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竜が去ったあと、最初に残るのは沈黙ではない。
音だ。
折れた梁が冷える音。
焼けた金属が収縮する音。
どこかで火が燻り、油が弾ける音。
そして、人の声。
悲鳴は続いていた。
怒号も続いていた。
終わった、という実感だけがどこにもなかった。
あれから数十分、竜は暴れ続けた。
しかし、杭が刺さったまま空へ消えていった。
捕獲棟〈竜の墓場〉の一角は、原形を留めていなかった。
落とし床は半分が崩れ、天鎖はねじれたまま垂れ下がっている。支柱の一本は途中から折れ、仮設の梁でかろうじて天井を支えていた。
「火、残ってるぞ!」
誰かが叫ぶ。
すぐに別の誰かが水を被せ、蒸気が上がる。熱と湿気が混じり、空気が重くなる。息を吸うだけで肺が痛い。
怪我人は多かった。
数を数える暇もない。
立てない者、腕が動かない者、火傷で皮膚が剥けた者。
血の匂いが濃く、どこまでが自分のものか分からなくなる。
「担架が足りねぇぞ!」
「こっちは骨だ、動かすなよ!」
「まだ生きてる! 押さえろ!」
叫びが飛び交い、指示が重なり、誰も全体を見られていない。
ヨルは、その中を歩いていた。
走らない。
走れば視野が狭くなる。
今は一つでも多く、動ける場所を増やす必要がある。
「コト!」
声を張る。
少し離れた場所で、コトがこちらを見た。顔色が悪いが、ギリギリで立っている。
「こっち来い。修繕だ」
理由は言わない。
終わった側から直す。
次はいつ来るか分からない。
来ない、という前提はもう死んだのだ。
奥の資材置き場から、使えるものを引きずり出す。焼けていない木材。歪んでいない金属にロープ。仮止め用の楔。
「これ、持てるか?」
コトは無言で頷き、両腕で梁材を抱えた。小さな体が痛むが、下ろさない。
「無理するな」
ヨルは言いながら自分も別の材を掴む。
無理をするな、という言葉が無意味なのは分かっている。
それでも口にする。
仮設の支柱を立て、折れた梁を受ける。
位置を決め、角度を合わせ、楔を叩き込む。
応急処置だ。完璧である必要はない。
今は「落ちない」ことだけが目的だ。
背後で誰かが呻いた。
次の瞬間、吐く音がした。
振り返ると、コトが膝をついていた。
手では押さえきれず、床板に吐瀉物が落ちる。胃の中のものを全部吐き出す勢いだった。肩が震え、呼吸が乱れる。
「……っ」
言葉にならない音が漏れる。
ヨルは一瞬、手を止めた。
「いい、顔上げなくていい」
そう言って、コトの背に手を置く。体重だけを預けさせ、背中をさすった。
「今は吐け。あとは休んでいい」
それだけだ。
コトは答えなかった。答えられる状態ではない。
その後もしばらく動けず、床に手をついたまま息を整えている。
「代われ」
ヨルは近くにいた男に言った。
「こいつ預ける。水飲ませてから座らせろ」
男は一瞬だけ迷い、すぐに頷いた。
迷う時間がここでは一番危険だ。
コトが男を支えようとした時、コトの身体が跳ねる。
拒絶するようなうごきであった。
「あ、あるける」
フラフラしながら、少し離れた壁際へ。
ヨルは、一瞬だけコトの方へ視線を向ける。
その目は死んでいなかった。
ただじっと、この世界を馴染ませるように、その目は周囲を捉えていた。
ヨルは視線を切り、作業に戻った。
「次、そっちだ」
苛立ちが、喉の奥に溜まっている。
コトに向けてのものではない。
この世界に対してのものでもなかった。
理解されないと分かっているから、誰かにぶつけることもない。
仮設の梁が一本、また一本と立つ。
火は消え、煙が薄れ、ようやく全体が見えてくる。
死んだのは、リーツだけだった。
それだけで済んだ、と言う者はいない。
重症者は多く、治療の順番を巡って怒鳴り合いが起きる。
誰かが怒鳴り返し、また悲鳴が上がる。
地獄は、形を変えて続いていた。
ヨルは工具を叩きつけ、楔を打ち込む。
音が規則的になっていく。
規則性が戻ると、人は少しだけ落ち着く。
「……次、来たら、ここは持たねぇな」
誰かが呟いた。
ヨルは答えなかった。
持たせるしかないからだ。
壁際でコトが水を飲んでいるのが見える。
顔色はまだ悪いが、背筋は伸びている。
まだ、瞳に光がある。
それで十分だった。
ヨルはもう一度、破壊された墓場を見回した。
竜はいない。
それなのに、竜の痕跡は至る所に残っている。
「クソがっ」
誰にも届かぬ激情。
目の前の現状に、焼き尽くすような執念だけが渦巻いていた。
____
コト
音だ。
折れた梁が冷える音。
焼けた金属が収縮する音。
どこかで火が燻り、油が弾ける音。
そして、人の声。
悲鳴は続いていた。
怒号も続いていた。
終わった、という実感だけがどこにもなかった。
あれから数十分、竜は暴れ続けた。
しかし、杭が刺さったまま空へ消えていった。
捕獲棟〈竜の墓場〉の一角は、原形を留めていなかった。
落とし床は半分が崩れ、天鎖はねじれたまま垂れ下がっている。支柱の一本は途中から折れ、仮設の梁でかろうじて天井を支えていた。
「火、残ってるぞ!」
誰かが叫ぶ。
すぐに別の誰かが水を被せ、蒸気が上がる。熱と湿気が混じり、空気が重くなる。息を吸うだけで肺が痛い。
怪我人は多かった。
数を数える暇もない。
立てない者、腕が動かない者、火傷で皮膚が剥けた者。
血の匂いが濃く、どこまでが自分のものか分からなくなる。
「担架が足りねぇぞ!」
「こっちは骨だ、動かすなよ!」
「まだ生きてる! 押さえろ!」
叫びが飛び交い、指示が重なり、誰も全体を見られていない。
ヨルは、その中を歩いていた。
走らない。
走れば視野が狭くなる。
今は一つでも多く、動ける場所を増やす必要がある。
「コト!」
声を張る。
少し離れた場所で、コトがこちらを見た。顔色が悪いが、ギリギリで立っている。
「こっち来い。修繕だ」
理由は言わない。
終わった側から直す。
次はいつ来るか分からない。
来ない、という前提はもう死んだのだ。
奥の資材置き場から、使えるものを引きずり出す。焼けていない木材。歪んでいない金属にロープ。仮止め用の楔。
「これ、持てるか?」
コトは無言で頷き、両腕で梁材を抱えた。小さな体が痛むが、下ろさない。
「無理するな」
ヨルは言いながら自分も別の材を掴む。
無理をするな、という言葉が無意味なのは分かっている。
それでも口にする。
仮設の支柱を立て、折れた梁を受ける。
位置を決め、角度を合わせ、楔を叩き込む。
応急処置だ。完璧である必要はない。
今は「落ちない」ことだけが目的だ。
背後で誰かが呻いた。
次の瞬間、吐く音がした。
振り返ると、コトが膝をついていた。
手では押さえきれず、床板に吐瀉物が落ちる。胃の中のものを全部吐き出す勢いだった。肩が震え、呼吸が乱れる。
「……っ」
言葉にならない音が漏れる。
ヨルは一瞬、手を止めた。
「いい、顔上げなくていい」
そう言って、コトの背に手を置く。体重だけを預けさせ、背中をさすった。
「今は吐け。あとは休んでいい」
それだけだ。
コトは答えなかった。答えられる状態ではない。
その後もしばらく動けず、床に手をついたまま息を整えている。
「代われ」
ヨルは近くにいた男に言った。
「こいつ預ける。水飲ませてから座らせろ」
男は一瞬だけ迷い、すぐに頷いた。
迷う時間がここでは一番危険だ。
コトが男を支えようとした時、コトの身体が跳ねる。
拒絶するようなうごきであった。
「あ、あるける」
フラフラしながら、少し離れた壁際へ。
ヨルは、一瞬だけコトの方へ視線を向ける。
その目は死んでいなかった。
ただじっと、この世界を馴染ませるように、その目は周囲を捉えていた。
ヨルは視線を切り、作業に戻った。
「次、そっちだ」
苛立ちが、喉の奥に溜まっている。
コトに向けてのものではない。
この世界に対してのものでもなかった。
理解されないと分かっているから、誰かにぶつけることもない。
仮設の梁が一本、また一本と立つ。
火は消え、煙が薄れ、ようやく全体が見えてくる。
死んだのは、リーツだけだった。
それだけで済んだ、と言う者はいない。
重症者は多く、治療の順番を巡って怒鳴り合いが起きる。
誰かが怒鳴り返し、また悲鳴が上がる。
地獄は、形を変えて続いていた。
ヨルは工具を叩きつけ、楔を打ち込む。
音が規則的になっていく。
規則性が戻ると、人は少しだけ落ち着く。
「……次、来たら、ここは持たねぇな」
誰かが呟いた。
ヨルは答えなかった。
持たせるしかないからだ。
壁際でコトが水を飲んでいるのが見える。
顔色はまだ悪いが、背筋は伸びている。
まだ、瞳に光がある。
それで十分だった。
ヨルはもう一度、破壊された墓場を見回した。
竜はいない。
それなのに、竜の痕跡は至る所に残っている。
「クソがっ」
誰にも届かぬ激情。
目の前の現状に、焼き尽くすような執念だけが渦巻いていた。
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