あの日交わした約束がセピア色にかわっても

紫水晶羅

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冗談だよ

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 登坂家の玄関にはしっかり鍵がかかっていた。
 美空は合鍵で解錠すると、ゆっくりドアを開けた。
 中は暗い。晴斗はまだ帰っていないようだ。
「入って」
 紫雲にドアを押さえてもらい、美空は「お邪魔します」と声を掛けた。
「もう『ただいま』でもいんじゃね?」
 ドアに手を掛けながら紫雲が笑う。
「そんな……。まだ早いよ」
 頭上に紫雲の長い腕を感じながら、美空は頬を赤らめた。

 下駄箱に置かれた銀のトレーには、鍵が一つ残っている。
「ね? 嘘じゃなかったでしょ?」
 美空の視線に気付いた紫雲が、勝ち誇ったような笑みをこぼした。
「別に疑ってないし」
「ほんとにぃ?」
 靴を脱ぐ美空の顔を、紫雲が下から覗き込む。
「もう! 大人をからかわないの!」
 横目で睨むと、美空はダイニングキッチンのドアを開けた。


「ありがとう。準備できるまで、勉強してきていいよ」
 レジ袋をカウンターに乗せたところで、美空が紫雲に声を掛けた。
「俺も手伝うよ」
 キッチンに回り込むと、紫雲はレジ袋から食材を取り出した。
「いいよ。今のうちに勉強やっちゃいなよ」
 紫雲への気持ちがはっきりした今、なるべく余計な接近は避けたい。
 できるだけ自然に紫雲を遠ざけようと、美空は言葉を選びながら紫雲を自室へと促した。

「一人でやった方が早いし」
「二人でやった方が楽しいじゃん」
「でも、食材切るだけだし」
「じゃあ、俺が切る」
 次々と野菜を袋から取り出しながら、紫雲が淡々と答えた。
「紫雲君……」
「美空さん」
「な、なに?」
 急に名前を呼ばれ、美空は思わず隣に顔を向けた。
 対面する紫雲の瞳が、美空を捉えて鋭く光った。
「もしかして、俺の事避けてる?」

「え……。あの……」
「俺が、あんな事言ったから?」
 紫雲の瞳が、僅かにかげった。
「あのね、紫雲君」
「参ったな……」
 白菜のフィルムを取りながら、紫雲が薄く笑った。
「だから、冗談だって言ったじゃん」
「冗談?」
「うん」
 視線を下に向けたまま、紫雲は続ける。
「まさかあの花冠、まだ持ってるなんて思わなかったから……。つい懐かしくなって……。もし俺が、あの時の約束を果たしたいって言ったら、美空さん、どんな反応するのかなって……」

 薄い笑みを浮かべたまま、紫雲は白菜のフィルムをゆっくりと剥がしていく。その横顔を見つめながら、美空は下唇を軽く噛んだ。
「ちょっとからかってみただけだよ。だって美空さん、からかうと面白れぇし」
「ひど……」
「ははっ。ごめんね」
 はい、と白菜を美空に手渡すと、「じゃ、俺、着替えて来るわ」紫雲は足早にドアの向こうへと消えて行った。

 紫雲の部屋のドアが閉まる音を聞きながら、美空は両手で胸を押さえた。
 鼓動と共に感じる鋭い痛みは、きっと、紫雲への恋心の証なのだ。
 奥深くに閉じ込めようとすればするほど、胸の痛みは増してくる。
 はっきりと否定されたにも関わらず、心のどこかで、あれは紫雲の優しい嘘だと言い聞かせている自分がいる。
 そんな自分に嫌気がさし、美空は、白菜に思い切り包丁を突き立てた。

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