オオエード物語

つきこ

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鳥の段

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  やっぱり昨日宿場に着いた時点で振り切っておけば良かった。
  宿場入り口でお礼の包み握らせ様全力疾走して宿場を駆け抜け夜通し歩けば、今頃次の宿場でのんびりゆったり朝御飯を堪能できたはずだ。

  そんな後悔の中、とぼとぼ森の中を歩く。
  「どうしたー、すみれ。元気ないなぁ。やっぱり朝メシ抜くのはよくないぞ」
  後ろから元気溌剌話しかけてくるのはあの男。

  そう。
  一夜明けてきちんと気配を消し宿を出たはずなのだが、宿場の出口であっさり待ち伏せされていたのである。
  回れ右して全力疾走してやろうかと思ったが。この男のことだ。どうせ行く先行く先に現れるに違いない。
  朝からそんな気力体力が損なわれることはごめんだ。

  かくしていらん同行者がまだ後ろにいるのである。ご機嫌であれこれ話しかけながら。
  「すーみれー」
  相も変わらず陽気に話しかけてくる男を、立ち止まりキッ!と見上げる。
  「昨日の夕食でチャラになったんでしょ。なんでついてくるの。話しかけてくるのっ」
  次第に大きくなっていくあたしの声にも動じることなく、男はうーん、と首を捻る。
  「すみれが話さないから、俺ばかり話してるだけだと思うんだが」
  「お話したいなら、そーゆーお店に行って」
  ジト目で言ってやると男は呆れた表情をした。
  「俺はお前と話したいんだよ」
  「なんで」
  「一緒に旅するんだから、お前のこといろいろ知りたいと思うのは当たり前だろ」
  「はぁぁぁっ?」
  あたしの大声に頭上からバサバサバサッ!と音をたてて鳥が飛び去った。
  「朝メシ食ってないわりに元気だなー、お前」
  「な、なんでっ。なんであたしとあなたが一緒に旅することになってんのっ」
  一瞬驚いたようにこちらを見るが、大袈裟にため息をついてみせる。
  「昨日説明したじゃねぇか。忘れたのか」
  昨日―――少し考えてから、ため息をつく。
  「一人がどーの、てやつ?それも昨日宿場までの話じゃない」
  「俺は期限なんて設けたつもりはない」
  真面目な顔でとんでもないことを言う。
  「冗談でしょ?あたしは!一人旅がいいのっ!」
  「お前こそ何の冗談を言っている。お前みたいなのを一人で歩かせるつもりはない」
  なんて頑固なヤツ。やっぱロリコンかもしれない。
  「―――おい。なに距離をとってる」
  男が近付いた分急いで距離をとる。森の中で後ろ向きにやるので中々キツいが。
  「あのー、今まで聞かれなかったんで言わなかったんですけど。あたしこう見えても一応それなりの年なので。親とはぐれた子供ではないので保護は無用ですし、そーゆー趣味とか商売とかにお付き合いもしませんので」
  「こら。ヒトをロリコン扱いするんじゃねぇ」
  不愉快そうに眉を寄せると、一気に距離を詰め腕を掴む。
  ひぃぃぃぃぃっ!
  「こんな所で後ろ歩きなんてするもんだから、転びそうになってんじゃねぇか」
  「違うっ。あなたが」
  眉間の皺が一層ひどくなり、腰を屈めて目を覗きこまれる。
  「俺は、あなた、じゃない。銀次郎だ。すみれ」
  「…………………………あたし、すみれじゃないもん」
  やっとのことで言い返した声は、自分でも情けないほど力がなかった。
  男は何が嬉しいのか、緩く破顔する。
  「じゃあ、お前の―――」
  言いかけてそのまままた笑みを消し、目だけで辺りを窺う。
  「―――囲まれた、な」
  それまで聞こえていた鳥や虫の鳴き声や気配が消え、複数の殺気が辺りを満たしていた。
  「お前、そこで待ってろ。俺が」
  「保護はいらないって言ってんでしょ」
  男に三味線を押し付けて、少し離れる。
  「朝から覗きなんて趣味悪いんじゃない?」
  声を張り上げると、木の影から擦りきれた着物を身体に巻きつけた男たちが姿を現す。
  「朝から痴話喧嘩かよ」
  「見せつけてくれるじゃん」
  「そいつの相手はして俺たちは無視なんてツレねぇじゃねぇか」
  一通り聞いてから肩を落とす。
  「なんでこーゆーヤツらって皆無駄にフレンドリーなんだろ」
  「少なくともこいつらは昨日会ってるから、親近感持ってるんじゃないか?」
  あたしのぼやきに律儀に答えたのは、三味線を抱えた男だった。
  「なんだ。あなたの知り合いだったの?」
  「お前も会ってるだろ。昨日のごろつきだよ」
  呆れたように言われて、納得する。するが。
  「ごろつきの顔なんてロクに見てないし。見たとしても記憶に残ってないし。勝手に顔見知りっぽい態度とられても困るのよね」
  素直に胸を張るあたしに、男はため息をつく。
  「それはそうだが、もうちょっと言い方気をつけてやれよ。可哀想だろ」
  「そうやって甘やかすから、ロリコンが恋愛の自由を謳って世の未来ある少女たちが被害を被るんじゃない」
  「しかしなぁ、想いを寄せる男の気持ちをバッサリ、てのはあんまりじゃねぇか?」
  「想いぃ?一度お断りしてるこっちの気持ちはどーするの」
  「うーん………せめて中身を見て判断してほしいっていうか」
  「そーやって時間おいてストーカーになられても困るから。こっちは元から付き合う気ないんだから最初からすっぱり断ってることに優しさを感じてほしいわけ」
  「そうやってお前は」
  「いい加減にしろぉぉぉぉっ!」
  あたしと男の論争にごろつきが大声で割り込む。
  「何なんだてめぇらは!こっちを無理してダラダラダラダラと!」
  「だって………別にあんたたちなんて興味ないし」
  あたしの素直な一言に、ごろつきは渇いた笑い声を響かせながら匕首を構えてあたしを取り囲む。
  「それは残念だが、お嬢ちゃんには俺たちと来てもらう。道中ゆっくり俺たちのことを教えてやるぜ!」
  「お断りっ!」
  叫び様に身を屈め地を凪ぐ。

  ピシィィッ………めきめきめきっ………

  あたしの周りの木々がひび割れ、倒れる音と。
  「「「「「がぁぁぁぁぁっっっ!」」」」」
  ごろつきたちの苦痛の叫びが合わさる。
  立ち上がって裾を払うときには、ごろつきたちは踞り、あるいは転がって脛を押さえている。
  あたしの後ろで男が口笛を吹いた。
  「お前、けっこうやるんだな」
  ―――だから保護なんていらないって言ってるでしょ。
  そう言おうとして、また別の気配が一つこちらにやって来ることを察して見据える。
  やがて足音もなく現れたのは―――
  「―――男連れなんて珍しいな、金の風」
  あたしが向かっていたギルドのオーナーだった。

  「騒がしいと思ったら、こいつらは何だ?」
  オーナーがあたしの周りで転がっているごろつきたちを面白くなさそうに見下ろす。
  「さぁ………昨日から絡まれてるんです。そちらに登録してませんか?」
  「見ない顔だが。どうせ聞き出すんだ、ついでに登録してるか確認しておくよ」
  オーナーの合図に応じて新たに男たちが五人ほど現れ、ごろつきたちを抱えて消える。
  ついてきな、というオーナーに続いて歩き出すあたしの隣に男が並ぶ。
  「お前の友だち、美人なのにずいぶん雄々しいな」
  呑気なことを言う。
  面倒だがため息を一つつき、訂正する。
  「友だちじゃなくて、仕事の依頼人。あと、この人旦那持ちだから。一夜のお付き合いなんて持ち出したら流血騒ぎになるよ」
  「俺はそんな浮気者じゃねぇ」
  途端に声から愛想が消える。
  「それは貞操を守ると誓った女に言いなさいよ」
  「だからお前に言ってる―――なぜ離れる」
  「命と操の危機は相手を戦闘不能にして回避しなさいって教えられてるんです」
  「その喋り方ヤメロ―――さっきのアレか。確かに喰らったらキツそうだ。得物は何だ?」
  「自分の手の内ホイホイ話すワケないでしょ」
  「お前のことを知りたい」
  「妙な言い方しないでくれる」
  「お兄さん、風を捕まえるのは簡単にゃいかないよ」
  クククッと肩で笑っていたオーナーが呆れた目であたしと男を順に見てから、辿り着いた建物の扉に手をかけた。
  「―――へぇ、けっこうデカい建物なんだな」
  建物全体を珍しそうに仰ぎ見る男に、あたしは訝しげな目を向けた。
  「ギルド来たことないなら、どうやって路銀稼いでるの」
  「あー………日雇いの仕事とかだな」
  「……………ふぅん」
  オーナーの後に続いて中に入ったあたしたちに、好奇の目がいくつも突き刺さる。小さく交わされるやり取りに「あれが金の風か」とか「実在してたんだな。初めて見た」とか聞こえる。
  男が片手であたしを壁際に追いやり、隣を歩く。
  「何やってんの。こういうとこは一列で歩くのがマナーでしょ」
  「この場合これでいいんだよ」
  ぶっきらぼうに言われる。見上げると眉間に皺を刻んで辺りを見渡していた。
  「歩きにくいから離れてくれない」
  「じゃあ抱えてやる」
  「お断り。ていうか帰って」
  「断る」
  前を歩くオーナーがまた笑うので、渋々黙って歩く。すぐにオーナールームに通されたのでホッとした。
  隣室で手早く品物を取り出し戻ると、オーナーの向かいの席に座り、書付けをテーブルに置く。
  オーナーはさっと改め、満足そうに頷いて革袋を出した。
  「確かに。相変わらず仕事が早いね」
  「ついでに見てもらいたいモノがあるんだけど」
  そう言って、紙に包んだモノを手渡す。
  訝しげな表情をしたオーナーが、驚愕に目を見開いた。
  「これを………見つけたのかい。数は?」
  「十くらいなら。でもあまり採ってしまうと」
  解ってる、とオーナーが頷くのを見てあたしは一安心する。

  あたしが今渡したのは一枚の葉。
  もちろんタダの葉っぱではない。
  この国ではかなり珍しい品種で、高価な調合薬の材料になるのだ。
  大昔にあったというクーデターで海の向こうにある国との貿易を完全に断つまでは、こういう類いの品をいかにこっそり輸入してどれだけ私腹を肥やすのかが各領主の「手腕」とされていた―――というのは、今の泰平の世を生きる者だからこそ言える皮肉である。
  クーデター前の悲惨さを伝え聞くと、クーデターは必要だったのだろう。
  しかし、弊害もあった。
  輸入でしか手に入らない品が不足したのだ。
  正確には、それまで輸入していた品々の生産を幕府が一手に引き受け、その品が欲しい領は申込書ならびに事業計画書を幕府に提出し、審査の上許可された場合、譲り受けることができるようになった。
  幕府が生産した元輸入品―――幕府印の品と言われているが―――を譲り受けるのに費用は要らないが、審査には時間がやたらかかるし、もし許可が出た場合、幕府からの要請には必ず応じなければならなくなる。応じなければ、その領は反逆心があると判断され、周囲の領から攻められる。
  そのリスクがあるから、事業計画書の提出はかなり慎重にされるようだ。

  ―――閑話休題。
  あたしが採ってきた葉っぱは、幕府でも栽培していないモノでめちゃくちゃ値が張る。ぶっちゃけ籠いっぱいに採取して薬問屋を練り歩けば、小さな領一つくらい買い叩けるかもしれない。
  でもそんなことをすれば、数年もしないうちにこの品種は絶滅する。あたしはいらん人間から目をつけられる。ロクなことはない。
  ある意味厄介なこういう品は、ギルドのオーナーに任せるにかぎる。
  「一先ず幕府に報告しよう。繋ぎはつくようにしておくれ」
  頷いて今度は短刀を取り出す。
  「あとこれ。修理しておいて」
  「あいよ。費用はさっきの発見料から引いて差額を渡す。いいかい?」
  頷くあたしの隣から、大きな手が伸びてテーブルの上の短刀を掴む。
  男は鞘から抜いて刀身を改め、鞘に納めてテーブルに戻す。
  「……………何がしたかったの?」
  「確認しただけだ」
  短く答えられた。よく解らん。
  「妙な男に好かれたもんだね、風」
  「さっきから気になっていたんだが、その風ってのは何だ?」
  オーナーが艶やかに笑ってあたしを指差す。
  「この子のことさ。この半年、いきなり現れた特別枠ってことで有名だよ」
  「特別枠?」
  「ギルドに登録している渡り鳥は、さっき通りすぎたカウンターで仕事を請け負うのが基本さ。だけど、扱いが難しい案件はあたしらオーナーからこれと見極めた渡り鳥に直接話を持っていくのさ。そういうオーナーに認められた渡り鳥を、特別枠と呼んでるのさ」
  「因みに、カウンターで通常の案件や登録してる渡り鳥の相手をするのは、ギルドマスター。オーナーはギルドマスターとは別で幕府とのやり取りがメインの仕事」
  あたしが横から口を出すと、男はうんうんと頷いた。
  「へぇ、凄いんだな」
  「まぁ、雑務係さね」
  オーナーが苦笑して謙遜する。
  「そんな凄い人に仕事任されるなんて、お前も凄いなー」
  「頭撫でないでっ!」
  わしわしっと頭を撫で回す手を叩いて睨み付けるが、男は平然と笑っている。
  「あたしが一人でも大丈夫って、これで解ったでしょ。もう帰って!」
  「いや、風。この人としばらく一緒にいた方がいい」
  あたしの拒絶を制したのは、意外にもオーナーだった。
  「なんで」
  「『五月の華』があんたを探し回ってるからさ」
  「どういうことだ」
  「あなたには関係な」
  「風」
  声をあげかけたあたしをオーナーが目で制す。
  あたしが黙ると、オーナーは男の目を見て話し始めた。

  『五月の華』はあたしが物心ついたときから半年前まで在籍していた旅一座だ。
  あたしは赤ん坊の時に座長に拾われ、育てられた。
  情け深い人だったのだろう。座長は拾い子のあたしに一座の仕事の他に文字や作法まで教えてくれた。
  そんな座長が一年前死んだ。かなりの年だったけど、呆気ない死だった。
  代わって座長になったのは、一座一の役者を自称している助平だった。まぁ一座の女たちは皆あいつと関係があったから、ある意味うまく纏まって一座としては良かったのかもしれない。
  あたしはハーレム要員になるのはごめんだったので、半年前、ご丁寧に夜這いにきたそいつに頭突きをかまし一座を抜けてきたのだ。
  一座を離れても食い扶持の心配はなかった。
  座長はギルドにも登録していて、あたしを連れてギルドに出向くついでに、実戦訓練だの採取方法だのを仕込んでくれたのだ。
  座長には本当に感謝してもしきれない。
  そんなわけで、一座を離れたその足で夜通し採取しながら最寄りのギルドを目指し、登録した直後に買い取ってもらった植物が重宝されたことでオーナーの目に留まり、今日に至るのである。

  男は唸りながら腕を組んだ。
  「まぁ………笑いたいくらいドラマな人生なのは置いといて。半年経ってこいつを探す理由は何だ?」
  前半かなり余計なことを言われたが、話の腰を折りたくないので黙っておく。
  「さぁね。会うメリットはなさそうなのは確実だけどね」
  助平にわざわざ会いに行くつもりなんてありませんがな。
  「色自体はわりとある色だけど、風ほど明るい髪は珍しい。一人で彷徨いていたらすぐ見つかる。とりあえずこちらから連絡するまでだけでも隠れ蓑になってもらうんだね」
  「いや。隠れられてもストレスでスライムに」
  「解った」
  あたしの主張を男が大きな声でばっさり遮る。
  かくして。
  連絡するまでそこら辺で仲良く大人しくしてな、とギルドから放り出されたのであった。


  ………放り出されたのであった、とか呑気にモノローグしてる場合じゃねぇよ。
  どーすんだよ。連絡来るまでの数日間。

  がっくり肩を落としながら歩いていると、後ろから襟首を掴み上げられた。
  「ちょっと何するのっ。離してっ」
  「足下悪いんだから、ちゃんと顔上げて歩けよ。転ぶぞ」
  「転ばないわよっ。落胆くらいゆっくりさせてくれるっ」
  男の手を振りほどいてズカズカ歩く。
  男は悠々とついてくる。

  くそぅ。足の長さが憎らしいっ。

  「そんなネガティブなこと堪能してどうするんだよ。助平から逃げるのがそんなに億劫か?俺がいるから大丈夫だ」
  無駄にキザなことを言う男をジト目で睨みつける。
  「そんな男なんてどうでもいいのよ。あんなもん壺に詰めて塩振って重石して箱詰めして鎖でぐるぐる巻きにして川に流せばいいんだから」
  「お前………なんか色々なモン混じってるぞ」
  「あたしが落胆してるのは、一仕事終えてリフレッシュしようとした途端にごろつきに絡まれあなたにつきまとわれたと思ったら、数日間ここら辺で足止めくらうってこと」
  「お前は俺が嫌いか」
  大きな身体を少し縮ませて聞かれる。
  これで可愛さが出るのだからイケメンは得だ。
  「好きも嫌いもないわね。そもそもあたしは一人が性に合ってるの。あなたはなんであたしにくっついてくるの?」
  「気に入ったから」
  「そーゆー冗談は置いといて。ギルドに登録してないでお金に執着しないなんて、あなた良い所のボンボンとかでしょ。あたしみたいな渡り鳥を構うのもこれくらいにしたら?」
  「冗談じゃないんだが。ギルドには登録してないが、俺もブラブラ歩きだぞ」
  「ギルドに登録しないでどうやって日銭を稼ぐっての」
  「知りたいか?」
  男が身を屈めてあたしの目を覗きこむ。その蒼い目になにか不思議な色を見て、あたしは慌てて距離をとった。
  「いや、いい。ヒトのこと気にしてる暇ないし」
  「気にするな。俺とお前の仲だろう」
  「そんな仲ないから。とにかく!昨日の夕食はともかく、あたしはヒトにぽんぽんご飯だの宿だの奢る趣味ないから。じゃ、そゆことで」
  片手を上げて背を向けたあたしの襟首を、男はむんずと掴み引き寄せる。
  「そゆことで、じゃねぇ。誰がお前にたかると言った。自分の宿賃と飲み食いする金は自分で出せる。下らない理由で逃げてないで自分の状況考えろよ」
  離しなさいよ、と身を捩ろうとして意外に男の顔が近いことに驚いて固まる。
  「半年経ってからわざわざ探すなんて、余程のことだ。簡単に諦めるとも思えん。俺が守ってやるから大人しく傍にいろ」
  「~~~~~っ、わ、わかったからはなしてっ」
  「俺とお前は一緒にいる。期限なく。解ったか?」
  「わかったから!」
  男はにぃっと満足そうに微笑むと手を離す。
  急いで離れようとすると、がっしり手を握られた。
  「ちょっと!」
  「お前、腹減ってるからそんなにネガティブなんだよ。飯食えるとこまで連れてってやるから、転ぶなよ」
  そんなわけあるか!離せ!
  叫んで暴れたい気持ちに駈られたが、さっきみたいに近距離で色気駄々漏れされるのもうんざりだ。
  諦め半分投げやり半分でやたら上機嫌の男に手を引かれたまま、森を抜けて街道を歩く羽目になった。
  ちらほらすれ違う人の目が妙に生温かったのは、この際忘れることにしよう。


  お手て繋いでなんてこっぱずかしい状態でだが、わりと速く歩いたので街道沿いにある茶屋に着くまでにそれほどかからなかった。途中「歩きづらいなら抱っこしてやろうか?」なんて戯れ言が聞こえたが、当然聞こえない振りをした。
  「それで、具体的にこれからどうする?」
  注文した料理を運んできたお婆さんを見送った笑顔のまま、男は抑えた声で問う。
  啜ってたうどんを飲み込んで、そうねぇとため息をついた。
  「ギルドからの連絡は一週間もかからないとは思うけど、昨日停まった宿場に戻るのはマズいわね。渡り鳥が何日も留まってると不審がられるもの」
  近くの村で情報収集をしたいところだが、下手に動くと『五月の華』に出くわす可能性もある。座長が変わった今、興行ルートも変更されているかもしれないからだ。
  非常に不服だがオーナーの言う通り、様子を見ながらここら辺で大人しく潜むのがいいだろう。

  あぁ。なぜわざわざ宿場近くで野宿せにゃならんのだ。
  エロ男のせいで。

  憂鬱にため息をついていると、男は顎を撫でながらポツリと言った。
  「姿を隠すなら、良いとこがあるんだけどな」
  多少ナンパに近いセリフで男が指差したのはバカ高くそびえる塔。
  オオエード・パレスである。
  各役所や幕府の重役の豪邸、役人の屋敷がわらわらと点在する中央にででんっとそびえ立つそれは一応、城。王都勤務を命じられた領主がいろいろ小難しい話し合いをしたり、いびり合いをしたりするオオエード王国の中枢であり、代々の帝の居城でもある。
  この城を取り囲むように要人の屋敷が、更にその周りを武家屋敷が取り囲み、更にその周りを取り囲むように商人の店が並び、町人の住まいが乱立して王都オオエードは成り立っているのである。らしい。
  閑話休題。
  男がオオエード・パレスを指差すのは、暗に「王都へ行こうぜ」と言ってるようなもんである。
  意味は解るし、人に紛れるには王都は格好の場所であることも解るが。
  あたしは眉をひそめてどんぶりを置いた。
  「王都って、好きじゃないのよね。ずいぶん前に興行で何度か行ったっきりだけど、お偉いさんはニヤニヤ気持ち悪い目つきするし何かとケチつけてお代値切ろうとするし。物価は高いし客寄せがしつこいわりに商人もどっかお高くとまってるし。わざわざ行こうなんて思わないわね」
  「お前………素直にも程があるだろう………」
  男が深くため息をついた。
  王都から遠く遠く、かなり遠い地方の領にいるからこそ言えるのである。特にこの領は、ぶっちゃけ幕府との仲が素晴らしく悪いので、こういう悪ノリがあっさり容認されちゃうことが通常だ。
  幕府に恨みも嫉みもないので殊更悪口を言おうとは思わないが、無理にヨイショしようとも思わない。まぁ、気に入らないことは気に入らないと言いたいだけなのである。
  「だって、王都に住んでるってだけで無駄にプライド高いんだもん。文句言われてまで芸を披露しに王都まで行きたくないって言ったら、座長だっていいよって言ってくれたし」
  「そりゃあ言うだろうよ………」
  なぜか遠い目をして男が呟くが、あたしは構わず思い出話を続ける。
  久しぶりに行動を共にする人間が現れたので、少し情が移ったのかもしれない。
  ヤバいヤバい。と思いつつも口は動く。
  「単に王都の水が合わないってだけだろうけどさ。王都を避けて地方の領を渡り歩いて興行するのが好きだったなぁ。セクハラ変態親父とか勘違いストーカー野郎とかいてもさ、王都じゃ一律我慢しなくちゃいけなかったけどさ、地方だったらある程度のラインで報復おっけーだったもん。たまにラインの線引きで座長と夜通し殴り合いすることもあったけどさ。楽しかったなぁ」
  「おい待て。今の話のどこに楽しい要素があるんだ」
  「関所通るのも楽しかったな。他所の一座はなんか面倒くさがってたけどさ、ウチはあんまり待ったことなかったし、関所の役人さんはお菓子くれるし。なんでみんな嫌がるんだろ?」
  毎回身体は大丈夫かとか辛いことはないかとか、とにかく優しくお喋りしてくれたものだ。
  一座を抜けて歩いてたとき、つい採取に夢中になって関所付近を見回っていたお役人に見つかったときはさすがに焦ったけど、彼らは優しかった。事情を話すと、あっさり関所を通してくれたのだ。夜遅いから泊まっていくかとまで言ってくれた。さすがに断ったが。
  あの夜の内に関所を通れたのはかなりラッキーだったと思う。『五月の華』からだいぶ距離をとることができたからだ。
  ふと目の前の男に視線を戻すと、額を抱えながら項垂れていた。
  「?どうしたの?もしかして、煩かった?」
  「いや………蛙の子は蛙だと思って………」
  なにやら沈痛な面持ちで深い深いため息をつく男を見て、あたしは首を傾げる。
  女のお喋りには男はあまり関心ないと聞くし、口には気をつけることにしよう。


  「―――まぁそーゆーわけで、あなたのアイデアは理に敵ってるかもしれないけど、あたしとしては気が進まないのよ。そもそもあたしがここに来た目的の一つはまだ達成されてないんだから。オーナーだってここら辺に居ろって言ってたじゃない」
  ここから王都までは、関所越えを踏まえるとどうしたって三日はかかる。代金の受け取りを考えると、下手したら王都を踏んだその足で即効折り返して出発、なんて羽目になる。
  エロ大根役者にビビりながら移動するのも、道中でお決まりのごろつきに絡まれるのもゴメンだ。思う存分相手を心中で罵りつつ、相手が接触してきたところを迎え撃って顔を踏み抜いてやろうと待つ方が精神的には良いような気がする。
  あたしの説明に男は何度か物言いたげな表情をしたが、最終的には解ったと頷いた。
  「それなら宿場の近くで野宿になるだろう。宿場に戻って必要な物の買い出しをしてくる」
  「あたしも行く」
  茶屋を出て少し歩いたところで男が宿場に戻ると歩き出したのでその後ろについて歩こうとすると、男は立ち止まりながら振り返った。
  「あのなぁ………宿場が人気多いの解るだろう?万一そいつらが居たらどうするんだ」
  「あたし、あんな口八丁だけが売りの助平に捕まらないし」
  口を尖らせて言うと、やれやれとでも言いたげなため息を男はついた。
  「まったく………不安なのは解るが、すぐに帰ってぐっ!!?」
  「だぁれが不安だってぇぇっ」
  思わず右足が出たけど、あたしは悪くない。お仕事に行くパパをべそかいた顔で引き留める子どもを見る目で頭を撫でてくるヤツが悪い。
  「誰が助平とハーレムを怖がるかっつーのっ」
  「くぅぅ~~~っ、おま、なんつー攻撃力なんだ………妙な所に当たってたら即御陀仏だったぞ………」
  左の脛を擦りながら男が恨みがましい目でこちらを見る。
  そんな表情で片足で跳び跳ねてても絵になるなんて、イケメンは器用だ。
  「懲りずにロリ扱いするなら、今度は遠慮なく急所を狙うわ」
  鼻息荒く胸を張ると、男は大きなため息をつきながら後ろ頭をがりがりと掻いた。
  「今まで遠慮してたかよ………まぁいいや。買い物ついでに聞けるようなら情報を拾ってくるからよ。お前はここら辺で隠れてろよ」
  「………………解った」
  渋々頷くと、男はよし、と破顔して身を返す。ねぇ、と声をかけると、ん?と振り返った。
  「悪いわね………………わざわざ」
  一瞬目を見開くと男は苦笑する。
  「そういう時はな、ありがとうっていうもんだ」
  ニィッと笑うと、すぐ戻るからな、と言い置いて今度こそ宿場へと戻って行った。
  その後ろ姿を見送って森の中に戻り、適当な大きさの木を見つけて一気に登る。満腹がたたったのか、目を瞑るとすぐに眠気が訪れた。


  微かな呻き声にうっすら目を開ける。
  気配を探っても一人分の気配しか感じない。
  木から降りて街道沿いに踞る人影にゆっくり歩み寄る。
  「―――どうしました?」
  話しかけると、女の人は荒い息の合間に言った。
  「急、な………差込みが………ぁ………」
  荒い息をつきながら下腹部を押さえている。
  外傷か病気か月のものか。
  確かめるかと近寄ると、辺りに妙に甘い匂いが立ち込めた。
  「なっ……………!」
  本能的に嗅いではいけないと判断して飛び退いたものの、着地の足がふらつく。
  ぼやける視界の中で女の後ろ姿が身軽に立ち上がるのを最後に、あたしの意識は完全に暗転した。
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