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姿なき呪い
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「店主さん、お肌綺麗になりましたね」
肉屋にお使いにやってきたミカエルは、店主をまじまじと見つめました。
少年が指摘したのは、かつて腫れ上がっていた手のことではありません。気のせいかもしれませんが、全体的に肌も髪も艶々で滑らかになったように感じたのです。
「ああ、あの若造……先生のおかげだよ」
切り落とした肉を油紙に包みながら、店主は語り始めました。
「最初の二週間は、言葉にできないくらいキツかった。悪夢だって見たさ」
「悪夢……ルカ医師(せんせい)が出てきたとか?」
「いや。『一枚だけだから……。ナッツ入りの、健康によさそうなヤツだから……』って、隠れてクッキーを食べたら止まらなくなって、結局缶を半分空にした夢だ」
「……」
ずいぶん生々しい内容です。
「最初の頃は食への欲求が凄くて、自由に飲み食いしている連中が羨ましくて憎かった。美味そうな臭いを漂わせてる屋台とか、客で賑わってる酒場とか視界に入れるのも嫌だった」
「それはお辛いですね」
「だがな。三週間目あたりになると、体が軽くて、朝起きるのが楽になったことに気付いた。制限された食事も、それほど悪くないと感じるようになったんだ」
調教――ではなく教育の成果があらわれたようです。
「オレに合わせて生活してたカミさんも、今みたいに肌が綺麗になったと常連客に褒められたんだ」
不思議に思ってルカに確認したところ「理想的な食生活をストレスなく送れるようになると、高価な化粧品を使わずとも肌も髪も綺麗になる」と説明され、肉屋の女将さんはすっかり若き医師の信者と化しました。
今では率先して生活改善に取り組んでいるとのことです。
「……ブロック肉以外が値上がりしていますが、まさか食費が嵩むようになったからですか?」
生肉の塊は据え置き価格ですが、ハムやベーコンといった加工品が、前回来た時よりも若干高くなっています。
新鮮で良質な食べ物はどうしても値が張ります。
ミカエルは店主をジト目で見上げました。
「バカ言うな。そんぐれぇで値上げなんてしねぇよ。こりゃあれだ。香辛料が入ってこなくなったからだよ」
「外交問題ですか?」
「そんな大そうな話じゃねぇよ。輸入食品を取り扱ってる商会の会長が死んじまったとかで、一時的に品薄になってるだけだ」
「その商会は潰れちゃったんでしょうか」
「そういう話は聞かないな。単に頭が変わって現場がゴタついてるだけだろ」
「じゃあ、値上げも一時的なものですね」
「オレの立場じゃ『たぶん』としか言えないけどな。……今回の件で色々と考えさせられたよ」
店主は神妙な顔で溜息をつきました。
「昔は手に入るものだけでなんとかやってたのに、飛竜便だの通信鏡だの、ここ数十年でこんな田舎でも不自由なく生活できるくらい便利になった。生活の水準が上がったのは間違いないが、その結果がこれだ」
「遠い場所で起きたトラブルのとばっちりを食う。もしくは、非常時に自力で普段の生活を維持できない――と、いうことですね」
ミカエルの理解力に店主は舌を巻きました。
「お前何歳だよ」
「九歳です」
「嘘つけ。それでな。今までは各農家が好きに作物を育ててたんだが、いざという時必要な物を地元で賄えるように計画立てて作付けしようって言い出したヤツがいるんだよ」
「ああ。この前、ジョンさんの店に入荷した『地産地消の応用による災害対策』を読んだ人がいるんですね」
「お前、内容知ってるのか?」
「ぼくも読みましたから。戦争や災害で集落が孤立したときに飢えないように、農家が敷地の一部で必要な作物を分担して育てるという施策ですよ」
ミカエルは店主にもわかるようかみ砕いて説明しました。
「じゃあ無理矢理方向転換させられたり、儲からない仕事させられるわけじゃないんだな」
「当然です」
「ふーん。坊主もだけど、最近の若いのはよく勉強してるんだな」
「もしかしてパウロさんですか?」
もしかしなくてもパウロのはずです。
この狭い村で、貸本屋で本を借りてまで農業を学ぶ人物など限られています。
「そんな名前だった気がするけど、どうだったかな。昔この辺に住んでたらしいけど、村に戻ってきたのは最近らしい」
全ての情報がパウロを指しています。
「農家のダチが言うには、急に現れた小僧の話に耳を貸すのは癪だが、別嬪さん引き連れて説得にくるから、門前払いしたくてもできないんだとよ」
どうやらアンは頑張っているようです。
おそらく姉妹の取引先から、説得する農家の輪を広げているのでしょう。
「それより聞いてくれよ、坊主。たまにであれば嗜好品を認めるってんで、昨日ブランデーケーキを食ったんだ」
初めて食べた時、この世にこんなに美味しいものがあるのかと感動したブランデーケーキ。
子どものころは親の目を盗んでこっそり食べては叱られ、大人になってからは何かしら理由をつけては食べていました。
「よかったですね。美味しかったですか?」
半ば答えを予測しながら、ミカエルは聞きました。
「……大したことなかった。というか美味いと思えなかった。一口が重たいし、味が濃くて完食できなかったんだ」
「それは……ご愁傷様と言って良いのか、おめでとうございますと言うべきか迷いますね」
胃と舌が生まれ変わっています。健康的な食生活が定着した証です。
美味しかったという記憶は残っているのに、体はもう甘味を求めていない。好物からの卒業。
「ああ、オレも複雑な気持ちだ」
遠い目をした店主から品物を受け取ると、ミカエルは店を後にしました。
肉屋にお使いにやってきたミカエルは、店主をまじまじと見つめました。
少年が指摘したのは、かつて腫れ上がっていた手のことではありません。気のせいかもしれませんが、全体的に肌も髪も艶々で滑らかになったように感じたのです。
「ああ、あの若造……先生のおかげだよ」
切り落とした肉を油紙に包みながら、店主は語り始めました。
「最初の二週間は、言葉にできないくらいキツかった。悪夢だって見たさ」
「悪夢……ルカ医師(せんせい)が出てきたとか?」
「いや。『一枚だけだから……。ナッツ入りの、健康によさそうなヤツだから……』って、隠れてクッキーを食べたら止まらなくなって、結局缶を半分空にした夢だ」
「……」
ずいぶん生々しい内容です。
「最初の頃は食への欲求が凄くて、自由に飲み食いしている連中が羨ましくて憎かった。美味そうな臭いを漂わせてる屋台とか、客で賑わってる酒場とか視界に入れるのも嫌だった」
「それはお辛いですね」
「だがな。三週間目あたりになると、体が軽くて、朝起きるのが楽になったことに気付いた。制限された食事も、それほど悪くないと感じるようになったんだ」
調教――ではなく教育の成果があらわれたようです。
「オレに合わせて生活してたカミさんも、今みたいに肌が綺麗になったと常連客に褒められたんだ」
不思議に思ってルカに確認したところ「理想的な食生活をストレスなく送れるようになると、高価な化粧品を使わずとも肌も髪も綺麗になる」と説明され、肉屋の女将さんはすっかり若き医師の信者と化しました。
今では率先して生活改善に取り組んでいるとのことです。
「……ブロック肉以外が値上がりしていますが、まさか食費が嵩むようになったからですか?」
生肉の塊は据え置き価格ですが、ハムやベーコンといった加工品が、前回来た時よりも若干高くなっています。
新鮮で良質な食べ物はどうしても値が張ります。
ミカエルは店主をジト目で見上げました。
「バカ言うな。そんぐれぇで値上げなんてしねぇよ。こりゃあれだ。香辛料が入ってこなくなったからだよ」
「外交問題ですか?」
「そんな大そうな話じゃねぇよ。輸入食品を取り扱ってる商会の会長が死んじまったとかで、一時的に品薄になってるだけだ」
「その商会は潰れちゃったんでしょうか」
「そういう話は聞かないな。単に頭が変わって現場がゴタついてるだけだろ」
「じゃあ、値上げも一時的なものですね」
「オレの立場じゃ『たぶん』としか言えないけどな。……今回の件で色々と考えさせられたよ」
店主は神妙な顔で溜息をつきました。
「昔は手に入るものだけでなんとかやってたのに、飛竜便だの通信鏡だの、ここ数十年でこんな田舎でも不自由なく生活できるくらい便利になった。生活の水準が上がったのは間違いないが、その結果がこれだ」
「遠い場所で起きたトラブルのとばっちりを食う。もしくは、非常時に自力で普段の生活を維持できない――と、いうことですね」
ミカエルの理解力に店主は舌を巻きました。
「お前何歳だよ」
「九歳です」
「嘘つけ。それでな。今までは各農家が好きに作物を育ててたんだが、いざという時必要な物を地元で賄えるように計画立てて作付けしようって言い出したヤツがいるんだよ」
「ああ。この前、ジョンさんの店に入荷した『地産地消の応用による災害対策』を読んだ人がいるんですね」
「お前、内容知ってるのか?」
「ぼくも読みましたから。戦争や災害で集落が孤立したときに飢えないように、農家が敷地の一部で必要な作物を分担して育てるという施策ですよ」
ミカエルは店主にもわかるようかみ砕いて説明しました。
「じゃあ無理矢理方向転換させられたり、儲からない仕事させられるわけじゃないんだな」
「当然です」
「ふーん。坊主もだけど、最近の若いのはよく勉強してるんだな」
「もしかしてパウロさんですか?」
もしかしなくてもパウロのはずです。
この狭い村で、貸本屋で本を借りてまで農業を学ぶ人物など限られています。
「そんな名前だった気がするけど、どうだったかな。昔この辺に住んでたらしいけど、村に戻ってきたのは最近らしい」
全ての情報がパウロを指しています。
「農家のダチが言うには、急に現れた小僧の話に耳を貸すのは癪だが、別嬪さん引き連れて説得にくるから、門前払いしたくてもできないんだとよ」
どうやらアンは頑張っているようです。
おそらく姉妹の取引先から、説得する農家の輪を広げているのでしょう。
「それより聞いてくれよ、坊主。たまにであれば嗜好品を認めるってんで、昨日ブランデーケーキを食ったんだ」
初めて食べた時、この世にこんなに美味しいものがあるのかと感動したブランデーケーキ。
子どものころは親の目を盗んでこっそり食べては叱られ、大人になってからは何かしら理由をつけては食べていました。
「よかったですね。美味しかったですか?」
半ば答えを予測しながら、ミカエルは聞きました。
「……大したことなかった。というか美味いと思えなかった。一口が重たいし、味が濃くて完食できなかったんだ」
「それは……ご愁傷様と言って良いのか、おめでとうございますと言うべきか迷いますね」
胃と舌が生まれ変わっています。健康的な食生活が定着した証です。
美味しかったという記憶は残っているのに、体はもう甘味を求めていない。好物からの卒業。
「ああ、オレも複雑な気持ちだ」
遠い目をした店主から品物を受け取ると、ミカエルは店を後にしました。
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