パサディナ空港で

トリヤマケイ

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#205 On The Edge ② 〜風に吹かれて

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 あれから5年経って、19歳だった私も24歳になった。




 そして、あのおばあさんの予言は見事に的中した。ふたりの男性からほとんど同時期に結婚を申し込まれ、私はしっかりとおばあさんの言いつけを守って、Here we go! とかわめいてるチャラ男ではなく今の夫を選んだ。








 その日は、小春日和のとても気持ちのいい日だった。何かウキウキしている自分がいて、いつもの公園の散歩道から、ちょっと冒険がてら知らない通りを歩いてみようと思った。








 少し歩くけれども、マツキヨの下にある青葉で買い物もしたかったので、ちょうどいいと思った。






 そして。
 
 
 


 彼女に出会った。
 
 
 
 
 

 青葉で、同じタイミングで手を伸ばしたその先には、紙パックスイーツのマンゴープリンがあった。






 それがきっかけで、ちょっとお茶でもしませんか、という流れになって、彼女はいま私の目の前に座っている。
 
 
 
 
 
 
 自分でもよくわからなかった。なぜまた初対面の女性とお茶する気になったのだろうか。Calmという良さげなカフェに前から入りたいなと思っていたのはたしかで、でも、ひとりで入るのは気が引けていたのだった。







 彼女も彼女で、ノリがいいというか、単にヒマだったのか、喉が渇いていたのか、突飛な申し出をなぜかすんなり受け容れてくれたのだった。
 
 
 
 
 
 
 

 ただ、彼女はちょっと普通の人とはちがうタイプの人だった。それは、容姿に関してなのだが、少しだけ、すべての色素が薄いようなのだ。









 彼女は、紫のワンピースを着ていたが、そのチュールワンピースも少し淡い色合いになっているのではないかと、わたしは思った。個人的には、深紫も綺麗だが、褪せたような微妙な色味が好きだ。








 それはともかく、色素が薄いという事から、すぐ思い当たったのは、ぶっちゃけ生霊(いきりょう)だった。








 それほど、霊感が強い方ではないし、ケースバイケースだが見えたことが今までも何回かあったし、幻聴というのだろうか、誰もいないところで、声が聞こえたなんてことは、いくらでもあった。








 まあ、彼女が生霊となって徘徊している詳しい事情はよくは知らないが、わたしに接触してきたなんらかの理由があるのだろうとは思った。







 つまり、わたしが彼女を誘ったように思っているけれど、実は彼女にすべて誘導されているのではないかと思ったりした。







 とにかく、なんでもいいから話を聞いてあげることで、彼女の憂さ晴らしができる、というか、執着が取れるならば、こちらとしてもうれしいし、お安い御用なのだ。







「お話を聞かせてください。何か話せば気が晴れるってこと、ありますから」

 
 
 
 
 
 
 わたしに促されるまま、彼女は、静かな口調で話しはじめた。









「ほんとうに月日の経つのは早いものですね。2020年4月緊急事態宣言が出て、街角から人影が消えたとき、時間を持て余していた私は、読まずに積んであっただけの文庫本や単行本の中から、『柔らかな土を踏んで』を読みはじめましたが、それと並行して物語り的なものも読みたくなって、『アヒルと鴨のコインロッカー』の背表紙を見つけ手に取りました。








 お子さんのいるご家庭の主婦は、読書どころではなく、戦争みたいに大変なことになっているのだろうなと思います。








 それで、それでというのもなんですけれども、優雅に紅茶でも淹れてノホホンと読書に夢中になるのは何か後ろめたさを感じ、さすがに2冊同時に読むのは気がひけるのでした。







 人は人、私は私であり、罪悪感を感じる必要もないのですが、家庭を持ちたかったのにそれが叶わなかった私は、どうしても家庭の主婦という存在を意識してしまうんです。





 そこで、手っ取り早く物語りを感じたくて、だいぶ以前に録画してあったはずの『アヒルと鴨のコインロッカー』を思い出し、早速観はじめました。







 ぶっちゃけ、わけがわからなくて何を言いたいのかわからず困った作品だなというのが、第一印象でした。








 伊坂さんの作品は、案山子の出てくるやつしか読んでいませんでした。






 隣に引っ越してきた椎名に川崎と名乗った男が、実はドルジであり、ほんとうの川崎は既に亡くなっていたという仕掛けがありました。







 それをミステリの回想を用いて真相を語るやり方と同じように、ほんとうはこうなんだという種明かし的な説明をしてくれるのですが、それら多層的な外殻の仕組みを作るのも、面白くするためには大切なのですが、伊坂さんの言いたいことは、むろんそっちではないと思いました。









 ディランの『風に吹かれて』の歌とともに、神様を閉じ込めて神様に見て見ないふりしてもらおう、というフレーズが何度も繰り返し出てくるわけなのですが、それが、この作品の重要なテーマのようでした。








 それで、ディランの『風に吹かれて』が重要な鍵を握っているのかなと思い、ちょっと考えてみたのです。









 原題は「Blowing in the wind」で、世の中の様々な不条理等の事柄に対して疑問を投げかけ、それに対して友よ、答えはこうだと歌っているのですが、その答えが原題の「Blowing in the wind」なのですが、その抽象的な解答ゆえに想像する余地が残されており、多くの人に風が吹いているだけってなんだろうと考えさせたわけです。








 ディランは答えを限定していないだけに、自由に解釈できるようになっています。







 不条理やら不平等、差別、格差といったどうにもならない問題を、世界中の誰しもが感じ諦念として受けとめていますが、その諦念、あるいは諦観といってしまってもいいかもしれませんが、まさにBlowing in the windというフレーズのやるせなさと合致して多くの共感を呼んだのだと思います。










 邦題である『風に吹かれて』というタイトルがそぐわず、わけわからんと思ってたわけなのですが、真実は『風に吹かれて』風の中へとあっという間に掻き消えてしまう、とディランは歌っているんです。









 いや、真実というより真理ですね?  wikiでディラン本人のこの曲へのコメントが読めますが、驚くべき事にディランは若いのに、本当にわかっていて歌っていたんだということがよくわかります。








 真理あるいは、幸せは実は僕らのごくそばにあるわけです。ただ、みんなそれに気づかないだけなんですが、そのやるせなさ、どうにもならない諦念をディランは歌っています。









 ラストの駅のコインロッカーのシーンで、椎名はわざわざそのために持ってきたラジカセをロッカーに入れ、ディランの『風に吹かれて』を流しながら、それを閉じ込めてしまうわけなのですが、これは、もう仙台の大学生生活とは訣別するという強い意思が込められているのではと思いました。







「神様を閉じ込めるんだよ。神様に見て見ぬフリしてもらうの」
 ロッカーにラジカセを入れて、椎名はそう言います。







 見て見ぬふりとは、つまり→見なかったことにする→なかった事にする。








 いわば、それまでの過去を閉じ込めてしまう。辛いこと、悲しいこと、寂しいこと、悩み、どうにもならない無念な気持ち、諦念、そういったネガティブな感情をすべて神様であるディランに委ねてしまう。








 そして、なかったことにしてしまう。









 新幹線の座席で気持ち良さそうに眠っている椎名の穏やかな表情からは、ネガティブな感情が拭い去られたゆえの、安寧な眠りなのだということが読みとれます。








 そして、動物虐待がエピソードとして、取り上げられているのですが、麗子さんのペットショップで琴美は働いていて、こちらは、琴美の「見て見ぬふりしてもらう」のラインでした。









 動物虐待の三人組に石を投げつけたのは、よくないことだとドルジが言うと、琴美は

「それならさ、神様に見て見ぬふりしてもらうよ」
 
「神様を閉じ込めてさ、なかった事にすればいい」








 そう言ってディランのCDを扉のある戸棚の中に閉じ込めてしまいます。







 しかし。









 琴美は、動物虐待を「見て見ぬふりする」ことなど、できなかったわけです。








 そして、信じ難いことに轢き殺されてしまうわけですが、「見て見ぬふりできなかった」ので琴美は事故に遭遇してしまうわけであり、ここでは、「見て見ぬふりする」が逆説的な意味として使われているのだと思います。









 つまり、動物虐待を「見て見ぬふりする」なんてありえないだろ! というメッセージですね。










 ほんとうは、神様に辛いこと、嫌なこと等、負の感情を背負ってもらい、それらを閉じ込め封じ込めてしまえば、よかったのですが、ここでは、琴美自身が、それらの苦悩を背負ってしまって、事故へと繋がってしまいます。








 事故後も生き延びた江尻ですが、ドルジは、殺さないように食事を持って行ってあげていたわけですが、それは優しさとかではなく、真逆の残酷な仕打ちであって、生きながらにして鳥たちの餌になるという処刑の仕様にほかなりませんでした。










 相米慎二監督ならば、この作品をどんな風に撮ったのかなと思い、実に残念でなりませんでした」








 彼女は、そういって遠くの方を見るような目をして口を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 

 そして、少しはそれで気が晴れたのか、ゆるゆると浮かび上がり窓に近づくと、レースのカーテンと窓をすうっと透過して青空の中へと拡散するように、消えてしまった。



 やはり、彼女は生霊だったのだろうか。










 そんな不思議な体験があってから1年ほど経ったある日。






 ゴールデンウィークに、千葉にイチゴ狩りに行く予定を立てていて、浦部農園というイチゴ農家さんに予約を入れてあった。







 そして、そこで黒苺をはじめて食べた。たまらなかった。それから、その足でアンデルセン公園に行ってみたら、ちょうど演劇の舞台をやっているらしく、個人的には映画は死ぬほど好きだけれども、演劇はちょっと、という人間なので尻込みしていたのだが、結局夫に押し切られて観ることになった。









 お芝居なんて、ほんとうに久しぶりだった。たしか前に観たのはまだ青山こどもの城があった時で、『不思議な国のアリス』を観たのだ。









 お芝居は、一言でいえば、潔くすべての虚飾を取り去ったような、良く言えばシンプルなものだった。
 
 
 
 
 
 
 
 舞台装置みたいなものは、背景の暗い街灯りの書割りと、欅だろうか大きな木のそばにあるゴミ用の大きなポリバケツだけだった。







 そして、それは始まった。登場人物はふたりだけ。









 最初は、どんな物語が紡がれていくのかと思っていたら、なんとそれは忘れもしないあの時のおばあさんと自分とのふたりしか知るはずもない、あの晩のやり取りが再現されていていくのだった。








 私は呆然となった。
 
 
 
 
 
 
 
 いったい、これはどういうことなんだろう。夢でも見ているとしか思えないくらい摩訶不思議な気持ちになって落ち着かなかった。これをデジャヴというのかもしれない。









 そして、それだけではない。あの時のおばあさんとのやり取りを一言一句までも、はっきりと記憶しているけれど、それが同じように再現されているだけなのかといえば、そうではなかった。







 おばあさんは、あの時以上に饒舌だった。






「あるものは、なくならない。現前する理由があって存在しているのだから、あったことをなかったことになどできるはずもない。そういうやり方も確かに昔からあり、ある程度は有効だが、その考え方を180度転換しなければならない。





 たとえば、人類史上最高のクスリであるモルヒネで病いの痛みをないことにする、というのは死ぬほどの痛みをなんとか誤魔化すという意味では、確かに意味があるが、モルヒネは、神経に作用して痛みを感じさせないようにするだけなのさ。痛みが出る理由は患部にあるのだから、そこを根こそぎ取り去ってしまえばいい、というのもまたちがう。






 そもそもの因果関係を正さなければ、痛む患部を取り除いても、また別な臓器等にまるで転移したかのように発症するだけだ。
 
 
 
 
 
 
 つまり、「あったことをなかったことにする」というやり方は、実のところ何の解決ももたらさない。
 ただ、問題解決を先延ばしにするだけにすぎない。







 ちゃんちゃらおかしいんだよ、お嬢さん。問題の根本的な解決方法がわからないらないのは、そもそも原因がわからないからだが、とにかく今までは「あったことをなかったことにする」というやり方でなんとか誤魔化して、その場を凌ぐしかなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 しかし、もうそれは許されなくなってきたようだ。近いうちにまた起こるであろうアウトブレイクでそれはわかるだろう。そしてそのアウトブレイクは、感染症ばかりとは限らない。そうなると、もう「あったことをなかったことにする」という対症療法であるその場凌ぎのやり方では、人類を救うことは絶対に不可能だ」








 そして、おばあさんはあの時と同じように別れ際不意に思い出したみたいに「女の子は、綺麗に生まれてきたいと強く思えば、必ず綺麗に生まれてくるからね」










 おばあさんは、そう言って舞台からゆっくりと上昇していくや、やがて消え入るようにほんとうにすうっと見えなくなった。








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