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碧眼の魔性
第三話 追手
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虫車で町中を通る時はどいてくれと声をかけながら進むのが普通だ。しかしこの男は、シャディーンとか言ったか。シャディーンは黙ったまま進んでいく。おかげでペギーとマギーがその辺の人の尻に突っ込んでいく。牙は丸めてあるからいいが、うちの虫車って事は知ってるやつが見たら分かる。評判が悪くなっちまうぜ。
「すまない! どいてくれー! 車が通る。道を開けてくれー」
変わりに俺が声を張り上げる。道が少し開いて、御者台のシャディーンは知らぬ顔で加速する。
「おいあんた! そういや聞いてなかったがよ、名は何だ」
シャディーンは前を向いたまま答える。
「何の関係がある。お前は警護だけしていればいい」
「避けろだの逃げろだの言う時に不便だろうが。男と女でよけりゃそうするぜ」
「……俺はシャディーン。中にいるのはタナーンだ」
「そうかい、名前が聞けてよかったぜ。短い道中だがよろしくな」
声をかけるがシャディーンはうんともすんとも言わない。そうかい、分かったよ。なんだか知らないが、話しかけるなってことらしい。
俺も別に無理に仲良くしたいわけじゃない。諦めて台の上で警護を始めることにした。確かにこの上だと見晴らしがいい。
知っている顔がたまにいる。さっきのトンボのおっさんもいた。もしこの中に追手とやらがいても、とても見つけられそうにない。
「追手がいると言ったな? 人相は?」
「黒くて丸い面をかぶっている。見れば分かるはずだ」
「面ね……」
収穫祭前だからハラビーの面を売ってる店もある。ハラビーは農耕の神で、こいつの面をかぶって食い物をばらまく儀式をやったりする。他にも麦や鳥や虫の仮装をするやつもいるが、黒い面の奴はいない。話ではまだ遠くにいるらしいので、その辺にはいないことを祈るばかりだ。
特別市の辺りを抜けると人も減ってくる。このまま通りを進んで、道なりに東に進む。そのうちセム川にぶつかるから、川に沿って上流へ行けばいい。延々と森を進めばそのうち岩の台地に突き当たって、その辺がカドホックだ。
虫車は軽快に進んでいく。ペギーとマギーは長い付き合いで、お互いの歩調に合わせて進んでくれる。とは言え慣れないやつが手綱を握ると調子が狂う。このシャディーンは、虫の操縦が結構手慣れているようだ。
やがて街を抜けて街道を進む。東にあるタルークまでは道がしっかりしているが、カドホックはその先の細い道を進むことになる。虫車だとちょっと狭い。それにこれから夜になる。発光機は持ってきたが、足元が怪しくなる。虫は人間と違って真っ暗でも多少見えるらしいが、ペギーとマギーに頼るしかない。
日が沈み、随分長い時間が経った。月の高さからすると、もう二十二時か二十三時だ。行程の七割、カドホックまではあと十五タルターフくらいだろう。
途中に虫のために二回小休止を挟んだが、それ以外はずっと走り通しだ。シャディーンもタナーンも、まるで修行僧のように一言も口を利かなかった。
辺りは真っ暗だ。明かりと言えば虫車の前に吊るしてある発光機くらいのもので、月も細いから周囲の状況はわからない。森の中に青い光が点々と見えるが、あれは機械樹か虫だろう。赤だとやばいが、青ならさほど警戒する必要もない。
(良かった。このまま何事もなく終わりそうだな……)
追手だなんだと言われてびびらされたが、大したことなくてよかった。スリングの球をたくさんもらったので、その分得したくらいだ。念の為に持ってきたナイフも使わずに済みそうだ。
そう思った矢先、かなり前方に赤い光が見えた。虫の赤い目? それ以外に思い当たるものがない。
「止まれ。前方に赤い光だ」
「何?」
ペギーとマギーが減速し五ターフ程で止まる。
「光を消せ」
言うとシャディーンが光を消した。辺りはいよいよ暗くなる。
前方の赤い光は二つで、両目という事だろう。一匹だ。何の虫だ? 機械樹の周りで蜜争いしてるんならともかく、こんな道の真ん中で、しかも赤の警戒色とは。
ひょっとして、追手か。周囲を見るが、今のところは正面だけだ。
「おい、追手は虫を使うんだって?」
「そうだ。恐らくだが」
「何の虫だ」
「分からん。恐らく中型……気性の荒いやつだ」
気性の荒いやつ……最悪なのはビートルやスタッグだ。中型のサイズでも俺一人じゃ捌ききれない。しかしそんな奴らを操れるわけがない。
ペギーとマギーは元々大人しいオサムシで、その中でも気立ての良いやつを人に慣れるように育てたから言うことを聞く。気性の荒いビートルなんざ、ひっくり返ったって育てるのは無理だ。
虫を操る? 闘虫では捕まえた虫を同じ檻に入れて闘わせるが、それは操ってるんじゃなく、たまたま目の前にいる別の虫に怒って攻撃を仕掛けているだけだ。
捕まえてその辺に放り出したって、そんなのはどこに行くかわからない。ひょっとすると自分の方に向かってくるくらいだ。
だが目の前に赤い目をした虫がいるのは事実だ。追手かどうかは別として、このまま進めばぶちあたる。それに赤い目は動いて段々こっちに近づいてくる。
足音が聞こえる。結構早い。まずいぞ。先手を取られる。
「逃げられるように虫車を反転させろ。逃げながら相手をする」
「分かった」
道の左右は少し高くなっており、その先は森が広がっている。相手の虫がなんであれ、すれ違うには狭すぎる。森に入ったら虫車はつっかえてしまうし、反転して逃げるしかない。片付けなければ前に進むことはできない。
赤い目の虫が近づいてくる。ガチガチ。音がする。何だ? 聞いたことがある。足音じゃない。装甲のぶつかり合う音でもない。これは――。
「顎虫……くそ、最悪だぜ」
なるほど。中型で気性が荒い。特に荒い危険な虫だ。
「何の虫か分かったのか?」
「顎虫だ! 早く反転して距離を取れ! 凍結させて動きを止める!」
「今やってる!」
ガチャガチャと虫が足を動かしちょっとずつ反転していく。横歩きは苦手なので、どうしても時間がかかる。だがケツをひっぱたいてでも今は急がせたい。
顎虫。それは俺の知る限り一番危険な虫だ。強さで言えば他の虫だが、厄介さで言えばこいつだ。
一度狙ったらたとえ手足がもがれようと、腹に穴が開こうと、顎虫は攻撃をやめない。頭だけになっても襲ってくるだろう。普通の虫なら威嚇すれば逃げることもあるが、顎虫は絶対に逃げない。それどころか積極的に襲ってくる。殺そうとしても装甲は硬いし、みっしりとした体は関節の隙間も細く狙いづらい。そして電気と熱に強く、凍結でしか動きを止められない。
同じサイズのオサムシなら二本の矢で仕留められるところを、四人掛かりで二十本も矢を撃ってようやく仕留めたという話も聞く。しかもそのうち一人は脚を噛み砕かれたらしい。奴らの牙は、人体なぞ小枝のように簡単に砕き引き千切ってしまう。
姿は見えないが、あのガチガチした音は、顎虫の牙の音に違いない。
虫車の台の上で回転に合わせて動く。顎虫はもう十ターフだ。俺は凍結の球を取り出してスリングに番える。
赤い光を狙う。頭部の位置と移動速度を想定し、頭を狙って撃つ。
弾着。赤い光にぶつかり、白い閃光が広がって周囲の空間が超低温にさらされる。だが顎虫はまだ止まらない。少しよたついて、しかしまた歩き始めた。
「もう一発かよ。いいぜ、球はいっぱい持ってきたからな」
「後ろからも来るぞ!」
シャディーンの声が聞こえ、後方に走っていた虫車が止まる。後ろからだと?
振り返ると後ろにも赤い目がある。森から出てきたようだ。こいつも顎虫か?
確認している暇はない。全部、敵だ。俺は凍結球で新しく出てきた虫を撃った。
「シャディーン! もう一度反転して前に進め! 進みながら相手をするしかない! 虫車を止めるな!」
「分かった!」
ガチャガチャと虫車が反転する。その間にも更に左右から一頭ずつ虫が出てきた。どいつもこいつも目が赤い。どう考えてもおかしい。何故俺たちを狙う? まるで本当に虫を操ってるかのようだ。信じられない。
近づいてくる奴に次々に凍結球を当てていく。一発では効きが浅いが、脚は遅くなる。これなら一応逃げられそうだ。
「逃しはしないぞ、シャディーン。裏切り者め!」
前方から声が聞こえた。新しい虫の光。それに……何だ? 虫にまたがっているのか?
「ジョン! 貴様……お前にあの子は渡さんぞ! やれ、ウルクス! 奴が追手だ!」
言われるまでもなく、俺はスリングに帯電球を番えていた。人間相手ならこれが一番だ。
人影に向かって撃つ。しかし、金属を弾く音がして不発に終わった。外した? そう思った瞬間に次の球を撃つ。しかし、それも不発。この暗闇の中で、奴は球を正確に弾き飛ばしている。
「どういう目をしてるんだよ、くそっ!」
もう一発撃つ。しかし無駄だった。虫車は前進し、向こうもこっちに進んでくる。もうじきぶつかる。
「だったらこっちだ!」
俺は人影を狙うのをやめ、前方の地面を狙った。地面に当たり起動、虫と人影に雷が走る。
「ぐっ、おのれっ!」
顎虫は動きを止めないが僅かに足が止まって、乗っていた奴は地面に放り出される。
「小癪な虫狩り風情が! シャディーン諸共に死ね!」
人影が動き、白い光が見えた。何かをしようとしている。
「いかん、ストライカーだ! 伏せろ!」
シャディーンの声が聞こえ、直後、光と衝撃が俺たちを襲った。
体が吹っ飛び、俺は地面に叩きつけられた。腹を打ち……くそ、痺れて呼吸がうまくできない。
「……ろ! ぁ……ね!」
頭の中に音が響き、まともに聞き取れなかった。しかしタナーンの声のように思えた。
俺は口から反吐を垂らしながら虫車の台に捕まって起き上がる。周囲には顎虫。凍りかかって動きは遅いが、まだ止まってるわけじゃない。
幸い、スリングは手首にかけたストラップのおかげで無くしていなかった。俺はポケットから何でもいいから球を取り出し、一番近い顎虫に向かって撃つ。
赤い炎が広がり、顎虫が衝撃でひっくり返る。いいぞ。こいつらは体が平たいので起き上がるのが下手だ。
「くたばれ! シャディーン、しっかりして!」
タナーンの声が聞こえた。そして爆音。近くで爆雷の球を使ったような音だ。
それはタナーンが持っている機械から発せられていた。音だけじゃない。先端から何かを撃ち出している。矢でも球でもない。青白い炎のような塊だ。
荷台の幌は屋根が吹っ飛び、四隅の柱がかろうじて残っているだけだった。御者台の後ろはすっかり風通しが良くなっており、タナーンはそこで御者台に身を隠しながら、前方に向かって何かを撃ち出していた。また爆音。タナーンは反動で倒れそうになりながら、何度も撃っている。
シャディーンはと言うと、壊れた御者台から荷台の方に上半身が倒れ込んでいた。
「シャディーン! 生きてるか!」
「生きてはいる。まだ気を失ってる!」
言いながらタナーンはまた何かを撃つ。何を撃ってるんだ? 顎虫か?
「あの男を近づかせないで!」
「あの男?」
さっきのあいつが、黒い面の男か。暗くて分からんが、そうに違いない。
俺は帯電球を取ってスリングに番える。奴を探そうと顔を上げた瞬間、また衝撃が起こり吹っ飛ばされた。
今度はさっきよりましだった。背中から落ちたが、痛いがまだ動ける。跳ね起きて荷台の向こうにスリングを撃つ。
「ぬあっ!」
男の声が聞こえた。帯電の雷撃を受けて後ろに逃げる。
待てよ? なんでそんなに動けるんだ。よほどの大男でも一時間は動けなくなる。なのに奴は元気に飛び跳ねてる。当たりが浅かったか?
俺は荷台に乗ってシャディーンを揺り動かす。
「起きろ! 死んじまうぞ! 虫車を出せ、早く!」
「う……あ……ああ、分かった!」
シャディーンは起き上がり手綱を引くが、オサムシの一匹が顎虫と戦っていた。なんてことだ。顔を半分潰されてる。右側の奴だからペギーだ。
俺は凍結でペギーごと顎虫を撃つ。二体は塊になって地面に倒れこみ、通り道ができる。
「手綱を切れ! そいつは捨てて一頭で行くぞ!」
「あぁ……」
弱々しくシャディーンは答え、言われたように手綱を片方解く。そして虫車は動き出す。
すまない、ペギー。俺たちはお前を見捨てるしかない。帰ったら墓は立ててやる。
一頭になった虫車だったが、荷台が壊れた分軽くなっており、速度はさほど変わらなかった。マギーの目が少し赤っぽい。当然だ。こんなに周りに顎虫がいて、ペギーもやられたんだ。まだ制御は効くようだが、これ以上興奮するとマギーも言うことを聞かなくなる。そうなると終わりだ。さっさと逃げないと。
前方の顎虫は凍結で動けなくなってる。後ろにはまだいるが、この様子なら振り切れる。
問題はあの男だ。闇に目が慣れてきたが、こうまで暗いと人影は分からない。あいつもタナーンと同じように危険な武器を持っているようだ。荷台の次に吹っ飛ぶのは俺か? まっぴら御免だ。
「……おい、なんだこりゃ」
ふと下を見ると、木箱が割れていた。蓋が外れて、中が見えている。内側はうっすらと光っており、何かの機械が入っているのが見えた。
丸みを帯びた細長い金属……巨大な筒のように見える。そして上面の一部がガラスになっており、そこから内側が見えた。
子供。
鼻と口に管を繋がれた子供が、筒の中で眠っていた。
「何なんだよ、これ……」
俺は周囲の警戒も忘れ、その子供の顔を見つめていた。
「すまない! どいてくれー! 車が通る。道を開けてくれー」
変わりに俺が声を張り上げる。道が少し開いて、御者台のシャディーンは知らぬ顔で加速する。
「おいあんた! そういや聞いてなかったがよ、名は何だ」
シャディーンは前を向いたまま答える。
「何の関係がある。お前は警護だけしていればいい」
「避けろだの逃げろだの言う時に不便だろうが。男と女でよけりゃそうするぜ」
「……俺はシャディーン。中にいるのはタナーンだ」
「そうかい、名前が聞けてよかったぜ。短い道中だがよろしくな」
声をかけるがシャディーンはうんともすんとも言わない。そうかい、分かったよ。なんだか知らないが、話しかけるなってことらしい。
俺も別に無理に仲良くしたいわけじゃない。諦めて台の上で警護を始めることにした。確かにこの上だと見晴らしがいい。
知っている顔がたまにいる。さっきのトンボのおっさんもいた。もしこの中に追手とやらがいても、とても見つけられそうにない。
「追手がいると言ったな? 人相は?」
「黒くて丸い面をかぶっている。見れば分かるはずだ」
「面ね……」
収穫祭前だからハラビーの面を売ってる店もある。ハラビーは農耕の神で、こいつの面をかぶって食い物をばらまく儀式をやったりする。他にも麦や鳥や虫の仮装をするやつもいるが、黒い面の奴はいない。話ではまだ遠くにいるらしいので、その辺にはいないことを祈るばかりだ。
特別市の辺りを抜けると人も減ってくる。このまま通りを進んで、道なりに東に進む。そのうちセム川にぶつかるから、川に沿って上流へ行けばいい。延々と森を進めばそのうち岩の台地に突き当たって、その辺がカドホックだ。
虫車は軽快に進んでいく。ペギーとマギーは長い付き合いで、お互いの歩調に合わせて進んでくれる。とは言え慣れないやつが手綱を握ると調子が狂う。このシャディーンは、虫の操縦が結構手慣れているようだ。
やがて街を抜けて街道を進む。東にあるタルークまでは道がしっかりしているが、カドホックはその先の細い道を進むことになる。虫車だとちょっと狭い。それにこれから夜になる。発光機は持ってきたが、足元が怪しくなる。虫は人間と違って真っ暗でも多少見えるらしいが、ペギーとマギーに頼るしかない。
日が沈み、随分長い時間が経った。月の高さからすると、もう二十二時か二十三時だ。行程の七割、カドホックまではあと十五タルターフくらいだろう。
途中に虫のために二回小休止を挟んだが、それ以外はずっと走り通しだ。シャディーンもタナーンも、まるで修行僧のように一言も口を利かなかった。
辺りは真っ暗だ。明かりと言えば虫車の前に吊るしてある発光機くらいのもので、月も細いから周囲の状況はわからない。森の中に青い光が点々と見えるが、あれは機械樹か虫だろう。赤だとやばいが、青ならさほど警戒する必要もない。
(良かった。このまま何事もなく終わりそうだな……)
追手だなんだと言われてびびらされたが、大したことなくてよかった。スリングの球をたくさんもらったので、その分得したくらいだ。念の為に持ってきたナイフも使わずに済みそうだ。
そう思った矢先、かなり前方に赤い光が見えた。虫の赤い目? それ以外に思い当たるものがない。
「止まれ。前方に赤い光だ」
「何?」
ペギーとマギーが減速し五ターフ程で止まる。
「光を消せ」
言うとシャディーンが光を消した。辺りはいよいよ暗くなる。
前方の赤い光は二つで、両目という事だろう。一匹だ。何の虫だ? 機械樹の周りで蜜争いしてるんならともかく、こんな道の真ん中で、しかも赤の警戒色とは。
ひょっとして、追手か。周囲を見るが、今のところは正面だけだ。
「おい、追手は虫を使うんだって?」
「そうだ。恐らくだが」
「何の虫だ」
「分からん。恐らく中型……気性の荒いやつだ」
気性の荒いやつ……最悪なのはビートルやスタッグだ。中型のサイズでも俺一人じゃ捌ききれない。しかしそんな奴らを操れるわけがない。
ペギーとマギーは元々大人しいオサムシで、その中でも気立ての良いやつを人に慣れるように育てたから言うことを聞く。気性の荒いビートルなんざ、ひっくり返ったって育てるのは無理だ。
虫を操る? 闘虫では捕まえた虫を同じ檻に入れて闘わせるが、それは操ってるんじゃなく、たまたま目の前にいる別の虫に怒って攻撃を仕掛けているだけだ。
捕まえてその辺に放り出したって、そんなのはどこに行くかわからない。ひょっとすると自分の方に向かってくるくらいだ。
だが目の前に赤い目をした虫がいるのは事実だ。追手かどうかは別として、このまま進めばぶちあたる。それに赤い目は動いて段々こっちに近づいてくる。
足音が聞こえる。結構早い。まずいぞ。先手を取られる。
「逃げられるように虫車を反転させろ。逃げながら相手をする」
「分かった」
道の左右は少し高くなっており、その先は森が広がっている。相手の虫がなんであれ、すれ違うには狭すぎる。森に入ったら虫車はつっかえてしまうし、反転して逃げるしかない。片付けなければ前に進むことはできない。
赤い目の虫が近づいてくる。ガチガチ。音がする。何だ? 聞いたことがある。足音じゃない。装甲のぶつかり合う音でもない。これは――。
「顎虫……くそ、最悪だぜ」
なるほど。中型で気性が荒い。特に荒い危険な虫だ。
「何の虫か分かったのか?」
「顎虫だ! 早く反転して距離を取れ! 凍結させて動きを止める!」
「今やってる!」
ガチャガチャと虫が足を動かしちょっとずつ反転していく。横歩きは苦手なので、どうしても時間がかかる。だがケツをひっぱたいてでも今は急がせたい。
顎虫。それは俺の知る限り一番危険な虫だ。強さで言えば他の虫だが、厄介さで言えばこいつだ。
一度狙ったらたとえ手足がもがれようと、腹に穴が開こうと、顎虫は攻撃をやめない。頭だけになっても襲ってくるだろう。普通の虫なら威嚇すれば逃げることもあるが、顎虫は絶対に逃げない。それどころか積極的に襲ってくる。殺そうとしても装甲は硬いし、みっしりとした体は関節の隙間も細く狙いづらい。そして電気と熱に強く、凍結でしか動きを止められない。
同じサイズのオサムシなら二本の矢で仕留められるところを、四人掛かりで二十本も矢を撃ってようやく仕留めたという話も聞く。しかもそのうち一人は脚を噛み砕かれたらしい。奴らの牙は、人体なぞ小枝のように簡単に砕き引き千切ってしまう。
姿は見えないが、あのガチガチした音は、顎虫の牙の音に違いない。
虫車の台の上で回転に合わせて動く。顎虫はもう十ターフだ。俺は凍結の球を取り出してスリングに番える。
赤い光を狙う。頭部の位置と移動速度を想定し、頭を狙って撃つ。
弾着。赤い光にぶつかり、白い閃光が広がって周囲の空間が超低温にさらされる。だが顎虫はまだ止まらない。少しよたついて、しかしまた歩き始めた。
「もう一発かよ。いいぜ、球はいっぱい持ってきたからな」
「後ろからも来るぞ!」
シャディーンの声が聞こえ、後方に走っていた虫車が止まる。後ろからだと?
振り返ると後ろにも赤い目がある。森から出てきたようだ。こいつも顎虫か?
確認している暇はない。全部、敵だ。俺は凍結球で新しく出てきた虫を撃った。
「シャディーン! もう一度反転して前に進め! 進みながら相手をするしかない! 虫車を止めるな!」
「分かった!」
ガチャガチャと虫車が反転する。その間にも更に左右から一頭ずつ虫が出てきた。どいつもこいつも目が赤い。どう考えてもおかしい。何故俺たちを狙う? まるで本当に虫を操ってるかのようだ。信じられない。
近づいてくる奴に次々に凍結球を当てていく。一発では効きが浅いが、脚は遅くなる。これなら一応逃げられそうだ。
「逃しはしないぞ、シャディーン。裏切り者め!」
前方から声が聞こえた。新しい虫の光。それに……何だ? 虫にまたがっているのか?
「ジョン! 貴様……お前にあの子は渡さんぞ! やれ、ウルクス! 奴が追手だ!」
言われるまでもなく、俺はスリングに帯電球を番えていた。人間相手ならこれが一番だ。
人影に向かって撃つ。しかし、金属を弾く音がして不発に終わった。外した? そう思った瞬間に次の球を撃つ。しかし、それも不発。この暗闇の中で、奴は球を正確に弾き飛ばしている。
「どういう目をしてるんだよ、くそっ!」
もう一発撃つ。しかし無駄だった。虫車は前進し、向こうもこっちに進んでくる。もうじきぶつかる。
「だったらこっちだ!」
俺は人影を狙うのをやめ、前方の地面を狙った。地面に当たり起動、虫と人影に雷が走る。
「ぐっ、おのれっ!」
顎虫は動きを止めないが僅かに足が止まって、乗っていた奴は地面に放り出される。
「小癪な虫狩り風情が! シャディーン諸共に死ね!」
人影が動き、白い光が見えた。何かをしようとしている。
「いかん、ストライカーだ! 伏せろ!」
シャディーンの声が聞こえ、直後、光と衝撃が俺たちを襲った。
体が吹っ飛び、俺は地面に叩きつけられた。腹を打ち……くそ、痺れて呼吸がうまくできない。
「……ろ! ぁ……ね!」
頭の中に音が響き、まともに聞き取れなかった。しかしタナーンの声のように思えた。
俺は口から反吐を垂らしながら虫車の台に捕まって起き上がる。周囲には顎虫。凍りかかって動きは遅いが、まだ止まってるわけじゃない。
幸い、スリングは手首にかけたストラップのおかげで無くしていなかった。俺はポケットから何でもいいから球を取り出し、一番近い顎虫に向かって撃つ。
赤い炎が広がり、顎虫が衝撃でひっくり返る。いいぞ。こいつらは体が平たいので起き上がるのが下手だ。
「くたばれ! シャディーン、しっかりして!」
タナーンの声が聞こえた。そして爆音。近くで爆雷の球を使ったような音だ。
それはタナーンが持っている機械から発せられていた。音だけじゃない。先端から何かを撃ち出している。矢でも球でもない。青白い炎のような塊だ。
荷台の幌は屋根が吹っ飛び、四隅の柱がかろうじて残っているだけだった。御者台の後ろはすっかり風通しが良くなっており、タナーンはそこで御者台に身を隠しながら、前方に向かって何かを撃ち出していた。また爆音。タナーンは反動で倒れそうになりながら、何度も撃っている。
シャディーンはと言うと、壊れた御者台から荷台の方に上半身が倒れ込んでいた。
「シャディーン! 生きてるか!」
「生きてはいる。まだ気を失ってる!」
言いながらタナーンはまた何かを撃つ。何を撃ってるんだ? 顎虫か?
「あの男を近づかせないで!」
「あの男?」
さっきのあいつが、黒い面の男か。暗くて分からんが、そうに違いない。
俺は帯電球を取ってスリングに番える。奴を探そうと顔を上げた瞬間、また衝撃が起こり吹っ飛ばされた。
今度はさっきよりましだった。背中から落ちたが、痛いがまだ動ける。跳ね起きて荷台の向こうにスリングを撃つ。
「ぬあっ!」
男の声が聞こえた。帯電の雷撃を受けて後ろに逃げる。
待てよ? なんでそんなに動けるんだ。よほどの大男でも一時間は動けなくなる。なのに奴は元気に飛び跳ねてる。当たりが浅かったか?
俺は荷台に乗ってシャディーンを揺り動かす。
「起きろ! 死んじまうぞ! 虫車を出せ、早く!」
「う……あ……ああ、分かった!」
シャディーンは起き上がり手綱を引くが、オサムシの一匹が顎虫と戦っていた。なんてことだ。顔を半分潰されてる。右側の奴だからペギーだ。
俺は凍結でペギーごと顎虫を撃つ。二体は塊になって地面に倒れこみ、通り道ができる。
「手綱を切れ! そいつは捨てて一頭で行くぞ!」
「あぁ……」
弱々しくシャディーンは答え、言われたように手綱を片方解く。そして虫車は動き出す。
すまない、ペギー。俺たちはお前を見捨てるしかない。帰ったら墓は立ててやる。
一頭になった虫車だったが、荷台が壊れた分軽くなっており、速度はさほど変わらなかった。マギーの目が少し赤っぽい。当然だ。こんなに周りに顎虫がいて、ペギーもやられたんだ。まだ制御は効くようだが、これ以上興奮するとマギーも言うことを聞かなくなる。そうなると終わりだ。さっさと逃げないと。
前方の顎虫は凍結で動けなくなってる。後ろにはまだいるが、この様子なら振り切れる。
問題はあの男だ。闇に目が慣れてきたが、こうまで暗いと人影は分からない。あいつもタナーンと同じように危険な武器を持っているようだ。荷台の次に吹っ飛ぶのは俺か? まっぴら御免だ。
「……おい、なんだこりゃ」
ふと下を見ると、木箱が割れていた。蓋が外れて、中が見えている。内側はうっすらと光っており、何かの機械が入っているのが見えた。
丸みを帯びた細長い金属……巨大な筒のように見える。そして上面の一部がガラスになっており、そこから内側が見えた。
子供。
鼻と口に管を繋がれた子供が、筒の中で眠っていた。
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俺は周囲の警戒も忘れ、その子供の顔を見つめていた。
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彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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