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#104 実母
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自由が丘で東横を降りて、スイーツフォレストに寄ってから緑ヶ丘図書館に行こうと思っていたのに……気付いたら、もう田園調布に着いていた。
仕方なく、もう一度本に視線を落としたのだけれど、字面を追うばかりでいっこうに頭に入らない。
ていうか、書名はなんだったのか。いったい何を読んでたんだっけか?
うとうとまたしていたら、前髪がごっそり抜け落ちる映像が、繰り返し見えてぞっとする。
禿げだけはいやだよぉ。
不意に車窓から金木犀の清清しい甘い香りがして……。もう秋なんだなぁ、と思ってる自分がいて。
ふと小林さんは、きょうこそは動画を見れただろうかと思った。
きのうHな動画をあげたのだけれども、喜び勇んで、さぁー見るぞ! とアパートのドアを開けたら、母親が灯篭のようにどっしりと、そこに立っていたのだという。
「六本木でね、友達と会うからカズちゃん、今夜泊めてちょーだい」
シェークスピアも真っ青。笑えない悲劇だ。いや、悲劇はもとより笑えないものなのだけれども。
ま、なんだかんだいっても、今がいちばんいい季節だよな。なんて思ってるうちにご帰還アソバサレマシタわたくしめ。
鍵穴にKeyを差し込む。
ん!!
開いてる?
「あら、おかえんなさい。早かったのね」
狭いキッチンでエプロンをしたおばはんが、こちらを振り返って、こぼれんばかりの笑みを浮かべている。
はぁぁぁあ??
完全に部屋を、階数をまちがえたと思った。
二階じゃなくって、三階だったのか。
「すいません、まちがえました!」そういって取って返す、タロウのその背中に
「なにいってんの。さ、もうできたから食べましょ」
いったんドアを開けて表札を確かめる。まちがいはない。しかし、表札など作ろうとすればいくらでもつくれるのだ。騙されないぞと思ったりする。
この世の中じたいすべて嘘っぱちなのだからして、いったいなにを信じていいのかもわからないのだ。
だって、この俺様からがしていったい誰やねん?
自分は自分なのだろうけれども、この肉体は実際に自分の肉体なのか。たんにこの肉体という檻に幽閉されているに過ぎないのかもしれないのだし、またその檻には自分だけでなく、いくつもの人格が入っているかもしれないのだ。
「ところであんた誰? ここでなにしてんの」
「あらあら。実の母親の顔も忘れたってわけ?」
ざけんじゃねー。
「もうとっくに死別してんだけど……」
「あははははは。あんたは相変わらずやね。ま、いいさ。ビールでも飲も」
「あはははは。そやね、昔のことはもう忘れて、今夜は飲み明かそうや」
いったいどうなってんだ。人格が崩壊しそうな危機感がつのる。
部屋に入って、とりあえずPCを起ちあげる。
怪奇現象に巻き込まれた少年A、鼻毛を三本抜かれて重態! という三面記事の見出しが、幻のように浮かんでは消えた。
「さ、用意できたわよ。はじめようよ」
……どう対処していいのかわからない、凄…す…ぎ…て。
「じゃ、とにかくカンパ~イ!」
小さなガラスの丸テーブルは、食べきれないほどの料理で溢れかえっていた。
キンキンに冷えたビールを口に含みながら、いったい俺はなにをしているのかと、しばし自問自答。
「ほら、あっちゃんの好きな筑前煮だよ、たくさん召し上がれ」
ははは。力なく笑う。筑前煮なんて知らないし、そもそも俺は、あっちゃんなどではない。
完全にイカレてるのか、このばばぁ。
それとも……。
「で、親父と俺を捨てて、今までどこにいってたんだよ?」
「いきなりかい。ま、それはおいおい話してくからさ……」
会話が弾むはずもなく、もうどうにでもなれと、ただ黙々と浴びるほど飲んだ。
やがて、気付くとおばはんは消えていた。
俺は、知らぬうちにうたたねしてしまったらしい。
すべては、夢だったのかとすら思えた。
だが、悲しい哉、まちがいなく現実らしい。
おばはんは、しっかりと現前している。タロウのベッドに横たわっているおばはん。あられもない格好でタロウを手招きするのだった。
「ねぇ。ちょっと悩んだんだけど、シャネルの五番の方がよかったかしら?」
定番のスケスケのピンクのネグリジェを着てるおばはん。ネグリジェの下にはなにもつけていないおばはん。
ネグリジェから下半身の黒い翳りが、透けて見えているのを知っているおばはん。
タロウは、まさに蛇に見込まれた蛙のごとくフリーズし、やがて吸いこまれるようにして、一歩一歩ベッドに近づいてゆく自分を、どうすることもできなかった。
仕方なく、もう一度本に視線を落としたのだけれど、字面を追うばかりでいっこうに頭に入らない。
ていうか、書名はなんだったのか。いったい何を読んでたんだっけか?
うとうとまたしていたら、前髪がごっそり抜け落ちる映像が、繰り返し見えてぞっとする。
禿げだけはいやだよぉ。
不意に車窓から金木犀の清清しい甘い香りがして……。もう秋なんだなぁ、と思ってる自分がいて。
ふと小林さんは、きょうこそは動画を見れただろうかと思った。
きのうHな動画をあげたのだけれども、喜び勇んで、さぁー見るぞ! とアパートのドアを開けたら、母親が灯篭のようにどっしりと、そこに立っていたのだという。
「六本木でね、友達と会うからカズちゃん、今夜泊めてちょーだい」
シェークスピアも真っ青。笑えない悲劇だ。いや、悲劇はもとより笑えないものなのだけれども。
ま、なんだかんだいっても、今がいちばんいい季節だよな。なんて思ってるうちにご帰還アソバサレマシタわたくしめ。
鍵穴にKeyを差し込む。
ん!!
開いてる?
「あら、おかえんなさい。早かったのね」
狭いキッチンでエプロンをしたおばはんが、こちらを振り返って、こぼれんばかりの笑みを浮かべている。
はぁぁぁあ??
完全に部屋を、階数をまちがえたと思った。
二階じゃなくって、三階だったのか。
「すいません、まちがえました!」そういって取って返す、タロウのその背中に
「なにいってんの。さ、もうできたから食べましょ」
いったんドアを開けて表札を確かめる。まちがいはない。しかし、表札など作ろうとすればいくらでもつくれるのだ。騙されないぞと思ったりする。
この世の中じたいすべて嘘っぱちなのだからして、いったいなにを信じていいのかもわからないのだ。
だって、この俺様からがしていったい誰やねん?
自分は自分なのだろうけれども、この肉体は実際に自分の肉体なのか。たんにこの肉体という檻に幽閉されているに過ぎないのかもしれないのだし、またその檻には自分だけでなく、いくつもの人格が入っているかもしれないのだ。
「ところであんた誰? ここでなにしてんの」
「あらあら。実の母親の顔も忘れたってわけ?」
ざけんじゃねー。
「もうとっくに死別してんだけど……」
「あははははは。あんたは相変わらずやね。ま、いいさ。ビールでも飲も」
「あはははは。そやね、昔のことはもう忘れて、今夜は飲み明かそうや」
いったいどうなってんだ。人格が崩壊しそうな危機感がつのる。
部屋に入って、とりあえずPCを起ちあげる。
怪奇現象に巻き込まれた少年A、鼻毛を三本抜かれて重態! という三面記事の見出しが、幻のように浮かんでは消えた。
「さ、用意できたわよ。はじめようよ」
……どう対処していいのかわからない、凄…す…ぎ…て。
「じゃ、とにかくカンパ~イ!」
小さなガラスの丸テーブルは、食べきれないほどの料理で溢れかえっていた。
キンキンに冷えたビールを口に含みながら、いったい俺はなにをしているのかと、しばし自問自答。
「ほら、あっちゃんの好きな筑前煮だよ、たくさん召し上がれ」
ははは。力なく笑う。筑前煮なんて知らないし、そもそも俺は、あっちゃんなどではない。
完全にイカレてるのか、このばばぁ。
それとも……。
「で、親父と俺を捨てて、今までどこにいってたんだよ?」
「いきなりかい。ま、それはおいおい話してくからさ……」
会話が弾むはずもなく、もうどうにでもなれと、ただ黙々と浴びるほど飲んだ。
やがて、気付くとおばはんは消えていた。
俺は、知らぬうちにうたたねしてしまったらしい。
すべては、夢だったのかとすら思えた。
だが、悲しい哉、まちがいなく現実らしい。
おばはんは、しっかりと現前している。タロウのベッドに横たわっているおばはん。あられもない格好でタロウを手招きするのだった。
「ねぇ。ちょっと悩んだんだけど、シャネルの五番の方がよかったかしら?」
定番のスケスケのピンクのネグリジェを着てるおばはん。ネグリジェの下にはなにもつけていないおばはん。
ネグリジェから下半身の黒い翳りが、透けて見えているのを知っているおばはん。
タロウは、まさに蛇に見込まれた蛙のごとくフリーズし、やがて吸いこまれるようにして、一歩一歩ベッドに近づいてゆく自分を、どうすることもできなかった。
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