パサディナ空港で

トリヤマケイ

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# 107ふたりのルーティン

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   お茶の水のアテネ・フランセへとつづく長い一本道を、俯いて歩いていたジンが、出会い頭に目の端で捉えた映像は、丸いわっかの残像となって脳裏に焼き付けられた。











 あれはいったいなんだったんだろう。もしかして、勾玉(マガタマ)?










 ジンが自分で焼き付けたのではない、勝手に張り付いたのだ。











 それは、目を開けているとわからないのだけれど、目を瞑るといつまでもいつまでもついてくるのがわかった。










 きょうは気分もあらたに? いや、ただの気分屋の気まぐれに過ぎないのだけれども、『LEMON』に入ってスパゲティでも食べていこうとジン思った。









 何かいつもとは違うことをすることによって、ちがう自分になりたかった。むろん、内面から変わらなけりゃ意味がないのだけれども、演出というのも大切だとジンは思うのだ。










 確か以前にきたときには二階の感じがとってもよくって、デートにこんな場所を選べたなら最高なのになぁ、と思った筈で、図らずも今日はこうしてめでたくカヲルをこのお店に連れてこられることが出来てジンは感無量なのだった。











 扉を引いて店内に入ると、店員さんは、魔人を見るような目でジンを見遣った。











 奥の角のテーブルにつくと、ジンはカヲルをトートバッグから取り出して、対面の椅子に座らせる。









 なにやらカヲルはご機嫌斜めのご様子。道すがらカヲルに全然話しかけずに、残像のことばかり考えていたためらしい。









 まったく若い女の子はこれだからなあ、とジンは独りごちた。









 カヲルは何も聞かなかったかのように涼しげな眼差しで、カウンターの方を眺めやる。












 そして、「まあ、きれい」とつぶやいた。










 漆黒のカウンターに置かれた透明な花瓶のなかで、ひっそりと息づく深紫のトルコ桔梗が、優美なまでに美しく『LEMON』の店内に清らかな光を優しく放っていた。











「さてと、何にする?」










 メニューを広げてカヲルに尋ねると、言わずもがななことを訊くなと、ちょっぴり睨まれた。










 そうなのである。ジンはカヲルとつきあいはじめてもう三年になるけれど、彼女がパスタ屋さんに入ってペペロンチーノ以外を頼んだのを見たことがない。











 まあ、ジンは儀礼的な意味合いで、とりあえず訊いてみるというのが常なのだから仕方ない。









 もちろん、こういったカップルなのだから、ジンがとにかく喋らなければ会話が途中で途切れてしまうからだ。











 ていうか、ほんとうのところ、そうやってないとあまりにも惨めでやってられないというのはある。









 だって。
 ほんとうに馬鹿みたいじゃないか。










 いや、店の連中や、道往く人たちにも後指を差されて笑われているにちがいない。









 三十ヅラ下げたいい大人が、ブライス人形をトートバッグに入れていつも話しながら歩いているのである。キ印といわれて当然なのだ。












 でも、ジンはほんとうにカヲルを好きなのだから仕方ない。











 生身の女性なんて考えただけでも反吐がでる。ましてHなんてとんでもない。電気椅子で処刑された方がまだましというものだろう。












 カヲルは料理もできないし、洗濯も掃除もできやしない。 











 けれど、生身の若い女性だって殆ど似たようなもんじゃないかなと思う。だから、別にカヲルが女性として劣っているということでは全然ないのだ。












 カヲルは、あまり食欲がないのといって、殆どペペロンチーノに手をつけなかった。











 むろん、残りはぼくがいただいたのだけれど、なんかカヲルとつきあいはじめて体重が十キロ以上増えているのは、いつもカヲルの残りを食べているからにほかならないのかも知れなかった。












 搾りたての美味しいオレンジ・ジュースを二杯飲み乾して、カヲルに訊く。










「さてと、次はどこに行こうか?」









 ぼくはカヲルの眸をまっすぐ見つめる。









「暗くなるまでにはまだ間があるよ、カヲル」




「そうね」




「映画がはじまるまで本屋で時間を潰そうか」 




「うん」




  僕らは銀杏並木の金色の木洩れ日のなかをゆっくりと歩いていく。
 






「結婚しようね、カヲル」





「するかよ、ヘンタイ!」






  




これが、いつものふたりのルーティン。















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