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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
マテアスが立ち並ぶ本棚の一つに手を差し入れて、ごそごそとしているうちに奥の方でカチリと音が鳴った。手を引き抜いてその本棚をぐいと押すと、棚が横にスライドしていく。
その奥の壁に現れた古びた鉄の扉に、束から選んだ鍵をひとつ差し込むと、マテアスはその重い扉をきしませながらゆっくりと開いていった。
滞っていた空気が流れ出したのか、ほのかなかびの匂いが鼻をつく。道を譲るように一歩後退すると、マテアスは振り返ってカイを見やった。
「持ち出すのは一回に一冊までになさってください。分かっておられると思いますが、書庫の中で火を使うのは厳禁でございます。くれぐれも、書物の破損・欠損などおこしませんよう」
公爵家の書庫に隠されたこの奥扉は、滅多に開かれることはない。この中には、長い歴史の中秘匿され続けてきた重要機密も多く存在する。それは公爵家に関わることであったり、この国の成り立ちに関連する事柄もあった。
「うん、わかってるよ。オレが確認したいのは貴族名鑑だけだし、それ以外は触らないから」
「あと、もうひとつ。そこのカークの見たものはすべて旦那様に届いております。ゆめゆめいたずら心はおこされませんよう、ご忠告申し上げておきます」
マテアスは書庫の本棚を物珍し気に見やっているリーゼロッテに目を向けてから、もう一度カイの顔を見た。
「ははは、さすがのオレもそんな命知らずなことはしないよ。侍女の娘をひとり置いてってくれれば、リーゼロッテ嬢とふたりきりってわけでもないし、何も問題ないでしょ?」
そう言いながらカイはカークに向かってひらひらと手を振った。その向こうでジークヴァルトが眉間にしわを寄せながらこの様子を見ているに違いない。
だがマテアスは渋い顔のままだ。今日のジークヴァルトはほとんど使い物にならないだろう。リーゼロッテの事が絡むと、主は途端にぽんこつと化すのだ。
「書庫の入口には護衛も立たせてありますので……」
「ああ、カーク子爵家のヨハン殿だね。キュプカー隊長がまた王城に来て、近衛騎士たちと手合わせしてほしいって言ってたよ。ヨハン殿みたいなパワープレイヤーはなかなかいないからね。いい訓練になるんだってさ」
「さようでございますか」
「あと、従者君、君もね。従者君みたいな俊敏な人間って、大剣をふるう騎士はみな苦手なんだよね。オレも一度手合わせしてほしいかな」
「ご遠慮申し上げたいところですが、旦那様のご気分次第でいかようにも」
「はは、ジークヴァルト様、その点だけはやけに渋るんだよなぁ。まあ、いいや。それはまた今度の楽しみにしておくよ」
「では、わたしはこれで失礼いたします。何かございましたら、侍女かヨハン様に申し伝えてください」
「忙しいところ煩わせて悪かったね」
「いえ、これも仕事ですので。では、リーゼロッテ様、また夕刻にお迎えに上がります」
最後にリーゼロッテに一礼してから、マテアスは足早に出ていった。
「さてと……さくっと調べて帰りますか」
カイは奥扉をくぐり、薄暗く狭い隠し部屋へと足を踏み入れた。所狭しと並べられている本の中から目当ての場所を探し当てる。指先で背表紙を辿っていき、そこから五冊引き抜くと、リーゼロッテの待つ表の書庫へと戻っていった。
マテアスには一度に一冊と言われたが、リーゼロッテとカーク、壁際に控えているベッティ、それに入口にヨハンもいるので、自分も含めてひとり一冊の計算だ。何も問題はないだろう。
「じゃあリーゼロッテ嬢、こっちで手伝ってもらえるかな?」
そなえられたテーブルに本をどさりと置くと、うろうろと見て回っていたリーゼロッテに手招きをした。
「わたくしは何をすればよろしいのですか?」
「これとこれを見比べて、何か気づいたことがあったら教えてほしんだ」
「こちらは、貴族名鑑?……ですか?」
「うん、そう。ああ、よかった、公爵家の名鑑はやっぱり機密版だ」
手に取った一冊のページを開いたカイは、安堵したように言った。そのまま向かい合わせに座るリーゼロッテに見やすいように、開いた名鑑の向きをくるりと変えた。もう一冊を手に取ると、同じようにページを開いてリーゼロッテの前に二冊並べていく。
「機密版?」
「貴族名鑑は毎年すべての家に配られるけど、ただ名前が載っているだけなんだ。だけど、存命の貴族の絵姿が描かれた名鑑が、ごく一部にのみ配られる。それがこの機密名鑑ってわけ」
機密版の貴族名鑑を一般に配布しないのは、防犯上の理由だ。いたずらにそれを広めることで、誘拐や強盗などの被害を出さないためだった。
王城の書庫にもそれは保管されているが、閲覧するには明確な理由と数々の手続きが必要になる。急を要するカイは、フーゲンベルク家なら置いてあるだろうと踏んで、今日アポなしでやってきたのだ。
カイは明日、神殿が管理する書庫へ入る予定になっている。過去に降りた託宣にまつわる記録が膨大に眠る書庫の閲覧許可が、ようやく下りたのだ。
「これとこれは、年が一年違う名鑑なんだ。右と左を見比べて、何か気づいたことがあったら教えてくれる?」
「見比べる?」
「うん、当主が代替わりしたり、婚姻や出生なんかで違ってくると思うから。一つの家につきだいたい見開き一ページ、当主を中心に家系図が書かれているんだ。この印が当主、これはその伴侶、この印がついてるのは前当主で、これはその年に誕生した子供。全員の名前の下にある数字が生まれた年だね。それに亡くなった場合はかっこがつくんだ」
カイは開いたページを指さしながら、簡単に年間の見方を教えていく。
「亡くなった方の下にあるふたつの数字は何ですか?」
「それは亡くなった年と亡くなってからの年数だね。後ろの数字が十になると翌年から記載が無くなるんだ」
カイが開いたページはフーゲンベルク家のページだった。当主はジークフリートになっており、ジークヴァルトは三歳の記載がある。
(ヴァルト様が幼い……)
今と変わらない無表情のジークヴァルトの幼い絵姿がそこに描かれている。父親のジークフリートはだいたい記憶に残っているままの姿だ。
「それはリーゼロッテ嬢が生まれた年の名鑑だよ。こっちはその一年前」
「まあ、ではこちらはアンネマリーが生まれた年ですわね」
一年前と言われた名鑑を見ると、少し不思議そうな表情をした二歳のジークヴァルトが描かれていた。
(あ、こっちの方がなんか可愛い)
思わず顔がほころんだ。
「ん? 何か楽しいことが書いてあった?」
「いえ、ジークヴァルト様が幼くて、なんだか可愛らしいと思いまして」
「はは、それ、本人の前で言わない方がいいよ」
「え? どうしてですか?」
「可愛いって言われてよろこぶ男はあまりいないからね」
子供の頃なのに? そう思ってリーゼロッテはこてんと首を傾けた。カイに聞き返そうとするが、カイはすでに名鑑に目を通すのに没頭している。自分の目の前に残りの三冊を開いて並べ、同じ家のページを開いては素早い動きで目を通していく。
その姿を見て、リーゼロッテは自分もページに集中することにした。
(あ……ディートリンデ様ってこんなお顔なんだわ。アデライーデ様によく似てる)
ジークヴァルトの母親にはいまだに会ったことがない。エマニュエルやジークハルトの話だと、怒らせるとものすごく怖いらしい。
(第一印象は初めの数秒で決まるらしいし、お会いしたら挨拶はしっかりしなくちゃ……)
嫁姑の関係は良好にしておきたい。いつ何時会うことになっても、すぐに挨拶ができるようにと今から心づもりをしておかなくては。
(ふふ、アデライーデ様は七歳ね。とっても可愛らしいわ)
勝気そうな少女が青い瞳をまっすぐこちらに向けている。この頃の絵姿に、顔の傷はないようだ。あの傷に関して、詳しいことは聞けないままでいる。詮索する気はもともとないが、自分が顔に傷を負ったりしたらアデライーデのようにふるまえるだろうか。
(いいえ、アデライーデ様は今でもおつらいはずだわ……)
そう思っても自分に何ができるはずもない。いたたまれない気持ちのまま、リーゼロッテはページをまくった。
なんとなく気になってダーミッシュ家のページを開いてみる。
(あ! お義父様もお義母様もすごく若い!)
当たり前のことだが、そこにはまだ自分と義弟のルカの名前はない。自分は三歳の時にダーミッシュ家の養子になったし、ルカが生まれたのはその翌年だ。
ふと思ってリーゼロッテは生まれた家のページを探した。自分の記憶と実の両親の顔は一致するのだろうか?
(あった、ここだわ)
ラウエンシュタイン公爵家。それがリーゼロッテの生家の名前だ。ダーミッシュ家の一員としてずっと過ごしてきたので、少し不思議な気持ちがする。
「あ……」
「どうしたの?」
不意に出た声に、カイがページをめくる手を止めて顔を上げた。
「いえ、生まれの家の当主が、その、父ではなく母になっていたので……」
「ああ、ラウエンシュタイン家は代々女性が公爵位を継いでいるからね」
「まあ、そうなのですね」
言われてみれば自分が養子に出されたあと、生家はどうなったのだろう。自分に兄弟がいると言う話も聞かないし、継ぐ者がいなくなってお取りつぶしになったのだろうか?
カイが再び自分の作業に没頭し始めたので、リーゼロッテはそれ以上は何も聞けなかった。
(ダーミッシュ家に戻ったときにお義父様に聞いてみよう)
そう思ってリーゼロッテはカイの邪魔にならないよう、静かにページをめくっていった。
それにしてもカイは、ものすごいスピードで三冊の年鑑に目を通している。同じ家のページを開いては、三冊同時に視線を向けて、ぱっと見同じに見える家系図から、的確に変化があった個所をチェックしているようだ。
普段のカイからは想像できないような姿に鬼気迫るものを感じて、リーゼロッテはしばらくその動きを目で追っていた。
不意に「どうかした?」とカイが顔を上げる。リーゼロッテはあわててかぶりを振った。
「いえ、何でもありませんわ」
これ以上邪魔しないようにと、リーゼロッテは今度こそ目の前の貴族年鑑に集中することにした。
再び生家のページに目を落とす。父親も母親も、その絵姿は自分の記憶に残るままだ。
(マルグリット母様は記憶の通りね。イグナーツ父様は銀髪なのね……)
思い出の中の父はいつもモノクロだった。つり気味の瞳は金色のようだ。なんとなく切ない気分になって、リーゼロッテは視線を下にずらした。
そこに自分の名前が載っている。絵姿は髪の毛も生えそろっていないような赤ん坊なので、それが自分と言う実感はない。リーゼロッテ・ラウエンシュタイン。三歳まではそれが自分の名前だった。
(やっぱりしっくりこないっていうか、変な感じね)
そう思いながらページをめくる。今度はアンネマリーの家を探してみた。
マテアスが立ち並ぶ本棚の一つに手を差し入れて、ごそごそとしているうちに奥の方でカチリと音が鳴った。手を引き抜いてその本棚をぐいと押すと、棚が横にスライドしていく。
その奥の壁に現れた古びた鉄の扉に、束から選んだ鍵をひとつ差し込むと、マテアスはその重い扉をきしませながらゆっくりと開いていった。
滞っていた空気が流れ出したのか、ほのかなかびの匂いが鼻をつく。道を譲るように一歩後退すると、マテアスは振り返ってカイを見やった。
「持ち出すのは一回に一冊までになさってください。分かっておられると思いますが、書庫の中で火を使うのは厳禁でございます。くれぐれも、書物の破損・欠損などおこしませんよう」
公爵家の書庫に隠されたこの奥扉は、滅多に開かれることはない。この中には、長い歴史の中秘匿され続けてきた重要機密も多く存在する。それは公爵家に関わることであったり、この国の成り立ちに関連する事柄もあった。
「うん、わかってるよ。オレが確認したいのは貴族名鑑だけだし、それ以外は触らないから」
「あと、もうひとつ。そこのカークの見たものはすべて旦那様に届いております。ゆめゆめいたずら心はおこされませんよう、ご忠告申し上げておきます」
マテアスは書庫の本棚を物珍し気に見やっているリーゼロッテに目を向けてから、もう一度カイの顔を見た。
「ははは、さすがのオレもそんな命知らずなことはしないよ。侍女の娘をひとり置いてってくれれば、リーゼロッテ嬢とふたりきりってわけでもないし、何も問題ないでしょ?」
そう言いながらカイはカークに向かってひらひらと手を振った。その向こうでジークヴァルトが眉間にしわを寄せながらこの様子を見ているに違いない。
だがマテアスは渋い顔のままだ。今日のジークヴァルトはほとんど使い物にならないだろう。リーゼロッテの事が絡むと、主は途端にぽんこつと化すのだ。
「書庫の入口には護衛も立たせてありますので……」
「ああ、カーク子爵家のヨハン殿だね。キュプカー隊長がまた王城に来て、近衛騎士たちと手合わせしてほしいって言ってたよ。ヨハン殿みたいなパワープレイヤーはなかなかいないからね。いい訓練になるんだってさ」
「さようでございますか」
「あと、従者君、君もね。従者君みたいな俊敏な人間って、大剣をふるう騎士はみな苦手なんだよね。オレも一度手合わせしてほしいかな」
「ご遠慮申し上げたいところですが、旦那様のご気分次第でいかようにも」
「はは、ジークヴァルト様、その点だけはやけに渋るんだよなぁ。まあ、いいや。それはまた今度の楽しみにしておくよ」
「では、わたしはこれで失礼いたします。何かございましたら、侍女かヨハン様に申し伝えてください」
「忙しいところ煩わせて悪かったね」
「いえ、これも仕事ですので。では、リーゼロッテ様、また夕刻にお迎えに上がります」
最後にリーゼロッテに一礼してから、マテアスは足早に出ていった。
「さてと……さくっと調べて帰りますか」
カイは奥扉をくぐり、薄暗く狭い隠し部屋へと足を踏み入れた。所狭しと並べられている本の中から目当ての場所を探し当てる。指先で背表紙を辿っていき、そこから五冊引き抜くと、リーゼロッテの待つ表の書庫へと戻っていった。
マテアスには一度に一冊と言われたが、リーゼロッテとカーク、壁際に控えているベッティ、それに入口にヨハンもいるので、自分も含めてひとり一冊の計算だ。何も問題はないだろう。
「じゃあリーゼロッテ嬢、こっちで手伝ってもらえるかな?」
そなえられたテーブルに本をどさりと置くと、うろうろと見て回っていたリーゼロッテに手招きをした。
「わたくしは何をすればよろしいのですか?」
「これとこれを見比べて、何か気づいたことがあったら教えてほしんだ」
「こちらは、貴族名鑑?……ですか?」
「うん、そう。ああ、よかった、公爵家の名鑑はやっぱり機密版だ」
手に取った一冊のページを開いたカイは、安堵したように言った。そのまま向かい合わせに座るリーゼロッテに見やすいように、開いた名鑑の向きをくるりと変えた。もう一冊を手に取ると、同じようにページを開いてリーゼロッテの前に二冊並べていく。
「機密版?」
「貴族名鑑は毎年すべての家に配られるけど、ただ名前が載っているだけなんだ。だけど、存命の貴族の絵姿が描かれた名鑑が、ごく一部にのみ配られる。それがこの機密名鑑ってわけ」
機密版の貴族名鑑を一般に配布しないのは、防犯上の理由だ。いたずらにそれを広めることで、誘拐や強盗などの被害を出さないためだった。
王城の書庫にもそれは保管されているが、閲覧するには明確な理由と数々の手続きが必要になる。急を要するカイは、フーゲンベルク家なら置いてあるだろうと踏んで、今日アポなしでやってきたのだ。
カイは明日、神殿が管理する書庫へ入る予定になっている。過去に降りた託宣にまつわる記録が膨大に眠る書庫の閲覧許可が、ようやく下りたのだ。
「これとこれは、年が一年違う名鑑なんだ。右と左を見比べて、何か気づいたことがあったら教えてくれる?」
「見比べる?」
「うん、当主が代替わりしたり、婚姻や出生なんかで違ってくると思うから。一つの家につきだいたい見開き一ページ、当主を中心に家系図が書かれているんだ。この印が当主、これはその伴侶、この印がついてるのは前当主で、これはその年に誕生した子供。全員の名前の下にある数字が生まれた年だね。それに亡くなった場合はかっこがつくんだ」
カイは開いたページを指さしながら、簡単に年間の見方を教えていく。
「亡くなった方の下にあるふたつの数字は何ですか?」
「それは亡くなった年と亡くなってからの年数だね。後ろの数字が十になると翌年から記載が無くなるんだ」
カイが開いたページはフーゲンベルク家のページだった。当主はジークフリートになっており、ジークヴァルトは三歳の記載がある。
(ヴァルト様が幼い……)
今と変わらない無表情のジークヴァルトの幼い絵姿がそこに描かれている。父親のジークフリートはだいたい記憶に残っているままの姿だ。
「それはリーゼロッテ嬢が生まれた年の名鑑だよ。こっちはその一年前」
「まあ、ではこちらはアンネマリーが生まれた年ですわね」
一年前と言われた名鑑を見ると、少し不思議そうな表情をした二歳のジークヴァルトが描かれていた。
(あ、こっちの方がなんか可愛い)
思わず顔がほころんだ。
「ん? 何か楽しいことが書いてあった?」
「いえ、ジークヴァルト様が幼くて、なんだか可愛らしいと思いまして」
「はは、それ、本人の前で言わない方がいいよ」
「え? どうしてですか?」
「可愛いって言われてよろこぶ男はあまりいないからね」
子供の頃なのに? そう思ってリーゼロッテはこてんと首を傾けた。カイに聞き返そうとするが、カイはすでに名鑑に目を通すのに没頭している。自分の目の前に残りの三冊を開いて並べ、同じ家のページを開いては素早い動きで目を通していく。
その姿を見て、リーゼロッテは自分もページに集中することにした。
(あ……ディートリンデ様ってこんなお顔なんだわ。アデライーデ様によく似てる)
ジークヴァルトの母親にはいまだに会ったことがない。エマニュエルやジークハルトの話だと、怒らせるとものすごく怖いらしい。
(第一印象は初めの数秒で決まるらしいし、お会いしたら挨拶はしっかりしなくちゃ……)
嫁姑の関係は良好にしておきたい。いつ何時会うことになっても、すぐに挨拶ができるようにと今から心づもりをしておかなくては。
(ふふ、アデライーデ様は七歳ね。とっても可愛らしいわ)
勝気そうな少女が青い瞳をまっすぐこちらに向けている。この頃の絵姿に、顔の傷はないようだ。あの傷に関して、詳しいことは聞けないままでいる。詮索する気はもともとないが、自分が顔に傷を負ったりしたらアデライーデのようにふるまえるだろうか。
(いいえ、アデライーデ様は今でもおつらいはずだわ……)
そう思っても自分に何ができるはずもない。いたたまれない気持ちのまま、リーゼロッテはページをまくった。
なんとなく気になってダーミッシュ家のページを開いてみる。
(あ! お義父様もお義母様もすごく若い!)
当たり前のことだが、そこにはまだ自分と義弟のルカの名前はない。自分は三歳の時にダーミッシュ家の養子になったし、ルカが生まれたのはその翌年だ。
ふと思ってリーゼロッテは生まれた家のページを探した。自分の記憶と実の両親の顔は一致するのだろうか?
(あった、ここだわ)
ラウエンシュタイン公爵家。それがリーゼロッテの生家の名前だ。ダーミッシュ家の一員としてずっと過ごしてきたので、少し不思議な気持ちがする。
「あ……」
「どうしたの?」
不意に出た声に、カイがページをめくる手を止めて顔を上げた。
「いえ、生まれの家の当主が、その、父ではなく母になっていたので……」
「ああ、ラウエンシュタイン家は代々女性が公爵位を継いでいるからね」
「まあ、そうなのですね」
言われてみれば自分が養子に出されたあと、生家はどうなったのだろう。自分に兄弟がいると言う話も聞かないし、継ぐ者がいなくなってお取りつぶしになったのだろうか?
カイが再び自分の作業に没頭し始めたので、リーゼロッテはそれ以上は何も聞けなかった。
(ダーミッシュ家に戻ったときにお義父様に聞いてみよう)
そう思ってリーゼロッテはカイの邪魔にならないよう、静かにページをめくっていった。
それにしてもカイは、ものすごいスピードで三冊の年鑑に目を通している。同じ家のページを開いては、三冊同時に視線を向けて、ぱっと見同じに見える家系図から、的確に変化があった個所をチェックしているようだ。
普段のカイからは想像できないような姿に鬼気迫るものを感じて、リーゼロッテはしばらくその動きを目で追っていた。
不意に「どうかした?」とカイが顔を上げる。リーゼロッテはあわててかぶりを振った。
「いえ、何でもありませんわ」
これ以上邪魔しないようにと、リーゼロッテは今度こそ目の前の貴族年鑑に集中することにした。
再び生家のページに目を落とす。父親も母親も、その絵姿は自分の記憶に残るままだ。
(マルグリット母様は記憶の通りね。イグナーツ父様は銀髪なのね……)
思い出の中の父はいつもモノクロだった。つり気味の瞳は金色のようだ。なんとなく切ない気分になって、リーゼロッテは視線を下にずらした。
そこに自分の名前が載っている。絵姿は髪の毛も生えそろっていないような赤ん坊なので、それが自分と言う実感はない。リーゼロッテ・ラウエンシュタイン。三歳まではそれが自分の名前だった。
(やっぱりしっくりこないっていうか、変な感じね)
そう思いながらページをめくる。今度はアンネマリーの家を探してみた。
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