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第九章

圧倒

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「おわぁ!」

 突然の襲撃をビオラは反射的に杖で受け止めた。相手が振り下ろしたのが木刀で幸いであった。もしこれが真剣であったらビオラの身体は杖ごと真っ二つにされていたであろう。

「お…おもぉ…」

 しびれるような衝撃が杖ごしに伝わる重い一撃であった。初撃を防がれた女性は一歩飛び退き、木刀を構えなおした。
 純白の道着と真紅の袴を身に纏い、長い黒髪を結った妙齢の女性は突き刺すような視線でリエル達を睨み付けた。

「ちょ…何なのアンタ!」
「下がってビオラ!」
 女性に食って掛かるビオラの前にリエルが進み出た。彼女の背中に隠れたビオラは一歩下がり、敵から距離を取った。

「よもや私の留守を狙ってくるとは…あの伯爵らしいやり方だな!」
「…伯爵?」

 女性は年季の入った木刀の刃先をリエルに突き付けた。リエルは彼女の言葉の意味が気になったが、その鋭い目つきと油断ならない闘気がリエルの思考を妨害した。

「だが…何度来ようともこの道場は渡さぬ!」

 そう言い終えた女性は鋭い突きを繰り出した。防ぎきれないと判断したリエルは右に大きく飛んで回避した。

「くっ…!」

 凄まじい風圧にリエルは歯を食いしばった。暴風のごときその風圧は部屋全体にまで行き届き、トニーは畳の上に転がった。
 リエルは折れた聖剣を手に取り、光の刃を纏わせた。これほどの大技ならば多少なりとも隙が生じるはず。そう考えた彼女は聖剣を構え女性の背後を捉えた。
 しかし、それを見抜いていたかのように女性は素早く身体を回し、リエルの剣撃を最低限の動きで回避した。

「はあぁっ!」

 女性は下段から木刀を振り上げ、リエルの右手に打ち込んだ。

「ぐぅっ!」

 その衝撃によって、リエルの手から折れた聖剣が勢いよく弾き飛ばされた。持ち主から離れた聖剣は光の刃を失い、畳の上に転がり落ちた。

「しまっ…!」

 聖剣を失ったリエルは思わず視線を正面から反らしてしまった。当然、その隙を女性が見逃すわけがない。女性は左手でリエルの胸ぐらを掴み、畳の上に思いきり叩き付けた。

「がはっ!」

 強い衝撃を受け、リエルは息を詰まらせた。片膝をついて胸元を抑えつける女性の力は強く、起き上がることもままならなかった。

「リエル!」
 仲間を援護すべくビオラは杖を女性に向けた。

「こいつ!『フリーズ』!」
 杖の先から二つの氷塊が女性目掛けて発射された。女性はそちらに目をやることなく、右手の木刀を振り上げて飛んできた氷塊を一度に切り払った。

「ウッソでしょ!?」

 信じられぬ光景を目にしたビオラは一オクターブ高い驚きの声をあげた。女性は何事もなかったかのようにリエルを抑えつけながら木刀を彼女の鼻先に突き付けた。

「ここまでだ…!」
 女性はとどめを刺すと言わんばかりに目を細めた。その鋭い視線にさらされたリエルは背筋を凍り付かせた。

「ちょ…ちょっと待ってください!」

 その場を動くことなくアズキは女性に声をかけた。正確に言うと、女性の威圧感に圧されて彼女はその場を動くことができなかった。

「なんだ?」
 女性は視線をリエルに向けたまま応答した。
「その…事情はよく分かりませんけど…僕達はその『伯爵』とは無関係です!」
「何?」
「そ…そうよ!あたし達は道に迷っただけの冒険者よ!顔見りゃわかんでしょうが!」
「どんな顔だよ」
 畳に寝転がったままトニーはビオラにツッコミを入れた。
 アズキ達の声を聞いた女性はリエルの顔をまじまじと注視した。耳が隠れる程度の長さの栗色の髪と剣士にしてはどこか柔和な青色の瞳を持つあどけなさを感じる少女の顔つきであった。

「…言われてみればそうだな」

 木刀をひいた女性はリエルの胸元から手を離し、ゆっくりと立ち上がった。

「納得すんの早!」

 あっさりと引いた女性に対し、ビオラは拍子抜けした。
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