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背徳のキス
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頬を撫でる風に冷たさを感じ始めた頃、美空の元にまたもや『美空さん』『へるぷ』というメッセージが入った。
いつかの鍵の件を思い出し、美空は思わず「また?」と声を上げた。
「どうかしたんすか?」
掃除機をかける手を止め、哲太が不思議そうに顔を上げる。
「いや、あの、紫雲君が……」
本日遅番の美空は、延長保育日誌を閉じると、言いにくそうに哲太を見つめた。
最後の子どもを見送り、二人は保育室の片付けをしていたところだ。他の職員も全員退勤したのか、園内は静けさに包まれていた。
「紫雲君が、どうかしたんすか?」
同じく遅番の哲太は、掃除機片手に美空に尋ねた。
「よくわかんない」
「何すか? それ」
呆れた顔で哲太が笑った。
「わかんないけど、『へるぷ』って……」
「またっすか?」
溜息を吐きながら、哲太が怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「どりあえず聞いてみたらどうっすか? 『どうしたの?』って」
「そうだね……」
言われた通り返信すると、間もなく『だるい』『熱があるかも』と返ってきた。
晴斗が泊りがけの出張だったことを思い出し、美空は再び『大丈夫?』と送ってみた。
次に返ってきたのは、『腹減った』という一文だけだった。
「どうしよう」
「どうしたんすか?」
「寝込んでるみたい」
「え?」
黒目がちの瞳を大きく見開き、「それは大変っすね」哲太が心配そうに顔をしかめた。
「そうなんだよね。晴斗さんも出張で明日まで帰って来ないし……」
「じゃあ、今夜は紫雲君一人ってことっすね」
「うん……」
美空はスマホを見つめたまま立ち尽くした。
「様子、見てこよっかな?」
「え? 今からっすか?」
時刻は既に七時半を回っている。『腹減った』ということは、紫雲は食事を摂っていないということだ。何か腹に入れなければ、体力は失われていく一方だ。
「だって、食べられないくらい衰弱してるかも知れないし」
「そんな大袈裟な……」
「でも……」
「美空さん」
園内に誰も残っていないことを確認し、哲太は美空の方に歩み寄った。
「また嘘かも知れませんよ」
「そんなの行ってみなきゃわかんないじゃん」
「もし本当だったとしても、高校生の男が、そんなに簡単にくたばりませんよ」
「そうだけど……」
「ちょっと、甘やかしすぎなんじゃないっすか?」
「そうかなぁ?」
「そうっすよ。だいたい、美空さんがそんなんだから、いいように使われるんじゃないんすか?」
「使われるって……!」
心外なその言葉に、美空は少し声を荒げた。
「だいたい危険ですよ。こんな時間に年頃の男の部屋に行くなんて」
「ちょっと! 変な言い方しないでよ!」
「変じゃないっす! 美空さん、無防備すぎます!」
負けじと哲太も声を荒げた。
「紫雲君は、そんなんじゃ……!」
「忘れたんですか? 彼は美空さんのこと、今でも想っているかも知れないって。そんな男の呼び出しに律儀に応じるなんて、それこそ相手の思う壺じゃないっすか」
「そんな言い方……」
「美空さんは、もっと危機感持った方がいいと思います。彼だって、立派な男なんすからね」
「そんなこと言われなくてもわかってる!」
正論すぎる哲太の言葉に、美空はますますムキになる。
「私、行くから。母親として」
「でも紫雲君は、母親だなんて……」
「哲太先生には関係ない!」
ぷいっと背を向けると、美空は紫雲に『今から行く』と、ひと言送った。
「……そうですね。すいません」
掠れた声で小さく呟いた後、哲太は再び掃除機のスイッチを入れた。
いつかの鍵の件を思い出し、美空は思わず「また?」と声を上げた。
「どうかしたんすか?」
掃除機をかける手を止め、哲太が不思議そうに顔を上げる。
「いや、あの、紫雲君が……」
本日遅番の美空は、延長保育日誌を閉じると、言いにくそうに哲太を見つめた。
最後の子どもを見送り、二人は保育室の片付けをしていたところだ。他の職員も全員退勤したのか、園内は静けさに包まれていた。
「紫雲君が、どうかしたんすか?」
同じく遅番の哲太は、掃除機片手に美空に尋ねた。
「よくわかんない」
「何すか? それ」
呆れた顔で哲太が笑った。
「わかんないけど、『へるぷ』って……」
「またっすか?」
溜息を吐きながら、哲太が怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「どりあえず聞いてみたらどうっすか? 『どうしたの?』って」
「そうだね……」
言われた通り返信すると、間もなく『だるい』『熱があるかも』と返ってきた。
晴斗が泊りがけの出張だったことを思い出し、美空は再び『大丈夫?』と送ってみた。
次に返ってきたのは、『腹減った』という一文だけだった。
「どうしよう」
「どうしたんすか?」
「寝込んでるみたい」
「え?」
黒目がちの瞳を大きく見開き、「それは大変っすね」哲太が心配そうに顔をしかめた。
「そうなんだよね。晴斗さんも出張で明日まで帰って来ないし……」
「じゃあ、今夜は紫雲君一人ってことっすね」
「うん……」
美空はスマホを見つめたまま立ち尽くした。
「様子、見てこよっかな?」
「え? 今からっすか?」
時刻は既に七時半を回っている。『腹減った』ということは、紫雲は食事を摂っていないということだ。何か腹に入れなければ、体力は失われていく一方だ。
「だって、食べられないくらい衰弱してるかも知れないし」
「そんな大袈裟な……」
「でも……」
「美空さん」
園内に誰も残っていないことを確認し、哲太は美空の方に歩み寄った。
「また嘘かも知れませんよ」
「そんなの行ってみなきゃわかんないじゃん」
「もし本当だったとしても、高校生の男が、そんなに簡単にくたばりませんよ」
「そうだけど……」
「ちょっと、甘やかしすぎなんじゃないっすか?」
「そうかなぁ?」
「そうっすよ。だいたい、美空さんがそんなんだから、いいように使われるんじゃないんすか?」
「使われるって……!」
心外なその言葉に、美空は少し声を荒げた。
「だいたい危険ですよ。こんな時間に年頃の男の部屋に行くなんて」
「ちょっと! 変な言い方しないでよ!」
「変じゃないっす! 美空さん、無防備すぎます!」
負けじと哲太も声を荒げた。
「紫雲君は、そんなんじゃ……!」
「忘れたんですか? 彼は美空さんのこと、今でも想っているかも知れないって。そんな男の呼び出しに律儀に応じるなんて、それこそ相手の思う壺じゃないっすか」
「そんな言い方……」
「美空さんは、もっと危機感持った方がいいと思います。彼だって、立派な男なんすからね」
「そんなこと言われなくてもわかってる!」
正論すぎる哲太の言葉に、美空はますますムキになる。
「私、行くから。母親として」
「でも紫雲君は、母親だなんて……」
「哲太先生には関係ない!」
ぷいっと背を向けると、美空は紫雲に『今から行く』と、ひと言送った。
「……そうですね。すいません」
掠れた声で小さく呟いた後、哲太は再び掃除機のスイッチを入れた。
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