甘い先輩と甘くない私

五十鈴スミレ

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番外編

帰り道と手と俺と篠塚

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 いつもと同じはずの帰り道も、好きな人と一緒に歩いているというだけで特別なものに見えてくる。
 並んだ影がうれしいだとか、夕焼けがきれいだとか、夕焼けに照らされた彼女の横顔はもっときれいだとか。
 そう言ったら、また盛大に照れられるだろうから、今は我慢しておく。
 照れた篠塚を見たい気もするけれど、それはまた今度で。
 あんまり言いすぎて、逃げられてしまっては元も子もない。

 篠塚は一緒に帰るときはいつも前ばかり向いている。
 まるで、隣の俺のことを、意識から排除しているかのように。
 篠塚は俺と帰ることをいまだに納得していないから、意趣返しみたいなものなんだろう。
 そんな小さな反抗心もかわいく思えるなんて、俺はどれだけ篠塚に夢中なんだって感じだ。
 どれだけ、なんて計れるはずもなくて。
 もう、篠塚しか見えないくらいに、好きで好きでたまらないのだけれど。

 頭一つ分下にある篠塚の横顔を眺めながら、俺は話を振る。
 今日あったこととか、昨日テレビで見て楽しかったものとか。
 どうでもいいような話でも篠塚は付き合ってくれる。律儀に言葉を返してくれる。
 それがうれしくて、篠塚と話していると、俺はいつもより饒舌になる。

 でも、横目で一瞥してくることはあっても、篠塚の顔がこちらを向くことはなくて。
 俺はふと、いたずら心がわいてきてしまった。
 だって、ちゃんとこっちを見てほしいんだ。
 篠塚の目に、俺を映してほしいんだ。
 その方法を俺は知っているから、どうしても試したくなってしまう。

「篠塚、手、つなごっか」

 バッ、と篠塚が勢いよく俺を見上げてきた。
 ほら、やっぱり。こっちを向いてくれた。
 注意を引くには、驚かせればいい。突拍子もないことを言えばいい。
 そうすれば、篠塚は相手の思考を探るために、顔を見る。
 短い時間だけでも、篠塚の視線を独り占めできる。

「……意味がわかりません」

 少しの沈黙ののち、篠塚は赤らんだ頬を隠すようにうつむいた。
 俺の側の手はぎゅっと強く自分の制服の裾をつかんでいる。
 その指を一本一本ほどかせて、俺の指を絡めることもできるけど。
 無理強いしたいわけじゃないから、俺はただ見下ろすだけにとどめる。

「手をつないで帰りたいなって思ったんだけど、ダメかな?」

 横からひょいと篠塚の顔を覗き込んで、問いかけてみる。
 声が甘く溶けるのが自分でもわかった。
 篠塚と話しているときはいつも、意識せずに声に想いがにじみ出てしまう。
 簡単にあふれてしまうほど、彼女のことが好き、ということなのかもしれない。

 篠塚のきれいな眉間にしわが寄せられる。
 機嫌を損ねたわけじゃない。
 これは、困っているときの表情だ。
 そんな顔も俺からするとかわいくて、俺のもの、と書いた紙をテープで貼っておきたくなるくらい。
 実際にそんなことをすれば、すぐにはがされてビリビリに破かれるだろうけど。

「子どもじゃあるまいし、手をつなぐ必要なんてないでしょう」
「子どもじゃないから、つなぎたいんだけどな」

 どこかずれた発言に俺は苦笑をこぼす。
 俺はいつだって篠塚に触れたい。
 触れて、篠塚のことを感じて、確かめたい。
 俺も男だから、そこにはもちろんよこしまな欲求も含まれているわけだけど。
 それだけじゃなくて、ただ単純で純粋な望みでもある。
 篠塚を感じることのできなかった二年間があるから、篠塚の存在を強く求めてしまう。

「……私と先輩は、そんなことをするような仲ではありません」

 眼鏡の奥の目が俺からそらされて、きゅっと眉根が寄る。
 その言葉を告げるのに、どのくらいの罪悪感と戦ったのか。
 自惚れじゃなく、篠塚が俺のことを憎からず思っていることは見ていればわかる。
 だから篠塚は、俺をはっきりとは拒絶できない。
 篠塚の言葉にまったく傷つかないわけじゃないわけじゃないけれど、彼女なりの好意を感じているから、俺はあきらめようとは思えない。

「そうだね、まだ」

 願いを込めて、俺はそう返した。
 いつかは、篠塚の心が俺のほうを向いてくれるように。
 まずは言葉にしなければ始まらない。

「しょうがないから、今はとりあえず、篠塚が手をつないでくれる日を気長に待とうかな」
「気長に、って……」
「今はダメでも、いつか大丈夫になるかもしれないでしょ」

 にこりと笑いかけると、篠塚はため息をついた。
 どうしたらいいのかわからない、といった困惑のため息。
 冷静沈着でそれほど表情の変わらない篠塚は、よくよく見れば感情豊かだ。
 彼女の感情の一つ一つを、俺は取りこぼさないようにしている。
 困惑すらも、俺に向けられた感情だと思うとうれしいから。

「……困ります」

 こぼされた本音に、俺も困ってしまった。
 篠塚は困るとうつむいて、顔を隠してしまう。
 もっとよく見ていたいのに、そこに映った感情を読み取りたいのに。
 夕日を反射する眼鏡のレンズが邪魔をする。

「困らせたくないけど、困ってくれるのがうれしくもあるから、複雑だなぁ」

 俺も思いをそのまま口にする。
 篠塚には、できるなら笑っていてほしい。
 彼女のひかえめな笑顔を見ると、心がぽかぽかとあたたかくなるから。
 俺が篠塚からたくさんしあわせをもらっているように、俺だって篠塚をしあわせな気持ちにさせたい。
 でも、恋愛に興味のない篠塚は、俺の言葉で困ってばかり。
 困らせたくないのに、困らせたいとも思ってしまう。
 篠塚が俺の言葉に戸惑うのは、俺の想いがちゃんと彼女の心に届いているという証拠でもあるから。

「嫌なら、拒んでいいんだよ。篠塚にはその権利がある。俺に篠塚を口説く権利があるのと同じで」
「私はこれでも拒んでるつもりなんですけど」
「俺からするとつけ入る隙がたくさんあるように見えるよ」

 俺のことを拒みきれていないのは、篠塚の甘さだ。
 篠塚はガードがかたいようで、無防備な部分がある。
 人付き合いがあまり得意じゃないからなのかもしれない。
 そこにつけ込んでいる俺が何か言うのも変な話だろうけれど、少し心配になる。

「篠塚ならそんなことはしないだろうけど、面倒になって適当に決めちゃダメだよ。俺の告白に応えるなら、ちゃんと覚悟してからにしてね」

 篠塚の前に回り込んで、足を止めさせる。
 困ったように俺を見上げる篠塚の目の前に、俺は手を差し出した。

「一度この手を取ったら、二度と放してあげられないからね」

 俺の気持ちをわかってもらえるように、甘い声で、けれどはっきりと告げた。
 それくらい俺は篠塚が好きで、篠塚に執着している。
 篠塚が思っているよりも、もっとずっと。
 半端な気持ちで応えて、あとで困るのは篠塚のほうだ。

 篠塚は俺の手に視線を落として、怯んだように半歩下がった。
 今の篠塚に、俺の想いは重い。
 それを見せつけられて、俺の心がわずかに痛む。
 困らせたいわけじゃない。怯えさせたいわけじゃない。
 でも、俺の本気を伝えたい。
 加減が難しいな、と俺は苦笑するしかなかった。

「帰ろっか」

 ぽんぽん、と篠塚の頭をなでて、そう言った。
 篠塚の強ばった表情が少し和らぐ。
 そのことに俺もほっとした。

 今はまだ、曖昧な関係のままでいい。
 篠塚の傍にいられるだけでいい。
 もっと、と望む気持ちはもちろんあって、それは日に日に大きくなっていくけれど。
 彼女からも望んでもらえなければ、意味はないから。
 強引になるときもあれば、我慢するときもある。

 いつか、この手を取ってもらえる日が来るように。
 俺ができるのは、偽りない心を示し続けることだけだ。



 甘い言葉に、想いを乗せて。
 すべて彼女に届くように。彼女の心に響くように、と。
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