水霊の贄 孤独な少女は人ならぬ彼へ捧げられた

春想亭 桜木春緒

文字の大きさ
33 / 34
第四章

俗 七

しおりを挟む
 浮草たちは宮司の屋敷の一角に居続けている。
 みなほへの貢ぎ物が一部屋に一杯になった。金や農作物をはじめ、着物や武具など、さまざまな品が並ぶ。
「笑いが止まらないねえ!」
 綺麗な着物を抱えた女が言う。宮司は錦の小袋に入った銀の粒を見て、唇を緩める。
 供物の宛先はみなほだが、当人は別の小部屋に引っ込んだきりだ。
「つまんない子だよね。せっかくみんなが構ってくれてるんだから、もうちょっと愛想良くしたら、もっとさ……」
「そうそう。一つ二つ向こうの山の村長なんか、ずいぶん貢いでくれてるよ。何なら一晩くらいの伽とか。そのくらいしてやっても良いと思わない?」
「細っこくて子供みたいだけど、でも十六だか十七だろ? 龍彦様だっけ? いっぱい可愛がられたって話だし、ちょっとぐらいさ」
 歩き巫女は祈祷やお祓いをする、またはお札を配るなどの名目で旅をする。ついでに身体も売る。売春と巫女と、どちらかというと昨今は前者に比重が置かれている。きちんとした祈祷で効果を出す巫女など少ない。だが女の身体ならば生来持っている。
「勿体付けるのもいい加減にして欲しいよね」
「まあまあ。今のところ、あの子の、贄の御前のおかげで馬鹿みたいに儲かってるんだから、好きにさせてやりなよ」
 日が落ちかけた夕暮れに、みなほはまた一人で居る。
 一人には慣れているが、ほど近くに人の気配があって、しかも騒々しいのは不慣れである。
 そっと屋敷を出て、石段の横の池に向かう。このところ、ときどきそうして池の水に触れる。
 一間四方くらいの小さな池だが、湧き出でる量が増えたのか、石組みの枠の外にまで水があふれ出していた。草履の爪先が池にたどり着く前に濡れる。
 山の何処を通ってきた水だろう。澄んで冷たい。
 過去に、みなほはよく御子ヶ池に行き、水面に触れた。村々では、祭礼の時以外に御子ヶ池に近づいてはならぬとされていたが、みなほは知らなかった。
(御子ヶ池の水に似てる)
 石組みの端に屈み、水に手を伸ばした。
 半月ほど前までは夕暮れでもまだ人々が居た。贄の御前騒ぎも少し鎮まりつつあるのだろう。このところは、日暮れ前にはもう人影が絶える。
「龍彦様……」
 両手を水の中に遊ばせながら、愛しく呟く。
 龍神様と眷属の皆様、とあゆやますが言っていた。彼らにつながるあの果てのない湖水。みなほがあの湖水に落ちたとき、大きく深い脈動を感じた。そして身体の力が吸い取られたようだった。
 あの場に居てはならないみなほが湖水に落ち、龍神と眷属に知れた。故に、龍彦はどこかに姿を消し、戻ってこなかった。
 縛られてしまった。あゆとますは言っていた。
 みなほは湖水に身を投げ、あの場所から弾き出された。
(もう、龍神様達はお許しくださったかしら)
 どこにどのように縛られていたか、みなほな知らぬ。辛かったろう、と想像するだけだ。不自由な呪縛から龍彦が解き放たれているように、願う。
「会いたい」
 呟いてから、みなほは咽せた。喉の奥から不意に咳き上げるものを感じる。池に映る己が波紋で乱れた。涙がこぼれていた。
 龍彦は彼の世のことわりに逆らって、みなほを連れて行ったのだ。そうまでみなほを愛しんでくれた。
 そんな存在は、他に居ない。この世にはどこにも居ない。


 村長の屋敷に真由が訪れた。若殿も一緒である。真由は腹に子を宿している。八ヶ月になる。ふっくらと、幸いの形に腹が膨らんでいた。
 若殿と真由は、二十人ほどの供を連れて来た。贄の御前へ、と寄進の品を葛籠に三つも運ばせた。
 村長の屋敷に入る一行を見た浮草が、ほくほくと手もみをしながらみなほのところに現れる。社で、皆の前に姿を見せるために、みなほの身支度を手伝うのだ。
「国守様の若殿からの贈り物だよ。良い物があるに決まってる」
 良かったねえ、と言いながらみなほの髪を櫛で引っ張った。
 鶯の声がした。

 八助は、担い手だった男達とともに、みなほの元に運ばれる贈り物を見た。
 このところ、つるんでいるのは五人だ。八人の担い手の中には妻帯者も居た。許嫁が在った者も居る。彼らは自らの家族を養い守り、子を育てる事に注力するようになった。村人からの冷たい視線にいちいち反応していられなくなった。
 一方で、妻も許嫁も定まっていなかった男達は、冷遇にいちいち反発して腐っている。
 大きな葛籠が三つ、宮司の屋敷に入っていった。
 ちっ、とあからさまに舌打ちをして、八助は苛立ちを表す。
「俺たちがこんなつまんねえことになっているのにな」
「みなほの奴、調子づきやがって」
 村長の屋敷から神社に向かうあたりの小さな藪で、彼らは鶯の声を聞いた。
 もう春だ。昨年の九月、辰の大祭でみなほが姿を消してから、半年を過ぎた。その間ずっと、彼らは不遇の身である。
(こんな思いを俺たちがするなんて)
 と、八助は常々思っている。仲間達もおおむね同じ意見だ。
「村の外れ者はみなほだろうが。俺たちがどうしてこんなめに遭わねばならないんだ」
 いつでも何かあるごとに、みなほを見ては「あいつよりはマシ」だと思って、気持ちを収めてきた。八助にとっては、みなほはそういう役割の存在だった。他の村人も同じだろう。
 みなほの父が家族を殺した。みなほの祖父も家族を殺した。父子ともに、惨殺の生き残りだった。
 村の外では戦がある。人殺しなど珍しくない。八助も仲間達も、戦で人の身体に槍を突き立てた。
 殺さなければ殺される。その恐怖から逃れるために鋤鍬を握る手で槍を取った。
 殺す作業は気持ちが悪い。その代わり、生き残る喜びは大きかった。そのために人の命を取ったが、後悔はない。
 みなほの父も祖父も、何のために妻子を殺したのだろう。同じ家で起居し、同じ釜の飯を食う。まして血がつながった間柄である。その家の父ならば、家族の誰かより力も強い。戦のような身の危険など、あり得ない。
(呪いか、祟りだ)
 そういうものは、とても恐ろしい。
 できる限り、近寄らず、遠ざけたいと思う。それが村人の総意だった。
 みなほの祖父はその頃の村長だった。今の村長の工兵衛が、生き残ったみなほの父を村長屋敷から、屋敷の裏の小さなに隔離した。みなほの父の代から、村人は一家に近寄らない。
 触らぬ神に祟りなし。
 村長がそう言った。村人は村長に倣った。八助も皆のする通りにした。
 だから八助達は思うのだ。俺は何も悪くない、と。
 

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...