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カウンターだけの小さな居酒屋を始めて3年。常連の今井さんが珍しく酔っぱらっている。
どうする? どうする?
酔っている時を狙うなんて良くない。でも今日がチャンスなんだ。
弟さんの昇進と妹さんの結婚で、毒親の親代わりをしてきた今井さんはいつもより酒が進んでいた。
「あ、もう閉店ですよね」
飲み干そうとしたグラスを掴んで押さえる。
「今日は特別です。二人で飲みましょうよ。
看板しまってきますね」
コードを看板に巻き付けるごとに自分に言い聞かせる。
今日の今井さんは複雑な心境。
今井さんは酔っぱらっている。
閉めた店の中っていうのは今井さんにとっては完全にアウェーな状況。
ここで押し倒したらとことんクズだ。3年かけて築いた信頼が一瞬で崩れる。
深呼吸してから店に入っていつも通りの声を作る。
「淋しくなりますが、これからは趣味の時間とかも増やせそうですね」
『その時間を少しでもいいから俺に』まではまだ言わない方がいいか。
「とりあえずはむしろ式の準備で忙しくなるからその後ですね。実家と会社の往復でしばらくはここにも来られないかもしれません」
今井さんがテーブルに伏せた。
「だからもしもダメならその間に忘れられるから言わせて下さい」
今井さんの背中に力が入るのが分かる。
「好きです。
最初はちょうど帰り道にあるってだけだったのに、ポンさんに会えないと一日が物足りなくなって。
名前で呼んでる人を見るとモヤモヤっていうかムカムカするんです。
気持ち悪いって思うならそう言って下さい。これからの忙しさで忘れられるしもう来るなって言うならそうするから大丈夫です」
俺は前に働いていた居酒屋で「ぽん酒が好きな本田」ということでポンさんと呼ばれていた。本田も和樹ももう一人ずついたから。
ここに来てくれるのはその頃の仲間やお客さんが多いだけで、むしろ普通に名前で呼ばれることの方が多いんだよな。
……え、俺いま告白されてるの!?
俺たちって両想いだったの!?
どうしよう。嬉し過ぎて抑えが効かない。明日から今井さんは地元に帰ってしまう。その前に1回だけキスだけでもなんて考えてしまうのは俺の体だけ、更に言うなら体の一部だけであって
「変なこと言ってごめんなさい」
顔を上げずに立ち上がって帰ろうとする今井さんの手を慌てて掴んだ。
「嬉し過ぎて返事するのを忘れてました」
顔を上げた今井さんの目がなんとも言えない温度で潤んでいる。
「『これからできる時間の少しでもいいから俺に下さい』って言うのは今井さんが落ち着いてからって必死に言い聞かせていたんですよ」
掴んでいる手から帰ろうとする力が完全になくなったから、手を離してカウンターの向こうに回る。
今井さんが俯いて勇気をふり絞るようにたどたどしく声を絞り出す。
「こっちを出るのは昼前なんです。だから……」
俺はたまらず今井さんを抱きしめた。そのまますぐ近くにある耳にしか聞こえない声で伝える。
「バックヤードに」
今井さんの体が小さくゆっくりビクンとなる。
「はい」
今井さんの両腕が俺の腋を通って後ろから肩甲骨に添えられた。しばらく温もりを味わってから、どちらからともなくバックヤードに向かう。
バックヤードは2畳ほどのスペースにソファとハンガーラックがあるだけで、厨房とは暖簾で仕切られているだけ。
いつも色んな人が出入りする場所から丸見えなことも、すぐ近くを走る電車の音で空間が遮られてるように感じることも、裏口の擦りガラスから差し込む駅裏独特のネオンも、いつも通りの全部がいつもと違うように感じて興奮する。研ぎ澄まされるような蕩けるような不思議な気分だった。
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