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#86 ぼくのイヴ
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*月*日
サトシは、充電が切れかかったスマホの電源を落として、音もなくベッドルームに入ってゆく。
アヤは、まだ起きていた。
とはいってもそれはサトシが勝手に付けた源氏名であり、サトシは彼女の本名などしらない。ケンジかもしれないし、オサムかもしれない。
真っ暗な部屋のなかで、ケータイの灯りに青白く浮かびあがる、アヤの顔。
小さな画面を見つめながら、なにやら深刻な内容の文面でも打っているのだろうか。
その真摯な様子が伝わってくるので、おやすみの声すら掛けられないのだった。
とはいっても、サトシは眠りにきたわけでもないし、サトシのいう「おやすみ」はまた別な意味の、おやすみなのだけれど。
サトシの頭のなかでは、ラマタムいう昔のハードロックバンドの楽曲が流れている。
そのリズムに合わせるようにして、チューインガムを噛む。もうブルーベリーの味がしない。
さらにもうひとつ、口のなかに放り込むか、新しいガムだけにするか、少しだけ悩んでみた。
今夜のアヤは、スレンダーで髪はワンレンのようだ。ピーナッツバターみたいな、なにか甘い匂いがする。
昨夜は、ボブでぽっちゃり系のアヤだった。ちなみに、サトシはぽっちゃり系も好き。
お気に入りの真っ赤なパーカーのフードを下ろすと、アスファルトを走行する自動車のタイヤの音が、聞こえてきた。どうやら雨が降ってきたようだ。
いつものことながら、バタフライナイフを先ずちらつかせるのだけれど、今夜のアヤは、なぜまた怖がらないのだろう。
見ず知らずの男がニューハーフヘルスの女の子が住むお店の寮に侵入しているのに、である。
だが、近づいてゆくとアヤの歯がカチカチと鳴り出した。どうやら恐怖に声すら上げられないらしい。
すぐ楽にしてあげるからね、そうサトシは心のなかで嘯く。
さらに近づいて少しばかり驚いた。今夜のアヤは上玉だし、それに男の娘だった。
胸はなく中性的ですこぶる付きの美形なターゲットに、サトシは気後れすら覚えた。
用意してきたタオルで、アヤを後ろ手に縛る。獲物を傷つけないように細心の注意を払って両手を縛り上げてゆくのが、サトシの美学だ。
と、その手首から二の腕にかけて、ザラついた感触に驚いて手を止めた。
見るまでもなかった。
間違いなくリスカだ。
生半可ではない夥しい数の傷跡。
この男の娘は、いったいどれほどの苦しみをくぐり抜けてきたのだろう。
この傷のひとつひとつが、彼女の苦悩の表出であり、また唯一の逃げ場なのだ。
そう思ったら涙がこみあげてきた。
こんな人形みたいな整った顔なのに、いったい何を悩んできたのだろうと、醜いサトシは思った。
まるで美女と野獣さながらだな、と苦笑する。
そして、やっと見つけたと思った。
心に深い痛手を負った、この美しく穢れないアヤこそが、サトシにはふさわしい。
そう思った刹那、サトシは心に決めていた。でも、そう決めてしまったらなおさら、彼女が可哀想でならなかった。
愛する男の手にかかるならまだしも、こんな見ず知らずの醜い男の手にかかって道連れにされるなんて、アヤが憐れでならなかった。
でも、ぼくもじき逝くから。
ひとりじゃ寂しいだろ。
そうつぶやいて、サトシは、白磁のごとく透き通るように白い、アヤのか細い首に手をかけた。
サトシは、充電が切れかかったスマホの電源を落として、音もなくベッドルームに入ってゆく。
アヤは、まだ起きていた。
とはいってもそれはサトシが勝手に付けた源氏名であり、サトシは彼女の本名などしらない。ケンジかもしれないし、オサムかもしれない。
真っ暗な部屋のなかで、ケータイの灯りに青白く浮かびあがる、アヤの顔。
小さな画面を見つめながら、なにやら深刻な内容の文面でも打っているのだろうか。
その真摯な様子が伝わってくるので、おやすみの声すら掛けられないのだった。
とはいっても、サトシは眠りにきたわけでもないし、サトシのいう「おやすみ」はまた別な意味の、おやすみなのだけれど。
サトシの頭のなかでは、ラマタムいう昔のハードロックバンドの楽曲が流れている。
そのリズムに合わせるようにして、チューインガムを噛む。もうブルーベリーの味がしない。
さらにもうひとつ、口のなかに放り込むか、新しいガムだけにするか、少しだけ悩んでみた。
今夜のアヤは、スレンダーで髪はワンレンのようだ。ピーナッツバターみたいな、なにか甘い匂いがする。
昨夜は、ボブでぽっちゃり系のアヤだった。ちなみに、サトシはぽっちゃり系も好き。
お気に入りの真っ赤なパーカーのフードを下ろすと、アスファルトを走行する自動車のタイヤの音が、聞こえてきた。どうやら雨が降ってきたようだ。
いつものことながら、バタフライナイフを先ずちらつかせるのだけれど、今夜のアヤは、なぜまた怖がらないのだろう。
見ず知らずの男がニューハーフヘルスの女の子が住むお店の寮に侵入しているのに、である。
だが、近づいてゆくとアヤの歯がカチカチと鳴り出した。どうやら恐怖に声すら上げられないらしい。
すぐ楽にしてあげるからね、そうサトシは心のなかで嘯く。
さらに近づいて少しばかり驚いた。今夜のアヤは上玉だし、それに男の娘だった。
胸はなく中性的ですこぶる付きの美形なターゲットに、サトシは気後れすら覚えた。
用意してきたタオルで、アヤを後ろ手に縛る。獲物を傷つけないように細心の注意を払って両手を縛り上げてゆくのが、サトシの美学だ。
と、その手首から二の腕にかけて、ザラついた感触に驚いて手を止めた。
見るまでもなかった。
間違いなくリスカだ。
生半可ではない夥しい数の傷跡。
この男の娘は、いったいどれほどの苦しみをくぐり抜けてきたのだろう。
この傷のひとつひとつが、彼女の苦悩の表出であり、また唯一の逃げ場なのだ。
そう思ったら涙がこみあげてきた。
こんな人形みたいな整った顔なのに、いったい何を悩んできたのだろうと、醜いサトシは思った。
まるで美女と野獣さながらだな、と苦笑する。
そして、やっと見つけたと思った。
心に深い痛手を負った、この美しく穢れないアヤこそが、サトシにはふさわしい。
そう思った刹那、サトシは心に決めていた。でも、そう決めてしまったらなおさら、彼女が可哀想でならなかった。
愛する男の手にかかるならまだしも、こんな見ず知らずの醜い男の手にかかって道連れにされるなんて、アヤが憐れでならなかった。
でも、ぼくもじき逝くから。
ひとりじゃ寂しいだろ。
そうつぶやいて、サトシは、白磁のごとく透き通るように白い、アヤのか細い首に手をかけた。
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