37 / 40
37
しおりを挟む
奈恵は、年明けの二日から風邪を引いた。
「頭痛い」
と母親に訴えて熱を測ったところ、その時点で三十八度になっていた。
冷却シートを額に貼り、氷枕を頭の下に敷いている。
「よく寝なさいね」
朝、母親が雑炊を奈恵に出しながら、そんなことを言ってくれた。
天井をぼんやり眺める。
ぼんやりと。ずっとぼんやりしている。
あの日。
ぼんやりと開いた目に、見たこともない天井が映った。
傍らにモスグリーンのカーテンがあって、天井からぶら下がったレールに掛かっているようだった。
ベッド、というには小さな台で、その上に寝て、毛布を二枚掛けられていた。
(……病院?)
そうか、と奈恵は思い出した。
救急車に乗った。
さおりの出血を見て、それからの記憶がない。気を失っていたらしい。
「赤ちゃん、死んじゃう」
悲鳴のような声が耳から離れない。
はあ、と溜息を吐いた。両手で口元を押さえる。
死んじゃったのかな、と思う。さおりの、お腹に宿った命は、どうなったのだろう。考えるのも怖い。
(いつか母になるんだ)
そんな気持ちは、奈恵にも漠然とある。
ほんの小さな頃には、大人になったら何になりたいか、と訊かれて「お母さん」と答えていた。今でも、その気持ちは変わってはいない。なりたいものというよりは、そうなるのだろうという気持ちの方が大きいのかもしれない。
しかし、さおりの、というよりは圭介の年齢ではまだ親となるには早過ぎはしないだろうか。
「は……」
仰向けの奈恵の、目の端から涙が伝う。
好きな人が出来て、手をつないだり、キスをしたり。……それから。
そんなことを、つい半年くらい前までは漠然と、憧れるように思っていた。考えることさえも後ろめたいような、そんな気分でどきどきしながら思い浮かべた。
人が、どうやって母親になるのか。子供を作るには、何をするのか。そんな事も学校で聞いた。そういうことなのだ。
つまり、そういうことなのだ。
圭介は、そうなのだ。
「やだ……。もう、やだよ」
生殖の行為としての交わりであり、あるいは心の愛情を確かめるための行為でもある。どちらも同じ事であり、どちらもそれなりの心の動きがなければなしえない事ではあるのだろう。
身体だけで言うなら、奈恵の身体ももう母親になる支度は備えている。それでも社会的な立場で言えば、まだ奈恵には無理なことだ。
それは、さおりも同じだろう。圭介も、そうだ。父親にはまだ成れるはずがない。
父親にも母親にも成れないのに、それでも身体だけ、そんな風になってしまった。求めることも応えることも、もう出来てしまう。
それも、驚くような快感を伴って。
「……気持ち良い」
圭介はそう言った。
(私だけじゃない。圭ちゃんにも、気持ちよかったんだ)
何度となく、奈恵の中を往来しながら、恍惚とするように圭介は言った。
そうなのか。そのときは夢中でわけがわからないようになるが、ふと思い出すと、耳の底にそんな言葉が残っている。
何度も、圭介は奈恵を求めていた。それは、やはり気持ちが良かったからなのだろう。
(でも、私だけじゃない……)
「やだ……」
泣くのは嫌いだ。それなのに、一度流れ始めたら止まらない。
あれ? そういえば奈恵は、どうしたいって言ってた?
そんな言葉を、いつもよく聞く。
何でも良いよ、みんなと同じで大丈夫。ママと同じで平気。
あら、居たの? 気づかなかった。
いつも静かだね。
居ないみたいに。
奈恵は、体育が嫌いだ。
身体が小さく、運動神経も鈍い。それもあるが、最も嫌なのは「二人組に別れて」とか「三人組に」と言われることだ。他の授業でもたまにそういう指示はあるが、そんなときは座席の隣り合わせで組み合わされるから苦労はない。
体育は、違う。奈恵は、あぶれる。いつもそうだ。誰も奈恵と組もうとしない。そういう相手は居ない。
誰か、余ってないか。先生の指示でやっと奈恵は組み合う相手を見つける。
その瞬間の惨めさは、きっと誰にも解らない。
(やっぱり私は要らないんだ)
誰からも、要らない。そう思われている。
いつもそうだ。
必要とされたことがない。存在を、真っ先に確かめられたことなどない。
「あれ、居たの?」
最後に、そう気づかれるような。
必要とされたい。
だから母親になりたいと思った。母親なら、少なくとも赤ちゃんからは無条件に必要とされる存在になれる。
だから。
夏に、不意に圭介が奈恵を襲った。
奈恵の身体に触り、奈恵の身体を犯した。気持ちが良いと言って、恥ずかしいようなことを、強引にした。
何度も。
意味がわからなかった。何をされているのか、どうしてそうなるのか、行為の名称とそのことだけは解るが、圭介が奈恵にそうする意味がわからない。
ただ、興味があるだろうと言われて、確かに、興味があったから否定しなかった。
ただそれだけだった。
それでも、その間は気持ちが良かった。
圭介の掌が、唇が、奈恵の身体を隈無く触れた。
(あのときの私は、全部が圭ちゃんの……)
あのときの圭介には、奈恵の身体は絶対の存在だ。それは揺るぎないことだ。
普通にしている時は、つまらないと馬鹿にして、うつむくなと叱りながら、それでも裸になった圭介には奈恵の身体が絶対に必要だと、今は確信に近い思いがある。
歪んでいる思いなのかも知れない。
(でも、嬉しかったのに……)
そんなことでも、身体だけでも、奈恵を圭介が必要としてくれることが。
年上の、誰が見てもすごくかっこいいと言う自慢の従兄が、奈恵を求めて、貪った。身体だけなのかも知れないけれど、すごく、必要としてくれた。それが嬉しかった。
(私を……、私なんかをこんなに)
圭介を楔のように受け入れながら、脳髄まで突き上げられるようにその思いが奈恵を何度も貫いた。
だから、気持ちが良かったのだと思う。
だから、すごく嬉しかったのだと思う。だから好きだった。
もっと好きになって欲しかった。
足音が近づいてくる。
看護師だろうか。
「奈恵……?」
カーテンの向こうに、圭介の声がした。
「頭痛い」
と母親に訴えて熱を測ったところ、その時点で三十八度になっていた。
冷却シートを額に貼り、氷枕を頭の下に敷いている。
「よく寝なさいね」
朝、母親が雑炊を奈恵に出しながら、そんなことを言ってくれた。
天井をぼんやり眺める。
ぼんやりと。ずっとぼんやりしている。
あの日。
ぼんやりと開いた目に、見たこともない天井が映った。
傍らにモスグリーンのカーテンがあって、天井からぶら下がったレールに掛かっているようだった。
ベッド、というには小さな台で、その上に寝て、毛布を二枚掛けられていた。
(……病院?)
そうか、と奈恵は思い出した。
救急車に乗った。
さおりの出血を見て、それからの記憶がない。気を失っていたらしい。
「赤ちゃん、死んじゃう」
悲鳴のような声が耳から離れない。
はあ、と溜息を吐いた。両手で口元を押さえる。
死んじゃったのかな、と思う。さおりの、お腹に宿った命は、どうなったのだろう。考えるのも怖い。
(いつか母になるんだ)
そんな気持ちは、奈恵にも漠然とある。
ほんの小さな頃には、大人になったら何になりたいか、と訊かれて「お母さん」と答えていた。今でも、その気持ちは変わってはいない。なりたいものというよりは、そうなるのだろうという気持ちの方が大きいのかもしれない。
しかし、さおりの、というよりは圭介の年齢ではまだ親となるには早過ぎはしないだろうか。
「は……」
仰向けの奈恵の、目の端から涙が伝う。
好きな人が出来て、手をつないだり、キスをしたり。……それから。
そんなことを、つい半年くらい前までは漠然と、憧れるように思っていた。考えることさえも後ろめたいような、そんな気分でどきどきしながら思い浮かべた。
人が、どうやって母親になるのか。子供を作るには、何をするのか。そんな事も学校で聞いた。そういうことなのだ。
つまり、そういうことなのだ。
圭介は、そうなのだ。
「やだ……。もう、やだよ」
生殖の行為としての交わりであり、あるいは心の愛情を確かめるための行為でもある。どちらも同じ事であり、どちらもそれなりの心の動きがなければなしえない事ではあるのだろう。
身体だけで言うなら、奈恵の身体ももう母親になる支度は備えている。それでも社会的な立場で言えば、まだ奈恵には無理なことだ。
それは、さおりも同じだろう。圭介も、そうだ。父親にはまだ成れるはずがない。
父親にも母親にも成れないのに、それでも身体だけ、そんな風になってしまった。求めることも応えることも、もう出来てしまう。
それも、驚くような快感を伴って。
「……気持ち良い」
圭介はそう言った。
(私だけじゃない。圭ちゃんにも、気持ちよかったんだ)
何度となく、奈恵の中を往来しながら、恍惚とするように圭介は言った。
そうなのか。そのときは夢中でわけがわからないようになるが、ふと思い出すと、耳の底にそんな言葉が残っている。
何度も、圭介は奈恵を求めていた。それは、やはり気持ちが良かったからなのだろう。
(でも、私だけじゃない……)
「やだ……」
泣くのは嫌いだ。それなのに、一度流れ始めたら止まらない。
あれ? そういえば奈恵は、どうしたいって言ってた?
そんな言葉を、いつもよく聞く。
何でも良いよ、みんなと同じで大丈夫。ママと同じで平気。
あら、居たの? 気づかなかった。
いつも静かだね。
居ないみたいに。
奈恵は、体育が嫌いだ。
身体が小さく、運動神経も鈍い。それもあるが、最も嫌なのは「二人組に別れて」とか「三人組に」と言われることだ。他の授業でもたまにそういう指示はあるが、そんなときは座席の隣り合わせで組み合わされるから苦労はない。
体育は、違う。奈恵は、あぶれる。いつもそうだ。誰も奈恵と組もうとしない。そういう相手は居ない。
誰か、余ってないか。先生の指示でやっと奈恵は組み合う相手を見つける。
その瞬間の惨めさは、きっと誰にも解らない。
(やっぱり私は要らないんだ)
誰からも、要らない。そう思われている。
いつもそうだ。
必要とされたことがない。存在を、真っ先に確かめられたことなどない。
「あれ、居たの?」
最後に、そう気づかれるような。
必要とされたい。
だから母親になりたいと思った。母親なら、少なくとも赤ちゃんからは無条件に必要とされる存在になれる。
だから。
夏に、不意に圭介が奈恵を襲った。
奈恵の身体に触り、奈恵の身体を犯した。気持ちが良いと言って、恥ずかしいようなことを、強引にした。
何度も。
意味がわからなかった。何をされているのか、どうしてそうなるのか、行為の名称とそのことだけは解るが、圭介が奈恵にそうする意味がわからない。
ただ、興味があるだろうと言われて、確かに、興味があったから否定しなかった。
ただそれだけだった。
それでも、その間は気持ちが良かった。
圭介の掌が、唇が、奈恵の身体を隈無く触れた。
(あのときの私は、全部が圭ちゃんの……)
あのときの圭介には、奈恵の身体は絶対の存在だ。それは揺るぎないことだ。
普通にしている時は、つまらないと馬鹿にして、うつむくなと叱りながら、それでも裸になった圭介には奈恵の身体が絶対に必要だと、今は確信に近い思いがある。
歪んでいる思いなのかも知れない。
(でも、嬉しかったのに……)
そんなことでも、身体だけでも、奈恵を圭介が必要としてくれることが。
年上の、誰が見てもすごくかっこいいと言う自慢の従兄が、奈恵を求めて、貪った。身体だけなのかも知れないけれど、すごく、必要としてくれた。それが嬉しかった。
(私を……、私なんかをこんなに)
圭介を楔のように受け入れながら、脳髄まで突き上げられるようにその思いが奈恵を何度も貫いた。
だから、気持ちが良かったのだと思う。
だから、すごく嬉しかったのだと思う。だから好きだった。
もっと好きになって欲しかった。
足音が近づいてくる。
看護師だろうか。
「奈恵……?」
カーテンの向こうに、圭介の声がした。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる