願わくは

春想亭 桜木春緒

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親友

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 小西一臣こにしかずおみは、その話を自宅で聞いた。
 許しがたい。
 それが、その事件に対する一臣の感情だった。

(あいつだ……)
 真希子と姿を消したという海軍将校に、一臣は心当たりがあった。

 大きな地主である小西家の屋敷。
 一臣は、一年前に中尉になった。海軍兵学校を出て、ほぼ三年。
 上海への航海を終えて帰国したときに、肺結核が見つかった。
 療養を命じられて八ヶ月。
 静養の甲斐あって、軽快しつつある。あと半月ほどで、復帰することになっている。

 真希子が見合いの席から姿を消したと、真希子の母から聞いた。坂巻勝子という人だ。
 一臣には、血のつながらない叔母に当たる。父の弟の配偶者だった。
 真希子は、一臣のいとこに当たる。一臣の父が、真希子には伯父に当たる。六歳の頃に、父が真希子を小西家に預かった。
 勝子は、真希子に少し似た細面の顔を真っ青にして小西の家に来て、そのことについて語った。語ったと言うより、怒鳴り散らしていったというほうが、正しい。
(探さなければ……)
 叔母が、一臣の両親と共に出て行ったあと、考えながら、深いため息を吐いた。

 あいつだ。あの男だ。
 一臣には心当たりがある。
 あれは、一臣も、あの男、つまり神野友祐じんのゆうすけも、共に海軍兵学校の三号生徒だったころのことだ。
 真希子と、友祐が出会った。
 五年ほど前になる。

 小西家は、千葉の東葛飾にある。
 常磐線の駅から歩いて三十分ほどの、江戸川を眺める小高い丘の麓にある。かつて名主を務めたこともある裕福な農家だった。
 友祐は、水戸の出身だった。曾祖父は、維新の騒動の中で命を落とし、その後、元勲が何度も墓参に訪れるような偉人だったらしい。 
 その血を引いてか、友祐も優秀な男だった。
 四号時代の成績がクラスで最も優秀だった。三号に上がってから、友祐はチェリーマークを襟につけている。

 寡黙で生真面目な友祐と、朗らかで磊落な一臣。
 正反対であるがゆえに、馬が合った。クラスメイトの中では、友祐にも一臣にも、互いが最も、親しみを覚える友だった。
 夏の休暇で、帰省するのに方向が同じ。
 江田島から長々と汽車の旅を共にした。
 長い時間語り合い、ふと訪れる沈黙を共有するのにも居心地が良い。
 そんな、親友だ。

 夏の日。
 昼から空が暗かった。
 小田原を越えた頃から雨がひどくなり、上野を出る頃にはすっかり嵐だった。
 夜も更けた時刻。
 一臣の家の最寄りの駅までは、どうにかたどり着いたが、悪天候のために汽車が先に進むことを断念するという。
「うちに泊まるといい」
 当然のこととして、一臣は友祐を自宅に招いた。
 
(光の糸が、お互いの眸の間につながるように)
 ほんの少女だった真希子と、友祐は、引き合うように互いを見つめていた。
 嵐のせいで汚れた白い二種の制服の世話を、真希子がした。
「そこまでしなくても」
 と、止めたくなるくらいに、真希子は友祐の制服にはねた泥を丁寧に落としていた。

 小西の両親も、一臣も、将来は真希子は従兄の一臣の嫁として、名実共に小西家の人間になるはずだと、思っていた。
 真希子も、同じように思っていたはずだ。
「許嫁」
 確たる約束にはなっていなかったが、一臣と真希子は、従兄妹同士であると同時にそういう関係だと、思っていた。

 あの夏の休暇のあと。
 友祐は世話になった礼として真希子に手紙を出すと一臣に告げた。真希子は、その手紙に返事を書いた。
 何度か文通をしていたことは、一臣も知っている。
 それが、まだ続いていたか。
 真希子は手紙のやりとりの中で、見合いの日取りまで、教えたのだろうか。


 一臣は、真希子が姿を消したという築地の精養軒を訪れた。
「ええ、外套も着ずに、外にお出かけでしたので、おや、とは思ったのですよ。あの日は、朝まで雪が降っていましたし――」
 三日前のことになる。
 ドアボーイは真希子のことを覚えていたようだ。
「海軍の将校さんですか。まあ、いらっしゃったと思いますが、珍しいことではありませんから」
「だいたい私と同じくらいの背丈で、目方は先方の方が少し軽いかもしれないが」
「申し訳ありませんが、お一人お一人のご様子までは……」
 一臣や友祐と似たような身長体重の青年など、海軍には大勢居る。見分けろという方が無理かもしれない。
 精養軒は、西洋風の食事マナーを身につけるべしと推奨されている海軍の軍人が、よく訪れるレストランである。
 同じ日に、同じような軍服の将校は何人も来ていたそうだ。

 友祐が乗り組んでいる新造の空母「飛龍」は、丁度その前日に横須賀に入っていた。鎮守府の知り合いに、電話をかけて聞いた。
 入渠で修理があるために、四日間の休暇が出ているという話だった。
 朝に横須賀を出て、友祐は築地を訪れたのだろう。

 一臣は、さしたる手がかりを得られぬまま精養軒を出た。
 背広プレーンに黒いコートを羽織り、襟元に灰色のマフラーを巻いている。息が白い。
 昨日の朝まで降っていた雪は、日陰にまだ残っていた。
 療養中の一臣には、いささか堪える季候である。
(早く、二人の居場所を探さなければ!)
 固い眼差しを上げ、拳を握りしめて一臣は新橋へ向かった。

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