落ちていく。
ロバータ・フラックの歌う「 Killing Me Softly With His Song」が流れるとともに、しずしずと緞帳がおりてくる。
マサルは、ポケットから演芸の情報誌、東京かわら版を取り出して、寄席でも見にいくかな、と思った。
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