最終到達死点 〜『純血の魔女』は、地獄の街で最強を蹂躙し、悪を無双する〜

samishii kame

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第9話 拳闘士の女②

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外国人観光客で溢れかえっている歩行者天国から、一本だけ外れた路地。
小さな橋を渡った、その先だった。

橋の欄干を越えた瞬間、空気が変わる。
寂しい空気感が漂う昼の歓楽街が、音もなく広がっていた。

統一感など微塵もない、年季の入った建物が肩を寄せ合うように並んでいる。
壁には黒ずんだ汚れがこびりつき、色褪せた看板は文字すら判別しづらい。

この時間帯で営業している店は、ほとんど無いのだろう。
シャッターはすべて降ろされ、今にも「ガラガラ」と音を立てて開閉しそうなほど固く閉ざされている。
路上に客らしき人影はない。
とはいうものの、夜の営業に備えた仕入れ用の車だけが、あちらこちらに無秩序に路上駐車されていた。
エンジンの余熱がじわりと滲み、油と排気の匂いが混じった生温い空気が、微妙に肺を汚す。

スマホの地図画面を覗き込みながら、目的地を探す外国人観光客。
近道としてこの通りを選んだのだろう、視線を合わせることもなく、無言で早足に通り抜けていくビジネスマン。
そして、人の残り香を狙う動物たちが、建物の陰や車の下で、じっと様子を窺っている。

人も、獣も。
ここでは皆、同じ匂いを放っていた。

九重は、総重量300㎏を超えるキャリーバックを、まるで空の旅行鞄であるかのように軽々と引き摺りながら歩いていた。
ゴロゴロ、とキャスターがアスファルトを転がる音だけが、やけに大きく響く。

足取りはゆったりとしている。
表情も、異国を楽しむ観光客そのものだ。
とはいうものの、その内側では、別の世界が展開されていた。

視線の数。
足音の間隔。
呼吸の乱れ。
微細な衣擦れの音。

包囲網が、静かに、だが確実に絞られていく気配を、九重は正確に捉えていた。

≪フフ……やはり、というところか≫
≪私から二十四金を掠め取る算段らしいな≫
≪退屈凌ぎだ。この国で“半グレ”と呼ばれる連中が、どれほどの腕前なのか……じっくり品定めしてやろう≫

九重は、記憶を辿るように進路を選び、袋小路となっている一角へと足を踏み入れた。
その瞬間、空気が一段、重くなる。

カァ、と鳴く烏の声が、ビルの隙間で反響している。
シャッターはすべて閉じられ、人の気配は完全に途絶えていた。

彼女は、迷い込んでしまった外国人観光客を演じている。
行き止まりに気づき、戸惑ったように立ち止まり、そして来た道を戻ろうと振り返った、その時だった。

――ギギィ。

大きなワゴンカーが、道路を塞ぐように停止していた。
勢いよくスライドドアと運転席の扉が開き、ぞろぞろと男達が降りてくる。

映画のワンシーンのような光景だ。
獲物を狙い定めた狩人特有の、粘つくような空気をまとっている。

人数は10名。
全員が若い男だ。
マスクで顔を隠しているが、20代前半、いや、10代後半が混じっているのも分かる。
金髪の者、上下ジャージの者、派手なスニーカー。
それぞれが個性を主張しているつもりなのだろう。

だが九重から見れば、全員が同じに見えた。

≪中身の空虚さを誤魔化すために、外見だけが肥大する≫
≪国が違えど……愚か者の思考回路は、驚くほど似通うものだな≫

半グレの男達は当然のごとく、目の前にいる黄色い短髪の女が“人狼”であることなど知る由もない。
彼等の目的は、金塊100㎏を奪い取ること。

……それだけではなかった。

彼等は日常的に、独り暮らしの女を標的にして拉致監禁を繰り返し、その様子をネットに流して金を稼いでいた。
目の前にいる体格のいい外国人女も、いつもと同じ“獲物”に過ぎない。

この先に待っているのが地獄だという未来を、彼等の誰一人として想像していない。
これまでどおり、思い通りに事が運ぶと信じ切っている。

卑猥な会話が、遠慮なく九重の耳に届いていた。

「金髪の女をレイプする――男の夢ってやつだよな」

「おうおう……ここでメイド・イン・ジャパンの底力をよ、骨の髄まで叩き込んでやろうじゃねえか」

「見た感じ、年齢は……三十は軽く超えてそうだな」

「三十路か? 上等だ。むしろド真ん中だろ。俺の守備範囲から一歩も外れてねえ」

「いわゆる美人タイプじゃねえが……そのぶん、体力は桁違いにありそうだ」

「下手すりゃよ、性欲モンスターって線も十分あるぞ」

「ははっ、望むところだ。空っぽになるまで、とことん付き合ってやるぜ」

「こいつは……相当だな。再生回数が跳ね上がるネタになるかもしれねえ」

「しばらくは、俺たちの奴隷として、徹底的にこき使ってやろうぜ」

「で、そのあとは海外に流して……完全に奴隷落ち、ってわけだ」

「おい、お前ら。一応言っとくが……警戒だけは怠るな」

「銃を隠し持ってる可能性だって、ゼロじゃねえからな」

「あー、大丈夫だ。問題ねえ」

「警戒態勢は維持したまま――金髪のねーちゃんを、確実に拘束するぞ!」

生まれ持った高い記憶力のせいだろう。
九重は、あらゆる外国語に精通していた。
この国の言葉は難解な部類ではあるものの、日常会話には何の支障もない。
男達の会話は、一語一句、正確に理解できていた。

九重は、強い男に従いたい、支配されたいという欲求を持っている。
だが現実的には、彼女を従えられる男など、この世界に存在するはずがない。
それは、彼女自身が一番よく分かっていることだった。

≪私を従えたい、か≫
≪お前達に、それが出来るとは到底思えんが……≫
≪せいぜい、試験くらいにはなってもらおう≫

人狼は戦闘欲求を抑え、不安そうな表情を作って男達を見る。
キャリーバックは、なおも固く握ったままだ。

男達の半数、5人が銃口を向けながら歩み寄る。
残りの5人は、拘束用の道具を手にしていた。
すでに勝利を確信しているような、緩んだ空気が漂う。

距離は10m。
全員が、人狼の捕獲エリアへと足を踏み入れている。

九重は、一定の間合いで足を止めた。
銃口を向け続ける男達に対し、悠長で、とぼけた口調で問いかける。

「――私に、何かご用件でも?」

「ククク……ああ。わざわざここまで来たんだ。用もねえのに、こんな薄暗い場所で突っ立ってるほど暇じゃねぇ」

「そうですか。それでは、要件を手短にお聞かせください」

「要件、ねぇ。まずは肩慣らしだ。お前が抱えてるそのキャリーバッグ――それを、こっちへ寄越せ」

「申し訳ありませんが、それは出来ません。中には、私にとって極めて重要な品が収められています」

「へぇ。そりゃ残念だ。俺たちとしても、できりゃ穏便に済ませたかったんだが……まあ、このあとで、ずいぶん手荒な真似をする羽目になるかもしれねぇな。ククク」

「先程から耳に入っている会話を総合しますと、私に暴行を加え、その後に監禁するおつもり――その理解でよろしいですか?」

「ああ? なんだ、全部聞こえてたのか。そうだよ、その通りだ。攫って、閉じ込めて、好き放題する」

「……なるほど。実に下劣で、品性の欠片も感じられない計画ですね」

「下品なくらいの方がウケるんだよ。泣こうが喚こうが無駄だが、必死に抵抗してくれりゃ再生数は跳ね上がる。ま、最後は気持ちよくしてやる。せいぜい安心しな」

「そうですか。それでは――私を従わせられるかどうか、どうぞ存分にお試しください」

その言葉が路地に落ちた瞬間、半グレたち全員が、まるで待ってましたとばかりに腹を抱え、ゲラゲラと笑い出した。
ヒヒッ、ククク――。下品で耳障りな笑い声が、狭い路地の壁に反響し、妙に湿った空気に絡みつく。
九重もまた、その下品な笑いにわずかに口角を上げ、まるで楽しむかのように微笑んでいたのだ。

男達は銃口を女の方向へ向けたまま、いまだに余裕を崩してはいない。
女を拘束し、監禁し、慰みものにする――そんな慣れた未来図しか頭に浮かばないのだろう———が、その予想は甘すぎるものであった。

緩みきった空気の中、男達は拘束具を手にじりじりと距離を詰めてくる。
カァ、カァ――。烏の鳴き声が背後のビル群に響き、凍るような不吉さを帯びて残る。
その瞬間、彼らにとって最悪の惨劇の幕が、音もなく切って落とされたのである。

九重は総重量300㎏を超える巨大なキャリーバックを、躊躇も遠慮もなく、力任せに振り回した。

ブォン――ッ!!

轟音と共に、空気が渦を巻き、路地の端から端まで猛々しい暴風が吹き抜ける。
接近していた男達5名――その全員が、声を上げる間もなく、無抵抗のまま折り重なり、薙ぎ払われた。
まるで巨大なハエ叩きに、小さな蝿が叩き潰されるかのような勢いである。

ゴギッ、バキィッ――。鈍く、重い音が連続して路地に響き渡る。
骨が砕けるその音が、戦慄のリズムとなり、全員の耳に突き刺さる。
遠心力に翻弄され、5人の身体は吹き飛ばされる。全員が意識を失い、全身骨折。二度と立ち上がれぬ状態へと叩き落とされ、生死の境を揺れながら彷徨う重体となったのであった。

その一瞬の惨劇を目の当たりにした、残りの5人。
拳銃を構え、震える指先で引き金に手をかけたものの、思考は完全に停止していた。
人は突発的な恐怖やトラブルに直面すると、頭が真っ白になり、瞬時に思考回路が止まるものだ。

しかし、その思考が再び動き出す前に――人狼はすでに動いていた。

九重にとって10mの距離とは、もはやゼロ距離と同義である。
踏み込む一歩も、意識する瞬間もなく、彼の間合いはすでに詰め終えている。
男達は女を舐めきっていたのだ。とはいうものの、たとえ警戒していたとしても、結果は変わらなかっただろう。
彼らの運命は、最初から決まっていたのである。

ザシュッ――。

新鮮な血が空気を裂くように宙を舞う。
人狼は、男達5人が声を上げられぬよう、正確に爪を喉元に走らせ、瞬時に仕留めたのだ。

半グレ10人が完全に戦闘不能に陥るまで、かかった時間は1秒にも満たない。
九重にとってそれは、人間が蟻を踏み潰すよりも容易な作業であった。

≪分かっていたこととはいえだが、この国のマフィアも、口だけで中身のない奴ばかりであったな≫

九重は深いため息をつき、残念そうに目を伏せた。
手放したキャリーバックをちらりと見やりながら、どこか消化不良のような感覚を抱えている。

その時、路地の奥に、一人の黒髪の美少女が立っていた。
半死半傷の半グレ達が無惨に転がる中、彼女は澄んだ表情のまま、静かに佇んでいる。

線の細さと、どこか文科系の女子を思わせる風貌。しかしその存在感は、現場の空気を完全に掌握していた。
その名は六惺。
この都市の管理人にして――
『純血の魔女』が、そこに立っていたのであった。
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