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第二話 なりたい自分になるために
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それは、私が美容専門学校に進学して、半年が過ぎた頃だった。
「皆さんには、必ずこの試験を受けてもらいますので、資格取得目指して真剣に取り組んでください。」
私にとってユウキは、隣の席の、ただのクラスメイトだった。
無口で、ポーカーフェイス。クラスでは少し浮いていたけど、多分それは、クラスの誰もが「彼には敵わない」と思うような、そんなオーラが彼自身にあったからだと思う。
「当日はお互い隣の席の人をモデルにして受験してもらいますから、今後の授業も隣の人とペアで練習します。」
先生の方針でクラスがざわつく中、私は隣の席を覗き見た。
「よろしくねー……」
私の精一杯の愛想笑いにも、ユウキは少しだけ視線を寄越しただけだった。
常に成績トップだったことも、彼の近寄りがたいオーラの一因だったと思う。カットの授業でも、ワインディングの授業でも、いつもA判定で、この前の筆記の試験でも、当然のように学年で一番の成績だった。
確かに私はいつも当たり障りない成績で、目立つようなセンスもないし、これといった得意科目もなかったけど。でも、だからって、そんな興味なさげな態度を取らなくてもいいのに。
そんなことを思いながら、その日のホームルームは、その後の受験までの日程の説明で締めくくられた。
そそくさとクラスメイトが教室から退散していく中、あたしは小さくため息を漏らした。
この先2ヶ月もあるのに、全く会話が弾む気がしない。
——先が思いやられる。
「ミサキ。」
正直驚いた。
「ミサキ、今日暇?」
「え?!」
振り向いた視線の先には、じっとこちらを見ているユウキが居た。
「暇なら練習付き合って。」
はっきり言って、何を言っているんだろうと思った。だって、今からほんの少し前は、無愛想な態度で明らかに私に無関心だったのに?一体どういう風の吹き回しか。
どういう思考回路でこの結果に至ったのか、私には全く意味が分からずに、ただただ呆気に取られていた。
ユウキはそんな私から視線を外し、あからさまなため息を漏らす。
「先が思いやられるな。」
「……はぁ?」
「じゃあ先実習室行ってるから。」
人の返事など待つ様子もなく、ユウキは足早に去っていく。私は何がなんだか、思考すら置いてけぼりで、唖然とした。
でも——
「……変なの。」
——なんだか少し、肩の荷が下りたような気もした。
***
夕暮れ時の実習室で、ユウキは私の爪に真っ赤なマニキュアを塗っていた。
試験では美しくネイルを仕上げる技術が求められるため、あえてムラになりやすい真っ赤なマニキュアを使う。
窮屈なほど静かな教室で、私の指先に触れるユウキの指は、密かに荒れていて、左手の中指には絆創膏が貼ってあった。
「……ここ、誰もこないんだね。」
「そうだね。」
視線を私の指先に落としたまま、ユウキは小声でそう答えた。
「私……ユウキは、生まれながらにして美容師の才能に恵まれた天才児なんだって、ずっと思ってたかも。」
ユウキが黙って私を見上げる。私はつい口走った言葉に焦りを覚えて、その真っ直ぐな瞳から逃げるように窓の外で暮れていく空に視線を向けた。
「でも、違ったんだね。手が荒れるまで、たくさん練習してたの、知らなくて。」
「そりゃそうだよ。ここ、ミサキだけじゃなくて、ほとんど誰もこないから。」
そう言うと、彼は私の左手を机に置き——
「美容師ってさ、派手で華やかに見えるけど、実際は地味な作業の積み重ねでさ。」
——私の右手をそっと持ち上げた。
「体力はいるし、手はボロボロになるし、外から見る華やかさと現実とのギャップに、ただ憧れてるだけの人間には難しい夢なんだって思ってて。」
私は、私の右手の爪が赤く色付いていくのを見つめて——
「俺もつらいと思うときはあるけど、例えどんなにつらくても、それでも、やっぱりなりたい自分の姿に近付くためだから。」
——綺麗なままの自分の手を、ユウキに差し出していることが、この上なく恥ずかしかった。
少し考えてみれば、ユウキは当たり前のことしか言っていなかった。なのに、私にとってユウキの言葉は衝撃だった。なぜ、そんな当たり前のことに、今まで気付かなかったのだろう。
「ユウキはやっぱりすごいよ。」
そう、今まで私は。
「私はそんな風に考えたことなかった。」
なんとなく今を過ごしてきたけど。
「今からでもなれるかな、私も。」
「……なれるよ。」
今、この瞬間だけは——
「なれる。」
——忘れちゃダメだと。
本能が震えるのを指先から感じていた。
「皆さんには、必ずこの試験を受けてもらいますので、資格取得目指して真剣に取り組んでください。」
私にとってユウキは、隣の席の、ただのクラスメイトだった。
無口で、ポーカーフェイス。クラスでは少し浮いていたけど、多分それは、クラスの誰もが「彼には敵わない」と思うような、そんなオーラが彼自身にあったからだと思う。
「当日はお互い隣の席の人をモデルにして受験してもらいますから、今後の授業も隣の人とペアで練習します。」
先生の方針でクラスがざわつく中、私は隣の席を覗き見た。
「よろしくねー……」
私の精一杯の愛想笑いにも、ユウキは少しだけ視線を寄越しただけだった。
常に成績トップだったことも、彼の近寄りがたいオーラの一因だったと思う。カットの授業でも、ワインディングの授業でも、いつもA判定で、この前の筆記の試験でも、当然のように学年で一番の成績だった。
確かに私はいつも当たり障りない成績で、目立つようなセンスもないし、これといった得意科目もなかったけど。でも、だからって、そんな興味なさげな態度を取らなくてもいいのに。
そんなことを思いながら、その日のホームルームは、その後の受験までの日程の説明で締めくくられた。
そそくさとクラスメイトが教室から退散していく中、あたしは小さくため息を漏らした。
この先2ヶ月もあるのに、全く会話が弾む気がしない。
——先が思いやられる。
「ミサキ。」
正直驚いた。
「ミサキ、今日暇?」
「え?!」
振り向いた視線の先には、じっとこちらを見ているユウキが居た。
「暇なら練習付き合って。」
はっきり言って、何を言っているんだろうと思った。だって、今からほんの少し前は、無愛想な態度で明らかに私に無関心だったのに?一体どういう風の吹き回しか。
どういう思考回路でこの結果に至ったのか、私には全く意味が分からずに、ただただ呆気に取られていた。
ユウキはそんな私から視線を外し、あからさまなため息を漏らす。
「先が思いやられるな。」
「……はぁ?」
「じゃあ先実習室行ってるから。」
人の返事など待つ様子もなく、ユウキは足早に去っていく。私は何がなんだか、思考すら置いてけぼりで、唖然とした。
でも——
「……変なの。」
——なんだか少し、肩の荷が下りたような気もした。
***
夕暮れ時の実習室で、ユウキは私の爪に真っ赤なマニキュアを塗っていた。
試験では美しくネイルを仕上げる技術が求められるため、あえてムラになりやすい真っ赤なマニキュアを使う。
窮屈なほど静かな教室で、私の指先に触れるユウキの指は、密かに荒れていて、左手の中指には絆創膏が貼ってあった。
「……ここ、誰もこないんだね。」
「そうだね。」
視線を私の指先に落としたまま、ユウキは小声でそう答えた。
「私……ユウキは、生まれながらにして美容師の才能に恵まれた天才児なんだって、ずっと思ってたかも。」
ユウキが黙って私を見上げる。私はつい口走った言葉に焦りを覚えて、その真っ直ぐな瞳から逃げるように窓の外で暮れていく空に視線を向けた。
「でも、違ったんだね。手が荒れるまで、たくさん練習してたの、知らなくて。」
「そりゃそうだよ。ここ、ミサキだけじゃなくて、ほとんど誰もこないから。」
そう言うと、彼は私の左手を机に置き——
「美容師ってさ、派手で華やかに見えるけど、実際は地味な作業の積み重ねでさ。」
——私の右手をそっと持ち上げた。
「体力はいるし、手はボロボロになるし、外から見る華やかさと現実とのギャップに、ただ憧れてるだけの人間には難しい夢なんだって思ってて。」
私は、私の右手の爪が赤く色付いていくのを見つめて——
「俺もつらいと思うときはあるけど、例えどんなにつらくても、それでも、やっぱりなりたい自分の姿に近付くためだから。」
——綺麗なままの自分の手を、ユウキに差し出していることが、この上なく恥ずかしかった。
少し考えてみれば、ユウキは当たり前のことしか言っていなかった。なのに、私にとってユウキの言葉は衝撃だった。なぜ、そんな当たり前のことに、今まで気付かなかったのだろう。
「ユウキはやっぱりすごいよ。」
そう、今まで私は。
「私はそんな風に考えたことなかった。」
なんとなく今を過ごしてきたけど。
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今、この瞬間だけは——
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