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第二巻:夏は、夜
ち÷知
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「どうしても、断れないのか?」
俺は、車の助手席で、後ろに向かってゴネていた。
「断れるんだったら、私も車に乗ってないわよ」
後部座席の社長も、ご機嫌斜めだ。
「茜は、ちょっとだけ楽しみですけど」
運転席の茜は、妙にワクワクした顔をしている。
俺たちは、ミイラと古代文明番組の収録へ向かっていた。
茜の元ヒモ問題の解決に力を借りてしまった金本の要望なので、飲まざるを得ないのだが、あれだけ嫌がっていたオカルト仕事を素直に受けては、優秀なマネージャーが感づくので、形山との自作自演中だ。
ちなみに今回は、結婚式の衣装で、古代文明を語り、目玉はエジプトの発掘現場と中継で繋ぎ、ミイラの入った木棺などを紹介してもらうという、服装以外は、マトモな部分もある番組だ。
「俺、タキシードだっけ?」
「あら、ウエディングドレスの方がよかったの?」
俺は、社長が出演しないのは婚前に着ると婚期がどうのとか、言いそうになって、危うく気がついた。
これは、『口にしてはいけない言葉』だ。
「いっそ、マスクで顔を隠して、タキシード仮面になりたいよ」
「沢田先生、茜がマスク用意しますから、楽屋で写真とりましょう!」
楽しそうだな、マネージャー。
というか、知ってるのか?
「再放送で見てました。茜は、海王星のネプチューンに憧れてました」
お姉さんキャラだっけ?
「え?五人の中に、そんなのいた?」
「さすがは、リアルタイム派。その後に出てきた上位互換キャラだ」
後部座席からの腕が、無言で俺の首を絞めあげる。
「沢田先生、それも『口にしては』、」
首絞められる前に言ってくれ。
「茜、車止めろ。俺、降りる、今すぐ止めろ」
「すみません。痛い目にあう沢田先生を見続けたいですが、タキシード仮面も見たいので、茜はアクセル踏み込んでます」
仮面は勘弁してもらったが、楽屋でタキシード姿の写真を撮られた。
さっそく、ミホから「何やらかしての罰ゲーム?」的なメッセージが入る。
志桜里からは、「先生、次のASMRは、タキシードでお願いします」。
いや、動画に映るのは、志桜里だけだから、俺の衣装関係ないから。
レイチェルからは、俺の隣に白いドレスを着た自分を合成したコラージュ写真が送られてきた。
この短時間で、このクオリティー、やだなに怖いこの子。
茜の電話が鳴った。
「はい?」
『茜ちゃん、そこどこ?すぐ行くから!』
『あみ!出番です!絶対ダメ!』
『だってー!』
俺の耳にも届く雄叫びの類が聞こえて、切れた。
どうせ出ない、俺ではなく、茜に電話するところが、よくわかっているな、あみ。
「なかなか好評ね、次はコスプレもいいかもね」
「・・・社長、この衣装の企画にカンでるのか?」
「どうしてわかったの?今回の衣装は、私のアイデアよ」
わが社の社長が、どれだけ優秀で馬鹿か、よくわかった。
「・・・俺、トイレ」
「あ、茜も」
以前マネージャーは、俺がトイレへ行くたびに、トイレの前でハンカチをもって待つという、どこの夜の飲食店だ、な事をしでかしてくれていた。
俺はちゃんとハンカチ持ってるのに、「また沢田先生ハンカチを忘れたみたいよ、くすくす」と笑いものになったので、やめてもらった。
メイドへの対抗心から、またはじめる気が、と思ったが、小さなポーチを見せてきた。
「えへっ。女の子の日なんです」
「・・・そうか、つらかったら、ちゃんと言え」
どうつらいのかは、理解できていないが、気遣うことくらいはできる。
「はい。では、のちほど」
男性用小便器の前に立って、ウエディングドレスの女性は大変だな、とか考えていた。
処女性の表れの純白の衣装そのものを汚さないようにとプレッシャーだろうに。
その隣に、金本が立った。
どうして、ここへ?
百万円は、翌日に事務所へ取りに来た彼の秘書に、現金で返したぞ。
また、何か要求を?
「そう、警戒しなさんな。わし、番組のスポンサーじゃから」
え?反社が、どうやって?
「露骨に嫌な顔をしなさんな。ちゃんと、表向きの顔『も』あるんじゃよ。おお、この前は、渡しておらなんだな。ダイゴ、名刺」
いつの間にか、俺と金本の間にあの大男が立ち、名刺を出してきた。
「あ、片手ですみません」
受け取ってみると、テレビCMもやっている某財団の会長の肩書。
「では、のちほどな」
金本は、俺より先に出し切り、護衛のダイゴを連れ、出ていった。
のちほど?
あの年であのキレとは現役なのだろうか、あの和装でどう出したんだろう、と現実逃避しながら、俺は手を洗った。
しまった、衣装のタキシードだから、ハンカチがない。
この局は、環境への取り組みで、ペーパータオルがない。
濡れた手を幽霊みたいに胸の前にかざして、こっそりトイレから顔を出したら、敏腕マネージャーが、ハンカチを差し出してきた。
『また沢田先生ハンカチを忘れたみたいよ、くすくす』
楽屋にハンカチあります、本当です、と声を大にしたかった。
「西原さん、元の職場の恋愛、切れたみたいだね」
スタジオに入った俺たちは、南方の民族衣装みたいなのを着た女性に話しかけられた。
だれ?
同じく首をひねっていた社長だが、その視線の先に、誰かを見つけたのか、離れていった。
苗字を呼ばれた茜も、きょとんとし、「あ」と口を開けた。
「・・・キャシー、さん?」
筋肉タレントの大谷との合コンにきたキャシー?
そういえば、占いで、茜にそんなことを言っていたような。
「でも、顔がもっと黒、」
「あ、普段が塗ってるの」
「でも、髪の色が、」
「あ、これ、ウィッグ」
面倒臭いなあ、どのパーツの組み合わせが本当の姿なの?
それより、出演者なのか?
「でも、衣装が、結婚式に関係なくありませんか?」
「あ、アフリカの方の結婚衣装だよ。楽そうだったから選んだ」
言われてみれば、集まってきている出演者は、略装というか簡易的な衣装が多い。
黒い和服とか、白いだけのドレスとか、お色直し後的なドレスまで、イカれてない服装の人の方が多い。
茜に目を向けたら、目を逸らして、「ふっ」と笑った。
確信犯だな。
絶対に、海王星ネプチューンのコスプレさせてやるぞ、ってご褒美になってしまうのか。
「・・・キャシーさんは、どんなトークを?」
万が一にも巻き込まれたくなくて、社交辞令もあって、聞いてみる。
「言ったじゃん、この前」
「はい?」
「あたし、みえる人なんですよ」
「・・・今回は、心霊ものじゃなくて、ミイラと古代文明ではありませんでしたか?」
何をみるっていうんだ?
「あ、それそれ、そのミイラ」
「・・・はい?」
「中継先のミイラを霊視して、口寄せするの」
まるっきりのオカルトじゃねえか。
茜に目を向けたら、目を逸らして、「ふっ」と笑った。
こいつ、クビにしておいた方がよかったんじゃないのか。
「生物学的には、重要度の高い脳を、ミイラ製作では、鼻から捨ててしまうのです。これを、心臓を重要視しすぎた無知と捉えず、死者復活のためには必須だった、と視点を変えてみると、現代での再生医療や死者の蘇生に、もしかしたらブレークスルーを得られるのかもしれません」
「沢田先生、ありがとうございました」
タキシードの唯一良い点は、左指の包帯を白手袋で隠せるところだな。
例のプロデューサーの両隣に、社長と金本が陣取っているのが見え、茜の笑顔が目に入っても、不安しかない。
金本が顎をしゃくると、カンペが出た。
せめて、やらせでもプロデューサーを経由しようよ。
『沢田先生の体験談的なエピソード!』
ごまかす気もないのか、事前に印刷されたカンペで、手書きですらない。
まるで台本通りかのようにMCが、
「沢田先生は、何か不思議な体け、」
『スタジオのみなさーん!』
突然、スタジオの大画面に男が映った。
どうやら、エジプトとの中継がつながったようだ。
『ちっ』と四人の舌打ちする仕草が見えた。
プロデューサー、あんたに舌打ちされるいわれはないぞ。
『見えますか?これが、ついさきほど、発掘現場から引き揚げられたばかりのミイラが入ったお棺です!』
表面に、様々な装飾がある美しい木棺。
「あの、現地のマーシーさん?マーシーさん聞こえてますか?」
『簡単に鑑定してもらったところ、どうやら身分の高い神官のようです!』
『おお』とスタジオから、声があがる。
『では、さっそくレイシお願いします!』
どうやら、現地にうまく指示が伝わらないらしく、一方的に台本通りに進行し、こちらへ振ってきた。
画面では、先の木棺が大写しになっている。
「・・・では、霊能者のキャシー坂本先生。霊視をお願いします」
ドタバタとキャシーがひな壇からスタジオ中央へ呼びされ、精神集中がはじまる。
「・・なうまくさんまんたばさらたんかんなうまくさんまんたばさらたんかん・・・ぎゃーてーぎゃーてはらぎゃーてーはらそーぎゃーてーぼーじーそ-わかー・・・ぱいぽぱいぽぱいぽ・・・りんぴょうとうしゃかいじんれつぜんぎょう。いえいっ!」
なにやら呪文を唱え、気合の声を上げる。
寿限無が混ざってなかったか?
スタジオが静まり返る。
「・・・この方は、身分の高い神官です」
うん、現地の人が、そう言ってたね。
「・・・この方は、無念を抱えて、亡くなっています。死にたくない、死にたくないとの念が、伝わってきます」
まあ、何の憂いもなく大往生の人って、多くなさそうだよね。
「・・・神の宣託が、占いが、うまくいかない。外れて、怒りをかい、入浴中に、殺された?」
スタジオに、「うわ」といった軽い悲鳴。
なんだか、占い師の君が心配になる言葉だよ。
「ちだ。ちのうみ。ちまみれ。ちちちっちいいいいいいい」
様子がおかしい。
「あの、キャシー坂本先生?キャシー先生?どうしました?大丈夫ですか?」
MCが、話かけるが、何かを呟き続けるだけ。
演出ではないらしい。
手書きのカンペが出る。
「霊視の結果は、後ほど。で」
「きぃじゃああ△××〇ーーーーーーー!」
どうやら編集点をつくって、収録を止めるつもりだったらしい。
が、MCの言葉を遮って、キャシーが奇声を上げた。
それは、人の声とは思えないノイズで、ひと昔前のモデムかFAXがつながるときのような音だった。
そして、彼女は正面のカメラに向かって、飛び掛かった。
「ちだちだちだちだちだ!」
しかし、その前に進み出ていた金本の護衛のダイゴが、彼女を床に組み伏した。
それでも、大声をあげる彼女。
「ちだちだちだちだふろをちだちだちのうみにちだちだしてやるちだちだ」
そして、急に静かになり、うつ伏せに床に押しつけられ、後ろ手にされた右手を、強引にダイゴの拘束から引き抜いた。
ゴキっと何かが外れるか折れるかした音が響くが、キャシーも、そしてスタジオの誰も、声を上げない。
その壊れた、動かせそうもない右手を、ひな壇へ向け、叫んだ。
「おまえだ!」
叫んで、気を失ったキャシーは、救急車で運ばれていった。
収録は、ひな壇にいた自称霊感があるという芸風のお笑いコンビが、『この方は、もう亡くなっています』『そりゃミイラだからな!』という笑いの方向で『霊視』を行い、終了した。
金本は超上機嫌で、プロデューサーや社長、超不機嫌そうなダイゴを連れ、超高級店へ繰り出していった。
俺も誘われたが、収録の疲れが伝わって、断ることができた。
誰も気づいていないようだが、キャシーが最後に指さしたのは、俺だ。
目が、あった。
「キャシーさん、大丈夫でしょうか」
俺を送る車の中で、茜が呟いた。
「意外と、何も覚えてないって、明日スッキリ目が覚めそうだけどな」
そうであってほしい、という願望でもある。
「占い、当たるんでしょうか」
自分の元職場の恋愛に関して当たっていたため、今回の意味がわからない叫びが、占いとしての意味があるのか、心配なのだろう。
俺は、わざと明るく、
「確かに、茜は上司には恵まれてるし、同僚の俺は、優しいしな。俺はメイドに注意だったし、当たってるのかもな?」
うん?
上司の社長は、いち早く元セクシー女優なんて肩書を気にせず茜の才能を見抜いて、マネージャーにした。
恵まれてるよな。
「恋愛に向かない環境らしいですよ、ウチの事務所」
「言われてみれば、未婚の男性社員、少ないな」
「・・・同僚が優しくないと思います」
少し笑顔が出たころ、部屋の側までついた。
「おやすみ。気をつけて帰れよ、最近、笑顔が足りない茜」
「・・・はい、おやすみなさい、いつも優しさが足りない沢田先生」
鍵を開け、部屋に入る。
明るいリビングで、
「・・・おかえりなさい、おにいちゃん」
「ただいま」
夏月は、スンと鼻を鳴らして、
「血の匂い、また怪我?」
「いや、まだ骨折は治ってないけど、出血はしてないよ」
さっきまでいっしょだった茜が生理だったが、関係ないだろう。
救急車で運ばれたキャシーは怪我をしたが、俺は近寄っていない。
「・・・社長といっしょだった?」
「ああ、オカルト番組の仕事だったんだ」
夏月が、俺の左手を見つめてくる。
気のせいか、少し目つきが厳しい。
「そう。ボクもう寝るね」
また俺のスエットを勝手に借用して、だぶだぶの姿で立ち上がった夏月は、
「おやすみなさい、おにいちゃん」
とリビングの照明を消し、自分の部屋へ入っていった。
真っ暗にしたのは、怪我の治りが遅い俺への心配からの反発、なのだろうか。
「おやすみ、夏月」
俺は、ドアを開けっぱなしの寝室の照明をつけた。
明るくなる直前の闇に、あの目を思い出して、少し震えた。
俺は、車の助手席で、後ろに向かってゴネていた。
「断れるんだったら、私も車に乗ってないわよ」
後部座席の社長も、ご機嫌斜めだ。
「茜は、ちょっとだけ楽しみですけど」
運転席の茜は、妙にワクワクした顔をしている。
俺たちは、ミイラと古代文明番組の収録へ向かっていた。
茜の元ヒモ問題の解決に力を借りてしまった金本の要望なので、飲まざるを得ないのだが、あれだけ嫌がっていたオカルト仕事を素直に受けては、優秀なマネージャーが感づくので、形山との自作自演中だ。
ちなみに今回は、結婚式の衣装で、古代文明を語り、目玉はエジプトの発掘現場と中継で繋ぎ、ミイラの入った木棺などを紹介してもらうという、服装以外は、マトモな部分もある番組だ。
「俺、タキシードだっけ?」
「あら、ウエディングドレスの方がよかったの?」
俺は、社長が出演しないのは婚前に着ると婚期がどうのとか、言いそうになって、危うく気がついた。
これは、『口にしてはいけない言葉』だ。
「いっそ、マスクで顔を隠して、タキシード仮面になりたいよ」
「沢田先生、茜がマスク用意しますから、楽屋で写真とりましょう!」
楽しそうだな、マネージャー。
というか、知ってるのか?
「再放送で見てました。茜は、海王星のネプチューンに憧れてました」
お姉さんキャラだっけ?
「え?五人の中に、そんなのいた?」
「さすがは、リアルタイム派。その後に出てきた上位互換キャラだ」
後部座席からの腕が、無言で俺の首を絞めあげる。
「沢田先生、それも『口にしては』、」
首絞められる前に言ってくれ。
「茜、車止めろ。俺、降りる、今すぐ止めろ」
「すみません。痛い目にあう沢田先生を見続けたいですが、タキシード仮面も見たいので、茜はアクセル踏み込んでます」
仮面は勘弁してもらったが、楽屋でタキシード姿の写真を撮られた。
さっそく、ミホから「何やらかしての罰ゲーム?」的なメッセージが入る。
志桜里からは、「先生、次のASMRは、タキシードでお願いします」。
いや、動画に映るのは、志桜里だけだから、俺の衣装関係ないから。
レイチェルからは、俺の隣に白いドレスを着た自分を合成したコラージュ写真が送られてきた。
この短時間で、このクオリティー、やだなに怖いこの子。
茜の電話が鳴った。
「はい?」
『茜ちゃん、そこどこ?すぐ行くから!』
『あみ!出番です!絶対ダメ!』
『だってー!』
俺の耳にも届く雄叫びの類が聞こえて、切れた。
どうせ出ない、俺ではなく、茜に電話するところが、よくわかっているな、あみ。
「なかなか好評ね、次はコスプレもいいかもね」
「・・・社長、この衣装の企画にカンでるのか?」
「どうしてわかったの?今回の衣装は、私のアイデアよ」
わが社の社長が、どれだけ優秀で馬鹿か、よくわかった。
「・・・俺、トイレ」
「あ、茜も」
以前マネージャーは、俺がトイレへ行くたびに、トイレの前でハンカチをもって待つという、どこの夜の飲食店だ、な事をしでかしてくれていた。
俺はちゃんとハンカチ持ってるのに、「また沢田先生ハンカチを忘れたみたいよ、くすくす」と笑いものになったので、やめてもらった。
メイドへの対抗心から、またはじめる気が、と思ったが、小さなポーチを見せてきた。
「えへっ。女の子の日なんです」
「・・・そうか、つらかったら、ちゃんと言え」
どうつらいのかは、理解できていないが、気遣うことくらいはできる。
「はい。では、のちほど」
男性用小便器の前に立って、ウエディングドレスの女性は大変だな、とか考えていた。
処女性の表れの純白の衣装そのものを汚さないようにとプレッシャーだろうに。
その隣に、金本が立った。
どうして、ここへ?
百万円は、翌日に事務所へ取りに来た彼の秘書に、現金で返したぞ。
また、何か要求を?
「そう、警戒しなさんな。わし、番組のスポンサーじゃから」
え?反社が、どうやって?
「露骨に嫌な顔をしなさんな。ちゃんと、表向きの顔『も』あるんじゃよ。おお、この前は、渡しておらなんだな。ダイゴ、名刺」
いつの間にか、俺と金本の間にあの大男が立ち、名刺を出してきた。
「あ、片手ですみません」
受け取ってみると、テレビCMもやっている某財団の会長の肩書。
「では、のちほどな」
金本は、俺より先に出し切り、護衛のダイゴを連れ、出ていった。
のちほど?
あの年であのキレとは現役なのだろうか、あの和装でどう出したんだろう、と現実逃避しながら、俺は手を洗った。
しまった、衣装のタキシードだから、ハンカチがない。
この局は、環境への取り組みで、ペーパータオルがない。
濡れた手を幽霊みたいに胸の前にかざして、こっそりトイレから顔を出したら、敏腕マネージャーが、ハンカチを差し出してきた。
『また沢田先生ハンカチを忘れたみたいよ、くすくす』
楽屋にハンカチあります、本当です、と声を大にしたかった。
「西原さん、元の職場の恋愛、切れたみたいだね」
スタジオに入った俺たちは、南方の民族衣装みたいなのを着た女性に話しかけられた。
だれ?
同じく首をひねっていた社長だが、その視線の先に、誰かを見つけたのか、離れていった。
苗字を呼ばれた茜も、きょとんとし、「あ」と口を開けた。
「・・・キャシー、さん?」
筋肉タレントの大谷との合コンにきたキャシー?
そういえば、占いで、茜にそんなことを言っていたような。
「でも、顔がもっと黒、」
「あ、普段が塗ってるの」
「でも、髪の色が、」
「あ、これ、ウィッグ」
面倒臭いなあ、どのパーツの組み合わせが本当の姿なの?
それより、出演者なのか?
「でも、衣装が、結婚式に関係なくありませんか?」
「あ、アフリカの方の結婚衣装だよ。楽そうだったから選んだ」
言われてみれば、集まってきている出演者は、略装というか簡易的な衣装が多い。
黒い和服とか、白いだけのドレスとか、お色直し後的なドレスまで、イカれてない服装の人の方が多い。
茜に目を向けたら、目を逸らして、「ふっ」と笑った。
確信犯だな。
絶対に、海王星ネプチューンのコスプレさせてやるぞ、ってご褒美になってしまうのか。
「・・・キャシーさんは、どんなトークを?」
万が一にも巻き込まれたくなくて、社交辞令もあって、聞いてみる。
「言ったじゃん、この前」
「はい?」
「あたし、みえる人なんですよ」
「・・・今回は、心霊ものじゃなくて、ミイラと古代文明ではありませんでしたか?」
何をみるっていうんだ?
「あ、それそれ、そのミイラ」
「・・・はい?」
「中継先のミイラを霊視して、口寄せするの」
まるっきりのオカルトじゃねえか。
茜に目を向けたら、目を逸らして、「ふっ」と笑った。
こいつ、クビにしておいた方がよかったんじゃないのか。
「生物学的には、重要度の高い脳を、ミイラ製作では、鼻から捨ててしまうのです。これを、心臓を重要視しすぎた無知と捉えず、死者復活のためには必須だった、と視点を変えてみると、現代での再生医療や死者の蘇生に、もしかしたらブレークスルーを得られるのかもしれません」
「沢田先生、ありがとうございました」
タキシードの唯一良い点は、左指の包帯を白手袋で隠せるところだな。
例のプロデューサーの両隣に、社長と金本が陣取っているのが見え、茜の笑顔が目に入っても、不安しかない。
金本が顎をしゃくると、カンペが出た。
せめて、やらせでもプロデューサーを経由しようよ。
『沢田先生の体験談的なエピソード!』
ごまかす気もないのか、事前に印刷されたカンペで、手書きですらない。
まるで台本通りかのようにMCが、
「沢田先生は、何か不思議な体け、」
『スタジオのみなさーん!』
突然、スタジオの大画面に男が映った。
どうやら、エジプトとの中継がつながったようだ。
『ちっ』と四人の舌打ちする仕草が見えた。
プロデューサー、あんたに舌打ちされるいわれはないぞ。
『見えますか?これが、ついさきほど、発掘現場から引き揚げられたばかりのミイラが入ったお棺です!』
表面に、様々な装飾がある美しい木棺。
「あの、現地のマーシーさん?マーシーさん聞こえてますか?」
『簡単に鑑定してもらったところ、どうやら身分の高い神官のようです!』
『おお』とスタジオから、声があがる。
『では、さっそくレイシお願いします!』
どうやら、現地にうまく指示が伝わらないらしく、一方的に台本通りに進行し、こちらへ振ってきた。
画面では、先の木棺が大写しになっている。
「・・・では、霊能者のキャシー坂本先生。霊視をお願いします」
ドタバタとキャシーがひな壇からスタジオ中央へ呼びされ、精神集中がはじまる。
「・・なうまくさんまんたばさらたんかんなうまくさんまんたばさらたんかん・・・ぎゃーてーぎゃーてはらぎゃーてーはらそーぎゃーてーぼーじーそ-わかー・・・ぱいぽぱいぽぱいぽ・・・りんぴょうとうしゃかいじんれつぜんぎょう。いえいっ!」
なにやら呪文を唱え、気合の声を上げる。
寿限無が混ざってなかったか?
スタジオが静まり返る。
「・・・この方は、身分の高い神官です」
うん、現地の人が、そう言ってたね。
「・・・この方は、無念を抱えて、亡くなっています。死にたくない、死にたくないとの念が、伝わってきます」
まあ、何の憂いもなく大往生の人って、多くなさそうだよね。
「・・・神の宣託が、占いが、うまくいかない。外れて、怒りをかい、入浴中に、殺された?」
スタジオに、「うわ」といった軽い悲鳴。
なんだか、占い師の君が心配になる言葉だよ。
「ちだ。ちのうみ。ちまみれ。ちちちっちいいいいいいい」
様子がおかしい。
「あの、キャシー坂本先生?キャシー先生?どうしました?大丈夫ですか?」
MCが、話かけるが、何かを呟き続けるだけ。
演出ではないらしい。
手書きのカンペが出る。
「霊視の結果は、後ほど。で」
「きぃじゃああ△××〇ーーーーーーー!」
どうやら編集点をつくって、収録を止めるつもりだったらしい。
が、MCの言葉を遮って、キャシーが奇声を上げた。
それは、人の声とは思えないノイズで、ひと昔前のモデムかFAXがつながるときのような音だった。
そして、彼女は正面のカメラに向かって、飛び掛かった。
「ちだちだちだちだちだ!」
しかし、その前に進み出ていた金本の護衛のダイゴが、彼女を床に組み伏した。
それでも、大声をあげる彼女。
「ちだちだちだちだふろをちだちだちのうみにちだちだしてやるちだちだ」
そして、急に静かになり、うつ伏せに床に押しつけられ、後ろ手にされた右手を、強引にダイゴの拘束から引き抜いた。
ゴキっと何かが外れるか折れるかした音が響くが、キャシーも、そしてスタジオの誰も、声を上げない。
その壊れた、動かせそうもない右手を、ひな壇へ向け、叫んだ。
「おまえだ!」
叫んで、気を失ったキャシーは、救急車で運ばれていった。
収録は、ひな壇にいた自称霊感があるという芸風のお笑いコンビが、『この方は、もう亡くなっています』『そりゃミイラだからな!』という笑いの方向で『霊視』を行い、終了した。
金本は超上機嫌で、プロデューサーや社長、超不機嫌そうなダイゴを連れ、超高級店へ繰り出していった。
俺も誘われたが、収録の疲れが伝わって、断ることができた。
誰も気づいていないようだが、キャシーが最後に指さしたのは、俺だ。
目が、あった。
「キャシーさん、大丈夫でしょうか」
俺を送る車の中で、茜が呟いた。
「意外と、何も覚えてないって、明日スッキリ目が覚めそうだけどな」
そうであってほしい、という願望でもある。
「占い、当たるんでしょうか」
自分の元職場の恋愛に関して当たっていたため、今回の意味がわからない叫びが、占いとしての意味があるのか、心配なのだろう。
俺は、わざと明るく、
「確かに、茜は上司には恵まれてるし、同僚の俺は、優しいしな。俺はメイドに注意だったし、当たってるのかもな?」
うん?
上司の社長は、いち早く元セクシー女優なんて肩書を気にせず茜の才能を見抜いて、マネージャーにした。
恵まれてるよな。
「恋愛に向かない環境らしいですよ、ウチの事務所」
「言われてみれば、未婚の男性社員、少ないな」
「・・・同僚が優しくないと思います」
少し笑顔が出たころ、部屋の側までついた。
「おやすみ。気をつけて帰れよ、最近、笑顔が足りない茜」
「・・・はい、おやすみなさい、いつも優しさが足りない沢田先生」
鍵を開け、部屋に入る。
明るいリビングで、
「・・・おかえりなさい、おにいちゃん」
「ただいま」
夏月は、スンと鼻を鳴らして、
「血の匂い、また怪我?」
「いや、まだ骨折は治ってないけど、出血はしてないよ」
さっきまでいっしょだった茜が生理だったが、関係ないだろう。
救急車で運ばれたキャシーは怪我をしたが、俺は近寄っていない。
「・・・社長といっしょだった?」
「ああ、オカルト番組の仕事だったんだ」
夏月が、俺の左手を見つめてくる。
気のせいか、少し目つきが厳しい。
「そう。ボクもう寝るね」
また俺のスエットを勝手に借用して、だぶだぶの姿で立ち上がった夏月は、
「おやすみなさい、おにいちゃん」
とリビングの照明を消し、自分の部屋へ入っていった。
真っ暗にしたのは、怪我の治りが遅い俺への心配からの反発、なのだろうか。
「おやすみ、夏月」
俺は、ドアを開けっぱなしの寝室の照明をつけた。
明るくなる直前の闇に、あの目を思い出して、少し震えた。
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