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第5章「交差する歩み、真実へ」
第30話「帰還と予兆」
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ケルヴァスとの死闘から一週間。
正也の日常は、形の上では元通りになっていた。
正也の背中に生えていた黒翼は消え、櫻は数日の入院を経て復帰し、彼女はむしろ以前よりも元気に振舞うようになった。
『大人たちはいつも大袈裟なんだ』
そう言って笑った彼女は、正也に対して一切容赦のない訓練を課してくるようになった。
――しかし、
正也の中の不安の種がいやに燻ぶる。
あの夜、正也の耳の奥で確かに響いていた王の声はそれ以来ぴたりと止んだままだ。
それは平穏の証か、嵐の前の静けさか。確かなのは、胸の奥が静まらないということ。
『仮初の平穏だとしても、今は浸っていたい』
正也はそんなことを考えながら、登校してすぐに文芸部室の扉を開けた。
「おはようございます」
扉を開けると、窓から差す柔らかな朝日に照らされながら読書している櫻が目に入る。
窓辺の埃が朝日に溶けて漂う。
紫色の丸眼鏡をかけた櫻は、正也の声に反応して振り返った。
「ん、おはよ」
まるで戦闘とは無縁かのような、清廉で可愛らしいその女の子の姿に、正也は思わず頬が緩む。
「眼鏡、似合ってますよね」
「はぇ」
正也は鞄の中から文庫本を取り出しながら櫻の前に座った。
「暑くなってきましたねー」
「君、私の眼鏡見るの初めてじゃないよな?」
聞かれ、正也は顔を上げる。
むっとした表情でこれ見よがしに眼鏡を押し上げる櫻と目が合った。
「え、はい。ほぼ毎日見てますけど」
とぼけた表情の正也をじっと見つめ、櫻の眉間の皺が深くなる。
「なら、何故今急に」
正也は栞を目印に本を開き、首を傾げる。
「いや、だって、やっぱり良いなって思ったので」
一瞬、面食らう櫻。
次に浮かべた表情は、歓喜とも羞恥とも呼べないようなものだった。
「君、凄いな」
「何がです」
「別に何も。ただ、ちょっと心配だなと思って」
「はい?」
口元を本で隠した櫻は、数秒経って深呼吸と同時に表情を露わにした。
「何でもない。それより今日のお昼はどうする? いつも通り作ってきてはいるが、私の身体にするか?」
「ばっ! 何言ってんですか急に!」
「どうする?」
聞かれ、正也は反射的に顎に手を当ててしまう。
しかし、櫻の視線に気付いて即座に背筋を伸ばした。
「お弁当で、お願いします」
「ふふ、そうかそうか」
口元を緩ませて挑発するように何度も眼鏡を押し上げてみせる櫻を見て、正也は不満を露わにする。
「そんなにおかしいですか」
「おかしいよ。ほんと、可愛い」
頬杖をつき、覗き込むように見つめ続ける櫻から目を逸らす。
「調子狂うんですけど」
「仕返しだよ。少年」
「はあ? 何が」
櫻の正也に対するふやけた視線は相変わらずだ。
正也は櫻のこの表情を見ると、いつも仕返しをする気が失せてしまった。
「はぁ、さて読書読書」
「そういえば、吸血鬼でも普通にご飯食べるんだな」
「今更ですか。普通に食べますよ。血はそれとは別で必須ですが」
「私がいないとダメということか」
「はいはい、そうですよ」
「あー、なんか怒ってるなー?」
櫻のケタケタと笑う声が響く。
その笑い声は本を捲る音をかき消し、正也の物語への没入をせき止める。
「今日も昼、屋上でね」
「……はい」
呟かれ、次にふやけた口元を本で隠すのは正也だ。
青い空気が流れる文芸部室の前を生徒たちが登校していく。
しかしその生徒たちの中、一人の少女が文芸部室の方を見て立ち止まる。
首の中程まで伸びた黒髪、大きな黒縁眼鏡に隠れた大きな目と、子犬のように小さな鼻と口。
少女の目には、あの夜の二人の姿が焼き付いていた。
「正体、暴いてやるから」
小声でそう呟いた少女の黒髪の隙間で、目だけが異様に光った。
初夏の風が通り過ぎる校舎の中、これから自分たちを待ち受ける運命を、二人はまだ知らないのだった。
正也の日常は、形の上では元通りになっていた。
正也の背中に生えていた黒翼は消え、櫻は数日の入院を経て復帰し、彼女はむしろ以前よりも元気に振舞うようになった。
『大人たちはいつも大袈裟なんだ』
そう言って笑った彼女は、正也に対して一切容赦のない訓練を課してくるようになった。
――しかし、
正也の中の不安の種がいやに燻ぶる。
あの夜、正也の耳の奥で確かに響いていた王の声はそれ以来ぴたりと止んだままだ。
それは平穏の証か、嵐の前の静けさか。確かなのは、胸の奥が静まらないということ。
『仮初の平穏だとしても、今は浸っていたい』
正也はそんなことを考えながら、登校してすぐに文芸部室の扉を開けた。
「おはようございます」
扉を開けると、窓から差す柔らかな朝日に照らされながら読書している櫻が目に入る。
窓辺の埃が朝日に溶けて漂う。
紫色の丸眼鏡をかけた櫻は、正也の声に反応して振り返った。
「ん、おはよ」
まるで戦闘とは無縁かのような、清廉で可愛らしいその女の子の姿に、正也は思わず頬が緩む。
「眼鏡、似合ってますよね」
「はぇ」
正也は鞄の中から文庫本を取り出しながら櫻の前に座った。
「暑くなってきましたねー」
「君、私の眼鏡見るの初めてじゃないよな?」
聞かれ、正也は顔を上げる。
むっとした表情でこれ見よがしに眼鏡を押し上げる櫻と目が合った。
「え、はい。ほぼ毎日見てますけど」
とぼけた表情の正也をじっと見つめ、櫻の眉間の皺が深くなる。
「なら、何故今急に」
正也は栞を目印に本を開き、首を傾げる。
「いや、だって、やっぱり良いなって思ったので」
一瞬、面食らう櫻。
次に浮かべた表情は、歓喜とも羞恥とも呼べないようなものだった。
「君、凄いな」
「何がです」
「別に何も。ただ、ちょっと心配だなと思って」
「はい?」
口元を本で隠した櫻は、数秒経って深呼吸と同時に表情を露わにした。
「何でもない。それより今日のお昼はどうする? いつも通り作ってきてはいるが、私の身体にするか?」
「ばっ! 何言ってんですか急に!」
「どうする?」
聞かれ、正也は反射的に顎に手を当ててしまう。
しかし、櫻の視線に気付いて即座に背筋を伸ばした。
「お弁当で、お願いします」
「ふふ、そうかそうか」
口元を緩ませて挑発するように何度も眼鏡を押し上げてみせる櫻を見て、正也は不満を露わにする。
「そんなにおかしいですか」
「おかしいよ。ほんと、可愛い」
頬杖をつき、覗き込むように見つめ続ける櫻から目を逸らす。
「調子狂うんですけど」
「仕返しだよ。少年」
「はあ? 何が」
櫻の正也に対するふやけた視線は相変わらずだ。
正也は櫻のこの表情を見ると、いつも仕返しをする気が失せてしまった。
「はぁ、さて読書読書」
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「今更ですか。普通に食べますよ。血はそれとは別で必須ですが」
「私がいないとダメということか」
「はいはい、そうですよ」
「あー、なんか怒ってるなー?」
櫻のケタケタと笑う声が響く。
その笑い声は本を捲る音をかき消し、正也の物語への没入をせき止める。
「今日も昼、屋上でね」
「……はい」
呟かれ、次にふやけた口元を本で隠すのは正也だ。
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しかしその生徒たちの中、一人の少女が文芸部室の方を見て立ち止まる。
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少女の目には、あの夜の二人の姿が焼き付いていた。
「正体、暴いてやるから」
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