25 / 29
ピーテルに消えた雨 Ⅰ
煌めく世界
しおりを挟む到着したそこはピーテルの街の中心に鎮座する帝室大劇場だった。
レイラはミハイルの手を取りながら馬車を降り、そわそわと辺りを見回す。
そして、華美に着飾る紳士淑女が談笑しながら煌びやかな劇場へと入っていく姿に、その表情は固まるーー。
レイラ自身も着飾ってきたはずなのに、自分だけが薄汚れて見えるように感じた。
皆本物の煌めきをまとっているのに、自分だけが偽物の煌めきであるように思えた。
緊張と吐き気の見分けも付かないくらいの動悸に、徐々に視界が揺らいでいくのが分かった。
御者に礼を告げたのちレイラに視線を移すミハイル。
「ん? レイラ?」
そのレイラの不安気な面持ちはどこか見覚えがあったミハイルは僅かに焦った。
「レイラ? 大丈夫?」
「あ? ええ。大丈夫。少し驚いてしまって……」
「……これから中に入るけど、体調悪くなったり、嫌になったら言って。すぐにでも引き返そう」
「ありがとう」
レイラは、ミハイルの方を見ようともせず、よそ見をしながら空返事をする。
どんなに心を寄せてもレイラの表情が明るくならない事にもどかしさを覚えたミハイルはとうとうこの本心を告げた。
「すごく綺麗だよ」
「……あ、え? わたし?」
「うん」
緊張しく微笑むような、突然そんな視線を向けられたレイラは驚き、やっとミハイルをまっすぐ見た。
「ありがとう」
そう呟いたあと、ふと込み上げてくる笑み。
ミハイルでも緊張しているのに、自分が緊張しないわけが無いと思ったのだ。
そして、共にレイラとミハイルもその劇場の中へと足を踏み入れていく。
敷き詰められた赤い絨毯と豪勢なシャンデリア。
装飾の全てがおとぎ話の中に存在するかのように煌めいている世界を、レイラは生まれて初めて目にした。
きっと一生かけても見られないもの達がここにはあると、そう思った瞬間、涙に似た感情がレイラの心に宿った。
「レイラ、震えてる。俺の腕に手を回して」
レイラの手のひらが震えていることを察したミハイルはレイラの耳元に口を寄せる。
「こ、こう?」
「そう、上手」
「大丈夫かしら、私」
「大丈夫だよ」
「ミハイルの知り合いの人に会ったら、遠縁の親戚と答えればいいのよね?」
「そう、嘘をつかせてごめんね」
「あっ、そんな、気にしないで」
コソコソとお互いの耳元で会話をし合う二人に視線は集まる。
ガーリンの名自体は有名ではあるが、ミハイルはまだ若く隠された子であったこともあり、そこまで顔が広いわけではなかった。
高身長ですらっとした立ち姿の紳士と、大人っぽい金髪の女性。
最高級品に身を包まれた二人に視線は集まる。
「こっち」
「えっ2階?」
「そう、2階」
「嘘でしょ?」
「本当だよ」
驚くレイラにミハイルはこれまでの苦労を隠し、余裕げに微笑む。
「こちらへ」
ミハイルはレイラの手を取り、優雅に階段を登る。
ミハイルが案内した席は2階の個室席だった。
レイラは手に口を当て、そこから見下ろす景色に息を飲む。
ミハイルはレイラの背中に手をあてながら「どう?」と呟く。
そして、その温もりで緊張が解けたレイラの瞳には涙が溜まっていく。
「だめよ! ミハイルこれは……」
「何がだめなの?」
人差し指の甲でレイラの涙を軽く拭いながら、ミハイルは笑った。
「私みたいな人がこんなの、良くない」
レイラの震え声から感じる自分と似た価値観が何故か愛おしく感じる。
「この席でも足りないくらいだよ」
生まれて初めての歌劇はレイラの魂を震わせた。
響く歌声、轟く音楽、鳴り止まない拍手。
このような世界が自分の人生に存在していいのかと、そんな疑いを抱く暇さえないほどレイラの感情は、笑ったり泣いたりと忙しかった。
終幕後レイラは勢いよく立ち上がり、満面の笑みで拍手を送る。
これまで生きてきた中で、一生忘れることのない一番の感動と奇跡を目にしたと思った。
ミハイルは拍手をしながら、隣にそんな様子のレイラがいる事が幸せでならなかった。胸が満たされていくのが分かった。
はしゃぐレイラの手を取りながら2階の個室席を出るミハイル。
劇場に来てから、緊張したり泣いたり笑ったりと、少し疲れた様子のレイラに、空くまでラウンジで待とうとミハイルは提案をした。
大階段を降りた先の赤いソファーに腰掛けながら、隣の熱気にミハイルは思わず笑ってしまう。
「本当に素晴らしかった! ありがとうミハイル!」
「楽しんでもらえたなら何よりだよ」
「あの場面覚えてる? どうやったらあんな声が出るのかしら?」
「習ってみる?」
「え!? そんな私には無理よ」
「分からないよ。俺は聞いてみたいけどな」
「えっ! いやそれでも……」
「冗談。やりたくなったら言って」
「もう! からかったの!」
顔を赤くさせながらも自分の方を向いてくれるその瞬間は酷い幸せと、酷い安心感に包まれていく。
「ミハイルさん?」
そんな二人の様子は次第に周りの視線を集め、レイラよりも僅かに年上の若い紳士ーー政治家の息子のキリルが、男性の方がミハイルだということに気づき始める。
そして、ミハイルの隣にいる女性に目を移せば、その無邪気な笑い方がキリルの心を一瞬で掴んでいくのが分かった。
「これは……」
キリルは満面の笑みを浮かべ、一直線に駆けた。
「……ミハイルさん!」
「……あ? あぁ」
突然話しかけられたその見知った顔に、ミハイルは苦い笑顔を浮かべながら「お前もいたのか」と落胆を隠そうともせずに呟く。
キリルはミハイルを見ようともせず、レイラに向き合う。
「美しい方とご一緒していますね! こんばんは。キリル・シュビンと申します」
「あ、こんばんは。レイラ・ナザロヴァです」
キリルはレイラを一目見たその瞬間に頬が緩むのがわかった。
白い腕を映えさせる純白のドレス、艶やかな金髪、そしてその丸い瞳が、笑った時は細くなる所までも、全てがキリルの理想に当てはまっていた。
「いや、本当にお美しい方ですね。レディにお歳を聞くのは不躾だと分かってはいるのですが……お幾つか聞いても……」
「あっえっと、17歳に……」
当のレイラはそんな淡い恋に落ちていくキリルには一切気付かず、内心ミハイル以外の紳士に話しかけられたことに焦っていた。
ミハイルは眉をしかめるが、そんな事にも気付かないほどキリルの視線はレイラへと注がれる。
「ミハイルさんこんな美しい方とどこで出会ったんですか! 紹介してくださればいいのに」
「……いや。別に紹介する仲じゃーー」
「ナザロヴァ嬢こんばんは。父が政治家で、ミハイルさんとは……あの、よく、色々と話していて」
ミハイルとの関係を濁すキリルにレイラは首を傾げる。
「あ……そうなんですね?」
「今日はミハイルさんと?」
「はい。そうです」
「よろしければ今度私にもエスコートさせてください。とびきりの歌劇にご招待します」
「あ、ありがーー」
「レイラは勉強で忙しいから。ほどほどにーー」
「は? ちょっといちいち過保護じゃないですか?」
「どこが? 彼女はまだ若いーー」
「ナザロヴァ嬢、婚約者はいらっしゃいますか」
「いませんが……」
「では、忙しい勉強の息抜きの相手にどうか私を選んでくださることを、神にお祈りしておきます。じゃあミハイルさん、また明後日!」
高揚感に沸き立つ心を隠すこともせず颯爽と立ち去ったキリルの背中を見ながら、レイラは立ち尽くしていた。
「面白い方ですね?」
ミハイルは何故か焦る。
「今後そういう事言われて付きまとわれたら教えて。嫌だったら何とかするから」
「あ、ありがとう?」
彼女の為を思うのならば人脈は広げた方がいいのだろうが、こういった輩が今後レイラに付きまとうことを想像すると、いても立ってもいられなかったミハイル。
キリル自体は悪い奴ではない。
むしろミハイルの思想に賛同して共に戦ってくれている仲間のうちの一人だった。
少し抜けているところはあるが、勇敢で勤勉で、生まれも育ちも裕福なのにも関わらず世の中に対する偏見もなく、むしろレイラと会わせるにはとても良い人物だった。
「はぁ」
何が一体不安なのかミハイル自身にもよく分かっていない。
レイラは先ほどまでキリルに言い寄られていた事などすっかり忘れたように、劇場内の装飾に目を見張っている。
その純真さにミハイルは胸を撫で下ろすのだった。
0
あなたにおすすめの小説
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
逃した番は他国に嫁ぐ
基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」
婚約者との茶会。
和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。
獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。
だから、グリシアも頷いた。
「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」
グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。
こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
白い結婚の行方
宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」
そう告げられたのは、まだ十二歳だった。
名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。
愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。
この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。
冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。
誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。
結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。
これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。
偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。
交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。
真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。
──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる