ふたつ名の令嬢と龍の託宣【全年齢版】

古堂 素央

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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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     ◇
「雪の庭は楽しめましたか?」

 エマニュエルがティーポットを傾けると、立ちのぼった湯気とともに、紅茶の香りがふわりと部屋に広がった。

「はい、とても。ですがジークヴァルト様には寒い思いをさせてしまいましたわ」
「旦那様は普段から鍛えておられますから。何も心配はいりませんわ」

 雪にまみれたジークヴァルトは服を着替えに行った。先に執務室に戻ってきたリーゼロッテを、マテアスは複雑な思いで見つめていた。彼女が主を受け入れてくれさえすれば、自分の憂いのほとんどは瞬時に解消されるに違いない。

「マテアスも寒かったでしょう?」

 エマニュエルが紅茶を差し出してくる。子爵夫人となった姉は、いまだにこうやって人の世話を焼きたがる。
 マテアスはありがたくそれを口に含んだ。ブランデーが落とされているのだろう。独特の風味が鼻腔に広がり、次いで体が温まってくる。

「リーゼロッテ様?」

 戸惑った様子のエマニュエルの声に、マテアスはリーゼロッテへと視線を戻した。同じようにティーカップを手にしたリーゼロッテが顔を赤くして、ゆらりゆらりと円を描くように体を揺らしている。
 カップの中身がこぼれそうでこぼれない。絶妙な動きではあったが、エマニュエルは慌ててそのカップを取り上げた。

「エマ様……エマニュエル様ぁ」

 いきなりリーゼロッテがエマニュエルの胸に抱きついた。子猫のように豊満なその胸に顔を擦り付けている。

「リ、リーゼロッテ様……?」
 戸惑ったようにエマニュエルがその肩を受けとめた。

「エマ様、大好きぃ」

 語尾にハートでもついていそうな口調に、マテアスも何事かと目を見開いた。その目は相変わらずの糸目で開いているかもわからないものではあったが。
 異形が騒いでいる様子もない。リーゼロッテの突然の奇行に、エマニュエルとマテアスは戸惑いながら目を見合わせた。

「リーゼロッテ様、大丈夫でございますか?」

 慌ててマテアスが駆け寄ると、リーゼロッテは赤い顔のままマテアスの顔をじっと見上げてくる。緑の大きな瞳にまじまじと見つめられて、マテアスは一瞬たじろいだ。

「マテアス、マテアスぅ。ねぇ、どうしてマテアスの目はそんなに糸目なの?」

 エマニュエルの胸を離れ、いきなりリーゼロッテがしがみついてきた。襟元を掴んで引っ張りながら、ぐいぐいと押してマテアスをソファの上へと座らせた。その膝に乗り上げるように、リーゼロッテがさらに顔を近づけながら迫ってくる。

「りりりリーゼロッテ様!?」

 こんな場面をあるじに見られでもしたら、この命が危うくなりそうだ。慌てて押し戻そうとするも、思いのほか強い力でリーゼロッテはマテアスの顔にその手を伸ばしてきた。

「ね、マテアス? その目で本当に見えているの? ちゃんと開いてみて? ね? ほら、はやくぅ」

 そう言いながら、小さな指でぐいぐいと糸目のまぶたを押し開こうとする。

「わたしのこの目はすでに全開です! 十分視界は保たれておりますので、これ以上はどうかご勘弁を……!」

 早くしないとジークヴァルトが戻って来てしまう。必死にリーゼロッテを引きはがそうとしていたマテアスの糸目に、部屋の途中で呆然とたたずむ主の姿が映った。

(……終わった)

 さあっと血の気が引いたのは、主の殺気が尋常ではなかったせいだ。どう見ても、ソファの上で押し倒されているのは、この自分の方だ。だが被害者はこちらだと訴えた所で、聞き入れることなど今の主にはできないだろう。

「ヴァルト様?」

 のしかかっていたリーゼロッテが不意に顔を上げた。ジークヴァルトの姿を認めると、マテアスを放りだしてそちらへと一目散に向かっていく。

「ヴァルトさま、ヴァルトさまぁ」

 おぼつかない足取りで、とてとてと進んでいく。瞳を潤ませながら両腕をまっすぐに伸ばして、ジークヴァルトへとリーゼロッテは前のめりに歩いて行った。やってくるリーゼロッテを受け止めようと、ジークヴァルトの両腕が咄嗟に大きく広げられる。

「リーゼロッテお嬢様?」

 その時、驚いたようなエラの声が響いた。部屋に入ってきたエラの姿を認めると、リーゼロッテの行き先が直角に曲げられた。

「エラ! エラ! 大好きぃ!」

 ててててて、と一直線にリーゼロッテはエラの胸に飛び込んだ。エラ、エラ、と甘えるようにしがみついて、ぎゅうと体を抱きしめる。
 両手を広げたままぽつりと取り残されたジークヴァルトの姿が、なんとも周囲の哀れを誘った。

「お嬢様……? もしかして、お酒をお召しになられましたか?」

 そのエラの一言に、一同は驚いたように顔を見合わせた。

 リーゼロッテはソファの上で、ご機嫌そうにいまだエラにしがみついている。その頭をやさしくなでながら、エラは申し訳なさそうな顔を公爵へと向けた。

 ものすごく恨みがましそうな視線を向けられている。婚約者である公爵を差し置いて、身の置き場がなく感じられたが、可愛いリーゼロッテを勝ち取ったことに、心のどこかでエラは優越感を抱いてしまっていた。

「申し訳ございません。ブランデーを紅茶に一滴たらす程度なら大丈夫かと思ってしまい……」

 そう言ってエマニュエルが深々と頭を下げる。

「この場でのことなら問題ないかと思います。それに量も多くないようですし」

 成人を迎えた誕生日に、リーゼロッテは初めてお酒を飲んだ。ダーミッシュの家族の前で酔っぱらったリーゼロッテは、誰彼かまわず抱きつき始めたのだ。

 ダーミッシュ夫妻をはじめ、義弟のルカ、家令のダニエルから料理長にいたるまで、その場にいたありとあらゆる人間に笑顔を振りまき、抱き着いてはその頬に口づけしまくった。その可愛さは悶絶級で、夜会などでこんな状態になったらといたく心配したフーゴによって、リーゼロッテは禁酒令を言い渡された。

 リーゼロッテはいつの間にかエラの膝枕ですやすやと眠っている。考え込むように、ジークヴァルトはその寝顔をじっとみつめていた。

「……旦那様。自室に連れ込んで、リーゼロッテ様に酒を飲ませようなど、不埒なことをお考えになっていないでしょうね?」

 その言葉にジークヴァルトはすいと顔をそらした。そらされた横顔に冷たい視線を送る。

「このマテアス、あえてお止めは致しませんが、リーゼロッテ様が正気に戻られた後に、嫌われる覚悟はしておいてくださいね」

 はっとしてマテアスを振り返る。やはりまるで後先を考えていなかった様子だ。リーゼロッテを前にすると、主の判断能力は三歳児以下となり下がる。

 迫りくる身の危険を知らぬまま、リーゼロッテの寝顔は限りなく平和そうだ。

 自分の憂いが晴れる日は、果たしていつやってくるのだろうか。こめかみに手を当てて、マテアスは大きくため息をついた。





【次回予告】
 はーい、わたしリーゼロッテ。アンネマリーのお茶会に招待されたわたしは、ジークヴァルト様とともに王城へ。王太子妃が板についてきたアンネマリーがとてもまぶしくて……。王子殿下と並ぶ姿にもう感激です!
 次回、3章 第2話「茶会の攻防」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
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