毒を喰らわば皿まで

十河

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その林檎は齧るな

その林檎は齧るな-3

 しかし、隣に悠然と腰掛けていた男からぶわりと漏れ出た殺気と威圧感に、情けなくも指先まで動きが固まった。せめてもの矜恃きょうじにらけた榛色はしばみいろの瞳がうっすらとすがめられる。それは獲物を前にした獣の眼差まなざしにほかならず、ヨイマチは自然と『最早これまでか』と穏やかな覚悟を決めた。
 しかしその牙が直接ヨイマチに届く前に、溜息ためいきと共に獣の頭を軽くたたいて簡単に制してみせたのは、今まさにヨイマチが刃を向けかけた相手だ。

「やめろ、ヨルガ」
「……何故なぜだ?」
「お前の殺気を正面から浴びて、まともに話せる相手がそうそういると思うな。話が進まんだろう」
「……フン」

 鼻を鳴らし乱暴に隣に腰掛けた騎士団長のあごを、笑みを浮かべた相談役の男がてのひらでするりとでてやる。その仕草は親愛や友愛の情と言うよりも、己だけに懐いている子飼いの獣を主人がたしなめるような、秘めやかな主従関係がうかがえるものだ。
 一方若い騎士の二人は、やや胡乱うろんな表情で二人を黙って見ている。
 ヨイマチには、彼らの関係性が見当もつかない。

「あぁそうだ、問われる前に申告しておこう。私はアンドリム・ユクト・アスバル。宰相の相談役として王宮におもむくことが多いが、現在の立場としてはオスヴァイン家の居候いそうろうだ」
「……居候いそうろう
「そんな居候いそうろうがいてたまるかとでも言いたげだな?」
「そ、そんなことは」
「フフ……まぁ、構わんさ。私はこう見えても、パルセミス王国の元宰相。君が想像しているよりも、ずっととしを食っている。何せこの騎士団長殿より、四つほど歳上だからな」
「……なんと」

 これには流石さすがのヨイマチも言葉を失う。
 騎士団長の年齢は、予め知っていた。それより四つ上となれば、彼の年齢は優に四十を過ぎていることになる。しかしその外見はどうみても、二十代そこそこでしかない。

「……まるで、人魚の肉でも喰らったかのようですな」

 ヒノエに古くから伝わる話が自然とヨイマチの口から出た。首をかしげる騎士団長と若い騎士達とは逆に、アンドリムはほう、と興味深げな声を漏らす。

「それは八百比丘尼やおびくにの話か?」
「っ!」
「ふむ……様々な伝承が繋がっているのか。……ますます、ヒノエに行く必要があるな」
「貴方は……」
「ん?」
「貴方様はどれだけ博識なのだろうか。八百比丘尼やおびくにの逸話は、ヒノエですら知る人が少ない」

 人魚の肉を口にして、八百年にもわたる若さと美しさを手に入れた尼僧の話は、それこそ書物に残されることはなく、ただでんのみで伝わっている物語だ。それを知る人物がこんな遠い異国の地に存在するとは。

「国家戦略において、情報は血液だ。情報収集は私の得意とするところでね」

 そして手にした情報の欠片かけらから、あらゆる事態と真実を推測し得る、常人離れした明晰めいせきの遣い手。
 元宰相などとうそぶいているが、表舞台を退しりぞいてみせているだけで、その実は未だに国家の中枢に近い人物だろう。
 これはどうあがいても、一介の草にすぎない自分が単独で相手にできる相手ではない。
 ならば取る行動は、一つだけ。
 ヨイマチはソファから下り、改めて両手を床についてアンドリムに深々と頭を下げた。

「……非礼はどうか、ご容赦を。金剛石のごとく磨き上げられた、貴殿の知見におすがりしたい。……私はシラユキ様を――北の方に残された唯一の御子みこ様を、お守りしたいのです」


 ――全ては、十年前。丁度ちょうどシラユキが生まれたのと時を同じくして、ヒノエを襲った大きな地震から、始まった。
 地震で生まれた地割れの隙間から長い身体をくねらせててきたのは、八つの頭を持つ巨大な蛇だ。その大蛇は手当たり次第に付近の集落を襲い、圧倒的な力で破壊の限りを尽くした。蛇の身を覆うはがねうろこには通常の刀や弓矢では少しも歯が立たず、人語を解する頭脳の前では数多あまたに仕掛けた罠も役に立たない。
 やがて大蛇はヒノエの都にほど近い山をねぐらにしてとぐろを巻き、あろうことか、若い娘を供物くもつに捧げるよう要求してきた。
 最初ににえとなったのは、壊滅した集落唯一の生き残りである、その村の長の娘だ。彼女は自分の身一つでヒノエ国を救えるならばと自ら名乗りをあげ、最初の供物くもつとして大蛇に捧げられた。
 しかし案の定、大蛇はその翌年も、その次の年も、供物くもつを求め続ける。何度も討伐隊が組まれたが、その全ては、失敗に終わった。
 そして捧げられたにえの数が片手の数を超えた後。これ以上国民の命を犠牲にするわけにはいかないと、初めて王族の一人がにえとなった。それがササラギ家当主モトナリの長女、ヒフミだ。その翌年には、次女のフタバがにえとなり。そして三女のミユキが供物くもつとして、大蛇に捧げられることが決まった。
 ササラギ家はその年、総力を挙げて大蛇を倒そうとしている。八年をかけて大蛇に仕込み続けた毒が功を奏す日が、訪れようとしていたのだ。
 これまでににえとなった七人の乙女達は、大蛇に喰われる前に毒の包みを胃に呑み込み、我が身を毒のうつわと化して、大蛇に与え続けてきた。
 それは少しずつ大蛇の力をぎ、八年目を数えたその年には、八つある大蛇の頭の中でまともな動きを見せるのは、一つだけになっていた。
 これぞ好機と、ヒノエ国の第一王子であるスサノイを中心に結成された精鋭部隊は、にえに誘われててきた大蛇を追い詰め、弱っていた七つの頭をたたつぶすことに成功する。
 そして最後に残された一つの頭と戦っている最中、急に濃い霧が付近に立ち込めたのだ。

「私自身もその時、戦場にいました」

 ヨイマチは低い身分ゆえ、表立って精鋭部隊の一員として戦うことはなかった。後方支援として、大蛇の邪気に誘われて集まるもうりょうの処理に追われていた彼は、霧に覆われて白く塗り潰されていく視界の中、大蛇がもたげた最後の首を斬り落としたスサノイの影を、確かに見た。
 これで苦難は終わるのだと、ヒノエに平穏が戻るのだと、思ったのに。


   † † †


「――霧が晴れた後に残されていたのは、無惨に腹を引き裂かれた、スサノイ様のむくろでした」

 大蛇は山から程近い渓谷に逃げ延び、木々に覆われた深い谷底に身体を横たえ、ササラギ家を呪う言葉を吐きつつ傷をいやした……らしい。

「……らしい、なのか?」

 伝聞を示す説明にアンドリムが問いかけ、ヨイマチはうなずき返す。

「スサノイ様をおまもりできなかったとがより、私は前線から廃されました。……あの戦場以降、私自身が大蛇のねぐらに近づいたことはありません」
「ふむ」
「その翌年も、更に次の年も、また大蛇から供物くもつの要求があったと聞きます。それに対して四女のシオリ様、五女のサツキ様が供物くもつとなり……結果的にモトナリ様のご息女全てがにえとなりました」
むごたらしい……」

 ヨルガも顔をゆがめている。
 古代竜カリスもにえを求める存在ではあるが、間隔は十年に一度であり、それがパルセミス王国全土をうるおす恩恵のかてになる。ヒノエ国の大蛇のように、純粋な暴虐とは意味合いが違う。
 しかしヨイマチの語る話を聞く限り、ヒノエを取り巻くこの災厄は、そう単純なものではない。

「ヨイマチ殿。君はその『二人』は供物くもつではないのかと、勘付いているのだな」
「お察しの通りです」

 確かめる言葉にヨイマチはうつむき、問いかけたほうのアンドリムは嘆息して瞳を閉じた。
 若い騎士二人は顔を見合わせ、黙って話を聞いていた神官長は胸の前で指を組み、小さく冥福の祈りを捧げる。

「それで逃げ出したのか……ヒノエにひそから。真の姿も掴めないままに」
「……お恥ずかしながら。モトナリ様の北の方、ヒルガオ様の御子みこはスサノイ様、フタバ様、サツキ様、そしてシラユキ様の四人でした。しかしすでに三人が……犠牲となってしまった」
「成るほど。国主モトナリ殿の御子みこは、男女五人ずつの十人。ご息女の全てがとなり、更に長子のスサノイ殿が亡くなった今となっては、残るは四人の王子のみ」
「えぇ。第二王子であるセイジ様と第三王子のトキワ様は弟君にあたるシラユキ様を可愛がってくださっていますが、お二人とも、それぞれ異なる側室のもうけた御子みこ。ご母堂が絡めば、どう転ぶか分かりません。そして国元にはシラユキ様より六つ年下の第五王子、イツガエ様もいらっしゃいます。イツガエ様のご母堂も、お兄様方とは異なる側室の一人です」
「ハッ……何処どこ彼処かしこも、面倒なことだ」

 唇をゆがめたアンドリムは組んだ腕の肘を指先でトントンとたたき、しばしの間、思考を巡らせる。

「……お家騒動の内訳は、何となく掴めた。まずヒノエ国には、八つの頭を持つ大蛇がいた。それを正室の嫡子である第一王子スサノイ殿が討伐した。しかしスサノイ殿は、混乱に乗じて何者かにあやめられる。そのせいか、討伐されたはずの大蛇は生きていることになり、更にササラギ家の姫が二人、供物くもつとして無駄に命を捧げる羽目となった」

 最初は確かに、乙女達は大蛇を倒すための、尊い犠牲だった。
 しかし今やそこには女の気配が確実にある。執念深く、絡めるように手を伸ばし、我が子こそを国主にと望む、母親の願いが見え隠れしていた。ササラギ家にとっては男子を産んだ母親達であるがゆえに、そうそう無下にも扱えず、調べも入り難かったのだ。

「そして、シラユキ姫がにえに選ばれた。敵の姿ははっきり見えないが、目的は実に分かりやすい。その魔手から少しでも離れるために、空虚となる可能性が高い使節の任を敢えて断らず、パルセミス王国までやってきた……というところか」
「……ご慧眼けいがんに驚くばかりです」
「そうか……しかしここからは、いくつか情報の整理が必要となる。シグルド」
「はい、父上」
「ヨイマチ殿から聞いた話の中で、お前が疑問に思う点を挙げてみろ」

 ヨイマチの顔に視線を注いだシグルドは、そうですねとつぶやき、軽くあごに手を当てる。

「未熟者ゆえ、家督争いについてはあまり申し上げることができませんが……大蛇退治の件において私が一番気になったのは、何故なぜ『八回目』だったのかという点です。言っては何ですが、八つある大蛇の頭のうち、七つまでは力をぐことができたのです。確かに後一人の犠牲が必要となりますが、八つの大蛇の頭全てを弱体化させてから討伐に臨んだほうが、勝利を確実にしたのではないでしょうか」
「そうだな。確かにそれは、疑問に感じる点だ。ではリュトラ、お前は何かあるか」

 アンドリムにうながされ、壁際に立っていたリュトラは、背中を壁に預けたまま、視線を宙に彷徨さまよわせた。

「俺は何と言いますか……悪意が強すぎる気がしてなりません」
「強すぎる?」
「家督争いがあるとはいえ、血を分けた我が子です。ましてやシラユキ姫はまだ十歳。それなのに何故なぜ、ここまで重責を背負わされているのか、それとも何か他の理由があるのか、うーん……」

 上手く説明できないと自らの髪をみだしてうなるリュトラに、アンドリムはほほみかける。

「鋭いな、リュトラ。その『違和感』は大事だ」
「え……」
「残念ながら、ササラギ家を取り巻く因縁いんねんは複雑かつ難解と推察できる。それこそ、大蛇の持つ頭の数のように、な。しかし、確証にはまだまだ情報が足りない……だから、揺さぶりをかける」
「揺さぶり、ですか」

 言葉を繰り返したヨイマチに対して、アンドリムは指を三本立ててみせた。

「敵が姿を現さないならば、こちらからあぶしてやれば良い。敵が動揺すること、嫌がること、実行してほしくないこと。それを現実にしてやれば、相手はどこかしらで尻尾を出す。まずは陛下にお願いして、ヒノエ国からの依頼を正式に受諾していただく。まさか『絹ごとき』でパルセミス王国側が討伐隊を準備してくれるとは思っていなかったはずだ。更にシラユキ姫の治療を神官長主導で施術し、同時進行で『パルセミス王国騎士団長が、大蛇討伐のためにヒノエに向かう』という噂話を流布るふする……まずは、ここ辺りからだな。シグルド、リュトラ、宰相閣下と補佐官殿とも協議を」
「はい」
「分かりました」
「それとマラキア、できるだけ結果が欲しい。シラユキ姫の治療を頼む」
「承知いたしました。施術の許可が下り次第、治療に取り掛かりましょう」



   第二章 沈黙は金、雄弁は銀


「焦って行動すると身を滅ぼすという、典型例だな」

 静かな、朝のダイニングルーム。俺は床に押さえ付けられた男を睥睨へいげいし、テーブルクロスの上に取り落とされた銀のスプーンを摘み上げる。
 表面が黒く変色したそれは、今しがたシラユキ姫が、銀色の皿に満たされた芳ばしい香りのスープを丁寧に混ぜたばかりのもの。
 手にしていたスプーンが変色した驚きのあまり、姫は小さな悲鳴を上げた。
 舌打ちをして隠し持っていた匕首あいくちを引き抜こうとした男を掌底で殴り飛ばし素早く組み敷いたのは、俺のそばに控えていたシグルドだ。そのままリュトラが男の衣服を確認すると、身につけていた着物のたもとから、てのひらに収まるほど小さな薬瓶が転がり出てきた。

「ヒノエで使われるうつわは、漆器か磁器が多いと聞く。銀食器の持つ役割を知らなかったか?」

 ヒノエから持ち込まれた『茶番劇』に俺達が便乗することを決めてから、二週間余り。食事の管理をオスヴァイン家に任せ、神官長マラキアから施される治療を受けるようになったシラユキ姫の顔色は、見違えるほどに改善されている。
 加えて、年の近い友人が必要だろうとカインとアベルが遊び相手として神殿から呼ばれた。彼らはマラキアが孤児院で面倒を見ている優秀な双子の兄弟で、いずれ領主補佐となるための教育を受けている最中だ。
 二人は自分達と一つしか違わないシラユキ姫が国の使節として遠いヒノエ国から旅をしてきたと教えられ、憧憬にも似たキラキラとした眼差まなざしで「すごいね」「えらいね」とシラユキ姫を褒めそやした。
 子供特有の素直さと人懐っこさにシラユキ姫はすぐにほだされ、就寝時間以外のほとんどを、活動的な双子達と過ごすようになっている。
 年端としはもいかぬ子供達に手を引かれ、屋敷の中で遊ぶ姫の行動範囲が自然と従者達から離れた場所に移されていったことに気づいたのは、ヨイマチくらいだろう。彼らの知らぬうちにシラユキ姫の定位置は双子達の隣になり、従者を含めた大人達が寄り添っていると、「おや?」と目を引く状況になっている。
 そんな風にがシラユキ姫に毒を盛っている事実を知らされて驚いているところに追い打ちをかけるように、姫の近くから排された。このままでは密命を果たせぬと危機感をつのらせて行動した結果が、今の状況だ。
 シラユキ姫の前に並べられた銀食器は、執事のレゼフが『未来の奥方候補である姫君に』と滞在初日に新しくセッティングしてくれた、手入れの行き届いた美しいものだ。初めて目にした銀食器の輝きにシラユキ姫は感嘆の声を漏らし、従者達は物珍しそうに手に取って調べていたが、銀食器自体には何の仕掛けも施されていない。

「銀は、ある種の薬物に反応すると、こうやって黒く変色する。代表的なものがヒ素だ」
「……っ!」
「ヒ素……⁉」

 テーブルから遠ざけたシラユキ姫を背に庇い目を丸くしてあおめるアサギと呼ばれる従者に、俺はうなずき返す。

「知っての通り、劇毒だ。昔から毒殺には多用されているな。手に入れることも運搬することも、比較的容易だからだ」

 例えば硫砒鉄鉱りゅうひてっこうなどが、その代表格に挙げられるだろう。日本の鉱山でもネズミ捕りを生産する目的で大量に掘られていたもので、鉱石から毒を抽出することは、知識が有れば個人でも実行可能だ。

「ゆえにパルセミス王国のみならず、銀食器をもてなしにもちいるのは、客人に対する善意の証明でもある。ただ銀食器は空気中の物質とも反応して、放っておけば少しずつ黒ずんでしまう。その美しさを保つのは、執事に任せられた大切な仕事だ……レゼフ、見事だぞ」
「恐縮でございます。アンドリム様」

 食卓の場で騒動があっても狼狽うろたえることなく、黙って窓際に立ち塞がり退路を断つ役目を果たしていたレゼフは、俺の向けたねぎらいの言葉にわずかに微笑ほほえみ、うやうやしく頭を下げる。

「まぁとどのつまり、君は勉強不足だな。レゼフが銀食器をシラユキ姫に充てがった時点で、その理由を見抜き、毒殺を諦めて他の手段を考えるか、銀に反応しない毒を用意するべきだった」
「くっ……」
「さぁ、何か言いたいことはあるかな?」

 俺は床につくばった姿勢でこちらをにらけている男の前に歩み寄り、革靴の爪先つまさき血反吐ちへどまみれたあごを無理やり上げさせる。端正な横顔が苦痛と恥辱にゆがむが、それはこの男とて覚悟の上だろう。

「ツララ、どうして……!」

 悲痛さの滲むトキワの叫びに、シラユキ姫を護衛する従者の一人であった男――ツララは、ただ奥歯を噛みしめ、静かに目を閉じる。

「申し上げることは、何もございません」
「……ほう?」
「どうぞ、ご処分を」
「ククッ……」

 くつくつと肩を揺らして笑う俺の振動が、あごの先から伝わったのだろう。ツララは目を開き、見下ろす俺の表情を直視して、息を呑む。

「甘い、なぁ」
「うっ……」
「ヒノエでは、捕虜に尋問を行ったりしないのか? 優しい国だ」

 無論、そんなことはないはずだ。
 しかしこの手の忠節が高いタイプは、多少の拷問で簡単に口を割りはしない。
 では、どうすれば歌ってくれるのか。
 は、俺が得意とする分野だ。

「肉体的な苦痛を与えるのも、悪くはないがな。それでは、面白味がない……カイン、アベル」

 俺は顔を上げ、レゼフの隣に控えていた双子を呼び寄せる。

「二人とも、シラユキ姫を自室にお連れしてくれ。そのまましばらく待機を。朝食は後からワゴンで運ばせる」
「分かりました。……シラユキ姫、行こう?」
「大丈夫だよ、俺とカインが一緒だから!」

 双子に手を差し出されたシラユキ姫は、アサギとヨイマチにもうながされ、双子に付き添われて部屋を出る。その後で、リュトラがぴたりと扉を閉ざした。これで多少のは二階の部屋にまで届かないだろう。

「……さて、どうするか」

 ツララのあご爪先つまさきもてあそびつつ、俺は思案を巡らせる。

「何も申し上げることは『ない』そうだから、これは俺の勝手な独白だが」

 ツララは流石さすがに何の反応もしない。

「君は、トキワ殿の家臣だな」

 これはこの二週間余りの間、屋敷で過ごす従者達の行動を観察していて、簡単に見抜けた。トキワは何か頼みごとがある時は必ずツララの所に行くし、セイジは必ずフカガワの所に行く。シラユキ姫はアサギに頼むことが多い。

「しかも、その容貌からして血が繋がっている。年頃を考えると、従兄弟あたりか」
「……っ」
「顔色を変えるな、未熟者。沈黙をしていれば隠し通せるとでも?」

 どうやらツララはあくまでもトキワ付きの家臣というだけで、ヨイマチのように草としての特殊な訓練を受けている間者かんじゃというわけではなさそうだ。
 杜撰ずさんすぎる毒殺計画からも、ふところ匕首あいくちを隠し持っていたことや薬瓶を処分していなかった点からも、それがうかがえた。無事に本懐をげた後は、秘密を抱いたまま全ての罪を被り、自ら命を断つつもりだったと見える。
 しかし毒は見破られ、その上、自決する間もなく身体を拘束された。
 最悪の状況と言えよう。

「あぁ、浅学せんがくの君は知らないかもしれないから予め教えておくが、舌を噛んだぐらいで人は死ねない。精々痛みにのたうちまわり、無様な姿を晒すだけさ」
「くっ……」
「……相談役の、アスバル殿」

 蛇ににらまれた蛙のように固まったツララの背後から遠慮がちにかけられた声は、苦々しい表情をしたフカガワのものだった。たくましい体躯のその男は、俺と視線を合わせ深々と頭を下げる。

「どうか、慈悲を」
「……ふむ?」
「頭の良い貴方様のことだ。ツララが何故なぜこんなことをしでかしたのか……薄々、勘づいていらっしゃるだろう……承知の上で、こいねがい奉る。確かめさせてやって、くれまいか」

 フカガワの視線は、テーブルの上に。
 銀の食器が並べられた、飲み干すはずの持ち主が席を立ってしまったスープ皿の上に、注がれる。

「本当に、ツララがそのスープに毒を盛ったのかどうか……確かめてみないと、分からない。無論、分かり切っているかもしれないが……ツララに、確かめさせてやって、くれまいか。その結果については、何も文句は言わぬ……後生だ」
「……フカガワ」

 小さく名前を呼ぶツララに向かって、フカガワはその強面こわもてに、泣き笑いの表情を浮かべた。

「主人は違えど、同じ釜の飯を食った同輩だ。肩を並べて戦ったこともあるお前に……無様な最期を迎えてほしくない」

 この、毒を混ぜたスープを飲ませて――
 それで命を絶たせてやってくれと、フカガワは頼んでいるのだ。
 そうすれば敵の手にかけられたことにはならず、証拠を消した上で自ら命を絶ったとして、それなりの名目も立てられよう。

「……成るほど。確認が必要、か」

 俺は小さく鼻で笑い、ツララのあごしたから爪先つまさきを引き抜いた。
 低くうめく身体を無視してきびすを返すと、目当ての人物の前に歩み寄り、にこりと微笑ほほえみかける。

「え……?」

 驚愕きょうがくに染まったのは、俺がエスコートするように手を引いた相手……

「どうぞ、こちらに」

 俺に導かれるまま、シラユキ姫が座っていた席に腰掛けさせられた、一人の青年もだ。
 その前のテーブルには、まだほのかに湯気の立ちのぼるスープが注がれた、銀色の皿。
 俺の意図に気づいたツララは目を見開き、自由の利かない拘束の下で身をよじって主人の名を叫ぶ。

「トキワ様‼」

 愕然がくぜんとしている、ヒノエ国から訪れた面々の前で、意味が呑み込めないでいるトキワの後頭部を鷲掴みにした俺は、その顔面を勢い良くスープ皿の中に突っ込んだ。

「ぐぼっ……!」
「なっ……!」

 思わず腰に手が伸びかけたフカガワの喉笛を、ヨルガの手が掴む。毒入りのスープに顔全体を沈められた主人の姿を目の当たりにしたツララの絶叫が、ダイニングルームの中に響き渡る。

「や、やめろ! やめてくれ‼ トキワ様、トキワ様っ……‼」

 俺は一度力を緩め、トキワの顔をスープの中から引き上げてやった。
 激しくむ青年の口内はすでに、皿の中に注がれていたスープで白く汚れている。

「あ、あぁ……トキワ様、トキワ様……‼」

 ツララの仕込んだヒ素に毒されたスープが、その喉を、滑り落ちていった。
 自らの所業が、何より大事な主人を、壮絶な死に至らしめようとしている。
 泣き叫ぶツララにちらりと視線を注いだ俺は、再びトキワの顔面をスープ皿の中に突っ込んだ。トキワが苦しさにもがいた弾みで跳ねたスープの中身が、テーブルの上にセッティングされていた他の銀食器を黒く変色させていく。

「いやだ、いやだ……! 誰か、誰かトキワ様を、助けてくれ……‼」
「貴様……!」

 フカガワの身体が怒りに打ち震えるが、ヨルガの指に込められた力も、暴れるツララを押さえるシグルドの腕も、揺るがない。

「……さて、ツララとか、言ったな」

 トキワの顔をスープ皿に沈めたまま、涙と洟水はなみずまみれたツララを悠然と見下ろし、俺は笑う。

「何か『申し上げること』はあったか?」
「あ、あぁ、あぁあ……トキワ様……!」
「早くせねば、お前の代わりに毒を『確かめて』くれている主人が、どうなるか知らんぞ?」
「ひぐっ……う、あ、アマト様……アマト様の、ご指示です……!」
「ほう?」
「……トキワ様の、ご母堂です」

 俺に視線を向けられ、青白い顔をしたヨイマチが静かに答える。

「折を見て、シラユキ様を亡き者にと……! そのとがを、パルセミス王国に被せるようにと……」
「……ハッ、予想通りすぎてつまらんな」

 だがこれで、『言質げんち』が取れた。
 ヒノエ国側にも、パルセミス王国側にも、血を吐くようなツララの証言を耳にした人数は充分だ。
 俺はトキワの頭を押さえつけていた腕から力を抜くのと同時に、シグルドに目配せをして組み敷いていたツララを解放させる。意識を失ってテーブルクロスの上に突っ伏した主人の名前を繰り返し、いずるようにしてその身体に寄り添ったツララの端正な顔立ちは、絶望に満ちている。
 急性ヒ素中毒のもたらす症状は、呼吸困難を含む全身の痙攣けいれんと急激な多臓器不全だ。すぐ息絶えることもできず、長時間もがき苦しみながら死んでいかなければならない。

「どうか、どうかトキワ様の治療を……! まだ、間に合うかもしれません……!」
「ハッ、くだらんな」
「お願いいたします、どうか、お願いいたします……! 私にできることならば、何でもいたします……!」
「……ふむ」

 俺の足にひれすようにしてすがりついたツララの懇願に、俺はほくそ笑む。

「何でも、すると?」
「何なりと、何なりとお申し付けください……! トキワ様をお救いくださるならば、この身は全て捧げます。どんなことでも、やりげてみせます……!」
「フン……まぁ、良いだろう。……ヒノエの面々よ」

 恐怖にった表情を顔面に貼り付けた四人を横目で見遣り、俺は唇の端で笑う。

「聞いたな? は俺が貰い受ける」

 ツララをあごでしゃくってみせた後で、俺はテーブルの上に伏したままの、トキワの肩をたたく。
 汚れた唇からは小さなうめごえに加えて、どこかすこやかそうな寝息が漏れていた。

「そろそろ目を覚ましたらどうだ? 若造」
「……うぅ……ん」
「いい気なもんだ」

 俺はトキワのあごを掴んでやや乱暴にあおかせ、白いスープにまみれた頬をねっとりとげた。

「っ⁉」
「ん……?」

 身体を強張らせるツララ達を余所よそに、頬に押し当てられた生温かい感触に覚醒をうながされたトキワは、ようやうっすらと瞳を開く。

「お目覚めか。フフッ……顔を洗ってきたほうが良い」
「え、と……いったい、何、が……?」

 状況が掴めずに首をかしげるトキワ。
 その顔を見つめ、全身の力が抜けたのか両膝を床につき、はらはらと涙を流し続けるツララ。

「……やられた」

 最初に立ち直って俺をにらけたのは、ヨルガの指に喉を押さえられたままのフカガワだ。

「全部アンタの、てのひらの上か!」
「クハッ、人聞きの悪い」

 俺は唇の端に残ったスープのしずくを指の腹でぬぐい、舌先でちろりとめとる。

「……勉強不足だと教えたではないか。銀が反応するものは、何も毒だけではない」

 例えば、硫黄いおうを含む温泉水。これも銀を黒色に変化させる代表的なものだ。
 俺はレゼフにシラユキ姫の銀食器を準備させた後、オスヴァイン家所有のヴィラから、温泉水を王都の館に届けさせていた。
 シラユキ姫に銀食器を充てがったのは、毒を検知させるためだけではない。

「シラユキ姫が必ず利用するものだと、わざわざ、目印をつけてやったのさ」

 つまり、毒を入れる対象を分かり易く示してやったことになる。
 必ずそれに仕込むと分かっているのだから、監視は楽だ。大鍋での毒味が終わったスープをそれぞれの皿に注ぎ、ワゴンに並べてダイニングルームに運ばれる直前だった銀の皿に一瞬だけ近づいたツララの姿を、オスヴァイン家の給仕達は見逃さなかった。
 ツララが離れてから毒の仕込まれた皿を下げ、別に用意していた銀の皿の底に温泉水を入れ、その上から静かにスープを注ぎ直す。そして何食わぬ顔をして、シラユキ姫の前にそのスープを運んだ。温泉水も多量に飲めば害となるだろうが、少量ならば問題にならない。
 後は何も知らないシラユキ姫がスプーンでスープをかき混ぜたことで、黒く変色した銀食器が姿を見せる。
 こうして、如何いかにも滑稽こっけいな暗殺劇が、始まった。

「賓客を危険に晒すわけがないだろう? そちらが茶番で来るなら、こちらも茶番で返すまで。……だが、私は利用できるものは利用する性質たちでね」

 騙されたとは言え、俺に忠節を誓ってしまったツララ。俺の采配で動かせる手駒をヒノエ側に作れたのは有益だ。

「まぁ、それにしても。そろそろ、ヒノエにおもむくべきだな……」

 リュトラも感じ取っていた、どうやってもぬぐえないこの『違和感』が俺の想像通りならば――
 それはヒノエ国だけでなく、パルセミス王国にも影響を与えるものになるだろう。


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