パサディナ空港で

トリヤマケイ

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#185 リサ+

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 甘い匂いがした
 
 
 
 
 リサの首すじあたりから香ってくるのかもしれなかった
 
 
 
 
 それをリサに、そこはかとなく尋ねようかどうしようかと迷っているうちに、もう分かれ道のところまで来てしまった
 
 
 
 
 
 手さえつないだことはなく一緒に帰っているだけだが、たまらなく好きだった
 
 
 
 
 
 もうリサの事しか見えない自分が怖いくらいだった、世界が薔薇色にキラキラ輝いて見える
 
 
 
 
 
 
 
 
 しかし、そう考えると逆の感情を持ったとき、それは果てしなく不幸せなことにちがいなかった
 
 
 
 
 
 
 好きも嫌いもひとつのものの表と裏だからだ
 
 
 
 
 
 
 大キライは、大スキの裏返しだろうし、大好きはほんとうに大嫌いになる可能性も秘めている
 
 
 
 
 
 
 どうでもいいというのはほんとうに、どうでもいいのだ
 
 
 
 
 
 
 こんな風に別れの時が迫れば迫るほど、とりとめのないことを考えてしまう、いつものことだった
 
 
 
 
 
 
 一緒にいられるこの幸せな時間に感謝し、有意義な会話をしなければならないはずなのに、ろくすっぽ話さないまま、2人っきりの時間は残酷に過ぎ去っていく
 
 
 
 
 
 
 リサは大人しく、自分もベラベラと喋る方ではない
 
 
 
 
 
 
 こんなとき、まあいつもこんなときなのだけれど、子どもの時みたいに、しりとりをすることにしている
 
 
 
 
 
 しかし、この日は違っていた、また明日ねとバイバイするいつもの別れの三本杉という交差点で、リサは立ち止まると、後ろを振り返り饒舌に話しはじめたのだ
 
 
 
 
 
 ただし、自分には何ひとつ聞こえなかった、聞こうとしなかった
 
 
 
 
 
 
 両手の右指で耳に栓をしてしまったからだ
 
 
 
 

 リサの声のトーンやこわばった表情からそれと察してしまったのだ
 
 
 
 
 
 だから何ひとつ別れ話を聞いてなどいない
 
 
 
 
 
 
 リサの顔もまともに見ることができずに、目を瞑り俯いたまま嵐の過ぎ去るのをじっと待っていた
 
 
 
 
 
 
 
 何回か肩を揺さぶられたが、それでも耳栓をやめようとはしなかった
 
 
 
 
 
 すると、なぜか不意に首すじのあたりがゾクっとし、目を開けてみると、まったく知らない場所にただひとり突っ立っていた
 
 
 
 
 
 
 
 リサだけではない、誰ひとりいなかったというか、人の気配がまったくしない
 
 
 
 
 
 
 
 見知らぬ場所やら土地ではなく、地球ですらないような気がした
 
 
 
 
 
 ふと視線を感じ、振り返ると宙空に、真っ青な顔の人間なのか幽霊なのかわからない、不気味な首が浮いていた
 
 
 
 
 
 
 何も言わないのもアレなので半笑いで
 
 
 
 
 
 
「来年の今月今夜のこの月をぼくの涙できっと曇らせてみせる!」
 
 
 
 
 リサもいないしもうやけっぱちで、生首に向かってそう言ってみた
 
 
 
 
 
 寛一お宮の金色夜叉である
 
 
 
 
 
 生首はまったくのノーリアクション
 
 
 
 
 よく見ると落武者のような長い髪は、ざんばら髪ではなく、高いツインテールにしてあって、その毛先が風に詫びしげに顫えていた
 
 
 
 
 
 
 鎌倉時代だか江戸時代だか知らないが、とにかく相当むかしのおサムライさんではないかと思った
 
  
  
  
  
 
 ならば、たしかに尾崎紅葉の話など知る由もないのだった
 
 
 
 
 
 
 彼はたぶん斬首され、その生首を晒されたのだろうが、首斬り役人に首を切り落とされる際に、辞世の句を書き留めてほしい、みたいな願いではなく、ただ今生の別れにツインテールという西洋の髪型にしてもらい、黄泉の国へと旅立ちたいと願ったのではないか
 
 
 
 
 
 
 
 しかし、その時代のむさくるしい首斬り役人がツインテールなどというものを知るわけもなく、どうしてあの髪型に出来たのだろうかと、不思議でならなかった
 
 
 
 
 
 
 すると、なんの脈絡もなくなぜか池袋に行った時のことを思い出した
 
 
 
 
 
 事務所の忘年会だったが、予約するのが遅く、女優さんも招いて結構な大人数になるので新宿ではもう予約は取れずに、池袋でやっと見つけたのだった
 
 
 
 
 
 ほんとうは、そういった仕事上での呑み会といったものが大嫌いなたちなのだが、忘年会を主催する側なので、苦手などと言ってはいられず、お座敷の大広間でいの一番にカラオケを歌ったのだった
 
 
 
 
 
 
 
 確かに歌ったのは覚えているのだけれど、いったい何を歌ったのだろうか
 
 
 
 
 
 
 
 aikoとかか? あるいは髭ダン、バウンディとかだろうか
 
 
 
 
 
 
 まあ、そんなことはどうでもいいけれども、忘年会がお開きになって二次会の会場を求めて池袋駅方面にぞろぞろと向かってる際に、立ちんぼの赤毛のおねいさんに、ねめつけられるや不意に「この糞袋!」と罵られたのだった
 
 
 
 
 
 
 
 確かに糞袋には違いなかった
 
 
 
 
 
 
 
 すかさず、忘年会に参加していたあるタレント事務所の社長さんが「まあまあ、お姉さん、落ち着いて」と、なだめすかしていたのは、さすがだと思った
 
 
 
 
 
 
 
 その社長さんは、四柱推命のエキスパートで、四柱推命は絶対外れないと言っていて、ある時、占ってもらったことがあった
 
 
 
 
 
 
 
 
 しかし、なぜまたこんなことを思い出したのだろうか、俺のことを糞袋と見事に喝破してみせた、あの茶色っぽいワンピのおねいさんが、高めのツインテだったのだろうか
 
 
 
 
 

 
 
 しかし、そんなことよりもむろん、問題はリサだった
 
 
 
 
 
 
 
 やはり、あれか、あれなのか、例の蛙化現象なのか
 
 
 
 
 
 
 ◇一緒に食事に行った際にくちゃくちゃ音を立てて食べたり、つい手づかみで食べたのだろうか
 
 ◇リサの誕生日なのに1円単位の割り勘にしたからだろうか
 
 ◇マックやモスの店員に対して、居丈高に接客態度が悪いと怒鳴り散らしたり、逆に慇懃無礼に見下したような態度でヘラヘラしてたりしたのだろうか
  
  
 ◇バックが下手すぎて駐車できないから?
 ◇たんにヤンキーだから?
 ◇シークレットブーツを履いているから?
 ◇タトゥーの絵柄がダサい?
 ◇今時、横浜銀蝿やキャロルみたいにリーゼントだから?
 ◇ワイドパンツじゃなくて、ボンタンだから?
 ◇実はオネエだったから?
 ◇共通の友達の悪口を言ったから?
 ◇実は5股がバレた?
 ◇自己愛性パーソナリティなんちゃらだから?
 ◇おねだり体質だから?
 ◇体臭がキツイから?
 ◇目的地の手前でタクシーを降ろされて20メートルくらい歩いた時、スタッフに罵声を浴びせたから?
 
 
 
 
 
 出来ればそんな風に、悩みたいものだった
 
 
 
 
 
 実際は、リサと俺は会社の入っているビルの前で待ち合わせ、帰り道を一緒に歩くだけだった
 
 
 
 
 
 
 
 手すら繋いでいない、究極のプラトニックラブなのだ
 
 
 
 
 
 
 小学生ならば、むしろ穢れなき初恋の忘れられないエピソードとして全然ありなのだろうが、三十路が近い社会人では先ずありえない
 
 
 
 
 
 
 ただ、漠然とだが、リサがこの世界から消えてしまったのではなく、自分がどこかの異世界だか並行世界に飛ばされてしまったのではないだろうか
 
 
 
 
 
 
 勇者として異世界召喚されたのか
 
 
  
  
  
 
 出来れば、そんな風に仮定したい
 
 
 
 
 
 
 蛙化現象でないことを祈るばかりなのだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 相手のほんの些細な言動で、ゲンメツし、一気に恋が冷めてしまう、実に悲しいことだ
 
 
 
 
 
 そういえば、ハネムーンから帰って来たばかりなのに離婚することを成田離婚やらスピード離婚と言うらしいが、確かに親戚や知人らに盛大にお披露目してお祝いされておきながら、ハネムーン終わりに離婚をやらかすよりは、婚姻届を出す前に相手に見切りをつける方がどれだけましか知れない
 
 
 
 
 
 
 
 時間と労力とお金がすべて水の泡となるが、幻滅した相手と我慢して生活するのは、地獄にちがいないのだから仕方ないにしても、何よりもすべてが無駄だったという精神的ダメージがしんどいと思う
 
 
 
 
 いい勉強になったと諦めるほかないけれど、実は人生に無駄なことなどひとつもなく、すべてはヒトとしての成長へと収斂していくのだ
 
 
 
 
 
 
 
 しかし実のところどうなのだろう、ほんとうはリサ自体、はじめから存在していなかったのではないか?
 
 
 
 
 
 
 
 現実には自分の脳内でリサという架空な女性を創り出し、さまざまな条件や縛りを設定したシナリオを用意してストーリーを構築したのではないか
 
 
 
 

 
 
 
 最初からリサはいなかった、そう思うとかなりしっくりくるし、辻褄が合う
 
 
 
 
 

 自分が脳内で創り出したキャラを3Dホログラムのように何もない空中に投影していたのだ
 
 
 
 
 
 


 すると、一陣の風が吹いて
 
 
 
 
 
 
「ざけんな!」
 
 
 
 
 
 
 その声に振り向くと、それは例の落武者の生首だった
 
 
 
 
 
 生首の事を忘れていたが、ずっとそこにいたらしい
 
 
 
 
 
 
 ただし、それが問題なのではない、生首にはもうある程度免疫が出来ていた
 
 
 
 
 
 
 問題はその声だった、それは忘れもしない、あのリサの声だったのだ
 
 
 
「リサなぜまた、そんなザンバラ髪じゃなくてツイテールの落武者になってしまったんだ」
 
 
 
 
 
 俺は思わず後ずさりしながら、そう呟いていた
 
 
 
 
 
「しゃらくせー、チェリー野郎が」
 
 
 
 
 
「はい?」
 
 
 
 
 
 
 
「おまえな、どこの世界に付き合って一年以上になるのに手すら繋がないカップルいるんだよ、あ?」
 
 
 
 
 
 
「え?」
 
 
 
 
 
 
 
「え、じゃない、スキンシップが苦手なのか? それとも手汗が気になるとかなのか?」
 
 
 
 
 
 
 
 
「いや、そうじゃないけど、ほら、いったんそういう関係になってしまうと、次にはkiss、それから、それからあんなことや、こんなことしちゃって...」
 
 
 
 
 
 
「あー、だめだこりゃ」
 
 
 
 
 
 
「いや、待って、話を聞いてほしい、実は先々の事を考えていま必死に勉強してるんだ、48手って知らないかもだけど、そういうこともパートナーとして知っとかなきゃだし、でもね、頭でいろいろ体位っていうの? それ覚えてもいまいちピンと来なくて」
 
 
 
 
 
 
「ふーん、おまえ頭でっかちのむっつりスケベだったんだな」
 
 
 
 
 
 
 
「でね、でね、でね、感覚つかむために先月、思い切ってラブドールっていうのちょい値が張るんだけど買ったんだよ、ママとかに見つかったら大変な事態になるのはミエミエなんだけど、ちゃんとそこらへんはメーカーさんも考えてくれてあって、外観はまったくのラブソファみたいなんだけど、その中にこっそりラブドールを収納できる優れものなんだよね」
 
 
 
 
 
 
 
「あーなるほどね、それでHを連日血の滲む想いで練習してるわけな、って、そんなん彼女が聞いて感心して喜ぶと思ってんのかよ」
 
 
 
 
 
 
 
「え、だって、H大切でしょ?」
 
 
 
 
 
 
 
「はいはい、それでそのプラクティスはいつ終わるのかな」
 
 
 
 
 
 
 
「もうちょっとなんだ、僕としてはパーフェクトなスキルを身につけてだね、リサを悦ばしてあげたいんだよね」
 
  
  
  
  
 
「アホくさ、手も繋げない奴が何言ってんだよ」
 
 
 
 
 
 
 
「いや、だからさ、クラクラするような悩殺キスのテクニックをだね、いままさに手に入れてるところなんだ」
 
 
 
 
 
 
 
「はいはい、わかりました、ママのおっぱいでもしゃぶってな」
 
 
 
 
 
 
 
 
 そう言うや、リサの声の生首は、スーッと暗闇の中へと吸い込まれるように消えていった
 
 
 
 
 
 
 
 俺は、茫然自失
 
 
 
 
 
 
 
 
 今のは、いったいなんだったんだ、システムがバグったのか?
 
 
 
 
 
 
 
 そういうシナリオなのか? それともAIがアドリブでやったのか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 うーむ、まったくわけがわからない
 
 
 
 
 
 
 すると、いきなりキーンという耳をつんざくようなノイズが後ろの方から聞こえて、俺は立っていられなくなって耳を両手で押さえていると、身体が上下逆になったと思うと、そのままぐるんぐるん回転しはじめた
 
 
 
 
  
 
 俺は固く目をつむり、歯を食いしばって回転する遠心力に耐えるほかなかった
 
 
 
 
 
 
 
 そうやってどのくらいそのGに耐えていたのだろうか、さらにもう15秒ほど回転し続けていてら、俺はマジに吐いていただろう
 
 
 
 
 
 
 やがて、身体の回転は停止したが、眩暈がしていまにもぶっ倒れそうだった
 
 
 
 と、そこで誰かに肩を掴まれたので目をあけると、それはあの懐かしい綺麗なリサで、彼女は何かを言おうと口をあけかけていた
 
 
 
 
 
 
 俺は、さっきの出来事が一気に脳裏によみがえり、そうかリサはずっとアプローチを待ってたんだなと思うが否や、思い切り華奢な体を抱きしめて、いきなり濃厚なkissした
 
 
 
 
 
 
 
 なんなら、勢い余っておっぱいを鷲掴みにしていたかもしれない
 
 
 
 
 
 
 
 
「調子に乗んな、ハゲ!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 そういうリサの罵声と同時に放たれた平手打ちによる左頬の痛みが、これはリアルだと告げていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 秋近し
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 結婚だ













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