正義の剣は闘いを欲する

水杜 抄

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第三章 生きることの罪

真夜中の喧騒

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 澄んだ秋の夜空が、月の光さえも遮る分厚い黒い雲に覆われてしまった、夜も十一刻を回る頃――。

 エフェルローンとダニーは、日記の内容を自分たちなりに精査し、資料として紙に書き留めていた。
 そしてある程度、精査に区切りが付いた時。
 ダニーは、ルイーズの仕事机の前の椅子から立ち上がると、大きく伸びをしてこう言った。

「あ……先輩は、今夜も執務室泊まりですか?」
 
 ダニーのその問いに。
 エフェルローンは上着のポケットから懐中時計を取り出すと、時刻を確認しつつこう言った。

「十一刻過ぎ、か。あまり遅いと姉貴に気を使わせてしまうし……今日は泊りにするよ。お前はどうする?」
 
 そう問いかけられたダニーは、手元の資料を机の上で整えると、窓の外を伺いながらこう言った。

「そうですね。僕は一旦、家に帰ろうと思います。丸一日帰らないと母が心配するので」
「そうか。気を付けて帰れよ」

 エフェルローンは日記に目を落としたままそう言うと、冷めた珈琲を飲みながらそう言った。

「じゃあ、日記の重要そうなところをまとめたもの、ここに置いておきますね」

 そう言って、ダニーは黒の革ジャケットを羽織ると、執務室の扉に手を掛けてこう言った。

「それじゃ……お先です、先輩」

 と、その時――。

「えっ」

 ダニーが手を掛けた執務室のドアノブと扉がガタガタと震えだし、部屋がぎしぎしと軋み始める。

 それは、徐々に激しくなっていき、そして――。

 家ひとつ吹き飛ばせそうな程の爆風が、渦を巻きながら扉の前の通路を勢いよ通り抜け、執務室の頑丈な扉を吹きとばした。

「うわぁ!」

 そんな、ダニーの叫び声までもかき消し。
 エフェルローンの小さな部屋を爆風が渦を巻き、勢いよく舐め上げていく。

 エフエルローンはとっさに飛び込んだ執務机の下から飛び出すと、鬼気迫った声でこう叫ぶ。

「ダニー!」

 その声に、ダニーはソファーとドーテーブルの隙間から身を起こすと、目を白黒させながらこう言った。

「な、なな、何なんですか。一体、何が起こって……」
  
 そう言い終えないうちに、今度は、扉という仕切りが無くなった部屋の外から、更なる爆音と激しい剣戟や怒号が聞こえて来る。
 明らかに、尋常ではない何かが起こっていることを本能的に察したダニーは、無防備な入り口から這いつくばるようにして離れると、エフェルローンに尋ねて言った。

「せ、先輩。これって……」

 そう言って、机に手を掛け立ち上がる青白い顔をしたダニーに。
 エフェルローンは、隠すことなくこう言った。

「たぶん、憲兵庁に恨みのある犯罪組織か、探られたくない腹を探られた貴族連中からの嫌がらせか何かだろう。いつものことだ」
「憲兵庁に……恨み、いつものこと、ですか」

 そう言って、ダニーは「理解が追い付かない」とばかりに目を白黒させる。
 
 と、そんなダニーをあざ笑うかのように。 
 今度は各執務室に設置されている小型スピーカーから、緊急感を煽る不快な音と共に、淡々とした女性の声が流れてくる。

――全憲兵騎士、および憲兵魔術師に次ぐ。憲兵庁舎に複数の侵入者あり。見つけ次第、即捕縛せよ。繰り返す。全憲兵騎士、および憲兵魔術師に次ぐ……。

「爆音に、剣戟に、緊急放送……いつものことって、本当に良くあることなんですか、こんなこと……っていうか、緊急放送なんて、僕、初めて聞きましたよ!」

 そう言って、「信じられない」とばかりに驚愕に打ち震えるダニーに。
 エフェルローンは、飲み干して空になったコーヒーカップの底を残念そうに見つめながらこう言った。

「しょっちゅう……とまではいかないが、時々な。悪い奴らを捕まえて罰を与えるという職業柄、憎しみの標的になり易いんだろう。しょうがないと言えば、しょうがないんだが」

 エフェルローンの執務室の前を複数の憲兵騎士たちが通り過ぎ、その後、新たな怒号と共に剣と剣がぶつかり合う音が目の前の通路に響き渡る。

「さて、俺もそろそろ行くかな」
 
 そう言って、年季の入った革張りの椅子から、ゆるゆると立ち上がるエフェルローンに。
 ダニーが、困惑の表情でこう言った。

「行くって、先輩……どこへ行くんです?」

 そう恐る恐る尋ねるダニーに。
 エフェルローンは、当然と云わんばかりにこう言った。
 
「決まってるだろ、加勢しに行くんだよ」

 そう言って、机の上に無造作に放っていた短剣を手に取るエフェルローン。
 そんなエフェルローンを、ダニーが驚いたように二度見する。

「え、ええっ? 先輩、戦うんですか!」
「最弱魔術師とはいえ、一応憲兵だからな。給料分の仕事はしないと、後で同僚あいつらに何言われるか……」

 憮然とした表情でそう頭を搔くと。
 エフェルローンは、アダムの父の日記を執務机の引き出しにしまい、鍵をかける。

「それに、いい運動になりそうだしだな」
「運動って……」

 呆れ果てて、ものも言えず口をぱくつかせるダニーに。
 エフェルローンは、短剣用のなめし革のホルダーを腰に巻き、短剣をホルダーに押し込むとこう言った。

「ダニー、お前は鑑識の人間なんだから、ここから瞬間移動テレポートで帰ってもいいんだぞ」

 気を利かせ、そう言うエフェルローンに。
 ダニーは部屋の中をぐるっと見回しながらこう言った。

「それも考えたんですが……僕、騒ぎが収まるまでここに居させて貰います。せっかくまとめた資料も床に散らばっちゃってますし」

 そう言って、床に散乱した資料の紙を拾い始めるダニー。

「そうか。まあ、好きにしろ」
「はい。あ、珈琲もう一杯……頂きますね」

 そう言うと、ダニーはステンレス製のティーバックに、挽いたコーヒー豆を適量セットすると、それを空のカップに入れる。

「じゃあ、俺は行く」
「はい、気を付けて」

 そう言って、ダニーがエフェルローンを部屋から送り出そうとした、まさにその時――。

 執務室の窓ガラスが割れ、小さな小石のようなものが部屋の中央付近に投げ込まれた。

「ん? 何ですか、あれ」

 そう言って、ダニーがその物体に近づこうとした、その瞬間――。

「ダメだ、離れろダニー!」
「――—っ!」

 息も出来ないような爆風が、部屋の中を駆け巡り、エフェルローンは反射的に床に這いつくばった。

(チッ、空気爆弾か――?)

  空気爆弾は、魔法で空気を圧縮した爆弾のことで、主に、デモなどの鎮圧で軍や憲兵たちが使う殺傷能力の極めて低い、相手の動きをけん制・抑制するための武器であった。
 ただ、一般にも広く流通していて、誰でも手に入れられる手軽な武器であることから、過激な組織団体が対憲兵・対騎士団対策として、抗議活動や国家機関への襲撃などに使うことも多々報告される代物でもある。

(一体、どこのどいつが、こんなふざけたことを――!)

 そう心の中で激しく罵倒すると。
 エフェルローンは最上級の警戒をしつつ、俯せのままそっと辺りを見回した。
 部屋の壁や床が破壊されている様子はないが、床の上を、魔法の明かりで照らし出された白い煙と細かい埃がふわふわと漂っている。
 エフェルローンは、口元を手の甲で覆うと床の上からゆっくりと顔を上げた。
 そこには、勢いよく吹っ飛んだ窓ガラスの破片や割れた花瓶の欠片、そして宙を舞い、床に散乱する捜査資料の紙、そして部屋を侵食する白い煙が充満している。
 そして、その煙の先に目を凝らすと、その視線の先には部屋の端まで吹き飛ばされたダニーが意識を失い倒れているのが目に入った。

 先ほど話した時の、ダニーの言葉が脳裏をよぎる。

――そうですね。僕は一旦、家に帰ろうと思います。丸一日帰らないと母が心配するので。

「くっ、ダニー……」

 そう言って、四つん這いになり、更に立ち上がろうと片膝を立てた、まさにその瞬間――。

(しまっ――)

 突如背後から口を塞がれ、強引に顔を上向かされると。
 エフェルローンの無防備になった喉元に、ひやりと冷たいものが宛がわれた。

(くっ、侵入者か? それとも、バックランドからの暗殺者か――?)

 エフェルローンは、口元を覆う太い腕に力いっぱい爪を立てると、激しく脈打つ鼓動を鎮めるよう努めながら、冷静に相手の出方を探る。

(ごつごつして、掌に豆が出来ている大きな手、俺の力じゃびくともしない腕。こいつ、騎士クラスの実力の男か――)

そう少しずつ男に当たりを付けていくエフェルローンに。
男――騎士らしき男は、更にエフェルローンの顎を上向きに引き上げると、その喉元に鋭い短剣を押しつぶすように食い込ませつつこう言った。

「エフェルローン・フォン・クェンビー伯爵。トーマス・バートンの日記を渡して貰おう」

 低く、唸るような声で、騎士らしき男は、エフェルローンにそう静かに迫る。

(アダムの父が魂を懸けて残した大切な証拠品を、脅されたぐらいで、そう簡単に渡すかよ……)

 そう心の中で吐き捨てると。
 エフェルローンは、灰青色はいあおいろの瞳に最大級の怒りの炎を揺蕩わせつつ、ありったけの怒気を込めてこう凄んだ。

「……誰だ、お前」

 辛うじて出せた掠れ声でそう凄むエフェルローンを、怒りと悲しみに満ちた瞳で見下ろすと、騎士らしき男は、唇を怒りに震わせながらこう言った。

「我らは、[べトフォードの涙]。トーマス・バートンの日記、渡して貰おう。さもなくば、殺す――」

 そう言うと、男はエフェルローンの喉元に深く食い込ませた短剣を、ゆっくりと、そして着実に、真横に引き結んでいくのであった。
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