死神使役《ネクロマンサー》、現世《うつしよ》に惑う

マツヤマユタカ

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第1話 帰還~異世界から現代へ~

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「世話になったな」

 暖かな日差しが降り注ぐ小高い丘で、俺は万感の思いを胸に振り返り、取り巻く仲間たちに向かってながの別れを告げた。

 ついに、この時が来た。

 十五歳の時に突然この異世界に転異し、幾星霜いくせいそうの年月を共に分かち合った仲間たちとたもとを分かち、元いた世界への旅立ちを告げる時が来たのだ。

「色々と申し上げたいことはあったのですが、今となってはそれも……わたしから言えることはもう何もありません。さようなら、ジン」
 
 パーティーの中で最も年長の大賢者リトラトスが、ジンと呼ばれた俺に対して思いを噛みしめるように言った。

 美しく白い髪が風に吹かれて、たおやかにたなびいている。顎に蓄えた白き美髯びぜんも、降り注ぐ陽光に照らされて輝いていた。

 リトラトスはどんな時でも冷静沈着だった。だが今、そんな男がとても寂しげな表情をおもてに表している。
 
 そうか。かの大賢者リトラトスでさえも、別れの時はこんな顔をするのだな。ずいぶんと長い付き合いだったが、初めて見たように思う。


「まあ、あんたのことだから、あっちでも派手に暴れまわるんだろうな。あばよ!」

 若年ながらも剣聖と呼ばれるまでになったアリアドネが、相変わらずのぶっきらぼうな物言いをする。

 だがそれこそが彼女の愛情表現であることを、俺はよくわかっている。

 鮮やかに燃え盛るオレンジ色の短髪が、アリアドネの活発さを表していると言える。彼女はどんな戦いであっても、常に先陣を切って敵に突入して多大な戦果を挙げてきた。故にその性格は攻撃的で、他者への当たりが強いと思われがちだ。だが違う。彼女の心根は本当は優しいんだ。俺はそれを、知っている。

 ほら見ろ。やはり目に涙が溜まっている。

 アリアドネはそのことに気付き、慌てて袖で荒々しく目元を拭きはじめた。 


「もう金輪際、貴方とお会いすることはないのですね……」

 パーティー最後のひとり、大魔導師セークルスは、今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 綺羅と輝く黄金色の髪が、さわやかにそよぐ風にたゆたっている。その一本一本が繊細な金細工師の手業ではないかと思うほどに美しい。いや、それだけではない。緩やかなカーブを描く眉も、涼やかに伸びる目元も、スッと通った鼻筋も、潤いを感じさせる唇も、そのすべてが美しい。彼女はもしかすると、神の御業によって誕生したのかもしれない。そう思わせるほどに彼女は究極に美しかった。

 俺は彼女のその美しい顔を目に焼き付けようと、じっと見つめた。

 彼女がその視線に気づき、涙を湛えた潤んだ瞳を覆い隠すように、瞼を閉じてうつむいた。

 その時、一筋の涙がやわらかな頬を伝って流れ落ちた。

 嗚呼、やはり俺がこの世界で見る最後の光景は、セ―クルスにしよう。

 美しい彼女を見つめながら、この尋常ならざる世界を去る。

 それがいい。

 俺は視線をセークルスにとどめたまま、その時を待った。

 ほどなくして周りの空気が、波打つ瞬きのように徐々に輝き始めた。

 そして極光オーロラのような七色の輝きに、視界のすべてが覆われていく。

 これで本当にお別れだ。

 この異常な世界とも、そして共に長い時を分かち合った彼らとも、永劫えいごうの別れとなる。

 俺は、元いた世界に戻るのだ。

「お前ら、元気でな……」

 俺が今一度別れを告げようとするなり、視界のすべてがまばゆい閃光に包まれた。

 大賢者リトラトスも、剣聖アリアドネも、そして大魔導師セ―クルスも、光の中にゆっくりと溶けていく。

 帰るのだ。元の世界に。

 異世界での地位も名誉も栄光も、そのすべてをかなぐり捨てて帰還する。

 数々の思い出だけを胸に、家族の待つ現世へと。




「戻ってきたのか……」

 俺は久方ぶりの光景を見た。

 それは、およそ二十年ぶりの夜景であった。

 小高い丘から見下ろす眼下の光景は、まばゆい無数の光にあふれていた。

 異世界とは違う、暗闇に浮かび上がる無数のきらびやかな輝き。

 膨大な電力量によって描き出された人為的な景色が、そこにはあった。

「なにもかも、みな懐かしい……」

 俺の目には、いつの間にか涙が浮かび上がっていた。

 それによってにじむ夜景。やわらいだ光が、ひな祭りに飾られた色とりどりの雪洞ぼんぼりのように目に映る。

 ふとそこで気づく。かつてよりも、いくらか光の量が増えているような気がする。

 大枠は大して変わらない。昔見た、懐かしい光景だ。
 
 だが少しだけ光が増えたように思う。やはり時が経ったのだ。今それをしみじみと実感した。

 俺は、目に溜まった今にもこぼれんばかりの涙を拭い、右足を一歩前に踏み出した。

 帰ろう。懐かしのわが家へ。家族の待つところへ。

 この丘はよく知っている。昔馴染みの丘だ。ここから家までは、時間にして十分とかからない。

 もうすぐだ。もうすぐ家族に会える。

 俺の足は急かす思いに従って、段々と早くなっていった。

 すぐに丘の階段を下りきり、まっすぐ伸びる大通りを進んでいく。

 懐かしい。大通り脇の建物はほとんど変わっていない。

 逸る気持ちを抑えつつ、見慣れた交差点を右に曲がった。

 その先だ。その先を左に曲がれば、懐かしのわが家はもう目の前だ。

 俺は自らの早鐘はやがねを打つ心臓の鼓動を聞きながら、左に曲がった。

 あった!

 我が家だ。家族のいる、俺の家だ。

 だいぶ古びてはいるものの、建物自体はかつてと同じだ。所狭しと物干し台が置かれた猫の額ほどの小さな庭。所々ペンキの禿げたクリーム色の壁に覆われた二階建ての木造住宅。

 間違いなく、懐かしのわが家だ。何者かの手によって異世界に飛ばされたあの日の朝に見た光景と、ほとんど同じだ。

 逸る気持ちを抑えつつ近づいて見ると、表札も変わっていなかった。古びた木製の表札には、だいぶ薄くなったとはいえ『たちばな』と俺の名字がしっかりと刻印されていた。

 俺は口内に溜まった唾を、ごくりと一息に飲み込んだ。

 そして大きく胸を反らして深呼吸をする。

 よし、準備万端だ。

 いざ、行かん。

 俺は我が家の前に足を揃えて立ち、見慣れたインターホンを押した。

 聞きなじみのある甲高い呼び出し音が鳴った。

 緊張で荒くなった息を整えつつ、俺は待つ。

 しばらくして、しわがれ声ながらも耳なじみのある声が聞こえてきた。

「……はい。どちら様?」

 思わず涙があふれそうになるのを、感情をコントロールして必死に抑え込む。

 そしてもう一度深く深呼吸をして、答えた。

「俺だ。陣だ。母さん……」

 インターホンの向こうで、はっと息をのむ声が聞こえた。

 だが次いで出てきたのは、俺にとっては予想外の言葉だった。

「いたずらはやめてください。あの子の名前をかたるなんて……誰であろうと許しませんよ!」

 俺は慌てて弁解に走った。

「ちょっと待ってくれ!本当なんだ。本当に俺は陣なんだ!」

 だが母は、悲鳴にも似た声で叫ぶように言う。

「そんなことはあり得ないわ。あの子は……あの子はわたしの目の前で亡くなったのよ!」

 俺はあまりのことに驚愕し、たじろいだ。

 思わず右足が一歩後ずさる。

 そんな馬鹿な……目の前で、俺が死んだ?

 すると家の中が途端に騒々しくなった。

「母さん、どうした!?」

 この声には聞き覚えがない。いや、もしかすると声質が変わったからか?

 だとするとこの声はもしや――

そう――か」

 五歳違いの弟の爽。あのときはまだ十歳だった。声変わり前だ。あれから二十年、今は三十になるか。

 俺の思考を遮るように、玄関扉が荒々しく開いた。

 そして中から壮年の男が姿を現し、怒りを面に表して叫んだ。

「おい、お前!どういうつもりだ!?」

 俺は呆気にとられた。

 目の前の男は爽――じゃない。いや、爽のはずがない。

 何故なら目の前の男は、どう見ても五十歳くらいのかなりくたびれた中年男性に見えた。

「おい、聞いてんのか!?お前、兄貴の名をかたってどうしようってつもりだ!」

 兄貴の名だと!?

 俺はつい先ほど、自分が陣だと母に名乗った。そのことをこの男は母から聞き、家から飛び出して来たはずだ。

 だとしたら――いや、ちょっと待ってくれ。

 目の前のこの男は、本当に弟の爽なのか?

 俺が混乱していると、怒り狂う壮年の男の肩越しに老女の姿が目に入った。

 俺はさらに唖然となった。

 あれは――誰だ?

 俺の祖母ではないはずだ。母方の祖母は、俺が転移時にはすでに亡くなっていた。父方の祖母は存命だったが、顔が全然違う。

 ならばあれは、もしや母なのか?

 そんな馬鹿な。俺の記憶の中の母は、若々しかった。たしか俺を二十歳の時、爽を二十五の時に生んだはずだ。つまり俺が十五歳で転移した時にはまだ母は三十五歳だったはずだから、二十年たった今はまだ五十五歳のはずだ。

 たかが二十年で、たかが五十五歳が、こんなに老いさらばえて見えるはずがない。

 だが目の前の女性は、どうみたって老女だ。顔はしわにまみれ、年季の入った濃いしみがいたるところに浮き上がり、腰は大きく折れ曲がっていた。

 とてもではないが中年とは到底いえない、老人の容貌だ。

「おい!なんとか言ったらどうなんだ!」

 壮年の男が血相を変えて俺に迫る。

 だが俺は何も言えなかった。

 俺はとても混乱していた。何もかもが想定外だったからだ。

 どういうことだ?一体何がどうなっている?

 俺は震える喉からようやく言葉を絞り出した。

「お前は、爽なのか?」

 目の前の男はさらに血相を変えた。

「俺の名前を気安く呼ぶな!この詐欺師が!」

 俺は思わず天を見上げた。雲間に浮かぶ朧月おぼろづきが、俺を嘲笑あざわらうかのように煌々こうこうと輝いていた。
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