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もう一つの戦い

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 騎士になってしまった――。
 いや、させられてしまったと言う方が正解かもしれない。
 とにかく、何を考えているのかさっぱり分からないサイコパス――もといランドルフの指示に従っていたら、あれよあれよという間にそういう事態になっていた。
 立ち上がった後に青ざめた表情でランドルフを見上げると、聡い彼は新太の心情を察したようだ。
「大丈夫ですよ、騎士爵と言っても形だけの名誉職。アラタに剣を握って貰うような機会はありませんから」と慰めだかなんだかよく分からない励ましを新太へ送ってくれた。
 とは言え、自分が喧嘩すらできない優男であることは自覚しているので、ランドルフの言葉に安心する自分がいるのも事実だ。
 戻るように促されたのでそそくさと逃げるようにフィルの元へ向かう。なぜかフィルはひどく思い詰めたような表情で、床の一点をじっと見つめていた。
 何かを言い出したいのに言い出せない。奥歯に物が詰まったときのような不快な表情。
 そんな表情をしたフィルの姿に新太は見覚えがある。
 美術館から共に馬車に揺られて帰ったあの日、ランドルフへ自分の性別を明かすと吐露した彼がやはり今のような暗い表情をしていた。
 言いようのない胸騒ぎを覚えた新太は、俯き気味に佇むフィルの腕にそっと手を添える。
 新太の手のひらが触れると、フィルは少し困ったような泣き出したいような複雑な表情で新太の方を見つめた。

「爵位の授与も終わったことだし、これより宴を――」
「皇帝陛下、今しばらくわたくしにお時間をください!」

 皇帝の言葉を遮ったのはほかでもないフィルだった。
 彼は新太の手を優しくふりほどくとカッカッと高らかにヒールを鳴らしながら、今一度皇帝の前に近づきその膝を折る。
 首を差し出すような格好で深々と頭を垂れると、「陛下、やはりわたくしには謝罪すべきことがございます」と低い声で言った。

「何をしておるのだ、オフィリア! アラタはちゃんと来たし、お前が謝罪すべきことなど――」
「陛下、チェスの勝負とは全く無関係のことでございます。そもそもわたくし――いえ俺が姑息な手段を考えつかなければ、先ほどの勝負も必要なかったかもしれません。最初からこうやって、正々堂々と勝負すれば良かったんだ……!」
「俺?」

 フィルの言葉遣いの変化に真っ先に違和の声を上げたのはラーディン侯爵だった。
 彼は先ほどまで赤らめていた顔を真っ青に変化させると急に震えだす。奥歯が噛み合わないのか、まるで骸骨お化けが喋るようにガチガチと音が鳴っていた。
 どうやらラーディン侯爵はようやく、自分の義理の娘が娘でないことに気が付いたらしい。
 同時に新太もフィルが何をしようとしているのかを瞬時に悟った。

「フィル様、駄目です!」

 せっかく新太がチェス勝負に勝利し、平和的に婚約解消を実現させることができたのだ。あとは本物のオフィリアと共にフィルが公の場に登場し、彼の死亡が嘘であったことを世間に知らしめれば良いだけ。
 わざわざこの場で自らの性別を明かして、自らの名誉を傷つける必要はない。
 新太の叫びに反応し、フィルは一瞬だけ新太へ視線を走らせる。
 しかし、彼の行動が止まることはない。
 フィルは「安心しろ」とでも言うかのようにその美しい顔に薄らと笑みを浮かべたが、すぐにその笑みを消し去り厳しい表情で皇帝の方へ向き直った。
 新太の不安が確信へ変わる。

「両陛下並びに皇太子殿下、俺は先ほどのアラタの戦いぶりにひどく感銘を受けました。アラタがあのように正々堂々とした雄姿を見せてくれたからこそ、悟ったのです。俺を愛してくれていると言ったアラタの目の前で、俺がこれ以上罪を重ね続けることは許されない――と」
「罪?」

 フィルは怪訝そうな表情で尋ねたランドルフへ向き直ると、彼に己の肖像画があるかを尋ねた。
 中世ヨーロッパのお見合いがそうであったように、この国にも婚約者同士で肖像画を送り合うという風習がある。
 ランドルフは近場にいた従者を自室へ走らせ、肖像画を持ってくるように命じた。
 フィルは走り去っていく従者の後ろ姿を見送ると、「ではその間に種明かしをしましょう」と言って不適に微笑んだ。

「両陛下そして皇太子殿下、お初にお目に掛かります。我が名はフィリメス・オーフェン・ミグ・ナヴァルと申します」
「フィリメス・ナヴァルと言えば、先代のナヴァル子爵の嫡男ではないか!」
「陛下の仰るとおり、俺は男でございます。訳あって妹オフィリアに成り代わり、殿下の婚約者を演じておりました」
「つまり、その身を偽り皇室を騙そうとしていた――と?」
「はい、そうです。それこそが俺の罪でございます――!」

 あまりにも大胆な告白に、皇帝一家も観衆も皆一様に驚いた表情を見せた。
 傾城傾国と呼ばれる美女が男であったとは誰も思わなかったのか、口をあんぐりと開け信じられないものを見るような目つきでフィルのことを見ている。
 しばらくすると、場内にはひそひそと何事か囁き合う声が聞こえ始めた。どうやら考えることは皆一緒のようで「ところでナヴァル家の後継者と言えば死んだという噂ではなかったか?」と呟く誰かの声が新太の耳にも聞こえる。
 一番に口を開いたのはランドルフだった。

「失礼ですが、あなたが本物のオーフィリア嬢ではないという証拠はおありですか?」
「はい。肖像画がその証しです」

 フィルは「この場で全裸になっても構いませんが、それは少々刺激が強すぎましょう」と言って自嘲的に笑った。
 ランドルフが何事か言いたそうに眉を顰めたが、実際にその口から言葉が紡がれることはない。
 頼むから、それ以上人を挑発するのは止めてくれ――と新太は思わず言いたくなった。

「余からも尋ねたい。オフィリア――いやフィリメスよ、なぜそなたがオフィリアを演じる必要があったのだ?」
「すべてはラーディン侯爵の不正を世に知らしめるためでございます。先ほど俺はラーディン侯爵への感謝を申し上げましたが、あれはでまかせを申しました」

 フィルはそう言うと、ラーディン侯爵がナヴァル家にした仕打ちの数々を一つ一つ明かしていく。
 ラーディン侯爵がナヴァル家の爵位返還要求に応じず、約束を反故にしようとしたこと。
 ナヴァル家の娘を自らの養子にし、彼女を皇太子へ嫁がせることで外戚の地位を手に入れようとしていたこと。
 そして何より、計画の遂行に邪魔となるフィリメスを秘密裏に暗殺し、ナヴァル家の存続を完全に絶とうとしたこと。
 すべてを話し終える頃には観衆の冷たい視線がラーディン侯爵へと一身に注がれていた。
 実を言うとこの侯爵、元々貴族間での評判がさほど良くない。権力と財力に物を言わせて自身の意見を通そうとする強突く張りであると有名だ。
 自分の立場が追い詰められていることを察知したラーディン侯爵が、一瞬逃げ出すような素振りを見せる。だがそれはランドルフの近衛兵にすぐに察知され、今は完全にその両脇を固められていた。
 屈強な男性兵士に取り囲まれたラーディン侯爵は、蛇に睨まれた蛙のような状態になっている。ラーディン侯爵には申し訳ないが、自業自得だと新太は思った。
 そのときちょうど会場の入口がにわかに騒がしくなる。先ほどランドルフに使いに出された従者が一枚の肖像画を持って戻ってきたところだった。
 フィルはその従者から絵画を受け取ると椅子の上にそれを置き、自分は隣に並ぶ。

「我が妹オフィリアには鎖骨の下に三つ星のほくろがございます。この肖像画を描くときにラーディン侯爵から『殿下を誘惑するために露出度が高いドレスを着ろ!』と脅されたため、この肖像画にはその特徴がきちっと描かれている」

 そう言えばフィルは常にハイネックのドレスを着たがったが、これが原因だったのか――と新太は妙に納得した。
 たしかに肖像画に描かれたオフィリアの左鎖骨の下には、三つの小さいほくろが描かれている。
 言い終えるなりフィルはドレスに手を掛けて、生地をビリビリと勢いよく引き裂きながら胸元を曝け出した。露わになった彼の左鎖骨の下には、当然ほくろなど見当たらない。
 これこそが肖像画の人物と目の前にいるフィルという人物とが同一人物ではないとはっきり分かる証拠だった。
 皇帝一家は驚きのあまり何も言い出せないのか、ぽかんとした表情でフィルのことを見つめている。
 フィルは困ったように頬を掻いた後、「あ、それからこれは偽乳です」と言って胸に詰めていたパッドを放り捨てた。
 放物線を描いて飛んでいった偽乳はラーディン侯爵の頭に当たってから床に落ちる。
 フリーズ状態から真っ先に回復したのは皇帝だった。

「ラーディン卿。余がそなたにナヴァル子爵領を一任すると言ったのは、ナヴァル子爵家の爵位継承者が死亡したと報告を受けていたためだが――これは一体どういうことだ?」

 眉をつり上げた皇帝は床に膝を付きガタガタと震えているラーディン侯爵へ向き直ると、重々しい口調で尋ねる。
 ラーディン侯爵は弾かれたようにびくりと肩を揺らした。

「こ、これは――この者の虚言でございます! 私がフィリメスを殺すなど一体何の得があって行うのか!?」
「嘘を付くな! 陛下、この男はナヴァル子爵領の漁業権を狙ってこのようなことを起こしました!」
「言いがかりです! 第一、私がお前を殺そうとした証拠があるとでも言うのか?」
「証拠もなしにお前を糾弾するわけないだろ。入れ!」

 フィルの命令に応じて会場内に姿を現したのはバレットだ。彼は手を縄で縛られた男を二人伴っており、フィルのそばまでやってくるとその男たちを床へと転がす。
 薄汚れた風体と爪の間まで茶色く染まった傷だらけの手が、彼らが農民であることを暗に物語っている。
 彼らは突然煌びやかな王侯貴族たちの中へ放り込まれたことに畏怖しているのか、寒さに震える子犬よろしくぷるぷると小刻みにその体を震わせていた。

「この男たちは俺を事故に見せかけて殺そうとした者たちです。隠れていたのを探し出して捕らえました!」
「フィリメス殿が言われた話は本当ですか? 答えなさい!」

 ランドルフがやや興奮した表情で足下にいる男たちへ問いただすと、彼らはひぃっと小さく悲鳴を上げて首を縦に激しく動かした。

「へっ、へえ! 本当です!」
「オラたちはラーディン侯爵様に雇われて、ナヴァルの坊ちゃんを殺そうといたしました!」
「だ、黙れ! そんなのは嘘だ、これは陰謀だ!」

 ラーディン侯爵が焦ったような上擦った声を上げると、男たちの顔が赤く染まる。

「嘘じゃねぇです! オラたちは侯爵様に脅されたんだ!」
「そうです、手前どもは侯爵様の領民ですが年貢を納めることができなかった。そしたら侯爵様がやってきて、家族を殺されたくなければ言うことを聞けって……」

 バレットが彼らの発言を裏付ける証拠を皇帝へと手渡す。
 年貢の徴収状況を記載した帳簿には領民たちの名前が並び、「年貢未納」と一度は書かれた文字がその後でぐちゃぐちゃに塗りつぶされていた。
 彼らが後から年貢を納めたのでなければ、何かしらの不正が行われているのは明白だ。
 皇帝、そしてランドルフは渡された証拠を眺め終えると、不愉快そうに眉を顰めラーディン侯爵へ軽蔑の眼差しを送った。

「皇帝陛下、俺と共にどうぞこの男の罪も処断いただくようお願い申し上げます!」

 フィルはそう言って再び皇帝の前に膝を付くと、その頭を一層深く下げてこいねがうのだった。
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