転生の行く末

かじ たかし

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試練その弐

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 用を足して鏡の自分に一喝して気合いを入れ直し、席に戻ると先程までと変わらず2人は腕で顔を覆って机に突っ伏している。
「そろそろ帰りますので、お会計お願いします」カウンターの中の朱鳥に声をかける。
「かしこまりました。さっきの話は忘れてくださいね」ニコッと笑みを浮かべてレジに向かう。ちょうどその時、何も言葉を発しないまま美穂が立ち上がる。目を開いてもいないが急に、気分が悪そうに口元を手で押さえだす。「大丈夫?吐きそう?」マズイなと思い、咄嗟に悠は美穂に駆け寄る。
遂に訪れてしまったのだ。あの夢の光景が今から起こる。ただどうやら達也は夢と違い寝入っている。さあどうする。
「お客様トイレまでご一緒しますよ」レジに向かおうとした朱鳥が踵を返し同じく美穂に駆け寄る。
悠は酔いが回っているが、一向にいい考えが思い浮かばない頭をフル回転させる。確かこの後朱鳥に連れ添われトイレに向かうタイミングで、正体不明の目出し帽男がやってくるのだ。朱鳥を同行させるのは危険だと判断し、かといって自分が同行するのも躊躇われた。1人で向かわせるか…。
だが友人の彼女が身代わりになるのは自分としても許される行為ではない。
考えている間にも朱鳥は美穂を自分の肩に預ける体制で重い一歩踏み出しかけている。
「そうだ!鍵を掛ければいいんだ」心の中で呟いたつもりがどうやら声に出てしまっていたらしく「はい??」何を急に言いだすんだと困惑の表情で朱鳥が問い返した。
「いやいや違うんです。店の入り口に鍵は掛けれますか」何が違うのか自分でもさっぱり分からないまま続ける。
「美穂がもしその、床に嘔吐したら気まづいのでその」こんな訳の分からない説得があるはずがないと思いながらも言った。
「大丈夫ですよ。トイレまで私が連れていくので。朝比奈さんはお座りになってて下さい」
「それじゃダメなんです」自分でも驚くほどの声を上げる。
「どうしたんですか」怒鳴られた事に肩を竦め歩を止める。
そうこうしている時間はない。このままでは夢の通り強盗らしき人物が現れてしまう。もう1度冷静に頼む事にする。変な奴だと思われてもいい。本当の事を話そう、美穂も達也も泥酔している今は朱鳥しか聞こえないだろう。
「見たんです」落ち着いた声だった。
「何をですか」トイレに連れて行く気はなくなったらしく、美穂の体から離れる。
「昨日夢で全く今と同じ光景を。そしてこの後何が起こるのかを」美穂は屈み込んだ。
「夢ですよね?」口を開いたままあっけらかんとしている。
「以前にも夢で見た光景が現実に起こったんです。もう時間がない。この店に強盗が来るんです。だから玄関に鍵を」軽く頭を下げた。もう朱鳥を説得するしかない。自分ではあの男には歯が立たないだろう。
昔から喧嘩は苦手で、いつも後ろについてただ混じっている風だった。人を殴った事はほぼ無いに等しい。
少しの間があってから、朱鳥は何も答えず玄関に向かい施錠した。先程まで小馬鹿にした態度は消えていて軽く微笑み「それよりトイレに連れていきましょう」美穂の腕を自分の肩に預ける。
「そうだね」朱鳥の反対側に回り自分も同じく腕を肩に預け、何とか美穂を起き上がらせトイレまで運んでいった。

 もうどれくらい経つだろう。熱い湯を張り体を解している。この家に来てから数える程しか湯船に浸かった事はない。体の隅々が軽くなっていく。気疲れしているのか、今は何も考える気にはなれない。2度目もなんとかやり過ごせ安堵する反面、やはりあの鳥が言った事は現実になっている。
 
 煙草を吐く息が聞こえる程店内は静寂していた。「どうして鍵を」よく冷えたお冷で喉を潤した。
「なんでなんだろう。最初は何を言ってるのかさっぱりだったけど、そんな冗談言ってもなんの意味もないのにあまりにも必死だったから」朱鳥は熱いあがりで冷え切ったであろう身体を温め続ける。
「それに朝比奈さんとはコンビニの件もあってか、偶然だったとはいえ信じざるを得ない所が重なって」
座敷では大きな寝息を立ててはいるが、顔色の悪い美穂が横たわっている。
「ありがとう。なんか嬉しいよ。今までこんな人の為に必死になった事なかったから」
美穂をトイレに連れて行った後、どうなるかをあけすけと朱鳥に話した。話し出すと初めは自身の行く末を想像し、青ざめていたが聞き終わる頃にはケロっとしていた。
 
「バンバンバンバン」玄関を叩く音がした。
だが声は聞こえてこない。迫り来る恐怖に朱鳥と悠は声を殺していた。やはり予告通りあの男は店までやって来た、何処の誰かは全く想像がつかないのだが。なぜ朱鳥を狙っているのかも現時点では不明であった。美穂が店内に汚物を撒き散らす前に何とかトイレに運ぶ事に成功した。そしてそれからは玄関を叩く音も聞こえる事はなかった。 

その後2人で他愛のない会話を楽しみ、叩いても起きない達也に冷水をぶっかけ2人で爆笑した。さっきまでの恐怖と酔いが何処かに吹っ飛び、まだ眠りの浅い2人をタクシーで家まで運んだ。酔いが回っていなくても自然と朱鳥と打ち解けている事がなりより嬉しかったのを覚えている。
今回の災難も何とか乗り越えた悠だったが、気持ちよく睡眠を取れる日はもうこないのかもしれない。風呂から上がると午前2時を少し過ぎている。普段とは違い平日に飲みに出かけていたので明日が憂鬱だった。
居酒屋ふしちょうで朱鳥の私情を知ってしまった事でますます守らなければと、自分にプレッシャーをかけてしまっている。このまま人生を終える訳にはいかない。ベッドに横になり深々と頭まで布団を被る。大きく溜息を吐く。自分でも判る程酒くさい。明日の飲酒チェッカーに引っかからないだろうか。別の不安要素を抱えそう深くはないであろう眠りにつくため、瞼を固く閉じた。
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