侯爵令嬢(♂)はフットマンがお好き!?

累るい

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アラタなる騎士の誕生

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 パチパチパチ――と拍手を打ち始めたのは会場にいたネームコールマンの男だった。
 彼と同じように身分の低い新太が、自分より遙かに強大な力を持つランドルフへ挑みかかっていることが清々しく格好いいものに見えたらしい。目を僅かに潤ませながら新太を見つめるその姿からは、新太に対する尊敬の念が滲みだしていた。
 吊られるようにして幾人かの貴族が同調して拍手を始める。拍手の輪が一斉に会場内に広がり、やがてそれは音の渦となってダンスホール内へ盛大に響き渡った。
 ランドルフは感情のない表情でその光景を眺めている。
 だがしばらくするとその音を止めるべく、左手をすっと空へ掲げた。
 その仕草だけで百以上はいる人間の動きがピタリと止まるのだから、やはり彼は生まれついての王者である。新太も思わず居住まいを正した。
 
「おめでとうございます、アラタ。今あなたは無事に観衆の心を掴んだようだ」
「聖アルベストになれますかね?」

 半ば嫌みのつもりで呟いた新太の言葉に、ランドルフは再びにこやかな笑みを浮かべて頷く。
 新太は肩透かしを食らった気分になった。
 やはりこの男には、嫌みという概念そのものが通じないのかもしれない。彼の心の広さに、新太は呆れを通り越して尊敬の念を抱きそうになる。

「けれど、アラタ。僕は戦神ウォズボルのように簡単は負けません。果たして我々のゲームの勝敗はどちらに上がるでしょうね? 僕はあなたが仕掛けた奇策を破りますよ」

 一番最初にアラタが動かしたナイトの駒が黒のポーンの駒に討ち取られる。アラタの手元からはとうとうナイトの駒がすべてなくなった。
 しかし、新太は取り乱すことはしない。
 ニヤリと微笑むと自分に言い聞かせるように小さな声で呟く。

「ポーンの一手を進めるにしても、必ずそこには信念を持て――!」

 いぶかしげな表情をしたランドルフが「え、なんですって?」と呟くがその言葉を敢えて無視する。
 なぜなら新太は、長い間この瞬間だけを待っていたのだ。
 ランドルフが新太との会話に夢中になって、集中力を欠くこの瞬間を――!

「殿下、生憎と俺は慈悲深くありません。ですから、殿下に『待った』は差し上げません!」

 今度は大きな声でそう叫ぶと、ポーンの駒を一つ前進させる。

昇格プロモーションを宣言します!」
「なにっ!?」

 新太の言葉にランドルフが見るからに焦り始めた。彼は椅子から急に立ち上がると、ひどく青ざめた表情で盤上の駒を見つめる。
 開幕当初に八個あったポーンのうち、一つがじりじりと敵陣奥深くへ進軍してランドルフ側の最終ラインまで到達した。
 一見弱く見える手駒のポーンだが、一歩一歩着実にその足を進め敵陣の最奥までたどり着くことさえできれば、その姿をキング以外の好きな駒に変化させることができる。
 会話に夢中になっていたランドルフは集中力を失っていた。自陣に迫りつつある新太のポーンをうっかり見落とし、ポーンの昇格を防がなかったのだ。

「待っ――」
「待ったはなしですよ。俺最初に言いましたよね、後で吠え面かかないでください――って!」

 ギリリッと強く奥歯を噛み締める音がランドルフの口の中から聞こえた気がした。彼は今、文字通り血眼になって盤上の隅々を見回し、この状況から逃れる術がないかを探している。
 だがしばらくして己に打つ手がないと分かると、何かを諦めたようにドサリと椅子の上に座り込んで天井を仰いだ。

駒は……?」

 苛立ちを隠しもせず、吐き捨てるようにしてランドルフが言う。
 彼の心中とは逆行して、新太の心中は充足感に満ちていた。
 新太はランドルフにも負けないにこにこ顔になると言った。

「もちろんクイーンです!」
「……ですよね」

 ランドルフが諦めたように嘆息した瞬間、二人の勝敗は決する。
 先ほどランドルフに奪われた白のクイーンの駒を新太は手中に納めると、貴婦人の手に口づけするかのように恭しい態度で、クイーンの駒が頭上に頂く冠に唇を寄せた。
 柄にもないことをしているな――と新太は頭の片隅で思ったが、自分でも想像以上に興奮してそれどころではない。心臓はバクバクと脈打ち、手にはじっとりと汗をかいていた。

「殿下、俺のクイーンは討ち取られても蘇ります。俺が愛したお方はそういう強いお人だから――!」

 新太はランドルフにだけ聞こえるように小さな声で呟くと、昇格を宣言したポーンとランドルフから取り戻したクイーンの駒をすげ替えた。
 ランドルフの黒いキングは新太のルークとビショップ、クイーンの駒に行く手を阻まれて逃げ場を失う。

「これで、オフィリア様は自由です――! チェックメイト!」

 新太の勝利宣言が会場内に響き渡る。軍配は新太に上がった。
 その瞬間空気が爆発したように、会場内に大きな歓声が響き渡る。
「フットマンやるじゃないか!」とか「すばらしい試合だった!」とか「アラタ万歳!」とか、会場中の貴族や使用人たちが新太の快勝を賞賛する声があちらこちらから上がった。
 会場中が割れるような歓声に新太は思わず場内をぐるりと見渡す。興奮した表情で自分を見つめる観衆の視線に、じわじわと勝利の実感を感じ始めていた。

「そこで『オフィリア様は俺のものだ』とか言わないのがアラタらしくて僕は好きですよ……」

 というランドルフの敗北宣言は、彼の目の前にいる新太だけにしか聞こえない。
 見ればランドルフはすでにいつもの彼に戻っていた。人好きのする笑みを浮かべながら、新太のことを優しい表情で見つめている。
 新太はその呟きにただにっと笑って答える。一つの死闘を繰り広げた両者の間にそれ以上の言葉は必要ない。
 ランドルフが差し出してきた手を新太もぎゅっと掴む。両者の握手をもって、ゲームは幕引きを迎えた。

   * * *

「素晴らしい! とても素晴らしい試合だったぞ!」

 戦いを終えた両者へ真っ先に言葉を掛けたのは皇帝だった。
 彼は座っていた立会人席から立ち上がると、半ば駆け寄るようにして二人が座っていたテーブルへと近寄る。側仕えの小姓が彼の後を慌てて追いかける姿が少し滑稽に見えた。
 新太もランドルフもすぐに立ち上がり、皇帝へと深々と礼をする。顔を上げた瞬間、新太の目に飛び込んできたのは満面の笑みを浮かべる皇帝の姿だった。

「アラタ、そなたなかなかやるではないか! 息子を負かすとは、そなた相当の手練れだな!?」
「いえ、大した実力はございません。もちろん全力を尽くしましたが、勝利を得られたのは運が味方してくれたお陰です」
「ははは、オフィリア嬢が惚れ込んだだけのことはある! 彼女に似てとても謙虚な青年ではないか!」

 豪快に笑い声を上げた皇帝は息子の方に手を置くと「お前も見事な立ち回りだった!」と言って、慰めるように息子の肩を優しく叩いた。

「さて、審判には勝利の宣言をして貰わなくては――と言いたいところだが、お願いできそうかな?」

 茶目っ気たっぷりな口調でそう言った皇帝の視線の先にはフィルがいる。
 このときようやく新太は落ち着いてフィルの姿を視界に捉えることができた。正直、試合中はほとんど彼の方を見ることができずにいた。
 試合に集中していたせいもあるが、何よりも彼を見ることで自分の心がかき乱されるのが怖かったのだ。
 恐る恐る確かめるようにフィルの方へ視線を向けて、新太はギョッとする。視線の先にはボロボロと泣いている――という表現では物足りないほど、大粒の涙を大量に零し続けるフィルの姿があった。
 半ば放心状態の彼は涙で頬が濡れるのも気にとめず、ぼーっと虚ろな表情で虚空を見つめていた。ライトブルーの美しい瞳が涙に溶けて、そのうち無色透明になってしまうのではないかと不安さえ感じる。
「フィル様」と新太が彼の名前を小さな声で呟くと、ようやくフィルと新太の視線がぶつかった。
 その瞬間フィルはその美しい顔をくしゃりと歪め、大声を上げて泣き出してしまう。突然の事態に新太は頭が真っ白になった。

「ほら、アラタ。行ってあげなさい」
「はっ、はい!」

 優しく微笑むランドルフに促され、新太はフィルの方へ歩みを進める。
 椅子に座ったまま顔を覆って泣き続けるフィルの足下に跪き、仰ぎ見るようにフィルを見つめた。
 なんと声を掛けたら良いのだろう――と思うと同時に、こういうときランドルフだったら歯が浮くような格好いい台詞をすっと言えるのだろうな――とボキャブラリーの多い好敵手のことを羨ましく思う。
 ぐるぐると旋回する思考を止めることはできなくて、新太まで泣き出したい気分だった。

「フィル様、ただいま戻りました!」

 結局、口を突いて出たのは彼に会ったら一番最初に伝えたかった言葉だ。
 宮殿のダンスホールの扉を潜った瞬間、皇帝へ跪くフィルの姿を目にしたときに本当はこの言葉を伝えたかった。
 フィル様、ただいま戻りました。あとは任せてください、俺があなたを守ります――なんて言えていたらどれだけ格好良かっただろうか。
 結局あのときも今のように気が動転した結果、まるで戦国時代の武士が言いそうな堅苦しい挨拶しか出てこなかったのだけれど。
 不器用な新太の思いはフィルに通じたのか、天岩戸が開いていくようにフィルの両手がゆるゆると顔から除かれる。
 美しい白魚のような両手の間から現われたのは、この数週間新太が会いたくて会いたくて溜まらなかった美しい人の泣き顔だった。
 まるでいつぞやの俺のようだな――と内心苦笑しながら、新太はどけられた手を優しく取る。

「フィル様、俺勝ちましたよ」

 テストで良い点数を取って誇らしげな子どものような表情で、先ほどクイーンの駒にしたようにフィルの両手に恭しく口づけを落とした。
 ひゅっとフィルが息を飲む音が聞こえて、新太も思わずゴクリと唾を飲み下す。叱られたらどうしよう――と思いながら、恐る恐る顔を上げた。

「知ってる――!」

 目に飛び込んできたのは、満面の笑みを浮かべたフィルの表情だった。口調がキツいのは彼なりの照れ隠しなのだろう。
 新太がはにかむと縋るようにフィルの両腕が伸ばされ、気付いたときにはフィルが新太に抱きついていた。
 彼のその行動に自分が許されたことを悟り、ようやく新太の全身から力が抜ける。
 しばらくはそうしていたが、ランドルフが近寄ってきた気配を感じて二人は体を離した。二人のことを柔らかな眼差しで見下ろしていた彼は、「アラタには完敗です」と言って笑うと、新太とフィルの二人を優しく引き起こす。

「オフィリア嬢、宣言をお願いします」
「はい――。勝者はアラタ・コウサカ! これにより、皇太子ランドルフ・ゲオルク・ヴィシャ・ウェスティア殿下とわたくしオフィリア・アマーリエ・ベル・ラーディンとの婚約は破棄となります!」
「残念ですが受け入れましょう」

 ランドルフはそう言ってふぅっと大きく溜め息をつくと、皇帝に向き直り「陛下、宜しゅうございますね?」と確かめるように呟いた。
 実の父、ましてや皇帝に対する問いかけだというのに、ランドルフの眼差しは鋭い。暗に「何人たりともこの結論は覆させない」と釘を刺しているようで、新太は背中に薄ら寒いものを感じた。
 そしてそれは皇帝も同じであったのか、僅かに呻き声を上げながら渋々と言った表情で頷くのが見えた。

「ラーディン卿も諦めてくれましたね?」
「し、しかし殿下……これではあまりにも――」
「皇帝陛下もお認めになった采配に異を唱えると? 卿は皇室を敵に回しても良いということでしょうか――」
「い、いえ! そういうわけでは……!」

 泣きそうな顔をしたラーディン侯爵はランドルフの蔑むような冷たい眼差しに気圧されたのか、おどおどとしながら頷いた。
 恐らく侯爵の頭の中は怒りで真っ赤に染まっている。
 遠縁の娘を利用し、その兄を殺してでも手に入れたかった外戚の地位。散々苦労して推し進めてきた計画が、たかがチェスの試合ごときですべて水の泡にされたのだ。
 しかも目の敵にしていたフットマンがその犯人であるとなれば、ラーディン侯爵が怒るのは当然のこと。
 これ以上ランドルフに何かを言うことは難しいと判断したラーディン侯爵は、今は新太の方へその怒りの矛先を向けている。
 ここが公共の場でなければ、今にも飛びかかって噛み付いてきそうなほどギラギラとした目で新太のことを睨み付けていた。
 気まずさを感じながらも、新太はその威嚇の視線には気が付かないふりをしようと思い、さりげなく視線を外す。
 ピリピリとした雰囲気を一変させたのは、この空気を作り上げた張本人のランドルフだった。

「お集まりの皆様、ただいまの勝負はいかがでしたでしょうか?」

 これまでの険のある言葉遣いを封印して朗らかな声でそう告げると、その長い腕をすっと大きく広げ、新太とフィルの方へ注目するよう仕向けた。

「ここにいるフットマンのアラタは聖アルベストを思わせる勇敢な姿勢で僕へ勝負を挑み、僕――戦神ウォズボルを討ち取ってみせました。戦神に捧げられるはずだった乙女を、見事その手に取り戻したのです! その勇気と賢智を心から称え、褒美として騎士の称号を彼にお与えいただくよう皇帝陛下に申し出たいと存じますが、反対される方はおられますかな?」

 ランドルフのその発言に、再び会場中が割れるような歓声に包まれる。それは観衆による「否」の回答であり、新太への騎士号授与を後押しする声でもあった。

「えっ、えっ、えぇっ!? 殿下どういうことですか!?」
「どうもこうも、あなたに騎士爵を授けるという話ですよ。さぁ、こっちに来て!」

 騎士の称号が俺に!? 何やらとんでもないことに発展してしまったぞ――と思いながらフィルを見つめると、彼も新太と同じように固まっていた。彼もまたこの急展開に、情報整理が追いついていないらしい。
 ランドルフにずるずると引きずられるようにして皇帝の前まで連れて行かれると、その場で跪くよう指示される。しどろもどろになりながら新太はその言葉に従った。
 すると皇帝が小姓から手渡された剣の切っ先を新太の右肩、左肩と順番に当てる。新太にはその行為の目的がよく分かっていなかったのだが、それは皇帝から新太へ騎士の称号が与えられるための儀式だ。

「余は神より与えられし権限をもって、アラタ・コウサカに騎士の称号を授ける! 今後もウェスティア帝国繁栄のため尽くすように!」
「はっ、はいっ!」

 凜とした皇帝の宣誓によって、ただのフットマンが騎士爵を持つフットマンに変わってしまった瞬間だった。
 なんともおかしな騎士の任命式があったものである。
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