王族と奴隷剣士

七槻夏木

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戦闘開始

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帝都の郊外にある俺の一人暮らしの住まいまでは、少し歩く。少女は俺の二、三歩後ろをついてきた。特に会話することもない。
 街を二つに分断するように流れる川には、酒や魚などいろいろ積まれた木の舟が数隻浮いている。通りは、相も変わらず賑わっていた。家から出ることの少なかった俺には新鮮に映る。ローファはそれなりに元気のあるらしい。走りまわる子供の姿も目につく。今時分すれ違った子供は、アイスキャンデーを舐めていた。隣で、子供の母親であろう人物は、眠っている赤子を負ぶっている。ふぅむ。氷菓か。悪くない。


「おいしい……」
「雑な味だが、なかなかだな」
 暦は九月を示すが、まだ暑い。甘く冷たいアイスを食べながら、今度は、少女と並んで歩く。
「名は」
「……ラウラ」
「歳は覚えているか」
「覚えていない。九つで奴隷になった」
「お前は今、一八だと」
「そう……」
 奴隷商と少女の言うことが両方正しいと仮定すれば、彼女は九年の間、足枷を繋がれ檻の中で眠っていたことになる。九年。想像もできないからやめた。
「俺は、ソボル。ソボル・マヒヤ・グロンティウス」
「何と、呼べば」
 一般の奴隷がそうしているように、マスターなどと呼ばれても気恥ずかしい。しかし、適当の呼称なども思いつかない。結局は何のひねりもないものに落ち着いた。
「そうだな……。うん、ソボル、と。名前を呼ぶことを許す」
「では、ソボル、と。」
 呟くように俺の名を呼ぶ少女は、青い――奴隷商が気持ち悪いと罵った――俺が美しいと思った目で、俺の顔を覗く。名は、ラウラというらしい。今度は、何となく照れくさくて、目をそらす。目をそらした先には、巨大なコロッセウムがそびえている。少し遠くに威風堂堂とあるそれを見て、思い出す。
 名を聞いて何になるというのだろう。名を言って何になるというのだろう。ラウラ――この奴隷は、剣奴にされて、そして。そして殺されるのに。




 円形闘技場は、今日も見物客であふれていた。そして、いつものごとく、底気味悪い熱気が横溢している。俺は、ラウラの剣奴としての四戦目を家族とともに観戦しに来ていた。奴隷の提供者とその関係者には、最前席に見物できる場所が確保されていて、ここは、いくらか空いている。配慮がないといえば、相手方の提供者も同じスペースにいるということだ。丁度、父と母と何やら親しげに話しているその顔には、どこか見覚えがあった。白髪の優しい目の老人。多分、ここらの名士なのだろう。奴隷を提供するのなんて、変な趣味の金持ちか、子を育てられなくなった貧乏人に決まっているのだ。子を一人売り払えば、その分の金が浮き、加えて、少しの金がもらえるのだ。親に売られた幼子はコロッセウムの牢で育てられ、一生余興の芸をさせられるか、剣奴として戦わされる。
「君が、あの奴隷の飼い主だね」
 少し目を瞑っていたら、突然に声をかけられた。あの老人だ。
「ええ。まあ」
「もう先に三勝したんだってねぇ。女の子で華奢なのに。すごいもんだ。私のは、この前一勝したばかりでね」
 老人は、そう言って、既に入場しているラウラと自分の奴隷を見やる。老人の奴隷は巨躯の男で、筋骨隆々という表現がぴったりといった風貌をしている。頭はスキンヘッドで、額には深い古傷の跡が残っている。何か犯罪に手を染め奴隷に堕ちたクチだろう。
「戦績はともかく、私には、貴方の奴隷の方が随分と強そうにみえますよ」
 実際にそうだ。小柄なラウラとの対格差は二倍にも見える。ラウラは、ここで死ぬのかもしれない。
「まあ、楽しみましょうぞ」
 老人は最後にそう言って去っていった。楽しみましょう、ね。俺は、足を組み、再び瞑目した。
 ラウラは、ここで死ぬのかもしれない。俺の知ったことではなかった。奴隷が死のうが俺には、関係ない。
 試合開始の法螺貝が鳴る。
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