正義の剣は闘いを欲する

水杜 抄

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第三章 生きることの罪

死の足音

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「ほら、感じるだろ。お前の首から流れ落ちる命の感触を……」

 自らの手に伝い落ちる真っ赤な液体を気にする様子もなく。
[べトフォードの涙]の男騎士は、怒りに任せエフェルローンの首に宛てた短剣をゆっくりと、恐怖を煽るように引き結んでいく。
 エフェルローンは襲い来る怖気おぞけに打ち震えながらも、精いっぱいの虚勢を張りつつけ、こう言った。

「……俺を殺せば、日記は……手に、入らない、ぞ……」

 そうなけなしの脅しをかけるエフェルローンを、小馬鹿にしたように鼻で笑うと。
 [べトフォードの涙]を名乗る男騎士は、「問題ない」というようにこう言った。

「お前が駄目なら、あの意識を失ってるひょろ長い男の体に聞くまでだ。お前が死んでも何の問題はない。それより、どうだ……自分が死に逝く感覚をゆっくり味わうというのは。我々の家族や友人、恋人も皆、[爆弾娘リズ・ボマー]の手によってそうやって殺されて逝ったのだ。それを、お前は全く分かってはいない! エフェルローン・フォン・クェンビー伯爵……[爆弾娘リズ・ボマー]を助けた愚かな男――!」

(こいつ、俺のことを知って――)

[べトフォードの涙]を名乗る男騎士は、短剣を握る手を更に横滑りさせる。 
 エフェルローンの白いブラウスが、みるみる内に目の覚めるような真っ赤な鮮血で染まっていく――。

(くっ――)

 出来るだけ長く恐怖と苦しみを与える為だろうか。
 男は、エフェルローンを直ぐに殺してしまうことは無く、ゆっくりじわじわと攻め立てていく。
 それでも。
 エフェルローンは湧き上がる恐怖を押し殺しつつ、なおも食ってかかってこう言った。

「俺は、屈し、な、い……絶対、に!」

 息も絶え絶えにそう宣言するエフェルローンの瞳は、まだ死んではいない。
[べトフォードの涙]を名乗る男騎士は、呆れた様にエフェルローンを見遣ると、そろそろ潮時とばかりにこう言った。

「さて、その負けん気も……後どれ程、続くことやら」

 そう言って、男は、短剣を握る手に更なる力を込めた。

「う、ぐっはぁ……」

 エフェルローンの口から大量の血液が吐き出され、更に、喉元から多くの血が床に赤い染みを次々に作っていく。
 エフェルローンの額に大量の脂汗が滲み、視界が霞み始める。

(これは、まずいな……)

 心の中で苦笑すると、エフェルローンは霞む目でダニーを探す。

(ダニー、巻き込んでしまって……済まない)

 そうエフェルローンが贖罪の言葉を紡ぐと同時に。
 生気を無くし始めたエフェルローンの瞳を確認した男は、白けた様にこう言った。

「もう少しやってくれるかと思ったが、[闘う魔術師]も、結局……血を失えばこの様か」

 そう言って、四肢から力が失われたエフェルローンの喉元を、男が一気に切り裂こうとした、その瞬間――。

「こんのぉ、下衆野郎――!」

 そう言って。
 いつの間にか目を覚ましたダニーが、洗濯板よりも大きく分厚い法律書を両手で頭上高く持ち上げると、唖然と見上げる男騎士の頭に、それを思いっきり振り落とすのであった。
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