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3巻
3-1
しおりを挟む第一章 急襲?
異世界に飛ばされた僕――カズマ・ナカミチは、何をやってもあらゆるスキルのレベルが経験値1で上がる。そのため、見知らぬ土地での生活やモンスターとの戦いなどを楽々こなせていた。
そんな僕は、ベルガン帝国に追われているアルデバラン王国の王女アリアスが、隣国のオルダナ王国まで逃げる旅に同行することになる。
帝国軍は強く、何度も危機に陥ったが、バーン商会の次期当主・アルフレッドたちの協力もあり、無事にオルダナ王国へとたどり着いた――
「もう! 嫌になっちゃうわ!」
アリアスはオルダナ王国に用意された居館の自屋に戻るなり、持っていたポシェットを怒りに任せてソファーに叩きつけた。
ポシェットはソファーの弾力によってポーンと跳ね上がり、次いでポトリと床に落ちた。
部屋に控えていた侍女のルイーズが素早くそれを拾い上げると、アリアスは少し落ち着きを取り戻したのか、優しく語りかけた。
「ごめんなさい、ルイーズ。ちょっと頭にくることがあって」
ルイーズは笑みを浮かべながら頭を下げた。
「いいえ、殿下。お気になさらないでください」
そして、ポシェットを所定の位置にしまうため、続きの間へと静かに歩いていった。
アリアスはその背中を見送ると軽くため息を吐き、ゆっくりソファーに腰を下ろし、
「……どう思う、カズマ?」
と、対面のソファーに腰を下ろそうとする僕に問いかける。
僕はソファーに身体を沈めながら答えた。
「難しいと思う。若い貴族たちと違って、年齢の高い大貴族の多くは乗り気じゃないみたいだし」
「そうね……問題はそこよね。特にあのゴート公爵……彼が一番厄介だわ」
僕たちがオルダナ王国の首都ミラベルトへとたどり着いて早三か月。
アルデバラン王国の再興計画は、一向に進展していなかった。
それというのも、血気盛んな若い貴族たちはともかく、老練な大貴族たちは強大なベルガン帝国と事を構えることを良しとせず、アルデバラン王国再興の兵を挙げることに反対していたからだ。
中でも、王宮で最も強い発言力を持つとされるゴート公爵の存在が、最大の障壁となっていた。
「ゴート公爵って、オルダナでも一番の大貴族なんだよね?」
僕の問いに、アリアスが苦々しげな顔をする。
「ええ。オルダナ王国建国時に、初代王の右腕として活躍した知勇兼備の豪傑が興した家らしいわ。以来ずーっとオルダナ最大の貴族として王宮に対する影響力を持っているの。特に当代のゴート公爵は長女を王弟に嫁がせているくらいだから、その発言力は絶大なのよ」
「う~ん、味方につけられたら、逆に物凄く頼りになりそうだけど……」
「無理ね。ゴート公爵は反対派の筆頭だもの。それに……」
アリアスは途中で言葉を打ち切るとうつむき、深く考え込んだ。
僕は彼女の邪魔をしないよう黙りこくった。
アリアスの悩みは尽きないな。
僕が少しだけ視線を上げると、アリアスの背後に大きな窓があった。
その窓枠が先ほどからガタガタと音を立てて震えている。
窓の外では風が吹き荒れているのだ。
聞くところによると、強い嵐が近づいてきているらしい。
僕は震える窓を見つめながら、現実に立ちはだかる暗雲を思い、陰鬱な気分に侵されていく。
そこへ、もう一人の侍女のメルアが、お盆にお茶を載せてしずしずとやってきた。
メルアはできるだけ音を立てないように気を遣いつつ、ソーサー付きのティーカップを二客、テーブルの上に置くと、一歩下がって深く一礼した。
僕が目を合わせて軽く会釈をしたら、彼女はニコリと笑みを見せ、静かに下がっていった。
アリアスの思索はまだ終わっていない。
僕はどうしようかと少し迷ったものの、黙って待つことにした。
窓枠は相も変わらずガタガタとリズミカルに震えている。
そのとき、風の重みに耐えかねたのか、突然窓が大きな音を立てて勢いよく開いた。
アリアスは突然のことにビクッと身体を震わせた。
それも当然だろう。僕だって物凄く驚いたのだから。
僕はスッと立ち上がり、窓に向かいながら、怯えるアリアスに向かってできるだけ優しく言った。
「大丈夫。風で窓が開いただけだよ」
僕は外からの激しい風を顔に受けつつ窓を閉めた。
「鍵がちゃんとかかってなかったみたいだね」
ここで、ようやくアリアスの顔に笑みがこぼれた。
「そう……ちょっと驚いちゃったわ」
「ちょっと? 物凄く驚いたように見えたけど?」
僕がからかうように言うと、アリアスは少し顔を赤らめた。
「そんなことないわよ。ちょっとよ、ちょっと」
アリアスは右手の人差し指と親指のあいだを少しだけ開けた。
「じゃあ、そういうことにしておくよ」
僕がそう言って笑うと、アリアスは軽く肩をすくめた。だが、すぐに笑みを収める。
「ギャレットはずいぶん苦労しているようね?」
ギャレットとは、アリアスの護衛隊長のことだ。
「そうみたいだね。今朝会ったときですでに疲れ切っているように見えたし。もっとも、ギャレットさんは『疲れてなんかおらん』って言っていたけど」
僕は途中声を低くし、ギャレットのモノマネをしてみたものの、アリアスはくすりともしなかった。
「そうね……駆けつけてくれた兵たちの再編で忙しくしているようね」
アリアスの言う通り、オルダナ王国に彼女が現れたという報が広まったことで、アルデバランの生き残った兵たちが艱難辛苦を乗り越えて、続々と駆けつけてきてくれている。
だが当然のことながら、彼らの元の所属はバラバラであり、また兵は日々集結してくるため、再編は困難を極めていた。
ギャレットは、日がな一日このことに忙殺されていた。
それはそれとして、僕の渾身のモノマネをスルーしなくたっていいじゃないか。
僕は少しだけムスッとして窓の外を見つめた。
風は先ほどよりだいぶ威力を増してきたように思える。
まもなく嵐が来る。それも、激しく強い嵐が。
しかも、アルデバランからオルダナを目指すという、今思えば単純明快な脱出劇とは違い、実に怪奇にして複雑な迷路をさまようようなものになるのではないだろうか。
僕はなぜかそんな不安に駆られ、またも暗澹たる思いに沈んでしまう。
「バーン商会のみんなは、上手くやってくれているのかしら?」
ありがたいことに、アリアスが話題を変えてくれた。
「やってくれていると思うよ。ガッソさんがグランルビーの値崩れを起こさないように、各国を巡って上手く売り抜けているって聞いたから」
そう、今バーン商会の重鎮であるガッソは各国を渡り歩いて、方々でグランルビーを売りさばいている。
様々な国で売るのには理由があった。一か所で一気に大量に売ってしまうと、その国でのグランルビーの価値が急速に下がってしまう。さらに、その情報は他の国にも伝わり、世界中で市場価値が暴落してしまう恐れがあったのだ。
「あと、アルフレッドは今はアルデバラン東部の港にいるんだってね。アルデバランの兵たちを船に乗せて、オルダナに運んでいるんでしょ」
アルフレッドがいるのは、アルデバラン東部にあるデガローという港町だった。
オルダナとアルデバランは国境を接してはいるものの、陸路で行くには狭いシヴァールの関所を通らなければならない。だがそこにはベルガン帝国が多くの兵を残しているため、アルデバランの残兵は国境を通れなかった。
かといって北にはベルガン本国があり、南には敵対国のアストランドがある。
そこで、アルフレッドは港町デガローに目をつけた。
ベルガンの目は西に向いている。東のデガローに対しては警戒が緩いだろうという考えだ。
事実デガローにはほんのわずかなベルガン兵しか駐屯していないらしく、順調に事は進んでいるらしい。
突然、ガタガタと大きな音が室内に響いた。
どうやらさらに風が増しているようだ。
アリアスは眉をひそめ、ため息交じりに呟いた。
「嫌な風ね……なんだか気が滅入るわ」
僕は軽く笑みを浮かべ、うなずいた。
「そうだね。実は僕もさっきから、ちょっと気分が暗いんだ」
「そう……カズマにしてはめずらしいわね?」
「……そうかな?」
「ええ。カズマはいつも明るくて朗らかな印象があるわ」
僕は軽く首を傾げた。
そうかなあ? 僕ってそんな感じなのかなあ?
僕はなんとなく納得がいかない気分となり、口をへの字に曲げた。
「あまりくどくど話していてもしょうがないわね」
アリアスは両腕を上げて指をからめ、上半身を伸ばしながら言った。
そして腕を下ろすと、ため息を吐く。
「もう寝ましょう」
「そうだね。おやすみ」
僕は笑みを浮かべて言った。
「ええ、おやすみ」
アリアスはソファーから立ち上がり、続きの間へと歩いていった。
僕はカップに残ったお茶を啜る。
そしてお茶を飲み干したところで、続きの間から顔を出したメルアに言った。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「どういたしまして」
メルアは、はにかみながら答えた。
僕は立ち上がり部屋を出ようとしたが、メルアが話したそうな素振りをしている。
「メルア、どうかした?」
すると、メルアが少しだけ顔を赤らめた。
「ううん! なんでもないわ」
僕は首を軽く傾げた。
「そう。それならいいけど……」
すると、メルアが満面の笑みを咲かせた。
「うん! おやすみなさい」
僕はまだ不思議な感じがしていたものの、返事をしないわけにもいかない。
「あ、うん、おやすみ……」
メルアは笑顔のままくるりと背を向け、続きの間に行ってしまった。
僕はその背を見ながら、もう一度大きく首を傾げた。
「なんか……変な感じ」
だが特に問題にするようなことでもないため、僕はアリアスの部屋を出て、隣にある自分の部屋へと戻った。
そして柔らかなソファーに身を沈め、窓の外で吹き荒れているであろう風を見ようとした。
だが当然、風など見えやしない。ただ風に吹かれて揺らめく木々や、ガタガタと震える窓枠を見て感じ取るだけだ。けれどそれは、確実に存在する。
見えなくとも、風は確実に吹いている。
アリアスを取り巻く陰謀も、まだ姿を現していないだけで、確実に存在するはずだ。
僕はソファーから立ち上がり、そっと呟いた。
「もうすぐ嵐が来る」
そして、震えて悲鳴を上げている窓枠に向かい、またも呟いた。
「来るなら、たぶん今日だ」
僕はおもむろに窓を開けると、吹き荒ぶ風を顔いっぱいに受けつつ、ギロリとあたりを睨みつけた。
一睡もしないまま、部屋に光が差し込んだ。
一羽の鳥が朝の訪れを祝ってなのか、それとも嵐が過ぎ去ったことを喜ぶためか、軽やかな音曲を唄いあげる。
僕はまばゆい陽の光に眉をひそめながら、鳥の甲高いさえずりをぼーっとした頭で聞いていた。
「……来なかった……」
僕の予想は外れた。きっと、嵐で足音がかき消されることを見込んで、敵が攻めてくると思っていたのに。
「……はあ……疲れた……気が張っていたからかな。なんか凄い疲れたな……」
僕は朝日が鋭く差し込む窓を閉めると、分厚く黒いカーテンを閉めた。
部屋が暗闇を取り戻したことで、急激に睡魔が襲ってきた。
「……とりあえず寝よう……」
僕はのろのろとベッドに赴くと、そっと掛け布団を剥がして、間に身体をするっと滑り込ませた。
「……ふう……」
僕は大きなため息を一つ吐くと同時に、目を瞑った。
そして、混濁した意識の中でハンモックに揺られるように、強烈な睡魔に身を委ねる。
…………ん……………………う~ん…………
意識の外で、何やらガタガタと音が聞こえる。
なんの音だろう。
ああ、嵐か。嵐が窓を叩いているんだな。
そんなことをぼんやりと考えていると、今度は甲高い声が聞こえた気がした。
なんだろう?
考えても、頭が朦朧としていて考えがまとまらない。
だがそのとき、あることに気づいた。
あれ? 嵐はやんだはずじゃ……そうだ。嵐はもう過ぎ去っている。
じゃあ、このうるさい音はなんだ?
僕は瞼を開けようと試みた。
だが接着剤で貼りつけたかのように動かなかった。
身体も……動かない。
でも、なんだ? ……あの甲高い声は……聞いたことがあるような……
――メルアの叫び声だ!
僕は瞼を開いて、飛び起きた。
くそっ! 疲れからか寝ぼけていた!
槍は? 蒼龍槍は……いや、室内なら槍より剣だ。
僕はベッド脇のテーブルの上に置かれた剣を掴むと、急いでドアに向かう。
間に合え!
僕は逸る気持ちを抑えてしっかりとドアノブを回すと、勢いよく開いて廊下へ飛び出した。
すぐ隣がアリアスの部屋だ。
僕は急カーブを描いて室内に飛び込み――目に入った黒装束の男の背中を、抜き放った剣ですかさず斬り裂いた。
断末魔の叫びを上げる男に構わず、さらに別の黒ずくめの男を目がけて僕は剣を振るった。
男は慌てて振り返り、剣を合わせようとするも、僕の剣の方が速い。
僕は振りかぶろうとする男の剣をものともせずに、胴を薙いだ。
だが、それで終わりではなかった。
まだ敵は四人いる。いや、三人か?
一人は見たことのない少年のような顔をした男性で、アリアスたちの前に出て、三人の男たちに向かって剣を構えている。
彼は味方だ。
僕は瞬時に状況を把握すると、三人の男たちに襲いかかった。
一番手前の男を一瞬のうちに袈裟懸けに斬り捨てると、返す刀で向かってくる男を逆袈裟に斬り上げた。
そして、最後に残った男の剣を難なく躱すと、上段から一気に剣を振り下ろす。
しかしその瞬間、少年が叫んだ。
「殺さないで!」
僕は咄嗟に膂力を振り絞って剣を止めると、左足を力いっぱいに振り上げた。
僕の足の甲に、ぐにゃっという柔らかい感触が伝わる。敵の股間を直撃だ。
男は肺腑の中の空気を一瞬で吐き出し、苦悶の表情を浮かべて床の上に崩れ落ちる。
「みんな、無事だった!?」
僕が慌てて叫ぶと、アリアスが安堵の表情を浮かべてうなずいた。
「ええ、みんな無事よ……この方が助けてくださったの」
アリアスは、見知らぬ少年を手で指し示す。
すると彼は、少年らしい爽やかで朗らかな笑みを顔いっぱいに浮かべた。
「いやあ、君が来てくれてよかったよ。僕じゃ、とてもじゃないけど、この人たちには勝てなかったからね」
「いや、でも君がいてくれなかったら……」
少年は照れくさそうに頭をかいた。
「いやあ、時間稼ぎが精一杯さ。だから本当に君が来てくれてよかったよ。ありがとう」
少年は、僕に右手を差し出した。
僕は剣を左手に持ち替えて、その手を握った。
「ううん、こちらこそありがとう。僕はカズマ。カズマ・ナカミチ」
少年はまたも朗らかに笑った。
「もちろん君の名前は知っているさ。英雄だからね。ああ、申し遅れた。僕はレノア。レノア・オクティスだ。よろしく」
レノアのあたたかな手を握ると、互いに笑い合った。
そして、なんとなく彼とは長年の友誼を結ぶのではないかと、漠然と感じた。
「ところで、君はどうしてここに?」
僕の当然とも言える問いに、レノアがすかさず答えた。
「この男たちが殿下の部屋に侵入しようとしていたのでね、剣はあまり得意ではないが振るってみたのだよ」
僕は軽く首を傾げた。
「なんで部屋の前にいたの?」
アリアスの部屋に侵入しようとしている者を見たということは、はじめから部屋の前にいたことになる。
レノアは朗らかな笑顔のまま答えた。
「おそらく、この時間に侵入者が現れるだろうと思ってね。待ち構えていたのさ」
僕は驚いた。この時間に? 嵐が過ぎ去って夜が明けたこの時間に?
「夜明けに来るって思ったの?」
レノアはうなずいた。
「敵が襲ってくるなら、誰もが嵐の最中だと思うだろ? でもそんな当たり前の襲撃じゃ、英雄である君の防備を突破して殿下のところまではたどり着けない。これまでもそうだったんじゃないか?」
確かに、このオルダナ王国にたどり着いてから三か月、この間、僕らは幾度も敵の襲撃に見舞われた。
そのすべてを僕は退けてきたのだが、そのほとんどが大雨の日であったり風が強い日であったりしたと思う。
「うん。確かにそうだった」
「そうだろう? それでこれまでダメだったんだ。敵だって考えるさ。そこへこの大嵐だ。となれば、この嵐が過ぎ去った後、最も気の抜けたところを攻め込もうと考えてもおかしくはない。というより、いい手だとは思わないか?」
これまた確かに……実際、僕は疲れ果てて眠りこけてしまったのだから。
僕は悔しくて首を垂れた。
「ごめん……寝ちゃってた……」
「そんなに落ち込まなくていいさ。実際君は間に合ったんだからね。気にしなくていいはずさ」
レノアが爽やかに僕を励ました。
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