午後の紅茶にくちづけを

TomonorI

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第2章 ダージリン・セカンドフラッシュ

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設備された冷房が廊下まで良く効いていて生徒数名と固まって歩いても暑苦しくないほど快適な校内でも、冷房も入らず窓さえも締め切られている空き教室ともなれば額にうっすらと汗が滲む晴天の午前中、智瑛莉はハンカチで額の汗をふき取った。
二限が終わった後の休み時間に、友達でクラスメイトのひかりの手伝いで演劇部の荷物を運ぶのを手伝っていた。
演劇部も空き教室を部室としているようだったが、紅茶部の部室と違って豪華なソファーやグランドピアノ、ティーセットがある華やかなものと違い、教壇の方に稽古場を構えその他の空間は大道具や衣装と小物などが、以前まで生徒の使っていたであろう学習机にダンボールに入ったまま積み上げられていて、入り切らないほどの大きいものは床にインテリアのように置かれていた。

「ごめんね、智瑛莉。ありがとう」

自分と同じく位の体格のひかりは小道具の入ったダンボールを辛うじて空いている机の上に置くと智瑛莉に笑顔でお礼を言う。
智瑛莉も同じくらいの大きさのダンボールを抱えたまま、大丈夫と微笑んで答えた。

「それは床に置いていいよ。しばらく使ってないみたいだから、綺麗にしないといけないし」
「そうなんだ。わかった」

智瑛莉はひかりに言われるまま床にそっとダンボールを置き、立ち上がると他の部活の部室が珍しく当たりを興味深く見回した。
演劇の台本なのか資料なのか、部屋の奥にある本棚は、本と冊子でいっぱいで、この部屋に似つかわしくない程の華やかな衣装だけは丁寧にちゃんとハンガーラックにかけられていて、窓の一部をおおっている大道具の板には、どこかの童話に出てくるような舞踏会の背景が細かくまで描かれていた。

「そんなに珍しい?」

辺りをキョロキョロ見回していた智瑛莉に少し嬉しそうなひかりは首を傾げて問いかけた。

「うん。本当に演劇部なんだね」
「そうだよー。智瑛莉も今から入る?」

冗談めかしてひかりは笑って智瑛莉を勧誘してみるが、お姉様がいるからとすかさず智瑛莉は断った。

「私じゃなくても、藤原クンがいるじゃない」
「あぁ…アイツね…」

同じくクラスメイトの藤原葉月の名前を出すと、ひかりは少し渋い顔をして目を逸らした。
その目線がハンガーラックにかけられている、どこかの国の王子様の様なきらびやかな衣装に向かっていた。

「アイツね…背も高いし、顔もいいし、もとからあんな性格でしょ?だから今度の発表界では王子様役になったの…」

ちょっとムカつくけど、と小声で付け加えたひかりは衣装を見つめたままため息を漏らした。

「へぇ、やっぱり。外国の王子様みたいだもんね」
「だからアイツ調子に乗って全然真面目にお稽古しないのよ」
「え、それなのにそんな役するの?」
「そう。なんだかんだセリフはちゃんと覚えてるし、仕草も表情も完璧なの」

呆れたようにも嬉しそうにも見えるように笑ったひかりは、もう帰ろっかと智瑛莉に微笑んだ。
智瑛莉も足元のダンボールや木板などを踏まないように入口に向かいながら頷いた。

「見えないところで練習してるのかな?」
「まさか。アイツがそんなことするわけ…」

ひかりが入る時開けっ放しにしていた入口から出ていこうとすると、小走りの女子生徒がちょうど入って来ようとしていて鉢合わせになった。
ひかりは驚ききゃっと声を上げて跳ねるように後ろに下がると、やや強引に入ってきた女子生徒は、ごめんなさいと口早に謝罪すると何かに追われているように身を隠しながらドアを閉めた。
突然のことに驚きっぱなしの智瑛莉が、いきなり演劇部の部室に入ってきて、さらにドアを閉め身を小さくしている生徒に何事かと声をかけようとすると、見覚えのある生徒であることに気づいた。

「ま、真美子…さん?」

黒髪のミディアムボブで色白の生徒はその声に振り返ると、智瑛莉に気づいたようで驚きつつもごめんなさいねとまた謝った。
ひかりは初めて接触する生徒会長兼午後の紅茶部部長の存在に目を何度か瞬かせていた。

「ご、ごめんなさいね智瑛莉さん。貴女も突然の来訪申し訳ありませんわ」

真美子は申し訳なさそうに2人に頭を下げて、ドアに何かいるかのように身構えてそっと距離を置いた。
普段のお淑やかで可憐な真美子とは違う様子に智瑛莉は心配になりながら問いかける、

「真美子さん?どうかなさったんですか?」
「え、えぇ…ちょっと…逃げてきました」
「逃げてきた…誰かに追われてますの?」
「お、追われてると言いますか…」

真美子は何かに怯えるように俯くので、心配になった智瑛莉は歩み寄って大丈夫でしたか?と問いかけた。

「し、白樺か、か会長…っ!!」

智瑛莉が真美子を落ち着かせるように、手を握って背中を撫でてやっているとその2人の様子を見ていたひかりが目を輝かせて真美子を会長呼びする。
興奮気味の声に真美子本人だけでなく、智瑛莉も驚いた。

「白樺会長…ですよね?わぁ、本物ですか!?」

あたかも芸能人にあったかのように目を輝かせるひかりに、戸惑った真美子は一旦智瑛莉と目を見合わせるが、窺うように答える。

「え、えぇ…私が、白樺ですが…」
「わ、私、演劇部1年の榎土ひかりと申します!!」
「まぁ、演劇部の方ですのね」
「はい…あ、あの私…白樺会長のファンで…握手してください…」

そう言ったひかりは真美子の前に右手を差し出した。
ひかりの目の輝きと興奮してる様子に智瑛莉は驚くが、目の前で何かに怯えている先輩がここまで人気があることにも驚いた。

「ふふ、榎土さん。そんなに改まらなくてもいいんですのよ?」

真美子は少し照れたようにも笑って差し出されたひかりの手に応えるように、両手で包むような握手をした。
するとひかりはさらに嬉しそうにしてありがとうございますっと震えた声で何度も真美子に伝える。

「…嬉しいですぅ…ありがとうございます、会長ぉ…」
「いえ、こちらこそありがとうございます。でもファンだなんて照れますわね」
「か、会長のファンは、私だけじゃなくて…もっといっぱいいっぱいいますわ」
「まぁ、ありがたい話ですこと」

真美子は興奮気味のひかりにふふっと微笑む様子を見るに、先程よりも落ち着いたように思えた。
智瑛莉は2人が握手を交わし終えたのを見計らって、もう一度真美子にどうしたのかを問いかけた。

「え、えぇ…実は…」
「実は…?」

智瑛莉の問いかけに答えようとするが、理由を思い出そうとする真美子の表情はどんどん曇っていく。

「ちょっとこの階に用があって来たんですけれども…その、3年生の教室に戻ろうとした時に…」

余程おぞましいことでも思い出しているのか、ただでさえ白い顔が青白くなって真美子は口元に手を添えた。
智瑛莉もひかりもその様子に息を飲んで続きに耳を傾ける。

「…この学年の…男性…教師が…2名程…見えまして」
「え?」
「男性教師…なるほど」

真美子がそこまで言うと話を理解した智瑛莉は深く頷くが、話の見えないひかりは疑問符をうかべて智瑛莉に説明を求めるように視線を向けた。

「ごめんなさいね。それだけって思うかもしれませんが…もう私、体が勝手に…」
「いえ、私わかってますから。私が3年生の教室まで送って差し上げますわ」
「智瑛莉さん…。ありがとうございます」
「そ、それなら私も会長の護衛に」

陽菜乃が真美子を落ち着かせるときにいつもするようなことを、真美子にしながらそう提案すると話は分からないながらも真美子を心配するひかりも付いていく意思表示をした。
後輩2人に心配されてしまっては申し訳なさと情けなさを感じるが、今の真美子にはとても心強く思えた。

「榎土さんも、ありがとうございます。ごめんなさいね、こんなみっともない会長で」

安心したように智瑛莉の手を握る真美子は、自分のファンというひかりに眉を下げて自嘲気味に笑うも、ひかりは首が取れるのではないかと言うほど顔を横に振る。

「そ、そんなことございません!!私にとって、白樺会長はいつだって素敵で美しい方で、私の憧れなんですから!!」
「まぁ…、私は幸せ者ですわね。こんなに素敵で可愛らしくて逞しい後輩をもてて」
「…か、会長ぉ…ぅ」

憧れの真美子にそうまで言われると、ひかりは感極まって自分の手をきつく握り締めながら目を潤ませる。
智瑛莉は初めて見るひかりの一面に、素直な子だなと感心していた。

「では、真美子さん、そろそろ参りましょうか」
「えぇ。智瑛莉さん、榎土さん、ありがとうございます」
「いえ、安心して大丈夫ですから」

智瑛莉が真美子の代わりにドアを開けると、左右を見回して周りに男性がいないかを確認すると、ひかりと真美子と一緒に演劇部の部室を出た。
そのまま1階の廊下を歩いていき中央階段にまで着くと、真美子の後ろを守るように歩いていたひかりは背中から暑苦しく鬱陶しさを纏った衝撃を受けた。

「ひっかりー!!」
「きゃっ!!」

背後からの衝撃に驚きの声を上げてふらつくひかりを振り向く智瑛莉は、何が起きたかが見て一瞬で分かると、ため息が漏れた。
ひかりの後ろには金髪のショートヘアで高身長の女子生徒がいて、ひかりを後ろから抱きしめて立ち止まっていた。
真美子はその様子にまぁ、と声を上げて愉快なお友達ですわね、と智瑛莉に微笑むが、アイツは危険ですと、そっと真美子を庇うように前に出た。

「もー、ひかりってば、ボクがちょっと他の姫達と話してる間に智瑛莉とどっかに行くんだもん。探したよー。でも、親切な香り高い薔薇が教えてくれたよ」

藤原葉月がどこかの映画のセリフの様なことを言いながらひかりを愛おしそうに抱きしめていた。

「あー、もうっ離してよ!!私はね、アンタが遊んでる間に部活の仕事してたの!!」
「へぇ。働き者のシンデレラには王子様の愛をあげないとだね」

真美子と智瑛莉を放ったらかしのまま葉月は後ろから頬に軽いキスをした。
頬に唇の感触がするとひかりは恥ずかしくて頬を染めるどころか、血の気が引いたように顔に色がなくなっていった。

「か、会長…い、今のうちに…」

ガッツリ後ろからホールドされているひかりは、真美子と智瑛莉に目だけで早く行けと訴えてきたので、智瑛莉はそれを受け取り真美子に階段を登るようすすめる。

「ま、真美子さん、アイツは危険な奴です。ひかりには悪いですが、今のうちに行きましょう」
「え、えぇ…」
「…会長…?」

真美子が智瑛莉に諭されるままに階段を登ろうとすると、ひかりを抱いたままの葉月はその背中に目をやると、真美子の黒髪と姿勢の良さにどことなく見覚えがあり背中に向かって声をかけた。

「真美子?」
「は、はい?」

葉月の声に真美子は思わず反応して顔を向けると、葉月は思った通りの人物であると分かりひかりを解放すると、笑顔で次は真美子の方に駆け寄るとすかさずに抱き寄せた。
突然のことに真美子自身だけでなく、智瑛莉とひかりも目を丸めてその光景を見ていたが、葉月はお構い無しに真美子を正面から抱きしめていた。

「やっぱり真美子だ、やっと出逢えたね。ボクの女神様」
「あ、あの…」
「ちょっと!!バカ!!会長に何してんのよ!!」
「藤原クン!?何してるの!?」

いきなり後輩に親しげに抱き寄せられても大人しくしている真美子から、葉月を引き剥がそうと智瑛莉とひかりは葉月の制服を掴んだ。
すると真美子は、あっ、と思い出したように声を上げると自ら体を離して、階段でも背の高い葉月を見上げ顔を見つめた。
葉月は真美子と目が合うと嬉しそうに左目でウインクをして久しぶりだね、と微笑んだ。

「まぁ、貴女…葉月さんね?まぁ、お久しぶりですわね。まさかウチの学校に来ていただなんて…知りませんでしたわ」
「もちろんだよ。毎年日本が真美子を奪っていくから、今回はボクから女神様に逢いに来たんだよ」
「ふふっ、その話し方も変わりませんのね」
「変わらないって?それは真美子にそうさせるような魔法をかけられてるからさ」

おかしく笑いながらも親しげに葉月と会話をする真美子に智瑛莉もひかりもついていけずポカンとその様子をただただ見ていた。
それに気づいたま真美子は葉月の方を手で差して、智瑛莉に関係性を説明を始める。

「葉月さんはね、私のお父様の古くからの友人のお嬢さんですのよ」
「え?藤原クンがですか!?」
「なんだよ智瑛莉ぃ、そんなに意外かい?」
「だって、アンタ去年までフランスの学校通ってたって…」
「はい。葉月さんは元々フランスに住んでいらして、そこの学校に通っていらしたのよ。それで、私が長期休暇の時はお父様とフランスに滞在していたので、その間のお友達です」

真美子は微笑んだまま葉月との仲を2人に説明するが、智瑛莉もひかりも葉月のような人間が真美子のようなお嬢様と友人であることが不思議で、なかなか納得いく解釈ができず首をひねった。

「葉月さんも素敵なお友達が出来て良かったですわね」
「うん。智瑛莉もひかりもボクの大事なお姫様だよ」

葉月は自分の制服を掴んでくる智瑛莉とひかりと肩を組んで真美子にまたウインクをした。
いきなり肩を組まれて2人は嫌そうにするがその様子が微笑ましく思えた真美子は、仲が良さそうでよろしいですわ、と微笑んだ。

「真美子、また会えてよかったよ。これもきっと神様が紡いだ運命だね」
「ふふ、葉月さんこそお元気そうで良かったですわ」
「それは真美子がずっとボクの中にいたからだよ」
「ふふ、ありがとうございます」

葉月の発言を軽く流して微笑み真美子は、腕時計で時間を確認すると3人に頭を下げた。

「ごめんなさいね、もうすぐ始業の鐘が鳴ってしまいますわ…。智瑛莉さん榎土さん、私の私情に巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。私はもう1人で大丈夫ですので、御三方は教室に戻ってくださいませ」
「そ、そんな…頭をあげてください真美子さん」
「そうですよ、会長!!会長こそ、早く教室に戻ってください!!」

智瑛莉とひかりは問題ないと真美子にいいきかせ、葉月の制服を掴んだまま半端に登った階段を降りて自分たちの教室に戻ろうとする。
真美子は1年生達にありがとうございますともう一度頭を下げた。

「なっ、真美子、次は2人でゆっくり話そうね」
「ちょっと、会長に舐めた口きくんじゃないわよ!!」
「ええ是非。その時は榎土さんもゆっくりお話しましょうね」

教室に戻っていこうとしていく後輩たちに笑顔で手を振りながら答える真美子はその姿が見えなくなるまで、感謝と謝罪の意を込めて見送り、見えなくなるとくるっと背を向けて、3階の自分の教室まで階段を登っていった。




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