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3章 夜空のダイヤモンド
33話
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『南の空に見える一等星がこいぬ座の、プロキオン。その西に位置するのがオリオン座、ベテルギウス。そしてその南に位置する一等星がおおいぬ座のシリウス。それらを繋ぐことで、冬の夜空に大きな三角形が描かれます。これが、冬の大三角形です。
更に、プロキオン、シリウス、そしてオリオン座のもう一つの一等星リゲル、この三つの星座にふたご座のボルックス、ぎょしゃ座のカペラ……』
真っ暗な室内の天井に、大きな空が広がっている。そこに映し出された犬や三角形を説明するアナウンスの声色はおだやかで、まるで子守唄のようだった。
こいぬ、一等星、三角形。断片的に脳へと流れ込んでくる情報に、僕はぼんやりと思いを馳せた。
こいぬと聞くとどうしても、奴を思い出さずにはいられない。
コロコロと豊かに変わる表情。よくクマのぬいぐるみを抱いていて、けれどもご飯ができるとその香りを目ざとく察知して、ぬいぐるみを放り捨ててまで寄ってくる。それはまるで尾を振って駆け寄ってくるこいぬを彷彿とさせる。
ひなたのことだ。
みっつの輝く一等星は、集まって三角形を作り出す。
まるで、今の僕の様子を映し出しているように感じた。
一等星になれなかった僕は、ひなたと一茶と詩音くん、その三人の作り出す幼馴染という輪にはどうしても入れなかった。
涙で、視界がぼやける。でも。
僕は、我慢しなかった。その涙を押し殺すことなく瞬きで溢れさせ、コンタクトが外れないように気を付けながら袖で丁寧に目のふちを拭う。我慢したらきっと、ひなたが怒るだろう。
そうして気が付いたら天井は真っ黒になっていて、あたりは明るくなっていた。周りの人は次々に席を立ち始め、室内に賑やかな声が戻る。一方で、隣の席は静かなままだった。
「詩音くん?」と僕は彼の顔を覗き込む。
彼は普段の半分も開いていない瞳で、ただぼーっと漆黒の天井を見つめていた。
しかし、僕が彼の視界に入ったことでしっかりと意識を取り戻したのだろう。彼はハッと目を丸めて椅子にもたれた体を起こし、そして僕の頬へ手を添えた。やけに暖かい親指が、目元の乾いた涙の痕を撫でる。思わず目を細めた時、彼は人目を憚らずに僕の体を抱き寄せた。
「ごめんね、楓。また俺なにか傷つけるようなことしちゃったかな」
珍しく僕の気持ちを察してくれた彼は、とても優しい声をしていた。
「んーん。星が綺麗だったから」
「へー、楓星好きだったんだ」
僕が適当に嘘をつくと、彼は簡単に騙されて僕から身を離してくれた。それにより良く見えるようになった笑顔は、少なくともここ数ヵ月は見ていないくらい無邪気なもので、おおよそ今さっきまで僕を心配していたものとは思えない。
僕は彼にもわかるように露骨に眉を顰めるが、彼はそれでも尚嬉しそうに肩を揺らすのだった。
「なしたん、人が泣いとったってんのにやけに機嫌ええやん」
と僕が口を尖らせる。
「楓がちゃんと俺の目に見えるところで泣いてくれたの、初めてだから」
「……そう」
僕は彼の返答に意表を突かれ、左手薬指にはめられた指輪を撫でながらただ小さく呟いて返した。
この感情を、彼は多分一生理解してはくれないだろう。
そうして一日デートをして、少し暗くなった空の下満足そうな詩音くんの隣を歩く。冷えた風は、もうじき訪れる立冬を感じさせた。
彼は、ふいにこちらを見て暖かい手で僕の右耳を撫でた。彼の買ってくれた新品のピアスが、ゆらゆらと僕の耳たぶを引っ張ってくすぐったい。肩へ押し付けるようにして耳を掻くと、詩音くんはクスクスと髪を揺らした。
「今の可愛い。もっかいやって?」
「あほか」
彼は最近、こうして僕を可愛いと言う。可愛いという言葉自体は、別に最近言われ始めたものではない。思えば、付き合う前ですらたまに言ってくれていた気がする。つまりは、彼の言う可愛いとは別に恋人的な意味でなく単に自分より年下の者に向けるソレである可能性が高い。
僕ははぁ、と息を一つ。
「そんなに俺が可愛ええなら、ホテル行こか?」
僕は彼の綺麗な瞳にジトリと横目で目を向けた。
「なっ!? なんでそうなんの!?」
彼はやっぱり、両手を横にぶんぶんと振ってそれを拒んだ。
すごい。顔も耳まで真っ赤だ。
それはまるで。家族や友達に“そういう話”をされたときの反応のようだ、と僕は思う。
「初めてのデートのときは、一緒に行ったやん」
「それとこれとは別でしょ……!」
相変わらず僕との行為を拒む彼を見ても、もうさほど心は痛まなかった。別に、慣れたとかそういうわけではない。ただ、諦めて心に厚い壁を隔てただけだ。
「ほんならそんなくだらんこと言ってないでさっさと帰んで」
「はぁい」
僕が歩みを早めると、一足遅れた詩音くんは慌てて僕の背後を追いかけるのだった。
「ただいまぁ」
詩音くんが押えてくれている玄関の扉をくぐって、リビングへ声をかける。「鍵ちゃんと閉めてな?」と詩音くんへくぎを刺しながら靴を脱ごうと玄関の上がり框へ座り込んだ時。いつものようにバタンと勢いよくリビングの扉が開く音がした。
「楓、おかえりっ」
そして僕が靴の片方も脱ぐ暇なく、隣に赤毛を揺らして奴がしゃがみこむ。奴は僕の新しいピアスを目ざとく見つけ、無遠慮に耳へ触れた。
「あっ、詩音くんに買ってもらったでしょ。楓っぽくない」
「ひなたぁ、いきなり触んなや」
「詩音くんの方がセンスいいんじゃない?」
「やかましいわ」
ぷぷぷと左手を口元へ添えて、相変わらずに僕を煽るひなたに僕もまたいつも通りに声を荒らげる。一度小突いてやろうかと考えて靴を脱ぐのを急ぐと、奴はそれを察知したのかセンスがいいと褒められてニンマリ笑う詩音くんへぐっと親指を立て、駆け足でリビングへ戻っていった。
「ほんまあいつ……」
「まぁまぁまぁ」
ぼやく僕を詩音くんは肩を叩いて宥めてきた。でも。彼の口角は明らかに上がっていて、機嫌がいいのは隠しきれていない。
ひなたに褒められたからって調子にのりやがって、と。少し前の僕なら思っていたかもしれない。しかし。
僕はというと、なんだかんだ言ってひなたがいつも通り僕にあのクソガキムーブで接してくれることがなにより嬉しかった。彼が僕を大切な友達として扱ってくれることで、僕という存在が認められるような、そんな気がしたから。
靴を脱いでリビングへ入ると、そこにはソファの上でクッションへ肘を乗せ、足を組みながら真剣な顔でスマホを眺める一茶がいた。大方、いつも通り漫画でも読んでいるのだろう。しかし、僕がリビングへ入ってきたことを察すると彼はすぐに顔を上げ、その切れ長の目を実に優しく細めて首を傾けた。
「どうだった? デート」
どうだった、だなんて。
彼といる時間は確かに嬉しいしドキドキするし、悔しいけれど楽しいと思う。でも。その楽しさの何倍も辛くて、虚しくて。そんなこと、言えるわけがない。
「え、っと……楽しかった、です……」
下手になったな、と自分でも思う。少し前なら、こんなにぎこちなくならずともすんなりと罪悪感なく嘘が付けたのに。それは全部、一茶の隣で上機嫌にゆらゆらと身体を揺らす、ひなたのせい、いいや、ひなたのおかげだ。
しかし。
「そっか、よかった。詩音くん、今まで疑ってごめん。俺、お前のこと勘違いしてた」
一茶は僕の言葉を疑うこともなく、そう言って詩音くんへ向かって勢いよく頭を下げるのだった。
更に、プロキオン、シリウス、そしてオリオン座のもう一つの一等星リゲル、この三つの星座にふたご座のボルックス、ぎょしゃ座のカペラ……』
真っ暗な室内の天井に、大きな空が広がっている。そこに映し出された犬や三角形を説明するアナウンスの声色はおだやかで、まるで子守唄のようだった。
こいぬ、一等星、三角形。断片的に脳へと流れ込んでくる情報に、僕はぼんやりと思いを馳せた。
こいぬと聞くとどうしても、奴を思い出さずにはいられない。
コロコロと豊かに変わる表情。よくクマのぬいぐるみを抱いていて、けれどもご飯ができるとその香りを目ざとく察知して、ぬいぐるみを放り捨ててまで寄ってくる。それはまるで尾を振って駆け寄ってくるこいぬを彷彿とさせる。
ひなたのことだ。
みっつの輝く一等星は、集まって三角形を作り出す。
まるで、今の僕の様子を映し出しているように感じた。
一等星になれなかった僕は、ひなたと一茶と詩音くん、その三人の作り出す幼馴染という輪にはどうしても入れなかった。
涙で、視界がぼやける。でも。
僕は、我慢しなかった。その涙を押し殺すことなく瞬きで溢れさせ、コンタクトが外れないように気を付けながら袖で丁寧に目のふちを拭う。我慢したらきっと、ひなたが怒るだろう。
そうして気が付いたら天井は真っ黒になっていて、あたりは明るくなっていた。周りの人は次々に席を立ち始め、室内に賑やかな声が戻る。一方で、隣の席は静かなままだった。
「詩音くん?」と僕は彼の顔を覗き込む。
彼は普段の半分も開いていない瞳で、ただぼーっと漆黒の天井を見つめていた。
しかし、僕が彼の視界に入ったことでしっかりと意識を取り戻したのだろう。彼はハッと目を丸めて椅子にもたれた体を起こし、そして僕の頬へ手を添えた。やけに暖かい親指が、目元の乾いた涙の痕を撫でる。思わず目を細めた時、彼は人目を憚らずに僕の体を抱き寄せた。
「ごめんね、楓。また俺なにか傷つけるようなことしちゃったかな」
珍しく僕の気持ちを察してくれた彼は、とても優しい声をしていた。
「んーん。星が綺麗だったから」
「へー、楓星好きだったんだ」
僕が適当に嘘をつくと、彼は簡単に騙されて僕から身を離してくれた。それにより良く見えるようになった笑顔は、少なくともここ数ヵ月は見ていないくらい無邪気なもので、おおよそ今さっきまで僕を心配していたものとは思えない。
僕は彼にもわかるように露骨に眉を顰めるが、彼はそれでも尚嬉しそうに肩を揺らすのだった。
「なしたん、人が泣いとったってんのにやけに機嫌ええやん」
と僕が口を尖らせる。
「楓がちゃんと俺の目に見えるところで泣いてくれたの、初めてだから」
「……そう」
僕は彼の返答に意表を突かれ、左手薬指にはめられた指輪を撫でながらただ小さく呟いて返した。
この感情を、彼は多分一生理解してはくれないだろう。
そうして一日デートをして、少し暗くなった空の下満足そうな詩音くんの隣を歩く。冷えた風は、もうじき訪れる立冬を感じさせた。
彼は、ふいにこちらを見て暖かい手で僕の右耳を撫でた。彼の買ってくれた新品のピアスが、ゆらゆらと僕の耳たぶを引っ張ってくすぐったい。肩へ押し付けるようにして耳を掻くと、詩音くんはクスクスと髪を揺らした。
「今の可愛い。もっかいやって?」
「あほか」
彼は最近、こうして僕を可愛いと言う。可愛いという言葉自体は、別に最近言われ始めたものではない。思えば、付き合う前ですらたまに言ってくれていた気がする。つまりは、彼の言う可愛いとは別に恋人的な意味でなく単に自分より年下の者に向けるソレである可能性が高い。
僕ははぁ、と息を一つ。
「そんなに俺が可愛ええなら、ホテル行こか?」
僕は彼の綺麗な瞳にジトリと横目で目を向けた。
「なっ!? なんでそうなんの!?」
彼はやっぱり、両手を横にぶんぶんと振ってそれを拒んだ。
すごい。顔も耳まで真っ赤だ。
それはまるで。家族や友達に“そういう話”をされたときの反応のようだ、と僕は思う。
「初めてのデートのときは、一緒に行ったやん」
「それとこれとは別でしょ……!」
相変わらず僕との行為を拒む彼を見ても、もうさほど心は痛まなかった。別に、慣れたとかそういうわけではない。ただ、諦めて心に厚い壁を隔てただけだ。
「ほんならそんなくだらんこと言ってないでさっさと帰んで」
「はぁい」
僕が歩みを早めると、一足遅れた詩音くんは慌てて僕の背後を追いかけるのだった。
「ただいまぁ」
詩音くんが押えてくれている玄関の扉をくぐって、リビングへ声をかける。「鍵ちゃんと閉めてな?」と詩音くんへくぎを刺しながら靴を脱ごうと玄関の上がり框へ座り込んだ時。いつものようにバタンと勢いよくリビングの扉が開く音がした。
「楓、おかえりっ」
そして僕が靴の片方も脱ぐ暇なく、隣に赤毛を揺らして奴がしゃがみこむ。奴は僕の新しいピアスを目ざとく見つけ、無遠慮に耳へ触れた。
「あっ、詩音くんに買ってもらったでしょ。楓っぽくない」
「ひなたぁ、いきなり触んなや」
「詩音くんの方がセンスいいんじゃない?」
「やかましいわ」
ぷぷぷと左手を口元へ添えて、相変わらずに僕を煽るひなたに僕もまたいつも通りに声を荒らげる。一度小突いてやろうかと考えて靴を脱ぐのを急ぐと、奴はそれを察知したのかセンスがいいと褒められてニンマリ笑う詩音くんへぐっと親指を立て、駆け足でリビングへ戻っていった。
「ほんまあいつ……」
「まぁまぁまぁ」
ぼやく僕を詩音くんは肩を叩いて宥めてきた。でも。彼の口角は明らかに上がっていて、機嫌がいいのは隠しきれていない。
ひなたに褒められたからって調子にのりやがって、と。少し前の僕なら思っていたかもしれない。しかし。
僕はというと、なんだかんだ言ってひなたがいつも通り僕にあのクソガキムーブで接してくれることがなにより嬉しかった。彼が僕を大切な友達として扱ってくれることで、僕という存在が認められるような、そんな気がしたから。
靴を脱いでリビングへ入ると、そこにはソファの上でクッションへ肘を乗せ、足を組みながら真剣な顔でスマホを眺める一茶がいた。大方、いつも通り漫画でも読んでいるのだろう。しかし、僕がリビングへ入ってきたことを察すると彼はすぐに顔を上げ、その切れ長の目を実に優しく細めて首を傾けた。
「どうだった? デート」
どうだった、だなんて。
彼といる時間は確かに嬉しいしドキドキするし、悔しいけれど楽しいと思う。でも。その楽しさの何倍も辛くて、虚しくて。そんなこと、言えるわけがない。
「え、っと……楽しかった、です……」
下手になったな、と自分でも思う。少し前なら、こんなにぎこちなくならずともすんなりと罪悪感なく嘘が付けたのに。それは全部、一茶の隣で上機嫌にゆらゆらと身体を揺らす、ひなたのせい、いいや、ひなたのおかげだ。
しかし。
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