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#105 ストーカー
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*月*日
ビルとビルの狭間からのぞく空は、あるいは、ビルの稜線によって切り取られた矩形の空などではなく、空の明るさによって、ビルがそのシルエットを持つのかもしれなかった。
カヲルの本好きは出逢った当初から尋常ではなかったけれども、今にして思えば、それは怖いほどのスピードで常軌を逸しつつある、カヲルの発していたSOSだったのかもしれない。
亜麻色の髪を梳きながらでさえもカヲルは、本から目を離さなかったし、モスで遅い朝食をとった時もハードカバーの分厚い本をテーブルに広げ、フィッシュ・バーガーを食べたりクラムチャウダーをすするのが当たり前になった。
やがて、歩いているときはもとより、Hするときでさえもカヲルは本を手放さないようになっていった。
ジローは、それにもう慣れたともいえるけれど、広げられたハードカバーの背表紙を見ながらHするのは味気ないのを通り越して、うら悲しかった。自分が人間ではなく、まるでロボットになったみたいな気がするからだ。
でもなぜまたジローは、そんなカヲルと別れないのかといえば、カヲルの尋常でない本への執着を、いわば病気みたいなもので、その病状の悪化は、なによりも自分のカヲルを思う気持ちがまだまだ足りないからだと思うからだった。
飢えた獣みたいに貪るようにして本を読むカヲルは、まちがいなく何かにカツエているのだ。あきらには、それが愛だと思えて仕方なかった。
カヲルは愛に満たされていないのだ。両親の愛に満たされていた期間があまりにも短かったのではないか。
だからジローは、どんなことがあろうともカヲルを愛ですっぽり包んで守り抜いていくと健気にも考えていた。
だが、皮肉なことにジローが優しくなればなるほど、カヲルは壊れてゆくようなのだ。
そんなある日、ジローはネットでたまたま辿りついた掲示板に、ある女性の興味深い書き込みを見つけた。
彼女は、どうやらストーキングに苦しめられているようなのだった。交際を認めてもいない男がここ2、3ヶ月ずっとつきまとって離れないのだという。
「仕事先での顔見知りだったのだけれど、偶然駅で見かけたときに愛想笑いをしたのがまずかった。それから何を勘違いしたのか、恋人気取りでなんだかんだといろいろ世話をやいてくる」のだという。
「自分は小心でとてもNO! とはいえない」という彼女は、せいぜい男を無視することくらいしか出来ないらしい。
「このごろさらに異常さを増した、その男の常軌を逸した行動が、目にあまるほどになってきた」という一文には、ことさら興味をおぼえた。
ストーキング行為自体、異常だけれども、その男は完全に壊れていた。
彼女が休日にたまたまひとりでモスやスタバで昼食をとったり、お茶していると、その近くの席に陣取りじっと彼女を見つめながらニヤニヤしているので、まともに味わっていられないのだという。
男の尋常でない目がなによりもキモくて、怖いようだ。だから彼女は、ずっと本を手放さずに持ち歩いているらしい。
男の目を見ないように、あるいは、自分の顔を見られないようにハードカバーの本で顔を覆ってしまうのだ。
彼女は、それで超能力のように自身の身体のまわりにバリアを作り、男の視線とその存在自体を一切遮断したつもりになっていたけれども、そうではないことにきのうはじめて気付いたのだという。
男は彼女の視線が届かないことを逆手に取って、衆人環視の場でとんでもない破廉恥な行為に及んでいたのだ。
なんと男は、彼女の肢体を見つめながら自慰行為を行っているようなのだった。
「思い出すだけでもオゾマシイけれど」きのうは、男のそのときの切迫した声を、聞いてしまったらしい。
救いようのない馬鹿野郎だと、ジローは思った。
ラジオから、愛のうたが聴こえてくる。センチで陳腐な歌詞のなかにも、真実があるとジローは、思った。
フランソワ・トリュフォー『隣の女』だったろうか、記憶が定かではないけれど、自殺してしまうヒロインのそんな台詞があったような———。
さあ、きょうもいっぱいカヲルを愛してあげよう。
ビルとビルの狭間からのぞく空は、あるいは、ビルの稜線によって切り取られた矩形の空などではなく、空の明るさによって、ビルがそのシルエットを持つのかもしれなかった。
カヲルの本好きは出逢った当初から尋常ではなかったけれども、今にして思えば、それは怖いほどのスピードで常軌を逸しつつある、カヲルの発していたSOSだったのかもしれない。
亜麻色の髪を梳きながらでさえもカヲルは、本から目を離さなかったし、モスで遅い朝食をとった時もハードカバーの分厚い本をテーブルに広げ、フィッシュ・バーガーを食べたりクラムチャウダーをすするのが当たり前になった。
やがて、歩いているときはもとより、Hするときでさえもカヲルは本を手放さないようになっていった。
ジローは、それにもう慣れたともいえるけれど、広げられたハードカバーの背表紙を見ながらHするのは味気ないのを通り越して、うら悲しかった。自分が人間ではなく、まるでロボットになったみたいな気がするからだ。
でもなぜまたジローは、そんなカヲルと別れないのかといえば、カヲルの尋常でない本への執着を、いわば病気みたいなもので、その病状の悪化は、なによりも自分のカヲルを思う気持ちがまだまだ足りないからだと思うからだった。
飢えた獣みたいに貪るようにして本を読むカヲルは、まちがいなく何かにカツエているのだ。あきらには、それが愛だと思えて仕方なかった。
カヲルは愛に満たされていないのだ。両親の愛に満たされていた期間があまりにも短かったのではないか。
だからジローは、どんなことがあろうともカヲルを愛ですっぽり包んで守り抜いていくと健気にも考えていた。
だが、皮肉なことにジローが優しくなればなるほど、カヲルは壊れてゆくようなのだ。
そんなある日、ジローはネットでたまたま辿りついた掲示板に、ある女性の興味深い書き込みを見つけた。
彼女は、どうやらストーキングに苦しめられているようなのだった。交際を認めてもいない男がここ2、3ヶ月ずっとつきまとって離れないのだという。
「仕事先での顔見知りだったのだけれど、偶然駅で見かけたときに愛想笑いをしたのがまずかった。それから何を勘違いしたのか、恋人気取りでなんだかんだといろいろ世話をやいてくる」のだという。
「自分は小心でとてもNO! とはいえない」という彼女は、せいぜい男を無視することくらいしか出来ないらしい。
「このごろさらに異常さを増した、その男の常軌を逸した行動が、目にあまるほどになってきた」という一文には、ことさら興味をおぼえた。
ストーキング行為自体、異常だけれども、その男は完全に壊れていた。
彼女が休日にたまたまひとりでモスやスタバで昼食をとったり、お茶していると、その近くの席に陣取りじっと彼女を見つめながらニヤニヤしているので、まともに味わっていられないのだという。
男の尋常でない目がなによりもキモくて、怖いようだ。だから彼女は、ずっと本を手放さずに持ち歩いているらしい。
男の目を見ないように、あるいは、自分の顔を見られないようにハードカバーの本で顔を覆ってしまうのだ。
彼女は、それで超能力のように自身の身体のまわりにバリアを作り、男の視線とその存在自体を一切遮断したつもりになっていたけれども、そうではないことにきのうはじめて気付いたのだという。
男は彼女の視線が届かないことを逆手に取って、衆人環視の場でとんでもない破廉恥な行為に及んでいたのだ。
なんと男は、彼女の肢体を見つめながら自慰行為を行っているようなのだった。
「思い出すだけでもオゾマシイけれど」きのうは、男のそのときの切迫した声を、聞いてしまったらしい。
救いようのない馬鹿野郎だと、ジローは思った。
ラジオから、愛のうたが聴こえてくる。センチで陳腐な歌詞のなかにも、真実があるとジローは、思った。
フランソワ・トリュフォー『隣の女』だったろうか、記憶が定かではないけれど、自殺してしまうヒロインのそんな台詞があったような———。
さあ、きょうもいっぱいカヲルを愛してあげよう。
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