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第九章

通りすがりのシスター

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「いやー。スタイリッシュに着地しようとしたとこになんか白いねばねばが飛んできてこの有様よ」
 
 全身に水を浴びながらトニーは自分の災難を自慢げに語り出した。

「ったく…!なーんであたしがこいつを洗わにゃなんないのよ!」 

 蜘蛛の糸まみれをトニーの身体に『アクア』をかけたビオラはぶつくさ言いながら彼の身体にブラシをかけた。ちなみに、『アクア』は魔力を最小にして唱えたのでダメージはほとんどない。
「しかもこの糸、粘りが強くて取りづらいったらありゃしないわ!」
「ま、まぁ、セアカウィドウの糸はアイテムの素材に使われるほど粘りも強度も強いですからね…」
 そう言いながらアズキはセアカウィドウの亡骸から糸を回収していた。

「ご、ごめんね。近くに川や池があればよかったんだけど…」
 苦笑しながらリエルは謝罪した。
「おいおい。洗うのはいいけどお湯とか出せねぇのか?こんな冷たい水じゃあ風邪ひいちまうぜ」
「うるせぇ!糸ごと丸焼きにしたろか!」
 ねっとりとした口調で文句をつけるトニーにビオラは激昂した。

「そ、それにしてもここはどこなのかしら?」
 周囲の風景を見ながらリエルは話題を変えた。
「本当にレイニィ諸島に着いたんでしょうか?それにしてはなんか見覚えが――あ!」
 アズキは近くに看板が立てられているのを発見した。近づいて読んでみるとそこには『ズアーの森入り口。セアカウィドウに注意!』と蜘蛛のイラスト付きの警告文が書かれていた。

「…ズアーの森…ということはここはアカフク地方?」
 アカフク出身であるアズキにとって聞き覚えのある地名であった。
「はあぁっ!?アカフクってことはクラウディ大陸じゃないの!」
「プギャ!」
 事実を知ったビオラは思わずブラシをトニーの身体に叩き付けた。特に意味のない暴力がトニーを襲った。
「なんか早く落下したなとは思ったけど…思ったより飛距離が短かったのね…」
 リエルは鞄から地図を取り出し、現在地を確認した。
「くそっ!あんのデクノボウ!何が画期的な発明よ!戻ったら慰謝料ふんだくってやるんだから!」
「同感だな。ついでに俺の慰謝料払ってくれ」
 ビオラの文句にトニーは相槌を打った。
「ま、まぁまぁ。一気にクラウディ大陸まで来れただけでもかなり近道できたと思うし…」
「そ、そうですよ。幸い、アカフクの地理は僕だいたい知ってますし、ひとまずは近くの街を目指しましょう?」
 リエルとアズキはビオラをなだめるように声をかけた。
「はぁ…それもそうね」
 溜息をつきながらもビオラは蜘蛛の糸を取り終えた。
「よし、あとは拭くだけね」
 ビオラはリエルからタオルをもらおうとトニーに目を向けたまま右手を伸ばした。
「どうぞ」
「サンキュー…って?」
 聞き覚えのない声の主からタオルを受け取ったビオラは伸ばした手の方向に目を向けた。そこには左肩に鞄をかけた隻腕のシスターが佇んでいた。

「…誰?」

 思わぬ人物を目の当たりにしたビオラは目を丸くした。近くにいるリエルとアズキも似たような表情をしているところから見るにどうやら誰も知らない人物のようであった。

「…あ。差し出がましいことをしてすみません」
 シスターはぺこりと頭を下げた。
「あ、いや!いいのよ。ちょうどほしかったんだから」
「ありがとうございます。それより、あなたは?」
 ビオラの代わりに礼を述べたリエルはシスターに名を尋ねた。
「申し遅れました。私はフェリシア。通りすがりのシスターです」
 左手を胸に当て、シスターはフェリシアと名乗った。
「通りすがりって…こんな森に一人で?」
「はい…旅の途中でして…」
 フェリシアは静かに頷きながら答えた。
「旅…?そんな装備で…?」
 ビオラは首を傾げた。彼女が持つ鞄は自分達が携行しているものよりも小さく、武器らしいものも持ち合わせていない。一人で魔物が現れる森を歩くにはあまりにも心もとない雰囲気であった。
 そして何より、シスターは右腕がない。片腕だけで彼女は旅をしているのだ。

「皆さまは…どちらから来られたのですか?」
 ビオラの疑問が晴れぬうちにフェリシアは三人に尋ねた。
「私達はファイン大陸からレイニィ諸島に向かう途中なんです」
 トニーをタオルでごしごしと拭きながらリエルが答えた。
「レイニィ諸島に…?ずいぶん長旅ですね」
「そうでもないわよ。どこぞのバカドワーフのおかげでショートカットできたところだからね」
 ビオラは肩を竦めた。
「よし…と。タオルありがとうございました。今乾かしますので…」
 トニーを拭き終えたリエルはタオルを絞って広げ、フェリシアに返却する前に火を起こしてタオルをトニーと一緒に乾かそうとした。
「あ、いえ。それはあなた方に差し上げます」
「え?でも…」
「いいんです。そのぐらいは……?」
 何かに気づいたフェリシアはリエルのじっと顔を見つめた。

「…あの?どうしました?」

「…あ!な…なんでもありません……失礼ですが、お名前は?」
 リエルの声を聞いて我に返ったフェリシアは首を横に振り、名を尋ねた。
「私はリエル。リエル・アーランドです」
「リエルさんですか…その出で立ち、もしかして勇者ですか?」
「ま、まさか!私なんてまだまだ半人前の冒険者ですよ!勇者だなんて…」
 唐突な質問にリエルは手を振りながら否定した。
「そうよ。こいつはやたらとクエストを引き受けて道草くったり、金にならないトラブルに自分から首突っ込んで怪我するようなお人よしバカよ」
「ちょ、ちょっとビオラ!」
 横からビオラが茶々を入れてきた。
「まぁ…その…勇者目指して頑張ってはいますけど…」
 リエルは顔を赤くして頬を指でかいた。
「いえ…その姿勢はご立派だと思います。私なんかよりも…」
 フェリシアは視線を下げ、消え入るような口調で答えた。
「では、私はこれで…よい旅を…」
 そう言ってフェリシアは頭を下げてそっと立ち去って行った。

「…行っちゃったね」
「なんだったんでしょうか?あの人…」
 ビオラとアズキはそう言いながらシスターの背中を見送った。

「わからない…でも、なんだか悲しそうな顔をしていた気がする…それに…」
 リエルはシスターの去り際の言葉を思い返した。『聖なる女神、パルティア様のご加護があらんことを』。パルティア教会に属する神父やシスターが必ず口にする言葉、フェリシアの口からはそれが出なかったのだ。たまたまかもしれないが、リエルにはそれがなぜか気にかかった。

「こんな森を一人で大丈夫かしら?」
「そうですね。右腕がなかったみたいですけど…」
「うーん…まあ、考えても仕方ない。とにかく森を出ましょう」
 思考を止め、リエルは丁寧にたたんだタオルを鞄にしまった。
 
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