正義の剣は闘いを欲する

水杜 抄

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第二章 秘められた悪意

雨宿りの産物

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「雨も降って来ましたし、どこかで雨宿りでもしませんか? ルイーズさんもいる事ですし」

 墓地から仕事場の憲兵棟への帰り道。
 エフェルローンの後輩・ダニーがそう遠慮がちに提案してきた。
 確かに、雨足は強くなる一方で、今のところ止む気配はない。

(ルイーズに風邪を引かれたら色々と面倒くさそうだし)

 ルイーズの後見人・レオンの顔が脳裏を過ぎる。
 預かっているのはレオンの大事な友人の娘。
 何かあってからではまずい。
 いや、まずいどころか命が無くなりかねない。

 エフェルローンは辺りを見回した。

 野菜を売る店や生果せいか店、それに雑貨屋や装飾品の店。
 それに混じって、時間を潰せる手頃な店もいくつかある。
 考えてみれば、今歩いているところは丁度城下町の大通りだ。
 雨宿りできる場所を探すのには打って付けの場所である。

 エフェルローンはダニーの言う通り、雨宿りできるところを探す事にした。
 昼食もまだだった事を思い出し、手頃なランチを取れる店が無いか辺りを見回す。

 ――と、そのとき。

「あら、エフェル? エフェルじゃない! それに、ダニーまで! それにしてもどうしたの? こんな雨の中、傘も差さないで」
 エフェルローンと同じ、癖の無い金色の髪を後ろできつく団子状に束ねた女性は、澄んだあおい瞳でエフェルローンたちを不思議そうに見つめた。

(げっ……)

 エフェルローンは反射的に体を小さく丸め、顔をそむける。
 
 しかし。

「……あ、リアさん! お久し振りです!」

 突然現れた金髪碧眼きんぱつへきがんの美しい女性に、ダニーは嬉しそうにそう言った。
 リアと言われた女性も、ダニーの姿を懐かしそうに見つめながらこう言う。

「ほんと、久し振りねぇ。最後に会ってからもう何年になるかしら」
「四年ですね。月日つきひが経つのは早いものです」

 頭を掻きながらダニーはしみじみとそう言った。
 リアも、感慨深そうに頷く。

「本当にそうね。でも、こうして今でもエフェルに付き合ってくれて、嬉しいわ。ありがとう、ダニー」

 そう言って微笑むリア。
 そんなリアに、ダニーは照れ笑いを浮かべながらこう言った。

「いえ、付き合ってもらってるのは僕の方ですから。ほんと、先輩には感謝してます」

 そう謙遜するダニー。

 そんな二人の会話についていけていないルイーズが、困惑した様子でエフェルローンに小声でこう尋ねた。

「あのぅ、先輩。小さくなってるところ悪いんですけど、この素敵な女性はどなたですか?」

 ルイーズの質問に、エフェルローンは答えにくそうにぼそりとこう呟いた。

「……姉貴」
「えっ、えっ? 先輩のお姉さんなんですか?」

 ルイーズが目を大きく見開いて、リアとエフェルローンを交互に見る。
 そして、納得したように頷くとこう言った。

「確かに、男女差はありますが、髪質とか見た目の雰囲気とか。そこはかとなく似ていますね! まるで、そう! お母さんとその子供みたいな感じです!」

 ルイーズは鼻息も荒くそう言うと、興奮のあまり顔を上気させた。

(はぁ。だからこいつにだけは姉貴の存在、知られたくなかったんだよ……)

 ルイーズの素直すぎる反応に、エフェルローンはげんなりした。
 とはいえ、このことに関して言えば、何もルイーズの反応だけが特別という訳ではない。

(小さくなったばかりの頃は皆、俺たち姉弟きょうだいの事、完全に親子だと勘違してたからな)

 リアの買い物に付き合わされた時など、何度店員に間違われたか分からない。
 それに、もう一つ。
 エフェルローンには触れて欲しくない話題があった。

 それは――。

「あら、その子? 例のエフェルの新しい相棒になった子って」

 今度はリアの声が明らかに弾む。

「あっ、初めまして! ルイーズ・ジュペリと言います。先……あ、伯爵には色々とお世話になってます!」

 エフェルローンが答える代わりに、ルイーズがそう元気よく挨拶をした。
 リアは口元を綻ばせると、にっこり笑ってこう言った。

「こちらこそ、うちの小さいおじさんがお世話になってます」
「えっ? ち、ちいさい、おじさん……?」

 綺麗な顔で毒紛いの言葉をさらりと吐くリアに。
 ルイーズは思わず目を剝きのけぞった。

「ええ、小さいおじさんがお世話に……」

 そう言って頭を軽く下げると、リアは心底心配そうな面持ちでルイーズを下からのぞき込みながらこうのたまった。

「変な事されたりしてない? この子、こう見えてももうすぐ二十七歳のおじさんでしょ? 何かあったらすぐに私に言ってね。任務に失敗して小さくなった上に、セクハラで懲戒免職ちょうかいめんしょくなんてことになったら、本当に目も当てられないから」

 美しい顔からは想像がつかない、毒を孕んだ物言い。
 顔と性格のギャップに不意を突かれたルイーズは、思わず本音を漏らしてこう言った。

「はぁ、まあ。今のところは許容範囲です、ハイ」
「エフェル!」

 眉を吊り上げ、リアがエフェルローンを頭ごなしにそう怒鳴りつける。
 エフェルローンはびくりと肩を震わせると、上目遣いに恐る恐る姉を見上げた。

「あとでよく話し合いましょうね」

 にっこり。

「…………」

 姉の極上の笑みに、エフェルローンは内心項垂れる。
 
(……はぁ、今夜は地獄だな)

 そんなことをぼんやり考えていると。

「あ、そうだわ」

 そんなエフェルローンの心の声など気にする様子もなく、リアが[名案]とでも言うように、胸の前で両手を打ち合わせるとこう言った。

「今夜、うちで食事でもどうかしら?」

 その誘いに、ダニーが嬉しそうにこう言った。

「えっ、良いんですか?」

 目を輝かせるダニーに片目をつぶって見せると、リアは心底嬉しそうにこう言った。

「良いも何も、私が誘いたいんですもの。良いに決まっているじゃない!」
「それでは、是非! リアさんの料理は絶品ですから!」

 ダニーがよだれをたらしそうな勢いでそう言う。

「えっ、そんなに美味しいんですか? 伯爵のお姉さんの料理」

 ルイーズが期待に満ちた眼差まなざしでダニーを見る。

「そりゃもう、そこらへんの店のシェフにも負けない腕前ですよ。特に、かぼちゃのキッシュなんかもう絶品で……」

 そう言って、至福の表情を浮かべるダニー。
 そんなダニーをよそに、ルイーズはルイーズでまた自分勝手に盛り上がっている。

「先輩の家! それに、美味しいキッシュ……凄い、凄く楽しみです!」
「良かった、それじゃあ決まりね! 良いわよね、エフェル?」

 念押しに近い姉の問いに、エフェルローンは肩を落としながらこう言った。

「姉貴に任せるよ……」 

(どうせ、俺の意見は無視なんだろうしさ……)

 そう心の中で拗ねるエフェルローンを尻目に。
 ルイーズとダニーは、エフェルローンの姉によりクェンビー家に食事招待される事となったのであった。
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