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プロローグ 始動

始動

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 エレベーターが上昇していく。
 イアンは大きく深呼吸をした。
 「いつかこうなるとは思ったが…まさか、もう危険な状態なのか?」
 考えを口にして頭を落ち着かせる。
 エレベーターが止まり、扉が開く。ロビーには既に来客者が座っていた。他には誰もいない。
 「大佐、ただいま参りました。お待たせして申し訳ありません。」
 敬礼をしながらハキハキとした声で礼儀のないように挨拶をする。
 来客者は軍服を着た老人で、胸元には勲章が多く飾られている。
 「はは、久しぶりだな。イアン総司令。数年ぶりだな。元気にしてたか?」
 「はい。隊員共に健康そのもので、本日は休暇を取らせています。」
 「そうかしこまらなくていい。お前と俺の仲だ。」
 「はい。了解しました。…それで本日はどんな用件で?」
 老人は右手で髭の生えた顎をさすり、思案する。
 「…そうだな、少し場所を移したい。いいか?」
 イアンはその言葉の意味を感じ取った。
 「はい。構いません。…それではこちらに。」
 そう言うと、イアンは歩き出していき、老人も後についていった。
 分厚い扉を開け、イアンと老人は中へと入る。
 その部屋には窓はないが、豪華なカーペットに内装。客をもてなすようになっている。
 イアンはコンセントに盗聴器が仕掛けられていないか確認しながら話す。
 「この中なら大丈夫です。盗聴器もありません。」
 老人はソファーに腰掛ける。
 「そうか。ありがとう。…じゃあ、話を始めよう。」
 この部屋には防音加工が施されていて、音が外部に漏れないようになっている。
 老人は神妙な面持ちだ。
 「画面を出してもらってもいいか?」
 イアンは「わかりました」と言って、机にあるボタンを押す。
 する机は機械音をたて、中央部が開かれる。そこには液晶画面が2枚ある。
 老人はスマートフォンを取り出し、USBで接続する。
 「これを見てくれるか?」
 映像が表示される。
 ニュースの映像。ロンドンで行われているデモの様子が報道されている。
 「…こちらはルイセントパークでのデモ団体、『フリーワーカーズ』の演説の様子です。」
 トラックの上に立ったリーダーらしき人物が喋り出す。
 「市民よ、労働者よ!この国は今、破滅の道を辿っている!この街を見ろ!前まで綺麗だった街が今はこんなにも汚れた!風に吹かれたチラシ、段ボール、ホームレス。どうしてこの国がこうなったのかわかるか?政治家どものせいだ!テロの影響で資源の自給率が低下し、輸入に頼らざるを得なくなった。その結果は何だ?税金の増加だ!俺たち一般市民に負担を強いて政治家どもは発電会社と癒着して新しい発電所を作りやしない!何かあったときの責任が怖いからだ!この国は腐敗しきってる!新しい大統領になってから悪い政策ばかりー
 動画が止まる。
 「この辺でいいだろう。…このように、今この国が危機に陥っていることは分かっていると思う。」
 イアンは紅茶を啜って、天井を見上げながら話す。
 「ええ。まあ、この団体の言っていることはもっともですよ。」
 手を組みうつむく。
 「石油施設の爆破テロがあってから歪んでいったのかもしれません。あの一件以来、全施設に軍の警備がつくようになった。アフリカとか、中東にも出兵しますから、軍事費は膨れ上がるし、エネルギー源も輸入依存率が大幅に上昇しましたから。」
 老人は顔色を一切変えずに話し続ける。
 「ああ。そうだ。アフリカは利益が見込めないし、南米は今親中派の影響で内戦続きで介入はしたくない。というのが国…ヨーロッパ連合の総意だ。質が高く、量も多い場所…」
 老人は画面をスワイプし、地図を表示する。
 「知っているな?ブラックラインだ。」
 「ええ、もちろん。中東に縦方向に伸びている、特に石油が豊富な地帯。今はほとんど中連(中華連盟)の手にありますが。」
 ブラックラインはカザフスタン東部からパキスタンの沿岸部まで伸びている。ロシアを分断する国境もそのあたりから始まる。
 レアメタルや天然ガス、様々な資源を得ることができる地域でもあるので、さまざまな国がこの地域を狙っている。
 老人は口を開いた。
 「そこで、だ。イギリスで極秘裏にブラックライン奪還作戦を行うことになった。…他の国は関与しない。」
 イアンは舌打ちをした。
 「…政府はいつもこうですね。どんな汚い手を使ってもいいと思っている。」
 反応はない。変わらずに老人は説明を続ける。
 「正直なところ、中連は社会主義のくせに発展しすぎている。世界が社会党に支配されかかっているようなものだ。…当然、国際連邦はこれを看過できない。…数年沈黙を貫いたが、とうとう動くらしい。」
 今度は全世界を表す地図に切り替わった。
 「といっても、直接戦争をするほど馬鹿じゃあない。…内側から徐々に壊していく。」
 イアンの目が変わった。疑いの目だ。
 「そんなことして、世界は大丈夫なんですか?中連で生産されているものは多いでしょう?」
 「その点については問題はない。こちらの陣営で代わりはいくらでもいるんだ。ロシア民政国、日本、オーストラリア。ここらの国は最近発展してきているから利用したいと考えているようだ。日本は中連に近いから重要な地点になると予想される。」
 「それで、私たちは何をすれば?」
 「君たちにはブラックラインの破壊工作を行ってもらいたい。…それと、こいつらの情報収集だ。」
 髭を生やした人間が銃を掲げている。
 「聖戦のためのイスラムアル・ラミラ組織…でしたか?」
 イアンがつぶやく。
 聖戦のためのイスラムアル・ラミラ組織。ブラックラインの中央国であるゴルジスタンで活動しているテロ組織だ。イギリスで起きたテロもこの組織が関与しているという噂がある。
 「そうだ。こいつらは資金も、人的資源も潤沢だ。これには必ず裏がある。何でもいいから情報を得ろ。」
 そう言うと、老人は席を立った。
 「作戦の詳細は君のタブレットに送っておいた。後から確認してくれ。…すまない、こんな仕事をさせてしまって。」
 「待ってください。」
 イアンは勢いよく立ち上がる。
 「私はあなたを尊敬していますし、信頼しています。…謝らないでください。私たちの仕事は本来こういうものなんです。…それと、新人たち、ありがとうございました。あんなに優秀で、複雑な人間、なかなかいませんよ。あなたの眼は素晴らしい。」
  息を吸う。
 「私たちは全員、普通じゃない。どこか欠けてしまっている。全員、あなたにお世話になっているんですよ。クリス大尉。」
 クリス大尉と呼ばれた老人は扉を開きながら言う。
 「ありがとう。役に立てているようで何よりだ。…それと、クリス大尉という呼び方はやめてくれ。今は教官なんだ。」
 イアンは部屋の中で敬礼をして見送る。
 (あなたと私の目的を…果たします。)
 無機質な会話でも、イアンにとっては違った。言葉一つ一つが嬉しくて、嬉しくて。
 心酔していると言われても構わない、とイアンは思う。
 幼い頃からずっとその姿を追いかけてきた。命を救われた、あの日から。
 「さあ、これから大変だ。」
 やることは山ほどある。言わばここから始まるのは第三次世界大戦のようなものだ。一個間違えれば、世界が終わるかもしれない。
 (政府は俺たちのことを捨て駒のように思っている。)
 戦死者に記録されない、自由に動かせる戦闘員。
 (敵にバレる危険は山ほどある。…そんなこともわからないほどにこの国は腐っているのか。)
 これほどに国を憎んでも、国を守るために戦う。
 救われることを信じて。
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