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第六章 DarkMemories
#72 光なき道
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どれくらい時間が経ったのだろうか。
フォレンが目覚めるとそこは、見慣れたログハウスの自室だった。
「……あれ……俺は……」
「あ、気がつきました?」
聞き慣れた声がする。しかし、フォレンはそれが誰の声なのか思い出すのに少し時間がかかった。顔を見ると、ケレンだった。
「……今、何日?」
「6月18日の18時です。大丈夫です、そんなに時間経ってませんよ」
フォレンは体を起こす。右手に包帯が巻かれている。記憶を辿る。途切れる前はなんだかぼんやりとしていた。
「……俺はどうやってここに?」
レイミア一人では運べなかったはずだ。そう思って尋ねると、ケレンは答える。
「グレン兄さんが。レイミアさんが電話で助けを求めて来て。僕も行ったんですよ。応急処置をしてから連れ帰って来たわけです」
「そう……レイミアは、今どこに?」
「ああ、リビングに。ロレンさんと一緒にいますよ。……この部屋に来るよう勧めたんですけど、首を横に振るばかりで……理由を訊いても教えてくれないんです」
「……」
「何があったんですか?」
ケレンは勘づいている。軍から帰って来たあとから。何もないわけがないと、そう確信している顔だった。ケレンの中には強力な精霊がいる。クザファンのこともバレているし、隠している方が不自然だ。だが、フォレンはその口を開くことが出来なかった。なにせ、自分でも何が起こっているのかよく分かっていない。
そうして黙ったままでいると、コンコンと扉が叩かれた。
「はい」
外の誰かは、扉を開けずにそのまま言った。
「俺。ちょっと用事が入ったから出て来る」
ユーヤの声だ。ケレンは振り向いて扉に向かって答えた。
「そうなんですか? 分かりました」
「何か助けがいるなら呼べよ」
「大丈夫ですよ。気をつけて」
「あぁ」
そんな短い会話のあと、足音が遠ざかって行った。
「ユーヤさんって、ああやって時々どこかに行くんですよね」
「……色々あるんだろ」
「ですかね」
と、また誰かがドアを叩いた。
「ケレン? いるか」
「あ、お兄ちゃん。入っていいよ」
ケレンが答えるとドアが開いて、グレンが入って来た。彼はフォレンの顔を見ると、「ん」と小さく声を漏らした。
「回復早いな」
「まあ。大したことないよ」
「そうか? 結構……いや、大丈夫ならいいんだけどよ」
そう言ってグレンは腕を組む。険しい表情の彼に、フォレンは微笑んで見せた。
「俺をここまで運んでくれたんだってね。ありがとう」
「別に……大したことない」
と、グレンはそっぽをむく。彼も、何か思うところがあるのだろう。しばらくそんな彼の様子をフォレンが見ていると、やがてボソリと口を開いた。
「……お前さ。レイミアのこともちゃんと考えろよ」
「!」
彼女から何か聞いたのだろうか。それを訊く前に、グレンは部屋を出て行ってしまった。それを見送ったケレンも物憂げな顔をするとフォレンの方を見て、ぐっと口を引き結んだあと言った。
「僕も部屋に戻ります。……では」
「あぁ、ありがとう、ケレン君」
バタンと扉が閉まる。一人になってフォレンは考える。包帯の巻かれた右手を見ると、気を失う直前の感情がじわじわと思い起こされる。吐き気のような気持ち悪さを腹の中に感じたとき、フォレンは右手を下ろし首を振る。胸の中のモヤモヤとしたものを、無理やり奥に押し込む。
────そうだ。ちゃんとレイミアと話さないと。
* * *
────神暦38326年6月18日 18時30分 イヴレスト某所────
路地の暗がり。そこには四人の男と一人の女がいた。
「……んで、どうしたの彼」
白衣の男の呟きに、女────フュライトが答える。
「見たら分かるでしょう! 死にそうなのよ。助けて欲しいの」
「……思ってたより仲間想いなんだなお前ら」
言いながら、彼は怪我人────魘された様子のコリエを診始める。既にある程度の処置はしてあるが、応急処置にしか過ぎない。
「何ですぐ呼ばなかったんだ」
「最初は私たちだけで大丈夫だろうと思ってたの。ディエゴの力があるし……でも、何でか効きが悪くて」
壁際にもたれて立っていたディエゴは不機嫌な様子でフンと鼻を鳴らした。
「アナレから急いで飛んで来たってのに」
「それは大変だったな。まあなんだ……精霊の力が効かないってのは気になるな」
包帯を外して、彼は傷口を見る。向こう側まで貫通している。それは随分と悪化しているように見えた。
「……何コレ」
「素手で貫かれたんだと。……くそ。こうなるならコリエを行かせるんじゃなかった」
ディエゴはそう言うとため息を吐く。そして人差し指を出すと、その先に光を宿らせて傷口に触れた。それは一瞬光を強めたが、すぐにプシュと音を立てて黒い靄が立ち、光を掻き消した。光が消えたディエゴの指先は軽い火傷のようになっていた。
「何かがルナの力を邪魔しやがるんだ。俺自身にもダメージが来る」
そう言いながら、ディエゴは指を軽く振る。ふわりと光が集まって来て傷痕はあっという間に消えた。
「強い闇の力だと、ルナは言ってる。それが大精霊の力を拒絶してるって」
「大精霊……そういや、この人も大精霊を憑神してるんじゃなかったっけ」
「そうだ。……それもあるのかね。コリエが目覚めねェのは」
ディエゴはそう言う。白衣の男は首を横に振った。
「……俺は大精霊についてはよく分からないけど。……神の血を引く聖なる精霊? か。ふむ……なるほどね」
彼はしばらくコリエをじっと見ていたかと思うと、うん、と頷いた。
「今は彼の中の大精霊が弱ってる。でも、時間経過で彼女自体は回復出来るみたいだ。そうしたら、自ずと闇の力への耐性も出来る。君の力も通るようになるよ。……ともかく、今出来るのは傷口の縫合と抗生物質の投与くらいだね。……この悪化は……化膿とかではなさそうだけど」
「あんた光の守護者だろ。少しくらい打ち消せないのか」
「うーん……無理だと“彼女”は言ってる。これはそう、聖属性じゃないと打ち消せない。そして大精霊では太刀打ち出来ない。……神徒でもないと」
「……つまり?」
白衣の男はテキパキと、慣れた手つきで傷の縫合を始める。そしてしばらくして、ディエゴの問いに答えた。
「悪魔の力だ。人間や精霊の闇の力じゃない」
ディエゴは驚かなかった。むしろ納得したというような顔だった。
「本当に……フォレンは、本物の悪魔だっていうのか」
「────例の裏切り者か。追うのはやめた方がいいんじゃないか。あれは俺から見ても……異様だ」
「? フォレンを知ってるのか」
縫合を終えた男は立ち上がる。そして眼鏡を直した。
「知ってるというか何と言うか。……まぁ、俺にはお前らがどうなろうが知ったことじゃないが。お前が仲間想いだっていうなら、引いた方が身のためだ」
「……あんたは部外者だ。協力してくれるのはありがたいが、余計な口出しはしてくれるなよエウィン先生」
「おや。気に障ったのなら謝るよ」
白衣の男────ユーヤ・エウィンは彼らに哀れむような目を向けるとその場を立ち去った。
* * *
「……怒ってるのか?」
「……」
「……悲しんでるのか?」
「…………」
「どっちもか?」
レイミアの部屋。フォレンは窓辺で外を見ている彼女に問いかける。返答はない。レイミアはただ黙っている。フォレンもレイミアと同じように窓の外を見た。
「……今の俺は嫌か」
「────嫌とか、そういうのじゃない。フォレンはフォレンだよ。でも……今のあなたは危うく見える」
レイミアは窓の方を見たままそう言った。フォレンは図星だと思う。
「……俺のことが怖い?」
少しの沈黙のあと、レイミアは振り向いた。しかし彼女は何も言わなかった。フォレンは目を伏せる。
「俺も怖いんだ、自分自身のことが。正直、俺だって自分のことが分からない────俺は、過去を思い出したけど。自分が本当に何者なのかは知らない」
「…………」
「でも、話せることはある。だから……俺が知ってる俺のことは、話すよ。全部」
フォレンはベッドの縁に腰掛ける。レイミアの視線が静かに追って来る。一つ呼吸を置いて、フォレンは口を開いた。
「……俺は、捨て子だったんだ」
そう、静かに口に出す。自分の中の記憶が、現実であることを確認するように。
「物心ついた時には、俺はとある研究施設にいた。だから……俺がどうしてそこにいたのかは分からない。売られたのか、それともほかの経緯があるのか。それで……そこで、いくつも薬を打たれた。身体強化と……毒物耐性の強化。その二つだ。毎日毎日気持ち悪さで動けなくなって……自由なんてなかった」
幼い時の記憶。それは未だフォレンの中に色濃く残っていた。
「ある時研究員から聞いた。俺は、王家の毒味係の血筋だって。だから元から毒物への強い耐性を持ってるんだって。……それを、薬でさらに強化されてるってわけ」
フォレンは息を吐く。あの施設が何だったのか、フォレンは知らない。だが恐らくは軍事施設だろうとそう思う。軍の実験体だった自分が、そうとは知らず軍に一般兵として入っていたとは、皮肉なものだ。
「ロレンも、あの施設にいた。あいつがどれだけそのことを覚えてるか分からないけど……ロレンは、話さなかったんだな」
レイミアは頷いた。彼女は悲しそうな顔で話を聞いていた。
「9歳の時、俺はその施設から逃げた。ロレンを連れて。その時だ。初めて……初めて、多分人を殺した。俺の世話をしてくれてた研究員だった。彼女が話したことがショックで……あまり、何があったか、何をしたのか覚えてないんだけど。その時の高揚感は覚えてる。それは、俺を呑み込んでしまいそうなほど、恐ろしい……」
体をぎゅ、と抱きしめる。またあの感覚が蘇りそうになってフォレンは首を振る。
「……俺が捨てられたのは、多分この力のせいだ。研究所にいたのは、血筋のせい……多分研究所は俺のこの力のことは知らなかったんだ。知ってたら、どうなってただろう」
もっと厳重に管理されていたかもしれない。それなら、逃げられなかったかも。それか、もっと上手くこの力と付き合っていたのかもしれない。軍の特別兵器としての道を歩んでいたのかもしれない。
「────時々、思い出す声があるんだよ。低い男の声でさ。誰だかは知らない、覚えてないんだけど、なぜだか記憶に残ってるんだ」
気を失う寸前にも、その声を聞いた。それは、夢の中の声とは違う。
「……『お前は悪魔の仔だ』……声はいつもそれだけ言う。……本当にそうなのかな。そうだとしたらどうしよう」
自分は何者なのか。そんな不安がフォレンを覆っている。その記憶の中の言葉が本当なのだとしたら、自分の中の湧き上がるこの感情の正体は。……それとも。
(……お前のせいか?)
『はあ。俺のせいにするなよ。俺は何もしてないよ』
クザファンはそう言うが、フォレンは歯を食いしばる。
(嘘だ。悪魔の言葉なんか信じない)
『本当だって。はあ。付き合い長いのに信用ないな』
(お前……何が目的なんだ。俺の何を知ってる)
『全部。だがお前、本当は自分でも分かってるはずだぜ。ぐだぐだ考えてるからそうなる。頭空っぽにして、最初に出て来たこと。それがお前の正体で、本性だ』
(うるさい、うるさい!)
『おっと。自分から話しかけて来といてなんだよ。分かったよ、俺は黙る』
「フォレン?」
黙り込んでしまっていたフォレンに、レイミアが心配そうに声をかけて来る。フォレンは顔を上げた。
「……レイミア。俺、いつか……そう遠くないうちに、壊れるかもしれない」
「何。どういうこと」
「その時はさ。……俺が、皆んなを傷つけることになったら、躊躇わず殺して欲しい」
「……! 何で、何でそんなこと言うの」
「分かるだろ。昼間の。俺は正気じゃなかった」
どんどん遠ざかって行く。フォレンのただ一つの願いは。遠く遠く、手の届かないところまで、既に行こうとしているようだ。今隣にいるレイミアだけが、辛うじて繋げてくれている。あの時レイミアが助かっていなかったら、と思うとゾッとする。今の自分は、もうここにはいなかったかもしれない。
「……お前がいなくなったら、俺は終わりだ」
ポツリと、小さく呟いた。それはレイミアにはハッキリとは聞こえなかったが────彼女はただ、不安そうに俯くフォレンへと車椅子で近寄ると、両手でフォレンの右手を包み、そして優しく抱きしめるのだった。
#72 END
To be continued...
フォレンが目覚めるとそこは、見慣れたログハウスの自室だった。
「……あれ……俺は……」
「あ、気がつきました?」
聞き慣れた声がする。しかし、フォレンはそれが誰の声なのか思い出すのに少し時間がかかった。顔を見ると、ケレンだった。
「……今、何日?」
「6月18日の18時です。大丈夫です、そんなに時間経ってませんよ」
フォレンは体を起こす。右手に包帯が巻かれている。記憶を辿る。途切れる前はなんだかぼんやりとしていた。
「……俺はどうやってここに?」
レイミア一人では運べなかったはずだ。そう思って尋ねると、ケレンは答える。
「グレン兄さんが。レイミアさんが電話で助けを求めて来て。僕も行ったんですよ。応急処置をしてから連れ帰って来たわけです」
「そう……レイミアは、今どこに?」
「ああ、リビングに。ロレンさんと一緒にいますよ。……この部屋に来るよう勧めたんですけど、首を横に振るばかりで……理由を訊いても教えてくれないんです」
「……」
「何があったんですか?」
ケレンは勘づいている。軍から帰って来たあとから。何もないわけがないと、そう確信している顔だった。ケレンの中には強力な精霊がいる。クザファンのこともバレているし、隠している方が不自然だ。だが、フォレンはその口を開くことが出来なかった。なにせ、自分でも何が起こっているのかよく分かっていない。
そうして黙ったままでいると、コンコンと扉が叩かれた。
「はい」
外の誰かは、扉を開けずにそのまま言った。
「俺。ちょっと用事が入ったから出て来る」
ユーヤの声だ。ケレンは振り向いて扉に向かって答えた。
「そうなんですか? 分かりました」
「何か助けがいるなら呼べよ」
「大丈夫ですよ。気をつけて」
「あぁ」
そんな短い会話のあと、足音が遠ざかって行った。
「ユーヤさんって、ああやって時々どこかに行くんですよね」
「……色々あるんだろ」
「ですかね」
と、また誰かがドアを叩いた。
「ケレン? いるか」
「あ、お兄ちゃん。入っていいよ」
ケレンが答えるとドアが開いて、グレンが入って来た。彼はフォレンの顔を見ると、「ん」と小さく声を漏らした。
「回復早いな」
「まあ。大したことないよ」
「そうか? 結構……いや、大丈夫ならいいんだけどよ」
そう言ってグレンは腕を組む。険しい表情の彼に、フォレンは微笑んで見せた。
「俺をここまで運んでくれたんだってね。ありがとう」
「別に……大したことない」
と、グレンはそっぽをむく。彼も、何か思うところがあるのだろう。しばらくそんな彼の様子をフォレンが見ていると、やがてボソリと口を開いた。
「……お前さ。レイミアのこともちゃんと考えろよ」
「!」
彼女から何か聞いたのだろうか。それを訊く前に、グレンは部屋を出て行ってしまった。それを見送ったケレンも物憂げな顔をするとフォレンの方を見て、ぐっと口を引き結んだあと言った。
「僕も部屋に戻ります。……では」
「あぁ、ありがとう、ケレン君」
バタンと扉が閉まる。一人になってフォレンは考える。包帯の巻かれた右手を見ると、気を失う直前の感情がじわじわと思い起こされる。吐き気のような気持ち悪さを腹の中に感じたとき、フォレンは右手を下ろし首を振る。胸の中のモヤモヤとしたものを、無理やり奥に押し込む。
────そうだ。ちゃんとレイミアと話さないと。
* * *
────神暦38326年6月18日 18時30分 イヴレスト某所────
路地の暗がり。そこには四人の男と一人の女がいた。
「……んで、どうしたの彼」
白衣の男の呟きに、女────フュライトが答える。
「見たら分かるでしょう! 死にそうなのよ。助けて欲しいの」
「……思ってたより仲間想いなんだなお前ら」
言いながら、彼は怪我人────魘された様子のコリエを診始める。既にある程度の処置はしてあるが、応急処置にしか過ぎない。
「何ですぐ呼ばなかったんだ」
「最初は私たちだけで大丈夫だろうと思ってたの。ディエゴの力があるし……でも、何でか効きが悪くて」
壁際にもたれて立っていたディエゴは不機嫌な様子でフンと鼻を鳴らした。
「アナレから急いで飛んで来たってのに」
「それは大変だったな。まあなんだ……精霊の力が効かないってのは気になるな」
包帯を外して、彼は傷口を見る。向こう側まで貫通している。それは随分と悪化しているように見えた。
「……何コレ」
「素手で貫かれたんだと。……くそ。こうなるならコリエを行かせるんじゃなかった」
ディエゴはそう言うとため息を吐く。そして人差し指を出すと、その先に光を宿らせて傷口に触れた。それは一瞬光を強めたが、すぐにプシュと音を立てて黒い靄が立ち、光を掻き消した。光が消えたディエゴの指先は軽い火傷のようになっていた。
「何かがルナの力を邪魔しやがるんだ。俺自身にもダメージが来る」
そう言いながら、ディエゴは指を軽く振る。ふわりと光が集まって来て傷痕はあっという間に消えた。
「強い闇の力だと、ルナは言ってる。それが大精霊の力を拒絶してるって」
「大精霊……そういや、この人も大精霊を憑神してるんじゃなかったっけ」
「そうだ。……それもあるのかね。コリエが目覚めねェのは」
ディエゴはそう言う。白衣の男は首を横に振った。
「……俺は大精霊についてはよく分からないけど。……神の血を引く聖なる精霊? か。ふむ……なるほどね」
彼はしばらくコリエをじっと見ていたかと思うと、うん、と頷いた。
「今は彼の中の大精霊が弱ってる。でも、時間経過で彼女自体は回復出来るみたいだ。そうしたら、自ずと闇の力への耐性も出来る。君の力も通るようになるよ。……ともかく、今出来るのは傷口の縫合と抗生物質の投与くらいだね。……この悪化は……化膿とかではなさそうだけど」
「あんた光の守護者だろ。少しくらい打ち消せないのか」
「うーん……無理だと“彼女”は言ってる。これはそう、聖属性じゃないと打ち消せない。そして大精霊では太刀打ち出来ない。……神徒でもないと」
「……つまり?」
白衣の男はテキパキと、慣れた手つきで傷の縫合を始める。そしてしばらくして、ディエゴの問いに答えた。
「悪魔の力だ。人間や精霊の闇の力じゃない」
ディエゴは驚かなかった。むしろ納得したというような顔だった。
「本当に……フォレンは、本物の悪魔だっていうのか」
「────例の裏切り者か。追うのはやめた方がいいんじゃないか。あれは俺から見ても……異様だ」
「? フォレンを知ってるのか」
縫合を終えた男は立ち上がる。そして眼鏡を直した。
「知ってるというか何と言うか。……まぁ、俺にはお前らがどうなろうが知ったことじゃないが。お前が仲間想いだっていうなら、引いた方が身のためだ」
「……あんたは部外者だ。協力してくれるのはありがたいが、余計な口出しはしてくれるなよエウィン先生」
「おや。気に障ったのなら謝るよ」
白衣の男────ユーヤ・エウィンは彼らに哀れむような目を向けるとその場を立ち去った。
* * *
「……怒ってるのか?」
「……」
「……悲しんでるのか?」
「…………」
「どっちもか?」
レイミアの部屋。フォレンは窓辺で外を見ている彼女に問いかける。返答はない。レイミアはただ黙っている。フォレンもレイミアと同じように窓の外を見た。
「……今の俺は嫌か」
「────嫌とか、そういうのじゃない。フォレンはフォレンだよ。でも……今のあなたは危うく見える」
レイミアは窓の方を見たままそう言った。フォレンは図星だと思う。
「……俺のことが怖い?」
少しの沈黙のあと、レイミアは振り向いた。しかし彼女は何も言わなかった。フォレンは目を伏せる。
「俺も怖いんだ、自分自身のことが。正直、俺だって自分のことが分からない────俺は、過去を思い出したけど。自分が本当に何者なのかは知らない」
「…………」
「でも、話せることはある。だから……俺が知ってる俺のことは、話すよ。全部」
フォレンはベッドの縁に腰掛ける。レイミアの視線が静かに追って来る。一つ呼吸を置いて、フォレンは口を開いた。
「……俺は、捨て子だったんだ」
そう、静かに口に出す。自分の中の記憶が、現実であることを確認するように。
「物心ついた時には、俺はとある研究施設にいた。だから……俺がどうしてそこにいたのかは分からない。売られたのか、それともほかの経緯があるのか。それで……そこで、いくつも薬を打たれた。身体強化と……毒物耐性の強化。その二つだ。毎日毎日気持ち悪さで動けなくなって……自由なんてなかった」
幼い時の記憶。それは未だフォレンの中に色濃く残っていた。
「ある時研究員から聞いた。俺は、王家の毒味係の血筋だって。だから元から毒物への強い耐性を持ってるんだって。……それを、薬でさらに強化されてるってわけ」
フォレンは息を吐く。あの施設が何だったのか、フォレンは知らない。だが恐らくは軍事施設だろうとそう思う。軍の実験体だった自分が、そうとは知らず軍に一般兵として入っていたとは、皮肉なものだ。
「ロレンも、あの施設にいた。あいつがどれだけそのことを覚えてるか分からないけど……ロレンは、話さなかったんだな」
レイミアは頷いた。彼女は悲しそうな顔で話を聞いていた。
「9歳の時、俺はその施設から逃げた。ロレンを連れて。その時だ。初めて……初めて、多分人を殺した。俺の世話をしてくれてた研究員だった。彼女が話したことがショックで……あまり、何があったか、何をしたのか覚えてないんだけど。その時の高揚感は覚えてる。それは、俺を呑み込んでしまいそうなほど、恐ろしい……」
体をぎゅ、と抱きしめる。またあの感覚が蘇りそうになってフォレンは首を振る。
「……俺が捨てられたのは、多分この力のせいだ。研究所にいたのは、血筋のせい……多分研究所は俺のこの力のことは知らなかったんだ。知ってたら、どうなってただろう」
もっと厳重に管理されていたかもしれない。それなら、逃げられなかったかも。それか、もっと上手くこの力と付き合っていたのかもしれない。軍の特別兵器としての道を歩んでいたのかもしれない。
「────時々、思い出す声があるんだよ。低い男の声でさ。誰だかは知らない、覚えてないんだけど、なぜだか記憶に残ってるんだ」
気を失う寸前にも、その声を聞いた。それは、夢の中の声とは違う。
「……『お前は悪魔の仔だ』……声はいつもそれだけ言う。……本当にそうなのかな。そうだとしたらどうしよう」
自分は何者なのか。そんな不安がフォレンを覆っている。その記憶の中の言葉が本当なのだとしたら、自分の中の湧き上がるこの感情の正体は。……それとも。
(……お前のせいか?)
『はあ。俺のせいにするなよ。俺は何もしてないよ』
クザファンはそう言うが、フォレンは歯を食いしばる。
(嘘だ。悪魔の言葉なんか信じない)
『本当だって。はあ。付き合い長いのに信用ないな』
(お前……何が目的なんだ。俺の何を知ってる)
『全部。だがお前、本当は自分でも分かってるはずだぜ。ぐだぐだ考えてるからそうなる。頭空っぽにして、最初に出て来たこと。それがお前の正体で、本性だ』
(うるさい、うるさい!)
『おっと。自分から話しかけて来といてなんだよ。分かったよ、俺は黙る』
「フォレン?」
黙り込んでしまっていたフォレンに、レイミアが心配そうに声をかけて来る。フォレンは顔を上げた。
「……レイミア。俺、いつか……そう遠くないうちに、壊れるかもしれない」
「何。どういうこと」
「その時はさ。……俺が、皆んなを傷つけることになったら、躊躇わず殺して欲しい」
「……! 何で、何でそんなこと言うの」
「分かるだろ。昼間の。俺は正気じゃなかった」
どんどん遠ざかって行く。フォレンのただ一つの願いは。遠く遠く、手の届かないところまで、既に行こうとしているようだ。今隣にいるレイミアだけが、辛うじて繋げてくれている。あの時レイミアが助かっていなかったら、と思うとゾッとする。今の自分は、もうここにはいなかったかもしれない。
「……お前がいなくなったら、俺は終わりだ」
ポツリと、小さく呟いた。それはレイミアにはハッキリとは聞こえなかったが────彼女はただ、不安そうに俯くフォレンへと車椅子で近寄ると、両手でフォレンの右手を包み、そして優しく抱きしめるのだった。
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