100 / 222
#100 雨はやんでいた
しおりを挟む
*月*日
雨はやんでいた。蛙の大合唱も鳴りを潜めている。ただお堀の方からウシガエルの鳴き声が聞こえてくる。
こんもりと生い茂る鎮守の森を右に見ながら畦道をのんびり歩いていくと突き当たりにあるバスの停留所に土地の人ではない見知らぬ女性が立っていた。
服装があか抜けていたし、何よりも綺麗だった。
気まぐれに声をかけてみたら、どうなるだろうかと空想にふけってみたが、やはり空想の中までも苦手意識を引きずっていて、会話はまったく弾まなかった。
お天気の事を話したら、もう何も言葉が出てこない。どちらからいらっしゃったんですか、或いは、お住まいはどちらなんですか、この程度なら失礼にはあたらないだろう。けれど、その言葉すらその時には出てこなかった。
会話はキャッチボールなのだからそのタイミングで出てこなければ、それで終わりなのだった。投げ返さなければボールが返ってくるはずもない。今になってああ言えばよかったなどと思ったところで後の祭りだった。
しかし、あんな綺麗な女性を前にしたら、普段通りに話せという方が無理だろう。いったいこの村にどんな用事があったというのか? お墓まいりとかなのだろうか。
大きなお寺ではないが、それなりの広さのお墓がこの村にもある。あるいは、結婚の報告がてら帰省したとか。
しかし、猛反対され絶縁を言い渡されたとか、それは旦那さんというのが、いわゆる反社会的勢力の団体職員で彼女はよりにもよって彼の見事な刺青が入った上半身裸の写真を親御さんに見せたからとかだろうか。
彼女としては親に嘘をつきたくはないし、現在の彼を隠すことなく紹介し受け入れてほしかったというのは確かにあったのではないだろうか。その気持はわからなくもない。
確かに隠していたところで結婚してから事実が露見して親戚中から村八分になるやも知れず、そのことを考えるならばはじめから堅気の人ではないと知らせておいた方が逆に波風は立たないのかもしれない。だがいずれにせよ周りに知られない内に破談にされてしまうのがオチではないか。
なんてバカなことを考えながら、美人さんの顔を思い出していた。
それにしても、好きになった人がたまたまヤ印の人だったというだけの話で、戦争になれば他国の人間を殺せば殺しただけ功労者として勲章をもらえるというのが常識としてまかり通っているこの世界で、ちゃんちゃらおかしい話だと思った。
非常にわかりやすいので反社会勢力というのが、「悪」として認知されているが、悪いのはほかにいくらでもいる。
むしろ、それら表には絶対に出てこない善の仮面を被ったやつらが、やりたい放題やって、世の中を蝕んでいる。
まあ、それらもいつかは大鉄槌が下るはずだ。そんなことより、問題はあの美人さんだった。あんな別嬪さんを花嫁にもらえたなら、どれだけ幸せなことだろう。
毎日が楽しくて仕方ないにちがいない。まあ、大袈裟でなく、まさにそれこそ天国だろう。
家に帰ると、ばあちゃんと猫のチャコが一緒にころがるように飛び出してきて、開口一番
「ヨシユキ、どこいってたん、いまな、おまえの嫁さんになるっちゅう綺麗な女の人が、ご挨拶に参りましたゆうて、来てたんやぞ?」
オレは腹を抱えて笑ってしまった。「ばあちゃんも、もうろくしたな、はははは」
すると、間髪を入れずにばあちゃんの右の正拳突きが、腹に見事にヒットして、オレはその場に崩折れた。ゲ、ゲホッ!
「な、なにすんねんなー、ばあちゃん」
床に向けてオレはそう蚊が囁くように声を絞り出すのが精一杯だった。涙ぐんでいたのは内緒だ。
やがて、頭上から静かな声音でばあちゃんのハスキーボイスが降ってきた。
「あんなー、ヨシユキ、よく聞けよ。おまえには黙っといたんやけど、おまえ実は、ホンマのうちの子やないんや。由緒あるお寺さんのご住職から、おまえを預かってくれと託されたんや。せやからおまえには、生まれた時から許嫁がおって、あとは目出度く祝言を挙げるばかりっちゅうわけや。よかったな、ヨシユキ。黙ってて悪かったけど、口止めされててん。許してな」
俄かには信じられないことだった。あまりにも急な展開で、それも思ってもみない展開で、しあわせが天から降ってきた。
雨はやんでいた。蛙の大合唱も鳴りを潜めている。ただお堀の方からウシガエルの鳴き声が聞こえてくる。
こんもりと生い茂る鎮守の森を右に見ながら畦道をのんびり歩いていくと突き当たりにあるバスの停留所に土地の人ではない見知らぬ女性が立っていた。
服装があか抜けていたし、何よりも綺麗だった。
気まぐれに声をかけてみたら、どうなるだろうかと空想にふけってみたが、やはり空想の中までも苦手意識を引きずっていて、会話はまったく弾まなかった。
お天気の事を話したら、もう何も言葉が出てこない。どちらからいらっしゃったんですか、或いは、お住まいはどちらなんですか、この程度なら失礼にはあたらないだろう。けれど、その言葉すらその時には出てこなかった。
会話はキャッチボールなのだからそのタイミングで出てこなければ、それで終わりなのだった。投げ返さなければボールが返ってくるはずもない。今になってああ言えばよかったなどと思ったところで後の祭りだった。
しかし、あんな綺麗な女性を前にしたら、普段通りに話せという方が無理だろう。いったいこの村にどんな用事があったというのか? お墓まいりとかなのだろうか。
大きなお寺ではないが、それなりの広さのお墓がこの村にもある。あるいは、結婚の報告がてら帰省したとか。
しかし、猛反対され絶縁を言い渡されたとか、それは旦那さんというのが、いわゆる反社会的勢力の団体職員で彼女はよりにもよって彼の見事な刺青が入った上半身裸の写真を親御さんに見せたからとかだろうか。
彼女としては親に嘘をつきたくはないし、現在の彼を隠すことなく紹介し受け入れてほしかったというのは確かにあったのではないだろうか。その気持はわからなくもない。
確かに隠していたところで結婚してから事実が露見して親戚中から村八分になるやも知れず、そのことを考えるならばはじめから堅気の人ではないと知らせておいた方が逆に波風は立たないのかもしれない。だがいずれにせよ周りに知られない内に破談にされてしまうのがオチではないか。
なんてバカなことを考えながら、美人さんの顔を思い出していた。
それにしても、好きになった人がたまたまヤ印の人だったというだけの話で、戦争になれば他国の人間を殺せば殺しただけ功労者として勲章をもらえるというのが常識としてまかり通っているこの世界で、ちゃんちゃらおかしい話だと思った。
非常にわかりやすいので反社会勢力というのが、「悪」として認知されているが、悪いのはほかにいくらでもいる。
むしろ、それら表には絶対に出てこない善の仮面を被ったやつらが、やりたい放題やって、世の中を蝕んでいる。
まあ、それらもいつかは大鉄槌が下るはずだ。そんなことより、問題はあの美人さんだった。あんな別嬪さんを花嫁にもらえたなら、どれだけ幸せなことだろう。
毎日が楽しくて仕方ないにちがいない。まあ、大袈裟でなく、まさにそれこそ天国だろう。
家に帰ると、ばあちゃんと猫のチャコが一緒にころがるように飛び出してきて、開口一番
「ヨシユキ、どこいってたん、いまな、おまえの嫁さんになるっちゅう綺麗な女の人が、ご挨拶に参りましたゆうて、来てたんやぞ?」
オレは腹を抱えて笑ってしまった。「ばあちゃんも、もうろくしたな、はははは」
すると、間髪を入れずにばあちゃんの右の正拳突きが、腹に見事にヒットして、オレはその場に崩折れた。ゲ、ゲホッ!
「な、なにすんねんなー、ばあちゃん」
床に向けてオレはそう蚊が囁くように声を絞り出すのが精一杯だった。涙ぐんでいたのは内緒だ。
やがて、頭上から静かな声音でばあちゃんのハスキーボイスが降ってきた。
「あんなー、ヨシユキ、よく聞けよ。おまえには黙っといたんやけど、おまえ実は、ホンマのうちの子やないんや。由緒あるお寺さんのご住職から、おまえを預かってくれと託されたんや。せやからおまえには、生まれた時から許嫁がおって、あとは目出度く祝言を挙げるばかりっちゅうわけや。よかったな、ヨシユキ。黙ってて悪かったけど、口止めされててん。許してな」
俄かには信じられないことだった。あまりにも急な展開で、それも思ってもみない展開で、しあわせが天から降ってきた。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる