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深くて複雑な因縁
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ラーディン侯爵の足音が完全に遠ざかると、フィルは大きくため息をついてベッドの上に仰向けに倒れ込む。
大の字になってくつろぐ姿は到底二十二歳の成人男性の姿には見えない。せいぜい高校生と言ったところか。
素直に感情を表現するフィルが可愛くて、新太の頬が思わず緩んだ。
「あー、しんどかったぁ!」
「フィル様、ご苦労様でした」
一瞬躊躇ったが、新太は寝転がるフィルにそっと近付くとその頭を優しく撫でる。
金色の糸のような髪を優しく梳きながら撫でてやると一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに気持ちよさそうに瞳を閉じた。
「アラタを取られたらどうしようかと思ったけど、上手く誤魔化せて良かった」
「本当ですよ、侯爵様が凄い剣幕で入室してこられたので驚きました。特に、あの勢いのままフィル様の布団を剥いだらどうしようかと思って」
「アラタの二の舞になるな!」
「からかわないでください!」
フィルは新太が彼の本当の性別を知った日のことを思い出しているのか、ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべながら新太のことを見上げている。
悔し紛れにその鼻を指で摘まむと「うぐっ」っと令嬢らしからぬ呻き声が上がったので、新太は思わず笑ってしまった。
「真面目な話、あの狸爺にだけは俺が男だと知られてはいけないんだ」
「本物のオフィリア様に危険が及ぶからですか?」
「ああ、それもあるが――。あいつの中で俺は死んだことになっている」
死んでいる? それは一体どういうことだろうか。
不穏な気配に新太が眉を顰めるとフィルはベッドから飛び降りる。そしてネグリジェを脱いで室内着に着替えると、新太に朝食の準備を命じた。
「アラタ、お前に話しておきたいことがある。人気のないところで話したいから、庭に朝食を用意してくれ」
口調は穏やかでありながらその瞳が鋭く細められている。新太は緊張を覚えながらも、朝食を乗せるワゴンを取りに厨房へと向かうのだった。
* * *
サンドイッチとスープという軽い朝食を取り終えた後、フィルは新太が煎れた紅茶を啜りながらふぅっと大きなため息をついた。
いつもはランドルフとの逢瀬で使用されるガゼボの下に、今日は新太とフィルが座っている。
肩と肩が触れ合いそうな近距離にフィルがいて、そよ風が吹くと彼が身につけているホワイトムスクの甘い香りがふんわりと香ってきた。
「アラタ、これから話すことは誰にも言わないと誓えるか?」
「はい、もちろんです!」
良い香りにほだされぼーっとしかけていた新太の意識を、フィルの声が現実に引き戻す。
完全に人払いをしている状態であるからか、外であるにもかかわらずフィルは男言葉のまま話し続けている。
フィルの美しいテノールボイスに耳元で囁かれると、それだけで新太の心臓はドキドキと鼓動を早めた。
「ラーディン侯爵が不当にナヴァル家の爵位を奪ったという話しは前にしたな?」
「はい、伺いました。本来ならフィル様が継ぐべきところを侯爵が奪っていった――とだけ」
「その奪い方が非常に問題だった」
ウェスティア帝国の場合、爵位を継承できるのは成人男性のみと決まりがある。
後継者が成人するよりも前に当主が死亡した場合には、後継者が爵位継承条件を満たすまで後見人に爵位が預けられることが通例であった。
「ナヴァル家の場合は、遠縁にあたるラーディン侯爵が後見人だ。昔から父の友人として交流があったし、爵位を預けるときには俺自身なんの疑いもなく侯爵を頼ったよ」
ところがフィルが二十歳で成人し、継承条件を満たすことになる数ヶ月前に事件は起こった。
「俺の暗殺未遂が起こった」
「えっ!?」
「俺が鹿狩りに出かけたのを狙って、侯爵の手の内の者が奇襲を仕掛けてきたんだ」
落馬に見せかけて谷底へ突き落とされたフィルだったが、幸いにも生い茂っていた木々がクッションになってくれたお陰で命拾いした。
その上、落下したところへ運良く地元の狩人が通りかかり、大怪我をしたフィルを甲斐甲斐しく看病してくれたという。
幸運が重ならなければ俺はここにいなかったかもしれない――と寂しそうな表情で微笑まれると、新太の心臓が締め付けられるように痛んだ。
「怪我の回復には半年ほど掛かった。俺の扱いがどうなっているか分からないから、動けるようになったら真っ先にバレットの所へ向かったよ。案の定『お坊ちゃまはもうすでに故人となっております』と言われたときには、さすがに俺も泣いたなぁ」
「酷すぎる……」
「まだ終わりじゃないぞ。ラーディン侯爵は後継者断絶による爵位移譲を帝国へ申し入れた。そしてナヴァル子爵の息女オフィリアの庇護を条件に爵位移譲を認められたんだ」
忌々しそうに呟いたフィルが握りしめた拳をテーブルの上に叩き付けた。
彼になんて声を掛けるのが良いのか分からなかったが、新太の中にはある疑問が浮かび上がる。
なぜ侯爵はナヴァル子爵の爵位に固執する必要があったのだろう。単純にオフィリアを利用して皇族へ取り入るためだったのだろうか。
考えてもどうしても分からなかったので、新太はフィルの怒りが少し落ち着いたタイミングを見計らってその質問をぶつけることにする。返ってきたのは意外な答えだった。
「オフィリアを利用したかったというのもあるだろうが、一番は子爵領を欲していたんだと思う」
「領地を?」
「ああ。ナヴァル家が代々統治してきたラヴァッジ州は帝都から遠い小さな土地ではあるが、非常に恵まれた土地なんだ」
東に海を擁するラヴァッジ州は海産物の収穫高が国内屈指の実績を誇る。隣国オーメントとの貿易も盛んだ。
ラーディン侯爵はそこに目を付けた。
「ラーディン侯爵は漁業権の独占を推し進めようとしている。そんなことを許したら、領民は貧困に喘ぐことになりかねない。俺はそれを止めたい――!」
まるで天に向かって宣誓でもするような鬼気迫った物言いだった。その凜々しい横顔にフィルの強い決意が見て取れて、新太はますます彼のことを応援したい気持ちになる。
私欲のためにしか動けないラーディン侯爵よりも、常に領民を一番に考えられるフィルの方が領地経営には適任だろう。
「フィル様、俺もお手伝い致します!」
「ありがとう、アラタ。でもその前に、もう一つお前には伝えておきたいことがある」
フィルの重々しい声が響くと同時に、フィルが新太の手を優しく包んだ。
突然の出来事に動揺した新太が「ひょえっ!?」と声を上げるが、そんなことはお構いなしにフィルは真剣な表情で新太のことを見つめている。
「俺はアラタに謝らなくてはならないんだ」
「謝る……? 一体何を謝る必要があると言うんです?」
不思議そうに見つめる新太のことを、フィルがライトブルーの瞳でじっと見つめた。
「お前を奴隷商から買った理由を謝りたい。皇太子への当て馬役にお前を買ったのは、異世界人であるお前を使う方が都合が良かったからだ」
「奴隷を使う方が後腐れないし、いつでも切り捨てられますもんね」
冗談めかして新太が言うと、フィルの瞳が一瞬揺らぐ。適当に言った台詞だったがどうやら核心を突いた発言であったようだ。
フィルは己の過去の行動を後悔しているのか、実に苦々しい表情で新太を見つめている。
そんな彼の姿が可愛そうになって、新太は息を漏らしながら呟いた。
「いいんですよ。それが本当だとしても俺は気にしません」
「なぜだ、お前には怒る権利があるんだぞ!? 俺はお前に対して誠意ある対応を取った訳じゃないし――」
捨てられた子犬のような目でフィルが見つめてくるので、この長身痩躯の男性が自分より年下の男の子なのだという事実を、新太は今初めて実感した。
もしかするとフィルの人柄と計画の目的を知る前だったら、いいように利用されることを良くは思えなかったかもしれない。
けれどフィルの優しさを理解し、命を賭けてラーディン侯爵へ立ち向かおうとしている彼の決意を知ってしまった後では、彼の行動すべてを責めることはできなかった。
「誠意ある対応? 十分に取っていただきましたよ」
「えっ?」
「本来だったら俺はどこの誰とも知らない下衆野郎に買われて、労働者か性奴隷か――とにかくまともな人生を送れるはずではなかった。でもフィル様は違います。俺をまともな職に就けて衣食住まで保証した上、この世界で生きるための知識まで仕込んでくださった」
「それは……俺の計画に付き合わせてしまうのが申し訳なくて――」
「例えそうだとしても、俺は救われたんです。たしかに少し、いやかなり危ない計画に付き合わされている自覚はありますが、今となってはどうでもいいことですよ」
そうだ、たしかにあのとき新太は救われた。
元いた世界で死んだという事実を突きつけられ、もしかしたら男色家の調教師に買われるかもしれないという悪夢を目前に掲げられた後で、目の前にいる絶世の美女が新太のことを絶望の淵から救い上げてくれた。
実は美女ではなく美男だという予想外の出来事はあったけれど、この人に新太が救われたという事実は何一つ変わらない。
「それにフィル様は、俺を守るという約束が本当だと先ほど証明してくださったじゃないですか」
過ごした時間はまだそんなに長くはないが、これまでの経験からフィルが信頼に値する男だと新太は確信している。
女性よりも美しいにもかかわらず、誰よりも漢らしいフィル。最初は顔だけで惚れ込んだはずなのに、いつの間にかその実直な人間性にも惹かれていた。
「俺はフィル様を信じています。フィル様はこれからも、俺を大切にしてくれるお方だ――と」
「アラタ、お前お人好しが過ぎるだろ……!」
フィルの美しい顔がくしゃりと歪んだ。今にも泣き出しそうな表情で新太のことを見つめるフィルの表情を見て、新太の心がきゅっと甘く痛む。
泣きそうなフィルには少し悪い気もしたが、気を許した人間にしか見せないであろう表情をフィルから見せられ、新太はこの世界に来て初めて満たされた気分になった。
どんな理由であっても、この人は俺のことを必要としてくれている――思い人に必要とされることほど、新太にとって嬉しいことはない。
「よく言われます。でもフィル様に惚れ込んでしまったんですから、仕方がないですよね?」
ぺろりと舌を出しておどけてみせると、とうとうフィルの青い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
頬を濡らす滴を拭うために新太が手を伸ばしたのは、ほぼ無意識のことだ。
「フィル様、もう俺のことで自分を責めるのは止めてください。俺はどんなことがあったってフィル様の味方ですから」
新太の一言にフィルの感情が限界を迎えた。喉奥から絞り出すような嗚咽が漏れ、止めどなく瞳から涙が溢れていく。
フィルが新太に覆い被さるように抱きついてきたのは、次の瞬間だった。
「ありがとう、アラタ……!」
「どういたしまして」
縋るように抱きつくフィルの背中を新太が優しく撫でると、フィルの腕の拘束がますます強くなる。
「アラタもう少しこのままでいてくれ」
「はい、フィル様。仰せのままに」
自分よりも少し体温の高いフィルの体を抱きしめながら、このままどこまででもついて行く所存ですよ――という言葉は胸の中にしまった。
大の字になってくつろぐ姿は到底二十二歳の成人男性の姿には見えない。せいぜい高校生と言ったところか。
素直に感情を表現するフィルが可愛くて、新太の頬が思わず緩んだ。
「あー、しんどかったぁ!」
「フィル様、ご苦労様でした」
一瞬躊躇ったが、新太は寝転がるフィルにそっと近付くとその頭を優しく撫でる。
金色の糸のような髪を優しく梳きながら撫でてやると一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに気持ちよさそうに瞳を閉じた。
「アラタを取られたらどうしようかと思ったけど、上手く誤魔化せて良かった」
「本当ですよ、侯爵様が凄い剣幕で入室してこられたので驚きました。特に、あの勢いのままフィル様の布団を剥いだらどうしようかと思って」
「アラタの二の舞になるな!」
「からかわないでください!」
フィルは新太が彼の本当の性別を知った日のことを思い出しているのか、ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべながら新太のことを見上げている。
悔し紛れにその鼻を指で摘まむと「うぐっ」っと令嬢らしからぬ呻き声が上がったので、新太は思わず笑ってしまった。
「真面目な話、あの狸爺にだけは俺が男だと知られてはいけないんだ」
「本物のオフィリア様に危険が及ぶからですか?」
「ああ、それもあるが――。あいつの中で俺は死んだことになっている」
死んでいる? それは一体どういうことだろうか。
不穏な気配に新太が眉を顰めるとフィルはベッドから飛び降りる。そしてネグリジェを脱いで室内着に着替えると、新太に朝食の準備を命じた。
「アラタ、お前に話しておきたいことがある。人気のないところで話したいから、庭に朝食を用意してくれ」
口調は穏やかでありながらその瞳が鋭く細められている。新太は緊張を覚えながらも、朝食を乗せるワゴンを取りに厨房へと向かうのだった。
* * *
サンドイッチとスープという軽い朝食を取り終えた後、フィルは新太が煎れた紅茶を啜りながらふぅっと大きなため息をついた。
いつもはランドルフとの逢瀬で使用されるガゼボの下に、今日は新太とフィルが座っている。
肩と肩が触れ合いそうな近距離にフィルがいて、そよ風が吹くと彼が身につけているホワイトムスクの甘い香りがふんわりと香ってきた。
「アラタ、これから話すことは誰にも言わないと誓えるか?」
「はい、もちろんです!」
良い香りにほだされぼーっとしかけていた新太の意識を、フィルの声が現実に引き戻す。
完全に人払いをしている状態であるからか、外であるにもかかわらずフィルは男言葉のまま話し続けている。
フィルの美しいテノールボイスに耳元で囁かれると、それだけで新太の心臓はドキドキと鼓動を早めた。
「ラーディン侯爵が不当にナヴァル家の爵位を奪ったという話しは前にしたな?」
「はい、伺いました。本来ならフィル様が継ぐべきところを侯爵が奪っていった――とだけ」
「その奪い方が非常に問題だった」
ウェスティア帝国の場合、爵位を継承できるのは成人男性のみと決まりがある。
後継者が成人するよりも前に当主が死亡した場合には、後継者が爵位継承条件を満たすまで後見人に爵位が預けられることが通例であった。
「ナヴァル家の場合は、遠縁にあたるラーディン侯爵が後見人だ。昔から父の友人として交流があったし、爵位を預けるときには俺自身なんの疑いもなく侯爵を頼ったよ」
ところがフィルが二十歳で成人し、継承条件を満たすことになる数ヶ月前に事件は起こった。
「俺の暗殺未遂が起こった」
「えっ!?」
「俺が鹿狩りに出かけたのを狙って、侯爵の手の内の者が奇襲を仕掛けてきたんだ」
落馬に見せかけて谷底へ突き落とされたフィルだったが、幸いにも生い茂っていた木々がクッションになってくれたお陰で命拾いした。
その上、落下したところへ運良く地元の狩人が通りかかり、大怪我をしたフィルを甲斐甲斐しく看病してくれたという。
幸運が重ならなければ俺はここにいなかったかもしれない――と寂しそうな表情で微笑まれると、新太の心臓が締め付けられるように痛んだ。
「怪我の回復には半年ほど掛かった。俺の扱いがどうなっているか分からないから、動けるようになったら真っ先にバレットの所へ向かったよ。案の定『お坊ちゃまはもうすでに故人となっております』と言われたときには、さすがに俺も泣いたなぁ」
「酷すぎる……」
「まだ終わりじゃないぞ。ラーディン侯爵は後継者断絶による爵位移譲を帝国へ申し入れた。そしてナヴァル子爵の息女オフィリアの庇護を条件に爵位移譲を認められたんだ」
忌々しそうに呟いたフィルが握りしめた拳をテーブルの上に叩き付けた。
彼になんて声を掛けるのが良いのか分からなかったが、新太の中にはある疑問が浮かび上がる。
なぜ侯爵はナヴァル子爵の爵位に固執する必要があったのだろう。単純にオフィリアを利用して皇族へ取り入るためだったのだろうか。
考えてもどうしても分からなかったので、新太はフィルの怒りが少し落ち着いたタイミングを見計らってその質問をぶつけることにする。返ってきたのは意外な答えだった。
「オフィリアを利用したかったというのもあるだろうが、一番は子爵領を欲していたんだと思う」
「領地を?」
「ああ。ナヴァル家が代々統治してきたラヴァッジ州は帝都から遠い小さな土地ではあるが、非常に恵まれた土地なんだ」
東に海を擁するラヴァッジ州は海産物の収穫高が国内屈指の実績を誇る。隣国オーメントとの貿易も盛んだ。
ラーディン侯爵はそこに目を付けた。
「ラーディン侯爵は漁業権の独占を推し進めようとしている。そんなことを許したら、領民は貧困に喘ぐことになりかねない。俺はそれを止めたい――!」
まるで天に向かって宣誓でもするような鬼気迫った物言いだった。その凜々しい横顔にフィルの強い決意が見て取れて、新太はますます彼のことを応援したい気持ちになる。
私欲のためにしか動けないラーディン侯爵よりも、常に領民を一番に考えられるフィルの方が領地経営には適任だろう。
「フィル様、俺もお手伝い致します!」
「ありがとう、アラタ。でもその前に、もう一つお前には伝えておきたいことがある」
フィルの重々しい声が響くと同時に、フィルが新太の手を優しく包んだ。
突然の出来事に動揺した新太が「ひょえっ!?」と声を上げるが、そんなことはお構いなしにフィルは真剣な表情で新太のことを見つめている。
「俺はアラタに謝らなくてはならないんだ」
「謝る……? 一体何を謝る必要があると言うんです?」
不思議そうに見つめる新太のことを、フィルがライトブルーの瞳でじっと見つめた。
「お前を奴隷商から買った理由を謝りたい。皇太子への当て馬役にお前を買ったのは、異世界人であるお前を使う方が都合が良かったからだ」
「奴隷を使う方が後腐れないし、いつでも切り捨てられますもんね」
冗談めかして新太が言うと、フィルの瞳が一瞬揺らぐ。適当に言った台詞だったがどうやら核心を突いた発言であったようだ。
フィルは己の過去の行動を後悔しているのか、実に苦々しい表情で新太を見つめている。
そんな彼の姿が可愛そうになって、新太は息を漏らしながら呟いた。
「いいんですよ。それが本当だとしても俺は気にしません」
「なぜだ、お前には怒る権利があるんだぞ!? 俺はお前に対して誠意ある対応を取った訳じゃないし――」
捨てられた子犬のような目でフィルが見つめてくるので、この長身痩躯の男性が自分より年下の男の子なのだという事実を、新太は今初めて実感した。
もしかするとフィルの人柄と計画の目的を知る前だったら、いいように利用されることを良くは思えなかったかもしれない。
けれどフィルの優しさを理解し、命を賭けてラーディン侯爵へ立ち向かおうとしている彼の決意を知ってしまった後では、彼の行動すべてを責めることはできなかった。
「誠意ある対応? 十分に取っていただきましたよ」
「えっ?」
「本来だったら俺はどこの誰とも知らない下衆野郎に買われて、労働者か性奴隷か――とにかくまともな人生を送れるはずではなかった。でもフィル様は違います。俺をまともな職に就けて衣食住まで保証した上、この世界で生きるための知識まで仕込んでくださった」
「それは……俺の計画に付き合わせてしまうのが申し訳なくて――」
「例えそうだとしても、俺は救われたんです。たしかに少し、いやかなり危ない計画に付き合わされている自覚はありますが、今となってはどうでもいいことですよ」
そうだ、たしかにあのとき新太は救われた。
元いた世界で死んだという事実を突きつけられ、もしかしたら男色家の調教師に買われるかもしれないという悪夢を目前に掲げられた後で、目の前にいる絶世の美女が新太のことを絶望の淵から救い上げてくれた。
実は美女ではなく美男だという予想外の出来事はあったけれど、この人に新太が救われたという事実は何一つ変わらない。
「それにフィル様は、俺を守るという約束が本当だと先ほど証明してくださったじゃないですか」
過ごした時間はまだそんなに長くはないが、これまでの経験からフィルが信頼に値する男だと新太は確信している。
女性よりも美しいにもかかわらず、誰よりも漢らしいフィル。最初は顔だけで惚れ込んだはずなのに、いつの間にかその実直な人間性にも惹かれていた。
「俺はフィル様を信じています。フィル様はこれからも、俺を大切にしてくれるお方だ――と」
「アラタ、お前お人好しが過ぎるだろ……!」
フィルの美しい顔がくしゃりと歪んだ。今にも泣き出しそうな表情で新太のことを見つめるフィルの表情を見て、新太の心がきゅっと甘く痛む。
泣きそうなフィルには少し悪い気もしたが、気を許した人間にしか見せないであろう表情をフィルから見せられ、新太はこの世界に来て初めて満たされた気分になった。
どんな理由であっても、この人は俺のことを必要としてくれている――思い人に必要とされることほど、新太にとって嬉しいことはない。
「よく言われます。でもフィル様に惚れ込んでしまったんですから、仕方がないですよね?」
ぺろりと舌を出しておどけてみせると、とうとうフィルの青い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
頬を濡らす滴を拭うために新太が手を伸ばしたのは、ほぼ無意識のことだ。
「フィル様、もう俺のことで自分を責めるのは止めてください。俺はどんなことがあったってフィル様の味方ですから」
新太の一言にフィルの感情が限界を迎えた。喉奥から絞り出すような嗚咽が漏れ、止めどなく瞳から涙が溢れていく。
フィルが新太に覆い被さるように抱きついてきたのは、次の瞬間だった。
「ありがとう、アラタ……!」
「どういたしまして」
縋るように抱きつくフィルの背中を新太が優しく撫でると、フィルの腕の拘束がますます強くなる。
「アラタもう少しこのままでいてくれ」
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