ピーテルに消えた雨

藤沢はなび

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ピーテルに消えた雨 Ⅰ

煌めく世界

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 到着したそこはピーテルの街の中心に鎮座する帝室大劇場だった。
 レイラはミハイルの手を取りながら馬車を降り、そわそわと辺りを見回す。
 そして、華美に着飾る紳士淑女が談笑しながら煌びやかな劇場へと入っていく姿に、その表情は固まるーー。

 レイラ自身も着飾ってきたはずなのに、自分だけが薄汚れて見えるように感じた。
 皆本物の煌めきをまとっているのに、自分だけが偽物の煌めきであるように思えた。
 緊張と吐き気の見分けも付かないくらいの動悸に、徐々に視界が揺らいでいくのが分かった。


 御者に礼を告げたのちレイラに視線を移すミハイル。
「ん? レイラ?」
 そのレイラの不安気な面持ちはどこか見覚えがあったミハイルは僅かに焦った。
「レイラ? 大丈夫?」
「あ? ええ。大丈夫。少し驚いてしまって……」
「……これから中に入るけど、体調悪くなったり、嫌になったら言って。すぐにでも引き返そう」
「ありがとう」
 レイラは、ミハイルの方を見ようともせず、よそ見をしながら空返事をする。
 どんなに心を寄せてもレイラの表情が明るくならない事にもどかしさを覚えたミハイルはとうとうこの本心を告げた。

「すごく綺麗だよ」
「……あ、え? わたし?」
「うん」
 緊張しく微笑むような、突然そんな視線を向けられたレイラは驚き、やっとミハイルをまっすぐ見た。
「ありがとう」
 そう呟いたあと、ふと込み上げてくる笑み。
 ミハイルでも緊張しているのに、自分が緊張しないわけが無いと思ったのだ。



 そして、共にレイラとミハイルもその劇場の中へと足を踏み入れていく。
 敷き詰められた赤い絨毯と豪勢なシャンデリア。
 装飾の全てがおとぎ話の中に存在するかのように煌めいている世界を、レイラは生まれて初めて目にした。

 きっと一生かけても見られないもの達がここにはあると、そう思った瞬間、涙に似た感情がレイラの心に宿った。

「レイラ、震えてる。俺の腕に手を回して」
 レイラの手のひらが震えていることを察したミハイルはレイラの耳元に口を寄せる。
「こ、こう?」
「そう、上手」
「大丈夫かしら、私」
「大丈夫だよ」
「ミハイルの知り合いの人に会ったら、遠縁の親戚と答えればいいのよね?」
「そう、嘘をつかせてごめんね」
「あっ、そんな、気にしないで」

 コソコソとお互いの耳元で会話をし合う二人に視線は集まる。

 ガーリンの名自体は有名ではあるが、ミハイルはまだ若く隠された子であったこともあり、そこまで顔が広いわけではなかった。
 高身長ですらっとした立ち姿の紳士と、大人っぽい金髪の女性。
 最高級品に身を包まれた二人に視線は集まる。

「こっち」
「えっ2階?」
「そう、2階」
「嘘でしょ?」
「本当だよ」
 驚くレイラにミハイルはこれまでの苦労を隠し、余裕げに微笑む。
「こちらへ」
 ミハイルはレイラの手を取り、優雅に階段を登る。


 ミハイルが案内した席は2階の個室席だった。
 レイラは手に口を当て、そこから見下ろす景色に息を飲む。
 ミハイルはレイラの背中に手をあてながら「どう?」と呟く。

 そして、その温もりで緊張が解けたレイラの瞳には涙が溜まっていく。
「だめよ! ミハイルこれは……」
「何がだめなの?」
 人差し指の甲でレイラの涙を軽く拭いながら、ミハイルは笑った。
「私みたいな人がこんなの、良くない」
 レイラの震え声から感じる自分と似た価値観が何故か愛おしく感じる。

「この席でも足りないくらいだよ」




 生まれて初めての歌劇はレイラの魂を震わせた。
 響く歌声、轟く音楽、鳴り止まない拍手。
 このような世界が自分の人生に存在していいのかと、そんな疑いを抱く暇さえないほどレイラの感情は、笑ったり泣いたりと忙しかった。
 終幕後レイラは勢いよく立ち上がり、満面の笑みで拍手を送る。
 これまで生きてきた中で、一生忘れることのない一番の感動と奇跡を目にしたと思った。
 
 ミハイルは拍手をしながら、隣にそんな様子のレイラがいる事が幸せでならなかった。胸が満たされていくのが分かった。
 


 はしゃぐレイラの手を取りながら2階の個室席を出るミハイル。
 劇場に来てから、緊張したり泣いたり笑ったりと、少し疲れた様子のレイラに、空くまでラウンジで待とうとミハイルは提案をした。


 大階段を降りた先の赤いソファーに腰掛けながら、隣の熱気にミハイルは思わず笑ってしまう。

「本当に素晴らしかった! ありがとうミハイル!」
「楽しんでもらえたなら何よりだよ」
「あの場面覚えてる? どうやったらあんな声が出るのかしら?」
「習ってみる?」
「え!? そんな私には無理よ」
「分からないよ。俺は聞いてみたいけどな」
「えっ! いやそれでも……」
「冗談。やりたくなったら言って」
「もう! からかったの!」

 顔を赤くさせながらも自分の方を向いてくれるその瞬間は酷い幸せと、酷い安心感に包まれていく。

「ミハイルさん?」
 そんな二人の様子は次第に周りの視線を集め、レイラよりも僅かに年上の若い紳士ーー政治家の息子のキリルが、男性の方がミハイルだということに気づき始める。
 そして、ミハイルの隣にいる女性に目を移せば、その無邪気な笑い方がキリルの心を一瞬で掴んでいくのが分かった。
「これは……」
 キリルは満面の笑みを浮かべ、一直線に駆けた。
「……ミハイルさん!」

「……あ? あぁ」
 突然話しかけられたその見知った顔に、ミハイルは苦い笑顔を浮かべながら「お前もいたのか」と落胆を隠そうともせずに呟く。

 キリルはミハイルを見ようともせず、レイラに向き合う。
「美しい方とご一緒していますね! こんばんは。キリル・シュビンと申します」
「あ、こんばんは。レイラ・ナザロヴァです」
 キリルはレイラを一目見たその瞬間に頬が緩むのがわかった。
 白い腕を映えさせる純白のドレス、艶やかな金髪、そしてその丸い瞳が、笑った時は細くなる所までも、全てがキリルの理想に当てはまっていた。
「いや、本当にお美しい方ですね。レディにお歳を聞くのは不躾だと分かってはいるのですが……お幾つか聞いても……」
「あっえっと、17歳に……」
 当のレイラはそんな淡い恋に落ちていくキリルには一切気付かず、内心ミハイル以外の紳士に話しかけられたことに焦っていた。
 ミハイルは眉をしかめるが、そんな事にも気付かないほどキリルの視線はレイラへと注がれる。

「ミハイルさんこんな美しい方とどこで出会ったんですか! 紹介してくださればいいのに」
「……いや。別に紹介する仲じゃーー」
「ナザロヴァ嬢こんばんは。父が政治家で、ミハイルさんとは……あの、よく、色々と話していて」
 ミハイルとの関係を濁すキリルにレイラは首を傾げる。
「あ……そうなんですね?」
「今日はミハイルさんと?」
「はい。そうです」
「よろしければ今度私にもエスコートさせてください。とびきりの歌劇にご招待します」
「あ、ありがーー」
「レイラは勉強で忙しいから。ほどほどにーー」
「は? ちょっといちいち過保護じゃないですか?」
「どこが? 彼女はまだ若いーー」
「ナザロヴァ嬢、婚約者はいらっしゃいますか」
「いませんが……」
「では、忙しい勉強の息抜きの相手にどうか私を選んでくださることを、神にお祈りしておきます。じゃあミハイルさん、また明後日!」

 高揚感に沸き立つ心を隠すこともせず颯爽と立ち去ったキリルの背中を見ながら、レイラは立ち尽くしていた。
「面白い方ですね?」

 ミハイルは何故か焦る。
「今後そういう事言われて付きまとわれたら教えて。嫌だったら何とかするから」
「あ、ありがとう?」

 彼女の為を思うのならば人脈は広げた方がいいのだろうが、こういった輩が今後レイラに付きまとうことを想像すると、いても立ってもいられなかったミハイル。
 
 キリル自体は悪い奴ではない。
 むしろミハイルの思想に賛同して共に戦ってくれている仲間のうちの一人だった。
 少し抜けているところはあるが、勇敢で勤勉で、生まれも育ちも裕福なのにも関わらず世の中に対する偏見もなく、むしろレイラと会わせるにはとても良い人物だった。

「はぁ」
 何が一体不安なのかミハイル自身にもよく分かっていない。
 レイラは先ほどまでキリルに言い寄られていた事などすっかり忘れたように、劇場内の装飾に目を見張っている。
 その純真さにミハイルは胸を撫で下ろすのだった。



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