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……誘拐されたことがあるといっても、その時のことは俺は全く覚えていない。というよりも俺は発見された時に全ての記憶を失って、――まるで何も分からない赤ん坊のように泣き叫んでいたようだ。だから俺はどんな人物に誘拐されたのか、その時に何をされたのか全く分からないのだ。本当なら自分のことだから、当時の詳しい状況を聞きたいのだが、……父さんも母さんも兄ちゃんも皆して話題にすらしたくない雰囲気を醸し出すから、俺は空気を読んで質問をするのをやめている。誘拐事件のニュースが流れただけで皆してテレビのチャンネルを変えるくらいだから、多分相当嫌なんだと思う。

「(だけどもう俺も大人になったわけだし、ここまで心配する必要ないのに)」

そんなことを思いながらも、だけどそれは家族に大事に想ってもらえている証拠だということも分かり、俺はコッソリと口元に笑みを浮かべた。

「ねえねえ、コンビニでピザまん買ってくれる?」
「ああ」
「んー、だけどやっぱり肉まんも捨てがたいよね。どうしようかなあ」
「どっちも買えばいいだろ」
「本当!?やったー!じゃあ、どっちも半分こして食べようね!」
「…………ああ」
「えへへー!」

先程自分が作った夕飯を腹いっぱい食べたばかりだけど、これはもう別腹なのだ。俺は嬉しくなって繋いだままの兄ちゃんの手ごとブンブン振って歩いていく。だけど近所の公園に行くためには、まずは二十段ほどある階段を上らなくてはいけない。外も出ずに運動も全くしない俺からすると、この階段すら少しきついものがある。
いつもならこの階段を上る前に嫌気を差して引き返すのだが、今の俺はすこぶる機嫌がいい。だから弱音を吐くことすらせずに階段を上りきって、そのまま早足で夜の公園へと向かう。

「おー、やっぱり誰も居ないねえ」
「……季節的にも、もう寒いしな」
「俺は今階段上ったばっかりだから、身体ポカポカだよ!」
「だろうな。さっきまで冷たかったくせに、手が熱い」
「兄ちゃんの手は冷たいままだね。寒い?大丈夫?」
「これくらいなんともない」
「まあ、遊んでたらすぐに身体熱くなるよ」
「……遊ばねえよ」
「えー!?」

折角公園に来たというのに、何しに来たんだこの人は。
確かにいい大人になって男二人で公園の遊具で遊んでいるのは世間の目が痛いかもしれないけれど、だけど今は夜で誰も居ないのだ。人目を気にすることなくブランコに乗るなんて大人になるとあんまりできない貴重な機会なんだぞ。

「じゃあ、俺少しだけブランコ乗ってもいい?」
「……いいけど、怪我はするなよ」
「はぁい」

渋々と了承してくれた兄ちゃんは繋いだ手をゆっくりと離すと、ブランコでゆらゆら揺れる俺のすぐ傍に立った。

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